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神代の子 ―鬼―

三.

 料理屋を出ると、前は席待ちの人でごった返していた。集落に住む者はほどんどが独り身の男で、稀に自炊する殊勲な者もいるが、ほとんどはここの世話になる。雨の湿気とむさ苦しい男の匂いが交わるこの当たりでは、呼吸をしない方が身のためだ。
 と、目を充血させた村雲の前を見覚えのある人影が通った。通路の行き止まりで立ち止まった影は見るからに浮き足立っているその若者は、どう見ても不次だった。
「なんだ、不次。やはり腹が減ったのか?」
 実はここへ来る前に不次を誘っていたのだ。しかし、食欲が無いという不次を叢雲は置いてきたわけだ。
「まあ、そうです。ただ、その前に厠はどこかにないか、と」
「なんだ、済ませて来いよ。
 そこを左に折れて、右に曲がって右に曲がって、すぐに左で……、そこまで行けば分かるだろう」
 不次は聞くだけ聞いて短く礼を言うとそそくさと行ってしまった。よほど『近かった』のだろうか。
 あっという間に不次を飲み込んでしまった昼間の人込みを見た村雲は、今の案内で分かるのか不安になった。右、左と言っただけで見ず知らずの建物の、さらにはこの混雑の中を正しく進めるとはあまり思えない。が、子供ではないのだから、分からなければ他の者に聞くだろう。
 村雲は頭を掻いてその場を後にした。
 外は、小話を思い出させる雨だった。
 とある旅人が道を歩いていると不思議な出来事に会った。歩いているうちは止んでいるのに、走り出すと雨が降る。走るのを止めて歩くとまた雨が止む。“徒れ雨”と呼んだその天候だが、その話には列記とした種がある。
 旅人は笠を被っていたのだ。歩いている分には笠が受けてくれる雨粒が、走ることによって顔に当たり、雨だと自覚させる。歩いている間は気付かない。音のない霧雨だったというのが話の種だ。
 今のこの雨はそれに似ているが、村雲の頭にそれが浮かんだのは実に一瞬のことだった。取って代わって心中を占めたのは、この後の告知の内容だ。湖袖の姫守として出ることは決まっているが、鬼手の面々はまだ決まっていない。それが今日の午後に内裏で告知されることになっていた。
 内裏に着くと、すでに湖袖が居た。
 本来、贄姫はこの場に来る必要がない。守られる立場にある以上、戒羅の相手が誰だろうと気に掛ける必要がないからだ。しかし、それでも湖袖は顔を出す。理由を訊けば、早くに相手を知ることは大事だからだ、と言った。
 結局のところ戒羅は勝負事なのだ。相手を知らなければ策も練れない。それに偽姫ではない神代は、戒羅の舞台に立てば絶大な戦力となる。力を発揮するからには相手が気になるのも当たり前だ。
 村雲と湖袖のほかには張り番が三人と、見知った顔の戦い手が落ち着きなく立っていた。
 内裏での告知は、贄姫と姫守が先になり、その一刻(二時間)ほど後に鬼の手に対して告げられる。つまり、今一緒にいる者は全員が姫守を務めるということだ。村雲にとってはどうでもよいことだが、このところ調子のいい村雲と交えずに済むことに安堵したのか、ふうと息をつく者もいた。
「よろしゅうお願い申し上げます」
 出会い頭にそう言ってきた湖袖は、相変らずしっかりとした言葉を並べている。
「おう、宜しく頼む」
 対して村雲は、口の利き方がなっていない。本来、櫓よりも地位が高い湖袖に向かって言う言葉ではない。しかし、どういうわけか湖袖はかしこまった口を利かれるのを嫌い、普段通りを村雲に求めた。そのくせ湖袖自身は口調は崩さないものだから、どちらが上の立場なのかが分からない。
 二人の違いは出で立ちにも色濃く出ている。背筋を伸ばしてしゃんと立つ湖袖の隣にいる村雲は背の低い灯篭に腰を掛け、料理屋で漬物をつついた楊枝を咥えたままだ。身なりにしても、湖袖が巫女の正装なのに村雲は着流しだった。
 ちぐはぐな外見の二人が並んで立つのは、これでもう二桁を数える。初めて姫守として参上した時には格好に悩んだものだ。しかし、釣り合う格好が用意できずに悩んでいると伊丹に一笑され、着流しに落ち着いた。以来、格好の違いを気にすることもない。
 それでも、はたから見れば二人はやはり異様だ。湖袖が横に立ってから、村雲は周囲と目を合わせないようにした。
 しばらくすると告知の紙を持った張り番が現れた。
 良く受ける扱いではあるが、現れた張り番は一度も村雲と目を合わさず、湖袖ばかりに告げた。公家の出が多い櫓の人間は、村雲のような野武士風情の男がお嫌いらしい。半ば自分にも否があるとはいえ、癪に障るのはいうまでもない。その上、今日の張り番は声も小さかった。
「で、何だって?」
 結局ほとんど聞き取れなかった村雲は、先の張り番が視界にいる間にあえて大きな声で湖袖に聞いた。
「蒔キ式とのことです。鬼手は加々見(かがみ)殿と犬見(いぬみ)殿がお勤めに」
 蒔キ式とは、一日に五回執り行われる戒羅の初回ということだ。
 戒羅は先頭から、蒔キ、芽吹キ、育ミ、実リ、納メと割り振られている。どうやらそれらの名称は稲作に起因しているらしい。作物が平穏に育つ過程として、種を蒔き、芽吹き、育ち、実り、納めるという五つの祈りだ。
 しかし、残念ながらそれらの名称がピンときている者は少ない。櫓の連中が言うには、戒羅は五穀豊穣の祈りでもあるのだから不自然ではないとのことだが、豊穣の祈りと鬼から贄を守る行為は一体どこでつながるというのか。それは想像力が解決する問題では思えない。
 そのうえ、豊穣の祈りだと言い張るにしても、やはり妙だ。“芽吹き”、“育ち”、“実り”、は解る。どれも人の力でどうにかなるものではないから、祈って当然だろう。けれども、その中に人力で何とでもなる“種蒔き”と“収穫”が混じるのは、どうしても可笑しい。
 結局のところ、戒羅を大きくするのに名前が必要になった櫓が後で考えたことなのだ。一所懸命に知恵を絞ったのかもしれないが、ずる賢く育った子供の言い訳みたいな野暮ったさが目立つ。素直に一から、縁起の悪い四を避けて、六まで割り当ててくれればよかった。それとも、それでは櫓の中の伝統にこだわる古株が「うん」と云わなかったのか。それなら、その人物は伝統を守るという点で重宝すべきでありながらも、さぞかし頭の固い御仁だろう。
 どうであれ蒔キ式と言えば、イの一番だ。初っ端に出ることは分かったが、鬼手を務める二人の名前は聞き覚えがない。
「加々見に犬見、か。何か知ってるか?」
 村雲よりも湖袖の方が人出が少ない分だけ出番が多く、したがって集落に住む多くの人間を知っている。
「加々見は幻術の使い手と聞いておりますが、犬見とは初耳にござります」
 微塵の抑揚もなく、湖袖が言った。
「幻術? 妖術の類か?」
 法家が巫女と認めなかった者にも不可思議な力を使う者がいる。そうした者の力を総じて妖術と呼ぶのだが、湖袖はかぶりを振った。
「そこまでは……」
「そうか。まあ、いいや」
 妖術も様々だ。本当に神代の力を持つ者もいれば、中毒性のある香を炊いて惑わせるものもいる。どちらにも共通して言えるのは、決して種を明かさないことだ。知れれば役目は無いに等しい。毒と分かる毒は怖れるに足らず、だ。
 それにしても妙だ、と村雲は考える。
 戒羅の五試合を重要度の順に並べると、納メ式の次に蒔キ式が来る。最初と最後に客を寄せることで、間の三試合の人の出入りを多くするわけだ。言うなれば、櫓は始めに金の芽を“撒いて”、終わりに法家へ“納める”のだ。
 その二番目に重要な蒔キ式に神代の姫が出張ることはままあることだが、鬼手を知名度の低い者が務めるのは珍しい。仮に今回の二人が新入りだとしたら、異例と言っていいだろう
 よほど二人が期待の持てる鬼手なのか、あるいは、納メ式に大物が出るのか。その当て推量に対する答えは、遅れて参上した一人の女によって導かれた。戒羅に関わるものなら誰もが知っている彼女の背中には、しっかりと薙刀がくくりつけられている。
 なるほど。大物の方か、と村雲が合点していると、湖袖がこちらを向いて頭を下げた。
「では」
 湖袖の物言いは出会ったころよりもどんどん短く、冷ややかになっている。何か機嫌を損ねるようなことをしたかと言われれば、心当たりはない。となると単純にそれが素顔なのだろうと捉えていた。もし村雲と組むのが嫌ならそもそもこの場に来ないはずだし、逆に恋慕のような感情は巫女だけに心配する必要もない。
 なぜ湖袖が村雲を選ぶのか。
 ……何故でもいいさ。
 昼間に伊丹老人が投げかけた問いの答えは分からないが、得た信頼を疑っては、堂々巡りになる。
 告知を聞いて内裏の用が片付いた村雲だったが、先に歩き出した湖袖の後にくっついていくのはなんだか忍びなく、どんよりした梅雨の空を無意味に観察した後でそこを離れた。

続く