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イレオニルト

3.

 彼女は高座の席から群集を見下ろしていた。それを蟻の行列と例えるような慢心は彼女にはなかったが、えてして群集はそのように列をなしていた。セイン・パレの大巡礼は始まりから一ヶ月を経ても収まることを知らない。ましてや今回のこれは、モルシアロイカ国王の就任十周年を祝って行われているものなのだから、混雑はまだまだ、続くであろう。
 彼女がセイン・パレに招かれているのは、四箇月間であるから、あと三箇月を残していることになるが、場合によってはセイン・パレは延びことも考えられる。困ったことに、世間は現在、彼女が置かれている立場というものを知らないのだ。今彼女を悩ませている問題は、世間にさらさない約束なのだから、無理もないが。
 いても立ってもいられなくなり、彼女は席を立った。
「フュルク様。どちらへ?」
 ここへ招かれてより、世話役として傍についてくれている少し太めの中年女が尋ねてきた。
「すぐに戻ります」
 まるで答えにはなっていなかったが、彼女、リューレイ・フュルクはそこを後にした。
 中年女がフュルクの行き先を気にする以上に、彼女には気になることがある。それも一つではないから、歩きながらに考えることも膨大になっていった。十歩踏むうちに、彼女は目下のところ考慮すべきものをかいつまんだ。彼女に当てられた部屋に戻るなり、懐から伝え玉を取り出す。横から差し込む朝日はあったが、その不思議な伝え玉は、光を弾いて、光沢を浮かべることはなかった。
 伝え玉については先にのべた。今回、彼女の相手をするのは、アメレシアで眠るオルサナに就けたフュルクの配下の者である。異常はすぐさま報告するようにと指示してあるから、今のところ何事もないらしいが、彼女はどうにもオルサナの額の眼が気になっていた。『レリクスの眼』と呼んでいるそれである。
(レリクスは生きている)
 理屈は分からないまま、フュルクはそう思っていた。
 アメレシアが遠いというのもあるが、彼女が建物の中にいるせいもあって、伝え玉の精度の悪さに拍車が掛かっているようだった。近況を報告する相手の思念より、セイン・パレに加わる庶民の雑念の方が強く流れ込んでくる。フュルクほどの集中力がなければ、報告はほとんど聞けなかっただろう。
『レリクスの眼の開き加減は、ちょうど三日月ほど』
 たった、それだけを聞くのに、しかしながら三十分近くを要してしまった。
 レリクスは宿主の眼を使わず、己の力で見開こうとしている。まず、それが不可解でならない。いや、本当は分かっているのだ。己で開くということは、宿主の言うことを利く気がないというレリクスの意思である。つまりは、レリクスが覚醒した時、オルサナは入れ物へと変わってしまうということだ。
 それが分かっていながら、フュルクはどこかで彼女がレリクスを封じてくれることを祈っていた。リーヴットがイレオニルトを助けたいと思うように、彼女もまた、オルサナを助けてやりたかった。巻き込まれてしまった女として。
「フュルク様? どうかなさいましたか?」
 伝え玉をしまったところへ、頃合よく中年女が現れた。
「いえ」
 すぐに部屋をでて、彼女と共に席へ戻ろうとも思ったが、もう一つやっておきたいこともあり、再び「すぐに戻ります」と言いくるめて、彼女だけを先に戻すことにした。
 もう一つ、気になっているというのは、リーヴットたちのことである。もう三日近くも連絡がないのだ。
 合間を見て伝え玉から通信を試みるものの、リュクセイエフの手がかりを伝えて以来、伝え玉が輝くことがない。リーヴットがよほど消耗しているのか、伝え玉が割れてしまったかどちらかであろうが、関わる者として、気がかりであった。
 フュルクは部屋の片隅に立てかけた弓と矢を手に取り、屋外へ出た。
 彼女はヴィーティアル<聖霊遣い>である。何かを媒介として、炎や大気の、水などに眠る聖霊たちをこの世に召喚することが許された者である。彼女は世界に一人しかいない、放った矢に聖霊を宿すことが出来るヴィーティアルだった。
 フュルクは弓を射る形を膝の前で作り、方角をリーヴットがいるだろうサノンコルトへ定めた。聖霊を宿す時間を持たせるために、滞空時間を出せる角度をつける。弓を引く手にはそれほど力を込めず、かといって、緩めはせずに、姿勢を整え、射った。
「風に住まいし無垢なる旅人よ。ヘルメスの名をこの矢に与えます。貴方はこの矢に身を委ね、私の願いを叶えなさい。彼らの元へ行き、戻るのです。ヘルメス」
 聖霊には名を与え、標(しるべ)とする。聖霊遣いの初歩である。
 フュルクが言い終わると、矢は日の照り返す水面のようにきらめき、緑色の鳥へと姿を変え、薄暗さの残る西の空へ飛び去った。
 昼の日が窓から切れ込んで、イレオニルトの足をさらっていた。
 サノンコルト城は東西南北とその間ずつにそり立った八本の塔と、それらに囲まれた中央の塔から成る。剣議に務める八人の騎士たちがそれぞれの塔の持ち主となっていた。議事もふくめ、祭事や闘技が行われるのが、中央の塔“グングニル”である。
 細かい設計を述べれば、グングニルが八階建て、他の八本の塔が七階建てで、八本の塔の偶数階には各々へ通じる、つまり円形の渡り廊下が設けられ、各塔とグングニルは奇数階で八本の塔と結ばれている。グングニルという中央の名称に対し、八つの塔は主となった騎士の名で呼ばれ、各塔の最上階は彼らの個室のみがある。剣議に務める者がいかに尊敬されていたかが、その風習から知れた。
 城を訪れるのは久しぶりになる。ここの前はアメレシアの王城になるが、そこと比べればグングニルを含めたサノンコルト城全体の規模は大分見劣りがした。アメレシアの王城は城としても王といって過言ではないほどであるから、比べるだけ可哀想といえばそうなるだろうか。
 どうであれ、サノンコルトの城は歴史を感じさせ、悪くない空気を漂わせているには違いない。ただ、それはのどかな旅の途中に訪れた者にとっては、だが。
「どうした? 先ほどから足が動いておらんぞ?」
 壁ぎわのイレオニルトは、追い詰められていた。
 サノンコルトの剣議員、八人全員を打ち破ることができたなら、騎士の命ともいえる剣を頂戴するという口約を結ばせたのは、当初の計画通りであったし、これまでに六人を打破したのも計画通りであった。しかし、七人目の男に、イレオニルトは舌を巻いていた。
 力よりも技に秀でた相手。イレオニルトの苦手とするタイプの剣士である上に、サノンコルトで五指に入るような名手である。
 今朝方サノンコルトへ入ってから、すぐに城を訪れ、今に至ってるのだから、かれこれ三時間近く剣を振っていることになるが、この相手になってから、三十分近くが経とうとしている。
「ほらどうした、早く構えぬか」
 この男、名前をヒュンド・レペントというらしいが、相手を翻弄するような剣技もそうだが、ひとを小ばかにしたような態度も気に食わなかった。しかも、多弁なのだ。だが、戦いのさなか、そんなところに腹を立てているわけにもいかず、イレオニルトは剣を握りなおした。
 傷は体中に生えてしまったが、深手を負っているわけではない。えてして剣というものは、小技を多く使う者ほど長期戦に展開させるのだから、ヒュンドの狙いは、イレオニルトの動きが鈍くなることなのだ。
 対して、イレオニルトはというと、常に相手をしとめる一撃でこれまで六人を圧倒し、破ってきた。彼のスタイルというものは、何百という魔物相手に培われたものであるから、いかに早く切り上げるかに傾いているのである。
 催促するような目線をヒュンドが送ってくる。
 それも彼の策なのかもしれないが、イレオニルトは剣を構え、それに応じる。
 どんなに技に優れたものでも、さすがに一時間もやり合えば、お互いの手の内というものが知れる。イレオニルトとて、もはや大体は読めていた。読めてはいたが、交わせないたった一つのヒュンドの技が、彼を優位に置かせていた。
 こちらが踏み込むと、ヒュンドは剣を引いて背中に隠してしまうのだ。背後で剣は左手か右手に握られ、常にイレオニルトの読みを外したところから飛び出してくる。俗に言う『スイッチ』という技になるが、その完成度が半端ではなかった。スイッチは握り手がばれない様に両肩のバランスを完璧にしなければならないものであり、相手の反応の後から、攻撃を繰り出すものであるから、刹那に急所を突ける腕が必要になる高等なものだ。
 今もまた、イレオニルトの出した左足に、ヒュンドが傷をつけた。
 一瞬腰の浮いたイレオニルトに、ヒュンドの剣が容赦なく追い討ちをかける。
 即座に退いた。
「ふふ」
 何がおかしいのか、ヒュンドが笑う。
「私はそろそろ終いにしたいのだが?」
 まるで意見の合わない人間と食卓を共にしてしまったかのように、ヒュンドが言う。
 イレオニルトはヒュンドを冷たく睨むついでに、その後方の暗がりで腕組みをして顛末を見ている男に目をやった。まだ手を合わせていない、八人目の男。ヒュンドが敗れた時の最後の砦に違いない。銀製の鎧を着込んでいるのに、携帯している恐ろしく似合わないレイピアが、何かを含んでいる。くぼんた瞳の奥で、込みあがる闘志を抑えているのが感じられた。
「そうだな。俺も貴様のスイッチに飽きたところだ」
 イレオニルトの照準が再びヒュンドに向いた。
「ふん。強がるな。策もないのだろう?」
「策ならあるさ」
 イレオニルトは短剣を取り出し、言った。
「ほう? 小手先には小手先を、ということか?」
「好きに思うがいい」
「なめてくれたものだ」
 言うや、ヒュンドが一歩を踏んだ。
 これまでになかった接触だったが、イレオニルトが短剣に持ち替えたせいだろう。お互いに接近できる距離が変わったために、小手先の有利になる接近戦に持ち込むつもりである。
 三度、刃が交わった。
 三度とも、ヒュンドの手によって生み出されたものだ。防戦になると知ったうえで、手に取った短剣である。
 しかし四度目を前に、イレオニルトはヒュンドの剣に左手を押し当てて、体の距離と突き放した。二の腕が少し深く切れたが、構わず、開いた距離を今度はイレオニルトが詰める。
 ヒュンドの剣ははじき出されたために、外を向いている。
 イレオニルトの狙いはそこだった。
 ヒュンドがスイッチを狙って剣を背に回すのへ、イレオニルトは愚直に右から切りに入る。そこへ、ヒュンドが貰ったといわんばかりの表情で、左からイレオニルトの急所へ刺さる直線に剣を乗せて突きを放った。
 直後に、短剣が宙を舞った。
 イレオニルトが防御に失敗したのではなく、投じられたものだ。
 それは見事な放物線を描き、ヒュンドの握り手に突き刺さった。
 その後は息を呑む間もなかった。
 イレオニルトが先ほど収めた剣の鞘を払いながら、体を預けるようにしてヒュンドを後ろに押し崩し、彼が抵抗を試みる時には、既に喉元に切っ先を突きつけていた。
 ヒュンドの剣が床に落ちる音を残して、一室に静寂が漂った。
「技におぼれたな」
 ヒュンドの悔しそうな顔に、吐きかけるように言ったイレオニルトであったが、勝った気にはなれなかった。最後の一人が、奥で沈黙している。
 騎士国家サノンコルトの、最後の砦。
 つまりは、事実上世界で最も腕の立つ剣士。
「アルクロル・ゼーペンサー。参る」
 静かな男の声は、そこから沸きあがるかのように強かった。
 あの似合いもしないレイピアを抜きつつも五歩進み、なお、構えを作りながら四歩を踏む。一触即発の距離で、アルクロルの足が止まった。
 ジリと、イレオニルトの鼻が焦げるような空気が漂う。
 そこから最初の接触まで、十分を要した。
 踏み込んだのはイレオニルトである。あえて、アルクロルの握るレイピアにあわせるようにして、両手で握った剣を強振していったが、それは難なくいなされた。
 普段ならば追撃するところであるが、イレオニルトは、ふっ、と息を吐いて元の距離をとった。ジリと焦げる鼻が、慎重に行くようにと訴えてくるのである。この間、アルクロルは一歩も動いていない。
 戦慄が右手だけに走っている気がした。
 ヒュンドと違って、無口な眼前の男は口を堅く閉ざしたまま、鋭く眼を見開いてこちらの動向をうかがっている。獲物を狙う獣のそれと似ているが、そこに冷静さが加わっている分だけ危険度を増している。アルクロルが耳を動かしただけで、反応してしまいそうな自分がいた。
 先ほどのように息をつく暇もなければ、剣を握りなおす暇すらない。周りを囲う他の剣議員ですら、息を呑むのが精一杯なのではないだろうか。
 再び均衡が続いた。
 そして、どこの隙を付かれたのかは定かではないが、そのふとした時に、アルクロルが躍動した。
 リーヴットは中央の塔グングニルの門前でイレオニルトと別れた後、城下町を巡り歩いていた。言うまでもなく目的は道具の補完と装備の補強、それに情報の収集である。
 まずは、サノンコルト行きを決定付けた<雨の丘>を捜し求めることにした。
 サノンコルトの町はというと、騎士国家の城下というだけに、あまり大衆向けの店はなく、ひたすらに武具と馬具を扱う店が軒を連ねている。道具屋はと言うと、アメレシアの道具屋の倍以上に数多くの傷薬を扱っているが、痺れや眠気などの体の異常に効く薬草類はほとんどない。そんな商況であったから、リーヴットは<雨の丘>を探して、裏路地という裏路地と踏破する羽目になってしまった。
 十六件目にして、ようやく見つけることが出来たが、それでも収穫は三つだけであった。
 リーヴットは解毒の法を知っているから良いのだが、元から持っていたのと合わせて八個しかないのでは、あまりバラバラに動けないということになる。無いよりましと言えばそうなのだが、少し期待はずれなのは事実だった。
 とりあえずの目的を果たしたリーヴットは、サノンコルトの売りである武具屋を見回る前に、裏路地と抜けて一番最初に眼に止まった馬具屋に入って、連れ馬の蹄(ひづめ)を交換するように依頼することにした。
「馬は二頭になりますかな?」
 店の主人が突然そう言ったので、リーヴットは正直に驚いた。
 的外れなことを言われたのではないが、二人旅だとは一言も言っていないのである。サノンコルト入りをしたのは、早朝のことであったから、リーヴットがイレオニルトと肩を並べて歩く様を目撃していたとも思えない。
「どうして二人だと?」
 興味本位に聞いたのだが、思わぬ答えが返ってきた。
「どうしてもこうしても、先ほど、二人で歩いて……」
「先ほど?」
 リーヴットが声を上げたのに、主人は驚いたようだった。
「私はずっと独りで歩いていたのだが?」
「いやしかし、あの裏路地に入っていく時も出てくる時も後ろにお連れさんらしき方が……」
「裏路地に……?」
 しばし考え込んだ。
 主人の言い分からすれば、つけられていたという事になるが、あのひと気の無い裏路地でもリーヴットはまったくその存在に気づいていなかった。きょろきょろと店を探しながら歩いていたにも関わらず、だ。
 今、ふっと、外に眼をやったが、誰も待ち受けてはいない。
「では、蹄は一頭分になりますかね?」
 リーヴットは唖然とするあまり、主人と眼を合わせてはいたが言葉を聴いてはいなかった。
「もし?」
 主人が怪訝そうに言う。
「え? あ、ああ。いや。二頭でお願いします」
 リーヴットは馬を休めてある場所を地図に書いて主人に渡し、早々にその店を出ることにした。
 少し大きめの武具屋を目指して、歩き始めたリーヴットであったが、背後が気になって仕方がなかった。馬具屋の主人に妙な能力があるとは思えないが、彼の場合は、悪しきものが憑いているというのならその方が、自分で払える分だけ、まだ良い。
(Dではないだろうか……)
 旅立ちから五ヵ月。
 “D”がこちらの動きを伺い始めたと考えると、なんともぴったりと来る気がする。そう考えると、なおさら背後が気になって仕方がなかったが、振り返りながら歩くのは得策ではないような気さえしていた。
 半ば挙動不審に街路を彷徨っていると、躍り出た丁字路で興味を引く店が広げられているのを見つけ、リーヴットは足を止めた。剣の掘り出し市である。市といいながら、人影はまったくないのだが。一見の価値はありそうであった。
 一目見て、朽ちていないのは三本だけである。うち二本は一昔前のアメレシアではよく知れたブランド物であるから、価値は無い。リーヴットは求めるものらしい、その一振りに手を伸ばし、軽く持ち上げた。精錬すれば、まだ使えそうだった。錆を撫で落し、装飾に眼を通す。
 最初はひび割れだと思った。
 しかし、それにしてはあまりに綺麗に裂けているし、それでいてパズルのようにガシリと食い合っている。まるで誰かが、狙った割ったかのように。
 そこで気づいた。自分の思ったとおりかを確かめるように、裂け目を指でなぞると、それは切っ先へと伸びながら、正しい線を描いている。
 イレオニルトが言うところの「平等が滅ぼした国」の宝剣というべきあの剣である。
「これをどこで?」
 フードを深くかぶって日差しを嫌う行商人に聞いた。
「東の遺跡」
 思わず、リーヴットの口がにやけた。
「ありがとう。おかげで手間が省けたよ」
「金五枚なら譲る」
 男はこちらの足元をみて吹っかけているのだろうが、こちらは金銭を問題にしてはいない。むしろ安いぐらいだ。東の遺跡に赴く予定はなかったが、向かえば二日はかかるかもしれない。それが偶然立ち寄ったここで、双剣が手に入ってしまうのだから。
 リーヴットは行商人の足元に金十枚を積んでやった。すると、男はリーヴットと金貨を交互に見て、唖然とした。
 その後すぐに、リーヴットが立ち上がって、後ろを振り返るとは思ってもいなかったのだろう。リーヴット自身も、喜びのあまりに、つけられていたことをすっかり忘れていたのだ。
 立ち返った瞬間、確かに見た。本当に一瞬であったが、人ごみに紛れて物陰へと姿を消す前に、こちらに視線を送っていた者を、確かに見たのである。
 リーヴットは行商人から保管用の木製の鞘を受け取ると、すぐさま彼を追った。鼓動が、事の顛末についていけないようで、高鳴っている。
 そこから街路の角で三度、背中を残して消えていく誰かの影を、リーヴットは追った。何処か手馴れた逃げ方である。イレオニルトの話から想像できる“D”ではないと、頭の奥の方で確信し、リーヴットは足を速めた。
 そして、四つ目の角を曲がろうというところで、リーヴットは足を止めざるを得なくなった。そこで彼を待ち受けていたのは誰でもなく、むしろ誰の人影も無い裏路地の闇がそこで口を開けていた待っていたからだ。
(誘われている……)
 真っ先にそう思った。
 相手が誰であるか分かっていないのに、ひと気のない暗がりに進むのは勇敢とはいえない。相手の思惑としては、リーヴットを暗がりに連れ込んでやりたいようにやるつもりだろう。あまりこういった事に慣れていないリーヴットでもそれぐらいは考えれば分かることだ。
「逃げられた……、か」
 向こうにとってもそうなるだろうと思いつつ、踏み出そうとしていた一歩を退いた時だった。
 トン、と、背中に何かが触れた。
 正確には誰かがリーヴットの背に寄りかかったのだ。
「いい判断とは褒めてやる。だが考えは甘い」
 男の声だった。
 唸り声のように低く、背を合わせている分だけリーヴットの腹に響く。
「お前が俺のターゲットだったら、お前の背中に合わせるのは俺の背中なんかじゃなく、冷たいナイフだった。ナイフにつつかれて、お前は暗がりへと歩み、行き止まりで首を切られ、死体が見つかる頃には、俺はこの町を後にしていた」
 リーヴットの首筋に汗が浮いた。
 男がリーヴットと会ったのが偶然ならば、双剣を入手した後に、眼を合わせてしまったのも偶然であるはずだ。それなのに、この男は完璧に近い暗殺計画を立てている。
「狙いは何です?」
 力いっぱいに声を張ったつもりだったが、自分で聞いても、か細い声だった。
「黙れ。会話は俺が制している」
 リーヴットの腰のあたりで、チクリとした。
「リーヴット・レスターだろう?」
「……いかにも」
「アメレシアの属国の王族が、サノンコルトに何の用だ?」
 リーヴットの祖国、カーナロキアは世界で最初の王朝であったが、現在は衰退し、経済的な問題を抱えている為にアメレシアの属国に下っている。リーヴットはそんなカーナロキアの、一応のところ王族であった。一応のところ、というのは、政治から離れて法術という文化を継承しているだけの一族だからだ。
「返答次第では片腕をいただく」
 男はリーヴットに時間を与えた。
 リーヴットはすぐに答えを模索したが、ありのままを話すのでは事が大きくなってしまう。男の聞き方から察するに、サノンコルトの剣議員と関わりがあると答えたのでは、身の保障が立ちそうにない。かといって、<雨の丘>を探してや、単なるの旅すがらでは、理由として弱い。
 少し考えて、こう答えた。
「カーナロキアの遺産を探す旅の途中に寄っただけです」
 ちょうど上手い具合に、双剣も手元にある。実際カーナロキアは人間の大陸レフェスを統べた王朝であったから、レフェスに散らばる骨董品は元を正せばカーナロキアの宝である。もっとも、専門家に言わせればそれは傲慢ということになるが。ここだけの話し、カーナロキアは点在した小国を束ねるために作られた組織の名前であり、それが便宜上、王朝として扱われているに過ぎないのだから。
 しかし、動機としては合格点だろう。
 ただ、違う理由で、高鳴っているリーヴットの鼓動が背中越しに男に伝わってしまうのが恐ろしかった。
「違う……」
 男がポツリと言ったのに、リーヴットはギクリとした。
「嘘を言う時とは違う鼓動……」
 予想に反して、男はリーヴットの発言を認めたらしい。
「いいだろう。危害は加えないでやる。今この場では、だが」
 背中がふっと軽くなった。
「一つ忠告する。リュティードには近づくな。お前程度では三日と持たんぞ」
 その声を残して、男は姿を消した。
 彼の気配は最初から最後まで感じ取れなかった。
「リュティード……」
 サノンコルトの南に位置する国であり、知る限りでは敵対国である。
 レフェスには六つの国があった。
 最古の王朝カーナロキア。最栄の大国アメレシア。騎士国家サノンコルト。宗教国家モルシアロイカ。日陰の国ノークトーム。そして、内乱の国リュティード。他にどこにも属さない自治区が無数にあるが、特筆すべきではないので、割愛する。
 リュティードは国土の広さではアメレシアに次ぐのだが、治安の悪さと政治のあくどさでは、勝る国が無い。毎年何かしらの暴動が起き、五年に一度は政局が裏返り、十年に一度は大量の血が流れるほどだ。貴族を第一に考える気風が建国当時からまったく変革されないのが、原因だろう。過去にリュティードの実態を見かねた小国が手を差し伸べたことがあったが、見事に陰謀に巻き込まれ、挙句に滅ぼされてしまった。それ以来、各国の要人から忌まれて止まない。
 言動から、あの男はリュティードの者だろう。サノンコルトを探りに来たと言っている様なものであるし、誰かを消しに来たような振る舞いであった。アメレシアも視野に入れていた。
 しかし、リーヴットにとってはリュティードの陰謀よりもピタリと背後についてきた彼の正体のほうが気になった。あれだけの暗殺者、そうはいまい。
 リーヴットはひとまず、危機が去ったことに胸をなでおろし、街路へ出た。空を見上げると、見慣れない色の鳥が彼の頭上を旋回している。取り留めずしばらく眺め、先の馬具屋へ向かうことにした。この一騒動の間に蹄の交換ぐらい終わっているだろうと。
 町の入り口に止めた馬は、新しい装備に戸惑っているようで落ち着きがなかったが、その横で主人が一服をしていた。リーヴットが歩み寄ると、主人は立ち上がった。
 五割銀(鉄と銀を一対一で混ぜて作った銀貨)二枚で済んだ。
「そうそう、お連れの方がお見えになってますよ」
 主人は支払いの時にそういった。
 午後過ぎであるから、いい頃合だろう。
「あちらに……」
 しかし、主人が示した方角にイレオニルトの姿は無い。
「どちらに?」
 リーヴットが聞き返したが、主人は目の前にいるじゃありませんかと言って笑っている。当人の言う目の前の人物は、どうみても甲冑を着込んだサノンコルトの兵士である。
「いや、彼は見知らぬ人です」
「では、お連れの方は一体どこにいるのですかな?」
 主人がじれったそうに言う。確かにこれまでの問答では、からかわれていると思われても仕方の無い内容だ。気に障ったかもしれないと思うが、事実彼は知らない人だ。
「私の友人は、そうですね。もっと体ががっしりと……」
 そう言いかけたときに、そのサノンコルト兵が思わぬ反応を見せた。
「イレオニルト殿のお知り合いですか?」
 いきなりそう言うのである。
「ええ、いかにも。私に何か?」
 主人そっちのけで、聞いた。
「イレオニルト殿が……」
 悪い予感がした。

続く