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イレオニルト

2.

「レスター卿がお見えになりました」
 アメレシアの王、ラコルフ二十四世は首を長くして待ち続けたその言葉を聞くなり、玉座を立った。昼前のことである。
「奥へ通せ」
 二十四世は衛兵にそう告げると、きびすを返して玉座の後方の扉から退室した。奥の一室は窓のない空間である。本来の用い方としては攻め込まれたときの隠れ部屋なのだが、アメレシアの王城であるクオール城ほどに大きくなると攻め込まれることすらないために、近年は密談を交わすための部屋となっていた。そこで話される内容は、人々にその部屋を禁断の間と呼ばせるに十分だった。
 リーヴット・エルテヒュンド・レスター卿が禁断の間へ入ったのは衛兵の案内を受けて、一息ついたあとになる。
「訳あって遅れてしまいました。非礼お詫びいたします、陛下」
「良い。急に呼びつけた私も私だ」
 リーヴットが深く頭を下げる。
「陛下。お話というのは、やはり」
「うむ。あの流民のことだ」
 間が空いた。
 世に、流民は多くある。国を追われたもの、あるいは逃げ出したものがほとんどになる。流民の扱いは国ごとに違いを見せ、差別の酷い南東の国リュティードでは奴隷扱い、サノンコルトでは剣の腕を磨けば歩兵程度にはなれる。アメレシアの場合、流民は一時的に保護されるだけであった。つまりアメレシアでの生活をのぞむのならば、あてを探してそこで働くのが筋書きになるが、その動きを助けはしないし、半年がたてば、望みがなくとも追い出される。酷なようだが、大国であるがために流民の多いアメレシアはそれが精一杯というのが現状であった。
 その流民は自らの足でアメレシアの大地を踏んだわけではなかった。山岳の農村地帯から、担ぎ込まれた女性だった。
 傷を負っていたわけではないが、意識は混濁とした様子で、瞳孔は円を広めつつあった。それだけならば、きっとその農村で最悪息を引き取っていただろう。クオールへ運ばれるに至ったのは、開きかけていたのが瞳孔だけではなかったからだ。第三の眼が、彼女の眉間で開こうとしていた。彼女はその地方を統べる自衛団の手により、王城へ送り出された流民であった。
 城に関わる多くの知識人たちが彼女を診、口々に言った。一つには魔族、一つには亜人種、一つには変種、一つには聖遺体。聖遺体は極論であったが、いずれも的を得てるようで外していた。
 結論は解呪士たちに託された。人々にまとわり付く実体のない何かを浄化することの出来る彼らは、知りえるすべての言霊や魔法を用いて、彼女の反応を計った。
 極めて重い呪いによるものだと知れたのは、三人の解呪士を犠牲にした後であった。呪いの正体は後に知られる事となる。
「何か、新たな情報を得られましたね?」
「よく解るな。デュスペリックとは人の心をも読むのか?」
 まあ良い、の言葉とともに二十四世が取り出したものは、首飾りであった。
「この紋。知性高きお主なら知っておろう」
 逆十字に交わった剣と、それを抱え込むように翼が円を描いている。中央に埋め込まれた青い宝玉は神聖なようでいて、ひどく奥があった。
 リーヴットが目を細めて言った。
「陛下はどのようにお考えで?」
「下の者はダークロード<暗黒卿>にまつわる物だと云っていたが、私はお主に答えを委ねたい」
 ダークロードとは平たく言えば魔性を力の源とする戦士のことになる。
 リーヴットは軽くうなずいた後、こう告げた。
「ダークロードに違いはありません。しかしこの紋章はそれだけに収まらない力のある者の所有物です」
「……ふむ。私自身、ダークロードなる者にあったことがない故、いまいち掴めんが、この不穏な空気、呪術に疎い私でも解る。だがそうか、ダークロードでは済まないと申すか。ならば答えよ。それは何を示す?」
「トゥレサニア家の紋章です」
 窓のない部屋に風が吹いた。
 王は首を少し傾げた。
「聞き覚えがないが、なにか、あるのだな?」
「では、説明させていただきます」
 リーヴットは語り始めようと姿勢を正したが、いざしゃべり始めようと口を開いたときに、ふと気づいた。
「……陛下」
「……うむ」
 王もその異変には気づいたらしい。
「なにやら騒がしいな」
 禁断の間を出たところで、異変にはすぐに気づくことができた。先ほどリーヴットを案内した衛兵が持ち場を離れているのである。王はすぐに廊下へ出ようと足を進めたが、リーヴットに制された。
「わたくしめが」
 うなずくラコルフ王に一目し、リーヴットは玉座の間を出た。
「禁止令を解いてくれてもかまわんぞ」
 王はリーヴットの後方でそう言った。禁止令を解くとは、いわゆる臨戦体制を認めるということだ。クォールでは、非常時以外の城内での戦闘行為は堅く禁じられていた。
 リーヴットはまず、城下まで見下ろせるテラスへ足を運んだ。騒ぎの程度から察してまず考えられないが、もし他国から軍が送られてきたとするなら目に付くはずである。しかし、城下は静かなものだった。相手は少数らしいが、こちら側を興味心身で見ている者もいない辺り、どうやらすでに城門の中にいるのだろう。
 テラスを出るとすぐに、上告に走る兵士と出会った。
「侵入者です!」
 彼はそれだけ言うと玉座の間へ走っていき、リーヴットもまた逆向きに足を速めた。
 侵入者はリーヴットの降りた階段から見えるところにいた。
 二人とも声は発さなかった。
 素性を語らうお互いの眼だけで十分だった。
 リーヴットの青い瞳は空を象徴するかのように、どこまでも透き通り、反対に男の灰色の目は深くよどんで奥が読めなかった。だが、殺意や敵意の類はこれといって感じられない。
 リーヴットが左へ一歩を踏むと、男は右へ一歩を踏んだ。
「……何者です?」
 やや拍子抜けのした接触になった。
「……イレオニルト」
「イレオニルト……?」
「そう。私のことはその者が知っています」
 男は遠くを見つめて続ける。
「私はあなた方を引き合わせるために遣わされたにすぎない」
 “あなた方”という言い方に引っかかっているうちに、男の見つめる視線の先から、別の人影が浮かんできた。
 地面すれすれを行くマントに、人影から飛び出した3本の剣影。おそらく、イレオニルトという者。男だというのは身の丈からして即断できた。
「レスター卿」
 男が唐突に言う。
「デュスペリック……。カーナロキアの至宝。スペルイーター……」
 それらはすべて、リーヴットの代名詞に当たる言葉で、カーナロキアはリーヴットの生まれた国を指し、スペルイーター、すなわち術奪者は、一度観た魔法をすべて自分のものにしてしまう彼をねたんで付けられた異名である。
「……リーヴット」
 男が足取りを止めた。
「君は?」
 逆に、リーヴットが問いかけるが、男は応えず、仕方なしにリーヴットが言った。
「イレオニルト? ……ダークロード?」
 男がにやりとした。
「四分の三だな。名は合っているが、ダークロードでは正解とは言えん」
「では、レヴナント? それとも、デュラハン?」
 そうまで言われて、イレオニルトは驚いたようだった。
「ほほう。それを知っているとはさすがはエルテヒュンド<大賢者>。だが、どちらも外れだ」
 男が一歩、歩み寄り続ける。
「レヴナント? デュラハン? 下々と一緒にされては困るな」
「その上と言う事? 私の辞書にはない……」
 レヴナントもデュラハンも、ダークロード達のランク付けをする言葉、つまり階級である。いくら体を切りつけても倒れない魔物レヴナントを冠する中級のダークロードに、首の無い騎兵デュラハンを冠する上級のダークロード。どちらも文献から得られる知識である。
 しかし、彼らの上に立つものをリーヴットは知らなかった。
「ふん。事実に勝る知識はない。大賢者ともあろう者がその程度の事に気づかぬとはな」
 きっとイレオニルトは単にリーヴットの無知を揶揄しているのではなく、部外者に何が分かると言いたいのだろうと、リーヴットは捉えた。誰にも知らされていない事情が裏にあるのだろう。レヴナントもデュラハンも、軽々しく口にしてはいけないものなのかもしれなかった。
 少し考えて、リーヴットが頭を下げた。
「軽い口を叩いたことはお詫びしましょう。それでは……」
 本題に入ってもよろしいですか、と言おうとしたところへ、左手から声が上がった。
「いたぞ!」
「あの男だ!」
 衛兵の声である。
「おのれ。レスター卿を人質にとるつもりか!」
「お下がりください! レスター卿!」
 十人ほどの人影が、まもなく実体になった。
「お下がり願えるか? レスター卿」
 終いに、イレオニルトがそう言い、彼はリーヴットを遠ざけるようにマントを翻した。既に右手は背負った三本のひとつに掛かっている。顛末を面倒くさがって空へ投げられた視線が、彼を強めていた。
「離れたぞ! 囲め!」
 誰かが言った、その直後、イレオニルトが剣を半分ほど出したところで、止まった。
 止まったというよりも、固まったという方が正しい。
 彼の足元と天井に、青紫色にうすら浮かぶ、魔方陣。彼の法術は刹那であった。
「君を重罪にすると、後々面倒なことになりそうだから」
 リーヴットが楽しそうに言った。
 カツン。――カツン。
 乾いた靴音が、閑散とした回廊に響き渡る。
 音の主は、リーヴット。翌日の、満月が南中する頃合だった。
「もう少しまともな謁見の間はなかったのか?」
 視線の先にいるイレオニルトが言った。彼とリーブットの間では鉄格子が胸を張っている。そこは月の光の差し込まない、クォール城の地下牢だった。
「何を言うかと思えば」
 リーヴットがため息混じりに言い出す。
「私の働きがなかったら、君は今頃アメレシアから追放されて、二度とこの地を踏めなくなっていたんだよ? その上、上質の部屋を用意しろだなんて、少し虫が良すぎるんじゃないか?」
 イレオニルトは目をつぶったまま聞き、ふん、と鼻息を鳴らした。
「その時はアメレシアの外で貴様を捕まえたよ。運命的に、な」
「……どうかな?」
「どうかな、じゃない。必然だ。どこであろうが、貴様はオルサナの使い魔に誘われて、俺と会う」
 オルサナの使い魔。
 その言葉を聴いた瞬間、まるで埋め込まれていたかのように、彼の脳裏を、あの時の灰色の瞳の男がよぎった。イレオニルトの名を残して去った、あの男だ。
「ほら。既に刷り込まれている」
 リーヴットの表情を見取って、イレオニルトは笑んだ。
「無駄だよ、オルサナの遣わす魔人は彼女の命が尽きるまで、貴様に付きまとう」
 イレオニルトが幻影を振り払おうと身を震わすリーヴットを見て、言った。
「オルサナ、の、魔人?」
「誰とは言わさんぞ。魔人も、オルサナ自身にも貴様は会っているはずだからな」
 リーヴットは、実を言えば感づいていた。ただ素直にそれを認めてしまうのは、そこのない沼地に足を踏み込むようで、嫌だった。
 やがて、自ら重い口を開いた。
「……彼女のことか」
 トゥレサニア王家の紋章を身に着けて、この国へ流れてきた彼女のことかと、もう一度は頭に言い聞かせる。
「そうだ」
 リーヴットの瞳に映るイレオニルトのその肯定句は、しかしながら、今のリーヴットには遠かった。
 死体のような女がこの地に流れ着き、不穏に思ったアメレシアの閣議によりカーナロキアから使わされて、今度は彼女に関わる者が自らの意思でこの地を踏み、運命的に自分を巻き込もうとしている。良い兆候がどこにあるだろうか。
「始まりから話して欲しい」
 リーヴットにとってはもはや乗りかかった船どころか、離岸した船である。事の成り行きを聞きとめるため、本腰を入れて、そこへ座った。

 すべての起源は、アメレシアの北東の地、ノトロシアにあった。
 人間の大地<レフェス>にありながら、魔族の大地<カレトヴィア>に最も近い、北国である。ノトロシアは雪が多く、子供も農作物もよく育たない土地柄に加えて、カレトヴィアから風に吹かれてやってくる魔の気に、乱された国である。
 人々は、闇を恐れぬために、闇を崇拝した。闇の一部となってしまえば、カレトヴィアから広がるかもしれない厄災にも、きっと耐えることが出来ると、闇の力を信じた。それが後々の邪教の根源になるとは知らずに。
 ノトロシアの学者たちは、こぞって、闇を引き出す術を研究した。
 まず、魔力を高める方法。その研究は遥か古代のルーンにまで掘り下げられ、正統に魔術を継ぐ世間の大魔導師たちですら知らない、呪術や言霊の類を発見した。続いて、闇を操る方法。足元の影、人の心に巣くう影を、意のままに操る危険なもの。その研究の結果、何千何万というヌル達を生み出したとも言われている。そして、最大の成果が、死という闇から這い出る、黒蘇生の秘法。
 それが表沙汰になった経緯は知られていないが、神に対する重罪として宗教国家モルシアロイカに滅ぼされたのは、誰もが知る史実である。
 だが、秘法は消え去ったわけではなかった。
 ノトロシアの賢者たちは、いずれ来る国の衰退を恐れて、秘法を王家の者達の中でもさらに優れた人間に託していた。秘法を知るものにとって、先を予言するのはいとも容易く、彼らはモルシアロイカとの戦火を免れ、あるものは山岳へ、またあるものは森へ逃げたのだった。
 その中に、<彼ら>の姿があった。
 ノトロシア全土から選び出された、もっとも濃い闇を持つ一族、トゥレ・ムニア家。ルーンの全てを覚えるほどの頭脳を持ち合わせた、ハルミティア家。
 トゥレ・ムニア家は日照時間の少ない峡谷を目指し、氷河の爪あとの残る山岳地帯の深い谷底に暗闇の神殿を築き、彼らの闇をダークロードという騎士を媒介に世に継がせた。他方、ハルミティア家は、森を転々としながらも、月の引力をものにして魔力を高め、一族の中で最も優れた言霊の使い手、クレイ・ハルミティアをクインルネアとして月夜の世界に降誕させた。
 歴史の上では、ノトロシアは滅亡し、長い時を経ている。レフェスにおける一帯の地名も、ノトロシア以降、ノースランドと名を変えたが、残ってしまった闇の痕跡は簡単に消えるものではなく、繁栄を待たずに、魔女狩という退廃文明を残して消えた。
 そういった歴史に阻まれ、近年興された新国家ノークトームに期待を寄せるものはいない。
 いつだって、闇は人の背後でうごめくものなのである。
 ダークロードが書物の中だけの存在に留まらないように。
「俺の両親は闇の神殿で生まれた」
 イレオニルトが言った。
「……ディルン・ケルン、だね?」
 リーヴットの問いに無言で頷く。
 そこには、魔族の言葉で『闇』を意味するという<ディル>の言葉がいたるところに刻まれ、最深部には城の大広間ほどもある魔方陣が敷かれているという。
「そこを飛び出すまでは太陽というものを知らなかったらしい」
 ぼろりとつぶやく。
 ここまでの話で一点引っかかっていたリーヴットは、その間を呼び込んで聞いた。
「ひとつ聞かせて欲しいんだけれども……、君はトゥレ・ムニア家と言った? 私の知識には、トゥレ・サニア家というのはあるけれど、それとは別の、家柄になるのかな?」
 単なる一つの固有名詞に過ぎないが、覚え違いは賢者の恥になる。細かいところを間違えたくないという気持ちがあった。
「古いノトロシアの物語には、トゥレという隠者がいた。所詮は童話の人物だが、ノトロシアの老人どもは、その些細な闇を人の名に使うほど、焦がれていたのだろうな。いわゆる、トゥレは闇だ。そして、ムニアは月、サニアは陽」
「……では、分家ということ?」
「さすがに、察しがいいな。だが少し違う」
 イレオニルトが目を瞑った。
「闇が理解しきれていなかったノトロシア時代、力を強めるのに月の魔力が有力だと唱えられていた。ダークロードたちは、月の魔力を蓄積できるディルンケルンの魔方陣で、闇を高めた。だが、ある者がこう、言い始めた」
 闇を月にさらして強めても、それを維持することは出来ない。雨が降り続いても貯水は永久ではないように。闇というものは、上に光という蓋を置くことにより、本人の気づかぬ間に増幅し、やがて究極を引き起こす。と。
「月のトゥレ・ムニア家は、陽のトゥレ・サニア家へと生まれ変わったんだ。引き継がれた膨大な闇を心の奥底に閉じ込めてな」
 ゆっくりと、イレオニルトが目を開く。
「だが、トゥレ・ムニア家とて、なくなったわけではなかった」
 本題だね、といいかけて、リーヴットが口をつぐむ。
「奴らは月の強さを信じ、神殿の奥底で力を強めていったが、やがてはサニアの闇に惹かれていった。挙句に、奪い始めた」
 イレオニルトの語る両家の抗争は酷いもので、人知れず数百という死体が生まれていることを知らされた。忘れてはならないのは、数百という犠牲者達は皆、傷ついても倒れないレヴナントクラスやデュラハンクラスのダークロードだったということだ。
 お互いの首が落ちかけても戦っているような光景、考えただけで吐き気がする。
 少し蒼白になったリーヴットにイレオニルトが言う。
「まだ言葉も覚えていない時に、俺は両親を看取った。そこは地獄だったかもしれんが、今に比べれば希望はあった気がする。ガキだったからな。明日には誰かがどうにかしてくれると。のんきなもんだ」
「……よく、生き延びたね」
「それは……、まあ、じきに分かる」
 濁してそう言った。
 リーヴットは軽く頷き、息を吐いた。
「そろそろ、明かして欲しい」
「うむ」
 抗争の果てに、生き残ったのはたったの五人であった。うち二人は、病と寿命で早々にこの世を去った。現在に生を繋ぎとめているのは、わずかに三人。イレオニルトに、その妻であり、正当なトゥレ・サニアの血を継ぐオルサナ・トゥレサニア。そして、もう一人。トゥレムニア家の血を継ぐ者。
 互いに多大なる被害をこうむった抗争の後も、<彼>の狂気は収まることを知らなかった。それどころか、彼は闇の力を欲するに留まらず、世界を暗黒へ変えようと動き出したのである。
「奴は、闇を統べる者、<カディル>を目指した」
 カディル。それは魔族の王たる者に与えられる称号である。数百年の昔にこの世に現れたその者は、剣をもって大地を裂き、呪を唱えては空を枯らせたという云われがある。今があるからには、かつてのカディルは滅ぼされたわけであるが、口伝では後継を唱えて死んだとされたいた。
「しかし、カディルなど、人の成れるものではないのでは?」
 カディルという恐ろしい言葉に少々たじろいだリーヴットだったが、すぐに否定した。
 すかさず、イレオニルトが言う。
「その通りかどうかは分からんが……、奴は一つ確実な鍵を握っていた」
「鍵? それは?」
「封剣レリクスのありか」
 それはカディルの剣であり、カディルのみにしか扱えないとされている。
「奴は、封剣がカディルの資格になると考えているのだ」
 逆説的にはそうなるだろう。封剣を扱うことさえ可能ならば、カディルになったも同然である。振れば大地を割る剣である。
 手に汗を浮かべつつ、リーヴットが聞いた。
「それは、どこに?」
 しかしイレオニルトはすぐには答えず、その代わり、リーヴットとの知識を求めてきた。
「封剣について、知っている限り言ってみてくれるか?」
「……小手調べということかい?」
 リーヴットが息を吸った。
 出所を引き出せば、それは世界の創世記にさかのぼる。神々はこの世を去るときに、力のない人間の護身のために、一本の剣を残したとされている。その剣はあまりに強力で、太古の神々と悪魔の戦争でもお互いに触れなかった一振りであった。<封剣>の名の由来は、神からも魔からも封じられたというところにある。
 世界が人と、後々沸いた魔族のものになって、その剣は互いに求められるようになったが、姿を現すことはなく、やがて記憶の彼方に消し去られた。
 そして、数百年前に世界を闇に陥れたカディルがその剣を持って現れたが、永らえもせずに滅ぼされ、レリクスはまた、歴史の闇へ葬られた。
「つまり、我々人間にとっては、幻の剣」
 リーヴットの弁が終わると、イレオニルトは小さくうなずいて、目を伏したまましゃぺりだした。
「今から話すことは、俺の知識ではない。トゥレムニア家の狂気が生み出した人間の、手記にあった内容だ」
 イレオニルトの妙な言い回しに戸惑いながらも、リーヴットはそれに耳を傾けた。
「レリクスは擬態を持っている。剣の形をしてはいるが、二流の骨董品に隠れてしまうほど頼りなく見える擬態だ。そしてその擬態は、あるきっかけで解かれ、真の姿を開放する。それは物理的な影響ではなく、呪文の類のパスワードでもない。その剣はひどく高い精神力を持つ人間に触れた時、その者に寄生し、精神を吸い上げ、レリクスへと変貌を遂げる」
 短い息をついて続ける。
「闇をかくまう者は、それを育てると同時に、すさまじい精神力を見につける。やつはオルサナの高い精神力に目をつけ、俺や彼女の知らぬ間に、レリクスを寄生させた」
 リーヴットのなかで、話のほとんどがつながった。
 補完するように、イレオニルトが説明する。
「俺はすぐに彼女からレリクスを追い出す術を見つけるため、旅に出た。それが半年前のことだ。だが、俺は世間を知らなければ、人も知らない。俺が無駄な時間を過ごす間に、彼女も術を見つけるべく、使い魔を放った。つかまったのが貴様だよ、エルテヒュンド<大賢者>」
 事態を知らせるには会うのが早いと踏んだオルサナは、流民としてアメレシアへ入り、使い魔を通じでイレオニルトも、強引にここへ来た。
(運命的に――、とは、そういうことか)
 リーヴットが一人黙考した。
「……分かった。相談に乗るよ。これは内輪では済まない問題かもしれないし、ここまで聞いて下がれるほど、私は冷徹じゃない」
「恩に着る」
 初めて、散々憮然として話し続けたイレオニルトが頭を下げた。
「いいんだ。君……いや、私らの活路を作ろう」
 会って間もない間柄であるのに、なぜ手を差し伸べる気になったか、説明するのはむずかしかったが、リーヴットには彼の気持ちが良く分かる気がした。なぜなら、リーヴット自身、イレオニルトと同じように、歴史の裏に住まわされて、運命を余儀なくされた人間だったからだろう。ノークトーム、カーナロキアと国は違えど、生い立ちに重なる部分があったことに、違いはなかった。
「一つ聞いて置きたいのだけど」
 リーヴットが思い出したように言った。
「<奴>というのは?」
 トゥレムニア家の子孫の名を、先ほどから聴いていない。
 イレオニルトの表情がにわかに変わった。
「俺同様、ディアボロスを冠するもうひとりのダークロードだ。名は……貴様は発音しない方がいい」
 そういって、イレオニルトはリーヴットに向きを合わせるように促し、床をなぞった。そこへ書かれた文字は……。
 ―ディーサイド<神を滅ぼす者>―
 闇を崇める家系が、その名を与えたわけである。
「必要に応じてDと呼べばいい」
 イレオニルトのその言葉が、リーヴットに反響した。
 リーヴットの目に飛び込んできたのは、黒だった。
 深まる夜の、黒である。
 サノンコルトへ向かう馬上で、まどろんでいたらしい。
 馬を飛ばしているわけではないため、眠りに落ちても馬から落ちなければ問題ないのだが、やはりちゃんとした宿で睡眠をとりたいと言えば
、そうであった。
 イレオニルトは、リーヴットの少し遠くを同じ速度で移動している。馬の振動を真に受けている背中を見ると、どうやら彼も意識を失っているようだった。
 残された時間が十分ではないのは、もはや悔やみようがないのだが、もう少し動き出しが早ければと思ってしまう。そもそもの過ちは、存在しない、オルサナの救済法を模索したことだった。リーヴットの知識のみでは足らず、時節折りよくアメレシアを訪問してたモルシアロイカの神官、フュルク卿の助けを得て、なおひと月あまりを費やして、無駄に終わってしまったのだ。
 この旅路は、オルサナの命を守るためではなく、レリクスとDの脅威から、世界を守るためにある。
 百の剣を、リーヴットと、フュルク卿の法によって、一つに束ね、いずれこの世に現れるレリクスの剣を打ち滅ばすために、始められた旅である。終わりには、イレオニルトがその剣を持って、彼女の息の根を止めねばなるまい。レリクスを擬態に戻すには、それしか方法がないことは、あの一月あまりで得られた唯一の事実なのだから。
 リーヴットはそんなことを思ううちに、アメレシアを旅立った初日を思い出した。
 あれも夜の馬上ことであったが、イレオニルトは眠りもせずに、
『オルサナが安眠しない限り、俺は眠らん』
などと言った。
 すかさず、リーヴットは言い返した。
『では君が不眠で倒れたら、彼女は誰が眠らせてあげるんだい?』
 以来、彼は寝るようにはなったが、宿へ入ったときでも廊下で眠る始末である。不憫だと思う一方で、微笑ましくもあった。あまり笑顔のさえない旅だから、なおさらだった。
 ディアボロスともあろう者の背中が、左へかしいでいる。
 リーヴットは夜風を右へ流す呪文を唱えてやらねばならなくなったが、明朝には見えるだろうサノンコルトの城影が彼らに影を落すまでなら、支えてやろうという気になった。

続く