web clap

神代の子 ―鬼―

ニ.

「で、その後はどうじゃ?」
 不次を受け入れてから十日ほどが経った頃に、伊丹が村雲に尋ねてきた。再び雨の料理屋でのことだった。村雲と老人が会うのが雨の日に重なるのは、村雲に理由がある。座禅以外に決まった行動をとらないせいで、伊丹が村雲を捕まえたい時には座禅の後を捕まえるのが一番手っ取り早いのだ。ただし、この前と少し違って、今日は昼食を供にしている。
「まだ何も教えてねえ」
「ほう。ずいぶんノンビリしておるのう」
「そうか?」
「そうじゃ。禄の時はもっとあくせくしておった」
「……そうだったか?」
 そうだった。教え子ができたのはあれが初めてだったから、とにかく鍛えた。惚けたようで村雲自身がよく覚えている。それをしらばっくれたのは、あまり口を挟んでほしくなかったからだ。とりわけ、「不次の印象が悪いかの?」などと言うことは聞いてほしくなかったのだが……。
「……悪いわけじゃない」
 思っていたところにそのままの言葉を言われて、村雲は否定した。
「左様か? じゃが、そういうわけだとお主の顔に出ておるわい。
 ふむ。やはり不次のここには問題があるのかの」
 そう言って伊丹は胸に手を当てた。
 ……ということは気づいてて俺に預けたか。たちの悪い爺様だ。そう悟って村雲が座椅子に背を預けて腕を組むと、なだめるように伊丹が話した。
「確かに、不次には急いている節がある。じゃが、それは誰しも似たようなものじゃよ」
 老人は孫の話をするかのごとく、不次のせっかちを頼もしいことだと喜んだが、村雲にはそうも思えない。やる気が有り余っていることに何か悪企みのような意図がありそうで、どうにも不気味に思えるのだ。
「まあ、儂の見た限り、熱意は立派なものじゃ。まずいところは鍛えなおしてくれれば良い」
 老人が音を立てて茶をすすった。
 初夏を過ぎて暑さがじわりじわりと増していくこの季節にもお構いなく、とにかく熱いお茶を飲むのが、この老人の四季を通じる楽しみだった。他の楽しみといえば、彼が櫓に通した者が戒羅で活躍することだ。それついて言えば、村雲は大いに老人を助けている。自身も老人の手ほどきを受けて今に至っている身だからだ。そして今、老人は不次の活躍も心待ちにしているに違いない。
 村雲は伊丹の顔から目を背けるようにして、味噌汁をすすった。
 まずいところを鍛えなおす。
 伊丹の言ったその言葉は簡単なようで難しい。反りすぎて鞘に収まらなくなった太刀を打ち直すようなものだ。大量の薪を用意して灼熱を作り、玉のような汗を浮かべながら何刻もかけて、浅すぎず深すぎない反り具合にゆっくりと戻していかなければならない。一度預かり受けた手前、熱しもせずに突っ返すつもりはなかったが、やはり簡単ではないと改めて思う。
「簡単に言ってくれるなよ、爺さん」
 飯を食むために開けた口から、つい愚痴がこぼれた。
「あいつはどういう生い立ちなんだ?」
 ついでに、ふと気になったことを聞いてみる。
「……不次に聞けばよかろう」
「いや、爺さんに話しただろうことをもう一度聞くもの野暮だと思ってな……」
「何を……。面倒くさいの、お主は」
 伊丹が汁をすする。それが終わると小さな声で、「孤児だそうじゃ」と言った。
「へえ」
 禄と同じだと、村雲は思った。
 禄は小渕辺(おぶちべ)という山里で暮らしていたが、山崩れに巻き込まれて二親を失い、この集落に流れ着いた、と、これまた伊丹から聞かされていた。その禄と境遇が似ている。単なる偶然などではあるまい。そうした身寄りも食い扶持もない青少年を伊丹が拾っているのだ。
「爺さんも人が良いな」
「はて、何のことかな」
 老人はすべてを忘れたような顔をしてとぼけた。
「ところでお主は、また湖袖(こそで)を守るそうじゃな」
 こそばゆい話を逸らしたいのか、伊丹が言った。
 湖袖は、贄姫を務める巫女だ。戒羅においては、鬼手から守られるべき存在となる。
 鬼手の面々は櫓の裁量で決まるが、姫守は贄姫の一存で決まる。なぜそのような仕組みになっているかと言えば、贄姫の後ろには法家がいるからだ。法家が公式に認可している彼女ら巫女の存在は集落で二番目に高い。もちろん一番は法家で、その下に贄姫、張り番と続く。したがって張り番の集りにすぎない櫓には贄姫を決める権利がなく、姫守を選出したとしても、贄姫に拒まれれば再考する必要がある。だから姫守の選出を贄姫に委ねているのだ。蛇足だが、順位の話でいえば四位以降は定まっていない。張り番の下にいる者は、戦い手も梯子も集落に住むその他の者たちも皆一緒くただ。
 その二番目に地位の高い女子たちは、二つに大別されていた。紛いない神通力を持つ神代(かみしろ)と呼ばれる巫女と、形ばかりの象徴として引き立てられた娘たちだ。
 本来、戒羅は前者の巫女だけで執られていた。戒羅が故事に倣う限り、その慣習は続けていくべきだが、そのような存在は稀有だった。世の中に大社と呼ばれる神社が指折り数えるほどもにも無いように、正統な巫女の血筋を引くものはあまりに少なく、その中でも神仏の力を授かった神代はもっと少ない。
 戒羅の回数を増やすにあたり、それが最初の弊害となった。そのために法家は、形だけの巫女を集うことにした。それが後者の娘たちだった。
 前者の神代に対して偽姫と揶揄される形ばかりの巫女は三十人を超えるといわれている。正しい数を誰も把握していないのは、法家が内々に取り立てたり取り下げたりしているためだ。噂によると、法家の主たる法皇の抱える側女が出たり入ったりしているらしい。偽姫には見栄えの良い者たちが並んでいるのも、確かにそれならば納得がいく。
 一時は穢れ者とまで蔑まれていた偽姫たちも、今では対等に扱われつつある。その背景にいたのは、やはり法家だった。法家の血統である女子を贄姫に加えたことによって、偽姫の中に法家の血が混じることとなり、人々のやっかみは増しても、口にしづらくなった。悪称も人の耳に入らなければ廃れていくというわけだ。長く続くことになったその風習は、今でも浦春(うらはる)という名の法家の一女が偽姫の一人に名を連ねるという形骸で続いている。
 さておき、湖袖である。
 湖袖は神代に分類される贄姫だった。湖袖は九人しかいない神代の中で中位よりやや上の存在だ。
「耳が早いな、爺さん」
「もう十分に遠いわい。しかし、どうしてそう毎回、湖袖はお主を選ぶ?」
「それを俺に聞くのか?」
「いくら伝手の多い儂にも、姫君に通じた伝手はないんでの」
「俺に聞かれても分からねえ」
 気に入られているといえばそうなのだろう。しかし、その理由に心当たりはない。
「まあ、俺にとっては戦いやすいから文句はねえよ」
「戦いやすいとは?」
「あいつの力は割と正統派だ。人の体に妙な異常をきたしたりしねえ」
 神代の巫女の力は、例えば人としての理性を失うようなものもある。村雲にとってそれらの奇怪な力は御免こうむりたいものだ。戒羅にささげた身とはいえ、やはり武士(もののふ)として自身の力で勝負をつけたくある。
「それは、神代の力としては物足りんということか」
「……なぜそうなる?」
「神代はその字の通り、神の代身と言われる存在じゃろう? 人を生かし、あるいは殺すこともできる存在じゃ。しかし、湖袖の力はそれにはとんと及んでおらんということになる」
「はっ。そんな強烈な神代がここにいるものかよ」
 鼻で笑っておきながら、一人いることを思い出した。
「糸蘇(しそ)殿がおるじゃろう」
 訂正しようとするより早く伊丹が名を挙げた。
 神代の最上位に立つ名賀糸蘇(ながのしそ)は、人から死を除き去る力を授かっている。これは噂などではなく、その力を目にしたものは千人を下らない本物だ。村雲も伊丹もその数に含まれていた。
 とはいえ、彼女の力を目の当たりにしたことがない者は誰しもが耳を疑うだろう。そんなことができるなら、この世に医者はいらない。寿命に怯えることもなければ、むしろ人すらも斬り放題だ。他人に腹が立ったら刃物を振りかざせばいい。
「あれは例外中の例外だろうよ。神代は人の命を操るために存在するわけではないしな」
 神代も人の子だ。神から生まれたわけでもない。所詮は湖袖だって、どこぞの人の子なのだ。
「だいたい、人を呪い殺す巫女だって居やしねえ。糸蘇の力よりもありえそうなのにな」
「……昔はおった」
 へえ、と村雲は返した。伊丹もその話がしたくて言い出したわけではないようで、それ以上のことは言わずに立ち上がった。
「なんだい、爺さん。まだ飯が残ってるぜ」
「年を取ると食が細くなっての。一人前が喰いきれん」
「そりゃ気の老いだよ。食わないなら、もらっていいか?」
「ああ、いいとも」
 伊丹がびっこをひいて出ていくと、村雲は行儀悪く箸で膳を引き寄せ、手の付けられていない沢庵を突ついた。それが村雲を足止めするための餌だったということは、勘定を済ませる時に気が付いた。伊丹は金も払わずに出て行ったのだった。
「老狐め……」
 村雲は二人分の飯代を払いながら苦った。

続く