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イレオニルト

1.

 そこは塔のようにそびえる古城だった。
 いや、古城というよりも遺跡に近い朽ち方をしている。いまや、この国の王がどういう人物でこの城の設計者がどういう腕を持っていたのか知る由もないが、お互い名が通っていたことは確かだろう。そこは遺跡と呼ばれるのにふさわしい景観をしていた。
 現在では赤茶けて古い印象を与えてしまう街路も外壁も、繁栄期には老兵の髪のように歴史のある白灰色だったに違いない。
 その古城を、男が二人、探索していた。背に五本もの剣を負う浅黒いマントの男と、一本の杖を肩に縛った青白いローブの男である。
「確かにありそうだ」
 内の片方が半面をしかめて言う。
「一本は手に入れられるはずさ」
 もう一人が、対照的に笑んで言った。
「一本か……。それでもまだ、十三本だ」
「でも、それは三十箇所めぐっての十二本。この一箇所で一本がほぼ確実に手に入ると思えば、少しは気が楽になるだろう?」
「……なんであれ、探す必要があるのは変わらないな」
 男は半面をしかめたまま、古城の中層へ続く階段へ一歩を踏んだ。おそらくこの城にはずいぶん長い間に渡って、人が踏み入れていないのだろう。彼が歩むたびに舞う砂埃が逐一マントに纏わりついては、また次の一歩で離れていく。彼の後ろを行く穏やかな面持ちの男は、その埃の振舞い方が拠り所を探しているように思えてならず、笑みを崩せないのであった。
 階段を上りきった二人を迎えたのは中庭であった。もちろん、誰も管理することのないそこには生い茂る木もなく、落雷を受けたかのような枯れ木がかろうじて残っているだけである。ただ、中庭の中央に位置する泉と、その横に飾られた馬にまたがる騎士の石像は健在だった。
「泉は、雨の産物だな」
 先を歩く男が崩れた天井を見上げて言った。
「彫刻も風雨に浸食されている」
 二人とも少し沈黙した。
 しかし、栄えた国の末路を見て感慨にふけったわけではない。
「……土臭いな」
 ふと、マントの男が口を開くと、彼はそのまま続けてローブの男へ視線をやった。
「リーヴット。二人で歩いてもしようがない。ここで落ち合うことにして、ひとまず散らないか?」
 だが、ローブの男・リーヴットは首を縦には振らず、得意満面に話し始めた。
「散っても目当てのものは見つからないさ。ここは一時期、盗賊の根城になっていたんだからね。僕らの求める剣が眠っていたとしても、きっと持ち去られている」
「……貴様、ついさっき一本はあると言わなかったか?」
「ああ。あると思うから、そう言った」
 飄々とリーヴットが答えるのを聞き、マントの男は鼻息を荒げた。
「貴様はいつも、自分が解るようにしか話さないな」
 リーヴットは男の視線が鋭くなったことに気づき、視線を落としかげんに頭を掻いて説明しはじめた。
「どこの国にも、戦いの歴史って言うのは当然ある。今も昔も。そして、そう、今も昔も騎士たちは戦いの中において重要な役目を担っていたんだ。磨き上げた剣とその腕で、相手を打ち負かすという大役を。この国も例外に漏れず、そんな戦いの歴史があった。そしてこれは、ここに限らずこの地域に見られる風習なんだけど、戦いで業績を上げた騎士たちには儀式が用意されていたんだ。その儀式の目的は二つあって、一つは戦いの相手とはいえど人を殺めてしまった腕と剣を戒めるため。もう一つは、戦いのない平和な世界が来ることを願って」
 リーヴットがマントの男から泉へと向き直った。
「騎士たちは、大きな戦いの度に剣をこの泉へ沈めたんだ」
「騎士の泉か。聞き覚えが無くは無いが……」
 興味は無いなと言いかけて、男はハタと止まった。
「聞くが、……この泉を洗いざらい探すなどと言うのではないだろうな?」
「ご名答。いや、そもそもの目的がここなんだ」
 リーヴットの答えを聞いた男は満面をしかめた後、床と泉を隔てる段差に腰をかけた。
「この中に眠っている剣のうち、どれほどが価値の無いものだと思っているんだ?」
「僕らの求めるのはいつだって、この世に二つとない剣さ。どれほど無価値なものが沈んでいるのかは関係ないんじゃないかい?」
「ふん。もっともらしい説教だ。だがな、リーヴット。邪魔なものが多くあれば、それだけこちらのやる気も失せるんだ」
「でも、君はやる気を失わない。なぜなら、君は……」
「もういい。中をさらうぞ」
 男は不服をさらけ出した口調とは裏腹に、彼のレガースを固定している結び目を手際よく解く。やりきれないながらにも、やるしかないというのは承知の上なのだ。リーヴットの言うまでもなく。もっとも、リーヴットとしても最後まで言うつもりはなかったが。
「裸足で入るつもりかい?」
 男がブーツまで脱ぎ捨てるのを見て、リーヴットが声を上げた。
「足元を濡らしたまま歩き回りたくはないからな。乾かす暇も惜しい。問題あるか?」
「泉の底は剣で出来ているんだ。傷つきはしないかな」
 男は拍子抜けした顔をして、水面を見やった。水面が赤茶けて見えるのは移りこむ奥の壁のせいではない。
「そこからでは解りづらいだろうな。来て見ろ。赤くよどんでいる。鉄さびの色だ。剣は水の流れを絶つことは出来ても、水に浸食されるのを絶つことはできないからな。水漬けになってさびた剣などでは、灼熱の山岳を裸足で歩いた俺の足裏を切ることなどできはしない」
 男はまくし立てるように言い、こうも言った。
「そうさ俺には、本当の剣の上でも裸足で歩ける自信がある」
「わかった。ならいいよ」
 男はもう片方のブーツを投げた。
 今腰掛けていた段差の上に立って全貌を眺めると、割と奥行きがあることが分かる。剣を捨てるためだけに造られた、だけではなさそうだった。
 だいたい天井付きの中庭にある泉というものは、城の頂から落とし込んだ水路で水を供給し、同時に階下での生活排水として役立てる水源の役目も担っていることが多い。しかし、今の目の前がそうであるように、剣を捨て続ければ一年を待たずに赤くなるだろうこの水を水源にするとは思えない。定期的に入れ替えることで赤くならないようにしていたとしても、騎士たちの哲学に便乗すれば血に染めた剣の墓場の水である。誰が使うものか。
 察しの良いリーヴットは、このことにうすうす気づいたようであった。
「臭うね、なにか」
 どうでもいい、マントの男はそう言った。
「裏で何かをするような国が、宝物庫に剣を隠すなどと聞いたことがないからな。仮にあったとしても、それはきっと黄金で出来たまがい物だろう」
 そう言って、男は左足を泉の水に付けた。
「それより俺は、この土臭いのがたまらなく嫌だ」
 つられてリーヴットが鼻で大きく息を吸ったが、そうは臭わなかった。書物に囲まれて育った人間と、草木に囲まれて育った人間の差だろうか。とかくマントの男はリーヴットより敏感だった。しかし、どう考えても金属臭いだろう泉の水には抵抗を見せず、男は、意外に深い、という言葉とともに膝上までつかった。
 あごを水面につけ、皮手袋をはずした両手で底をあさる。最初につかんだ剣は<柄>だけであった。
 思ったとおりの収穫第一号に男はほくそ笑み、後ろ手にそれを放り投げると、それはくるくると回転しながら中庭の外へ転がり出て行った。
 気づいたのは、それを三回繰り返した後である。
「おい。リーヴット」
「在ったのかい?」
「貴様。すべて俺にやらせるつもりか?」
 二人はまるで画家とモデルのような位置関係にいた。
「すまない。少し他人になっていた」
 リーヴットはすぐに謝り、男に歩み寄りながらブーツに手をかけた。
 「いや。貴様は脱がないほうがいい。鋭利ではないが錆びて悪質になっている。ウィストアの背を歩く感じだ」
 ウィストア、もしくはウェイストゥア。金属に近い硬度のうろこを持つドラゴンの一種である。
 男の忠告にリーヴットは二度うなずき、脱ぎかけたブーツの紐を再び締めると、変りに手袋を丁寧にはずした。
 よもや聞きなれた濁音を耳にしたのはその直後である。
「ヌル<邪魔者>だ」
 二人の寄せた眉間のしわは、あわせれば二桁に届きそうな本数だった。
「まかせた」
 男はそう言って、また泉の底をあさり始めた。
 リーヴットは杖を手に階下へ向かおうとしたが、すでにヌルの影は階段を上りきっており、泉は彼らに囲まれた。
 ヌルはさまざまな形をしている。人であったり、馬であったり、あるいは鳥。時にはドラゴン。一体でいることも群れを成すこともある、統一性のない者たちであった。彼らに共通しているのは唯一つ。遺体であるということだけである。常に渇きを覚え、生物の命を奪えば生き返ることが出来ると思い込んでいる。
 この世に残ってしまった死者たち。何の役にも立たず、ただ害を増やすだけの邪魔者。それが彼ら、ヌルである。
 その朽ち果てた体躯からは、死骸の臭いが漂う様でいて、その実何も匂わない。匂いという存在感すらないことが、彼らの証でもあるのだ。彼らはまた、健全であったころと同じように、生き物と同じように容易く動きを止めることが出来る。わざわざ火を放って灰にするまでもなく、首を落とせば直ぐに地に倒れる。しかし、その不浄なる魂を滅することはそれだけでは出来ない。光で殲滅するか、闇に飲み込ませるかのいずれかでしか本当の終わりを迎えさせることは出来なかった。
 いわばヌルは、光からも闇からも外れた、人と同次元の存在なのだ。
 リーヴットが泉を背にし、杖を水平に差し出す。
 男は何も言わずに水面下を模索する。
 リーヴットは差し出した左手の甲越しに、にじり寄るヌルたちを眺め見た。
 男がまた、泉から拾い出した剣の欠片を放り出した。
 欠片の描いた放物線は、一瞬リーヴットの視界を遮り、地に落ち、合図となった。
『陰刻<夜>をつかさどる神よ。我、そなたに見立てし空(くう)に問う。人ならざるは、罪ならざるか。人ならざる彼の者らは、罰負わざる者らとなるか。答えあらば、より罪深き者らに打ちつけよ。ツィ・レーヴェ・ムルンテ<夜の審判>』
 リーヴットの唱が終わるなり、彼の見つめていた虚空か暗転し、紙にこぼした墨のように広がりながらヌルたち降り注いだ。
 彼らを囲う黒がうごめく。
 その様を慈悲のある目で見つめていたリーヴットだったが、彼らの雄たけびとも悲鳴ともつかない濁音が再び階下から上がってくるのを耳にして、大きなため息をついた。
 マントの男はその間にも、時に肩まで濡れるほど腕を深く突っ込んで水中を模索していた。背後で先ほどとは違う詩を唄っているリーヴットを気遣うそぶりはまるで見せない。それどころか、彼の放り投げた欠片がリーヴットをかすめることもあった。
「さっさと終わらせて手伝え」
 と言わんばかりである。
 しばらくの間、剣の欠片が奏でる音とリーヴットの唄声と、ヌルの濁音が入り混じった騒々しさが続いた。
 収まったのは、男の投げた欠片の数が三桁を迎えるころである。錆びた金属の高くて鈍い落下音が、それを知らせるように中庭全体に響き渡った。
「終わったか」
 男はやはり振り返りもせず、作業を続けた。
 ところが、どれほど待ってもリーヴットが泉に足を降ろす音が聞こえてこない。
「おい」
 腰を曲げたまま首をひねって後ろを見たが、視界にその姿は入らなかった。ゆっくりと上半身を起こし、中庭をぐるりと見回す。
 もちろんヌルは消えた。
 だがリーヴットもまた、消えていた。
 泉に入ることを嫌がって、逃げたとは考えなかった。ささいな冗談こそ言えども、そこまでじゃれあうゆとりはないのだ。リーヴットが厄介なことになっているのは、それとなく予想できた。
 それでも、男は泉から上がらなかった。
 自分の身は自分で守ることが彼らの暗黙のうちの規則だった。それが出来ないようなら、この先つれて歩いても役には立たないのだ。一日待って、合流できないようなら先に行く。たどり着く場所と約束された時間のあるこの旅は、それで十分成り立つ。
 それにリーヴットという男、ああ見えてもデュスペリック<二冠術者>である。デュスペリックたるものは、大聖堂の儀職者の最上位職に当たるイナレフと、黒宗派の上級職のド・ルーゲオの両方のクラスに勝る精神力と魔力を持ち合わせていなければならない。
 光と闇の法に秀でたデュスペリック・リーヴットと云えば、学ある者は閉口する。多くのものは彼を、天が落した才能の持ち主、つまり天才という。マントの男が、地獄で育ったならず者と罵られるのとは対照的に。
 再び戻った静寂の中、男はひたすらに水底をあさった。
 疲れが襲ってくることはなかったが、やってきたのはまた別の魔物である。
 そのものが一歩を踏めば堆積した埃が宙を舞い、また一歩を踏めば泉の水面が大震する。外敵を見つければ、人間の嗚咽のような低く心地の悪い母音を轟かせて咆哮する。
「やはりいたか……」
 ランドハビタント。土の永住者と呼ばれる色彩の乏しいそのドラゴンは、穴だらけの翼を横に広げ、首尾は異様に長いが動きはなく、頭は不恰好なほどに小さい。
 だがさらに、その個性的な外見を気にさせないほどの特徴をそれは持っていた。
 我慢ならないほどに土臭いのだ。
 腐葉土ばかりを食すためにそうなってしまったと言われているが、それにしても酷すぎる。雨のときなど、常人なら堪らずに吐いてしまうだろう。嗚咽のような泣き声がそれを促している。
 マントの男はここへ着いたときからその臭いを感知していた。口にしなかったのは、来て欲しくないという思いが強かったせいだ。
「わざわざ、死にに来るとはな」
 土の永住者は名が示唆するようになわばり意識が強い。自ら人を襲うことはなくても、侵入した者を生かして出すことはない。一般に認識される<魔物>である。そして、その時に武器となるのは喉元の毒腺から生成される猛毒の息であった。
 毒の息は吐き出されたときには不吉な色をしているのだが、直ぐに空気中に溶け込んで不可視となる厄介極まりないものである。しかし、ランドハビタントと何度か遭遇したことのある男はその特徴を十分に知っていた。
 毒の息は空気より若干重く、ランドハビタントは首は長いが首を根元から持ち上げる筋力はない。このため、毒の息が地面の高さから上向きに吐かれても、ある高さから上は安全圏になるのだ。
 男はすぐさま大きく息を吸い、止めた。
 無呼吸のままあたりを見回し、その高さを保てる場所を探す。だが、朽ちかけているこの古城では、目に付く高さのほとんどが不安定な足場にみえた。
 ランドハビタントの猛毒の息が吐かれる。
 男の目に留まったのは、騎士の石像であった。
 偶然握っていた剣の欠片で石像の騎士の部分に打ち付ける。風雨のせいで軽くひびの入った石像は軽く粉砕され、馬の部分だけが取り残された。
 乗馬をするように、ひらりと馬の背に立つ。先ほど吸い込んだ空気を深く吐き、背負っていた五本の剣のうちで一番強度のある一つをするりと引き出す。
 永住者を睨んだまま左手で柄を握り、右手の平を柄の先端にあてがった。
 永住者は上から頭を串刺しにするのが一番早い。
 しくじったときを考えて再度深く息を吸い込み、同時に両手を肩より上へ運び、構える。飛び降りる間に毒の息にかからないように永住者が口を閉じるのを待った後、男は飛躍した。
 墓標が、ランドハビタントの頭上に建った。
 少し左に傾いでいるが、抜けはしないだろう。
 男は呼吸を再開せずにまた石像の上へ登り、腰に下げた袋の中から牛の皮で蓋をされた小さなインク入れを取り出した。<雨の丘>と呼ばれる浄化薬である。一度蓋を取ればホルンの丘で採取された雨の微粒子が空気中へひろがり、周囲に霧を起こす。霧は舞うように地面へ落ち、毒に汚染された環境を洗い流してくれる。過酷な環境を旅する者たちの必需品であった。
「残りが少ないな」
 男がつぶやく。
 雨の丘は一度封を切ってしまえばただのインク入れと化してしまう。大陸規模の普及品ではないため、持ち合わせがなくなれば、どこか名のある町まで出ねばならなかった。
 男の腰袋に入っているのは、あと二つだけだ。
「状況しだいだな……」
 石像をおりて鼻で浅く呼吸をし、毒のもつ嫌な臭いがしないことを確認した。モノが近くにあるために、先ほどよりだいぶ土臭くなっているが、そればかりは仕方あるまい。
 男は腰から布の切れ端を取りだすと泉の赤い水に漬けて濡らし、それを鼻の下へ当てて後頭部で結わいた。それはそれで鉄錆び臭いマスクだったが、いくらかマシだった。
 男の物色は続いた。
 この古城へ着いたのは昼過ぎであったのに、もう日暮れが近い。
 彼らの使命はこの世に二つとない剣を百本集めることであり、旅が始まってから七十三日目の今日はもう終わろうとしている。これまでに男が放り出した剣の欠片を眺めていると、どうも三十一箇所目での十三本めは見込めそうになかった。
 ふと、集中力の途切れてしまった男は、ハっと笑うようなため息をして水をかきわけて泉の縁へと向かった。辞めるのではく、休めるためだ。
(あいつはどこへ行ったんだ)
 そう思ったときに、下から足音が響いてきた。ブーツの二歩と杖の一回。その規則正しい歩みはリーヴットである。
「遅くなってすまない」
 ランドハビタントの死骸を見下ろしながら、最初にそう言った。
「何があった?」
「あったというか、ヌルが山ほどいてね。それにもう一つ……」
 リーヴットが懐から手のひらに収まる大きさの宝玉を取り出した。
「これが」
 その宝玉は<伝え玉>と言われ、主に魔術し同士が離れた距離で会話をするのに使われる代物で、伝え玉に写しこんだ内容は魔術師の手によって一時的に保存しておくことも可能だ。
 と、聞こえは便利なものだが、実際に使うとなるとなかなか上手く機能しないために上位の魔術師たちでも苦労を強いられる。紙に書いて一枚に満たない内容を伝えるのに、丸一日かかることもしばしばだった。
「フュルク卿からか?」
 リーヴットが頷いた。
「今、どこにいると?」
「まだモルシアロイカだよ。セイン・パレは後三月続くからね。今回は情報提供さ」
 モルシアロイカのセイン・パレとは、宗教都市の巡礼というのと同義になる。彼らと使命を共にするフュルク卿はリーヴットと同じくらい名の知れたヴィーティアル<聖霊遣い>であり、一月ほど前からセイン・パレに招かれている。
「そうか。で、どんな情報だ?」
「“彼女”の目覚めを押さえ込めるのは、おそらく後一年だというのが一つ。この前、取り逃がした青い剣・リュクセイエフの手がかりが一つ。それと……これは僕が今から調べてくるよ」
「調べる? 今から?」
「そう、真っ暗にならないうちにね」
 何をだ、と問いただそうとしたが、既にリーヴットは泉の横の通路を通り、上へ続く階段を上り始めている。
「おい、待て。貴様も少しは泉の冷たさを味わえ! あっ!」
 リーブットの影を追って泉をバシャバシャと進んだ男は、足に激痛を覚えてうめいた。
 赤茶けた泉の水はまるで血のようだと思っていたが、実際に男の右足から流れ出たものの方が鮮明に赤かった。そしてそれは止まることなく辺りに広がっていく。どうやら深く切れたらしい。それは、ランドハビタントを前にしてもすることのなかった彼の油断であった。
 最寄の縁に腰をおろし、右足を泉から引き抜く。
 予想よりも傷は浅かった。血が大量に出たように見えたのは水のせいだったようだ。痛みは多少あったが、傷口を乾かしてやると直ぐに血は止まった。男はその間中、何かを踏んだ地点から目を離さないようにしていた。
 念のため手持ちの包帯で傷口を保護し、先ほどよりもやや慎重にそこへ向かう。
 珍しく、男の緊張感が高まった。
 赤く澱んだ水が全てを隠している。
 男は指を切り落とすことを危惧し、背中からまた別の剣を抜き取った。それを使って泉をかき回すと、水中に拡散する赤錆が流れに従って舞い始める。そして、強度の高い金属同士が互いにぶつかりあう音が水中に鳴り渡った。
「あった」
 男はにやりとして、手持ちのそれで水底に眠る剣の刃と思われる一端を深く押し込んだ。すると剣の柄の部分がテコの要領で持ち上がり、水面から顔を出す。
 男は驚きを隠せなかった。
 白いのである。長い間水に漬かっていたはずであるのに。
 全体を見ようと泉から引き抜くと、赤錆はどこにも付着していなかった。
「人の作ではない……」
 物というものはそれを創った者と同じ運命をたどる。人が作った剣はいずれ腐る。腐らないものは神によって創られたものである。
「聖遺物?」
 今までに見たことのない装飾がそれが唯一の剣であることは訴えている。気品もある。刃の部分は骨太なのだが重量感がまるでない。あらゆる面で神がかっていて、有り得ないと思わせてくれる剣。十分すぎる十三本目だった。
 男は剣を調べるうちに文字らしきものが小さく刃の根に刻み込まれている。
 その内容はこうだった。
 『安心しろ。お前一人にレリクスの呪いを背負わせて逝かせはしない。
  生は共に受けることは出来なかったが、死は選ぶことが出来る。
  それが今だ。              イレオニルト』
 男の手から、剣がこぼれ落ちた。
 
「収穫はあったのか?」
 さぞ心持ちが悪そうに、マントの男が言った。だいぶ前に泉から上がったらしく、既にレガースを身に着けている。
「この国は内乱で滅亡したという話だったからもしやと思ったんだけどね。違ったよ」
 階段を下りきったリーヴットは、石像にもたれて座っている男の元へと近づいた。
 男は黙ったまま、足元からリーヴットを見上げる。
「解るように話せと言っている」
 リーヴットは昼間と同じように視線を落として頭を掻いた。
「少し長いけど」
「かまわん」
「では、双剣というのを知っている?」
「いいや。知らんな」
「王家というものには先祖代々受け継がれるものがある。その多くは王冠であり、つまりはまたとない代物なんだ。ある国では、受け継がれるものは剣だった」
 その国に双子の王子が誕生した。
 珍しいといえば珍しいがありえないことではなく、そういった場合でも普通どおりに先に生まれたものが兄として王を継ぐものである。ただ、二人を間違えないようにするため、兄の爪には金を、弟の爪には銀を塗る。しかし、そのとき城には金がなかったことを王家の者が一人として知らなかったことが災いの始まりであった。兄の爪には着色された銀が塗られたのである。
 それはたった一度の入浴で銀へ変わった。
 どちらが継承者か。
 王は頭をかかえて悩んだ。その悩みを解決に導いたのは、彼の愛する平等という言葉であった。二人を王に。災いが深まった。
「二人は偏りのないように王者としての教育を受け成長していった。さしたる問題もなくね。けれど問題は二人が本当に王位を継承するときに生じたんだ」
「継承される剣はひとつだけ、か」
「その通り。もしも、その時に平等を愛する彼の王が没していたらきっと内乱が起こっていただろうね。けれど病床の王は命じたんだ。新たに剣を二本こしらえよ、と」
 とはいえ、古い歴史のある国である。代々引き継がれる剣を簡単に捨てることは、先祖を冒涜するに近しい行為であった。
 そこで臣下たちは継承される剣を二分することを思いついた。二人の王ではなく二人で一人の王という意味も兼ねさせて。
「そして双剣が生まれた。片刃ずつのね」
「……話が読めないが?」
「まだ、続くからね」
 もともと、臣下というものは一つにまとまらない存在であり、それを取りまとめることも王なる者の務めである。しかし、王が二人いればどうなるか。それは云うまでもない。
「深まる臣下たちの対立に双子の王は飲み込まれていった。亀裂は目には見えない形で深まっていたんだと思う。そしてそこに決定打を加えたのが一つのうわさだったんだ」
 当時剣の左半分を持っていた者が、先に生まれた兄だったと。
 彼らを引き裂くには十分すぎる口実だったに違いない。
 内乱が始まった。
「国は滅んだよ。二人の王が互いの胸を互いの剣で刺して、絶命してね。後に残ったのは血塗られた双剣と、王のいない城」
 リーヴットが舞台の幕を下ろすように両手を広げた。
「フュルク卿からここが内乱で滅亡したらしいという話をもらってね、もしやと思ったんだ。けれど、ここには玉座が一つしかなかった。伝統の剣を割ってまで平等を作りながら玉座はひとつだけなんていうのは考えにくいからね。ここではない」
「……平等が滅ぼした国か。感慨深いな」
 男は空見上げ、崩れてなくなった天井の奥で星が瞬き始めるのを目した。リーヴットもまた同じように首を上げ、一日が終わったことを確認した。
「今回は収穫なしだね」
 リーヴットがそう言うと、男は隠し事をするかのように少し間を置いて、言った。
「いや。あった」
 男の視線の先にあの剣が横たわっている。
 リーヴットは男が妙に距離をおいて座っていることに疑問を覚え、同時にその剣に激しい興味を覚えた。近寄ると、剣の放つ神々しさがまざまざと感じられる。その剣が一本視野にあるだけで、古城が大聖堂に見えてくるほどだ。
 そして手に取った瞬間に察知した。
 これは百の剣の主格となる一本に違いない、と。
 さらに見た。
 剣が作られたときから刻まれているかのような、印字を。
「これは?」
 文字列に目を通すなり、リーヴットはあわてて剣を手から離し、そこから二歩退いた。
「この剣、そうか……」
 再び床に転がった剣へと伸ばす彼の手は小刻みに震えていたが、彼の意思ではどうしようもなかった。体だけでなく、頭でも拒んでいるのだ。近寄りたくもない、と。
 リーヴットは自分の本心と向き合って、直ぐに男が距離を置いた理由を知った。
「君も見たんだね?」
 男は空を見上げたまま、答えない。
「見たんだろ? ねえ。イレオニルト」
 男は名前に反応して力なく、ああ、と言った。
「これは<運命の剣>だよ」
 法典の中でフェンレルサンと記されるその剣は、死に様を映す鏡として登場する。手に取った瞬間にその者の死に際の言葉が刻まれ、次に映像を脳裏に焼きつかせる剣だ。元来、死地を見せることで勇者を見極めるためのものだった。
 しかし、現実には二人にとってきつ過ぎる内容だったらしい。
「その結末が事実ならば、俺たちは百本の剣を集められるようだが……」
「いや、よそう。お互い、内容を口にしないほうがいい」
 リーヴットは末路をひた隠した。なぜなら、剣に刻まれたのはエンダルカの唄だったからである。それは命を糧に神を召喚する最後の唄。イナレフの禁術である。
(僕は戦いの中で死ぬ)
 同じことをイレオニルトも思っていた。

 二人は古城の階段を無言のまま下った。
 事態の原因となったフェンレルサンはイレオニルトのマントに包まれて彼の背中にある。手に取っただけで死ぬ気分が味わえてしまうその剣は、最後の最後まで封を解かれはしないだろう。次の町に着いたら一番にそれをフュルク卿のところへ送ってしまおうと二人は決めていた。
「腑に落ちないことがある」
 イレオニルトが口を開いた。
「なぜ騎士の泉にあの剣が?」
 平和を望んで作られた泉に不似合いな、人に死地を教える剣。手にとってしまった二人には、あの剣を持って戦いに挑むことがどれほど酷か、よく解る。敵の血に染まったために捨てられた剣ではないだろう。
「おそらく、意図的に捨てられたんだよ。そもそも、あの剣はどういう経路でここへたどり着いたのか。それも解らない。それに僕は、あれは法典の中にしか存在しないものだと思っていた」
「法典の中では、どうなったんだ?」
「……名のある戦士が、彼の死地でフェンレルサンを手にしてしまった。彼は生きて帰れないことを知り、同時に覚悟を決めた。そして剣とともに、息絶えたんだ」
「剣とともに?」
「そう。フェンレルサンは彼の絶命により、死者に握られたことにより、切っ先から灰になって風にさらわれて行ったんだよ」
 運命の剣は法典の中でさえこの世から消えていったはずのものだった。
 謎が多すぎる。
 リーヴットのつぶやきは、嘆きにも聞こえた。
 古城の階段は暗闇へと延びている。
 イレオニルトがたいまつを灯そうと腰袋を探ったとき、ふと思い出して言った。
「リーヴット。貴様、<雨の丘>は持っていたか?」
「確か、三つほどはあったような」
「俺はもう二つしかない。そろそろ補充をしたほうが良さそうだ。どこが近い?」
「南に三日でサノンコルト」
 サノンコルトは世界一狭い国土に少数精鋭の騎士団という、いかにもな騎士国家である。その名は騎士のステータスでもあり、下兵でさえ他国の騎士団長クラスの実力を持っていた。
「騎士国家か。ふん、ちょうどいい。古い剣が沢山ありそうだ」
「確実に八本はあるよ。ただ、それを入手できるかは君次第だけどね」
「……剣議会の八本のことを言っているのか?」
「ご名答」
 サノンコルトはもとより王のいない国である。政治は国で最も強い八人の騎士たちに任されていた。その八人が意見を言い合う場を剣議会という。意見の対立は戦いで白黒をつけるというのが名の由来であった。騎士道を重んじる国だから、許される議決法である。
「彼らは潔いからね。勝てば一年ぐらいは貸してくれるさ」
 千騎に勝ると呼ばれる剣議員。それを八人、相手に迎えることになる。
 だが、イレオニルトも負けてはいない。
「勝つとも」
 奮い立たせるようにそう言った。
 それに、彼があの時見た光景はサノンコルトの歴史ある風景とは無縁だった。
「俺の死地はそこじゃない」
 その一言に、リーヴットは黙ってしまった。
 フェンレルサンに負わされた心の傷は、しばらく癒えそうになかった。
 リーヴットが雑念を払うように話を変える。
「今日は野宿になるね」
「いや、馬は十分に休んでいるはずだ。夜明けまで走らせて宿を探そう。雑魚寝では少し夢見が悪そうだからな」
「……確かに」
 こういう時には運命を共同していない人間、すなわち町の人間たちと時間を共にすることが何よりもの緩和剤になることがある。地獄で育ったイレオニルトはそれをよく解っていた。それが人間のよさであると。
 古城の出口が近い。
 馬は入り口横に描いた魔方陣のなかで保護されている。
 馬は休めてあっても、疲れた体に鞭を打って走らねばならないのは苦痛ではあるが、時間が限られている以上、文句を並べることも出来ない。
 残り八十七本というその数字は大きすぎて実感できないほどだ。
「リーヴット」
 イレオニルトが半面をしかめる。
「先は長いな」
 ああ、と彼が返事をするより早くあの濁音が沸いた。
 二人の足が止まり、眉間にしわがよる。
「ヌルだ」

続く