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神代の子 ―鬼―

四.

 早々とやってきた大安吉日は、うっとうしくなるぐらいの晴天だった。早朝までは雨が降っていたのに、誰の何を祝っているのやら、雲雀までもが甲高い鳴き声をまき散らして飛んでいるという、梅雨に似つかわしくない情景だ。
「随分と人が入るのですね」
 見物席を一望して、不次が声を上げた。
 不次が戒羅の執られる祭事場に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。それは単純に案内を延ばし延ばしにしてきた村雲に責任がある。自業のおかげで戒羅当日の朝に祭事場を案内してやらねばならず、今は不次を連れてあちこち回っているところだった。
 入って最初に見渡すことになる見物席は、とにかくだだっ広い。縦四十丈(約百二十メートル)、横九十丈(約二百七十メートル)の長方円形の舞台を取り囲んでいるだ客席は一周するのにも息が切れる。初めて目の当たりにすると、たいていの者が不次のように驚くものだ。
 しかし、その驚きの声も心なしか他人事のように聞こえた。
「なぜこれほどに人が集まるのです?」
「ただの見物人じゃないからだ。大方は博徒だよ」
 物見遊山の者よりも、勝敗を賭けてひと儲けしようという輩のほうが多い。戒羅は金が集まるといわれる理由がそれなのだ。祭儀に対する彼らの行いが良いと思うかどうかはともかく、張り番は彼らを咎めようとはしない。賭博があるから客入りが増え、張り番の懐も肥えるのだ。同時にその収益は、少ない割合でも村雲たち戦い手に回ってくる。
「まあ、それでもすべての席が埋まるわけではないけどな」
 舞台は集客のために広がっているわけではない。戒羅自体の都合だ。姫君を鬼から守るのが趣旨であるからには、互いに接した位置で始めてしまうと迫力がない。戦場を広くすることで、鬼が姫君に迫ってくる行程を演出しているのだ。
 その祭儀場に下りることが許されているのは贄姫と姫守、鬼手のほかに、五人の陰陽師がいる。五芒星の角に座す彼らには、祭儀場に結界を張るという役割が与えられていた。その目的は、外の人間が祭儀を邪魔しないためだ。そこには、賭博に不正が働かないようにという隠れた名目もある。
 少し余分なことまで説明して、村雲は最後に足した。
「見物席は自由だ。見やすいところに座ればいい」
 不次は頷くだけだった。近いうちに自分が舞台に立つことを思ったのか、あるいは村雲を心配しているのか、少しこわばっているように見えた。
「俺の戦いは観なくていいや。恥かしいし、正直見てほしくない。
 だが、納メ式は観ろ。色々ためになる」
「納メ式。というと最後ですか?」
「そうだ。詳しくは後だ。俺はそろそろ……」
 行かねばならんと、言いかけたとしたところへ、耳に覚えのある声がした。
「お、ありゃ村雲じゃねえか? やい村雲!」
 聞きなれすぎて声の方を見るに及ばず、やれやれと村雲はため息をついた。
 朽果(くちはて)と錆止(さびどめ)という名の二人組がこちらに近づいてくる。
 手前を歩く朽果は、後ろの錆止よりも体も声も態度も大きく、年中大声を出しているので年中枯れていて、やけに四角くできている顔の形は、会うたびに三段重ねの重箱を思い出させる。顎がしゃくれている分だけ、三段目を大きめにあつらえてしまったかのようだ。錆止の利発そうな顔よりもさらに大きいが、その分だけ脳が詰まっているかと言われると首を傾げたくなる。
 一方の錆止はほとんどしゃべらない。朽果の影のようにひっそりと一歩ひいたところに佇んでいることが多いが、決して従属しているわけではない。温和なようでいて眼つき鋭く、情にほだされない雰囲気があるが律儀な男で、小柄なのに結構な使い手だった。
 そんな似ても似つかない二人の血は、もちろん繋がっているわけではないらしく、朽果が錆止を舎弟にしているだけに過ぎないのだそうだ。それでも村雲が知り合う前から兄弟分なのだから、絆はきっと強いのだろう。
「何だよ。俺は今忙しいんだ」
 村雲は二人を煙たがった。蒔キ式にはまだまだ時があっても、その前にある儀式に出席しなければならない。
「まぁ、そういうな」
 朽果は見逃してくれなかった。立ち去ろうとする村雲の肩をつかんで見物席に座らせると、大男もどかりと腰を下ろした。
「ん? そっちの小僧は誰だ?」
 朽果が品定めをするようにしげしげと不次を見る。急に近づいた悪相に不次は目をそむけた。
「おい、村雲!」
 段違いの重箱の隙間から大きな声が張り上がった。
「手前まさか、俺のまねして舎弟をとりやがったか?」
「お前と一緒にするな。俺は伊丹の爺さんに頼まれてこいつに指南しているだけだよ」
「指南? 手前が?」
 はっはっは!
 辺りに朽果の笑い声がこだまする。
「笑わせる」
 ひとしきり笑った後で、朽果が不次を見た。
「小僧、こいつの真似ちゃなんねえ。ほら、トンビは何も生まねえって言うだろう」
 さらに笑う朽果に、村雲は苦笑した。
 やはり重箱の中身は空なのだ。
 ちらりと見た錆止は、あさっての方向を向いている。
 それにしても、まだ朝のうちに入る刻限だというのに朽果の吐息はすでに酒臭い。今日の戒羅に朽果の出番がないことは分かっていたが、どうしたら朝から酒を呑む気になれるのだろう。
 時には追われていたが、不次を朽果に差し出して立ち去るわけにもいかず、酒気に中って陽気な朽果のくだらないおしゃべりがひと段落するのを待った。
 しかし、話が切れるより、太鼓の音が割って入る方が先だった。参加者たちを招集する太鼓だ。
 村雲は慌てた。本来、見物席で聞いて良い太鼓ではない。不次を気遣っている間にずいぶん時を無駄にしていたようだ。
「不次。俺は行かねばならん。お前には悪いが、こいつらと一緒に観ているといい」
 酔っ払いを引き離すことができず、ばつの悪い顔になって言う。不次は大人しく「はい」と返事をした。
「ようし。じゃあ俺が、戒羅の全てを、余すことなく教えてやる」
 勝手に朽果が意気込む。その横で、錆止が「心配なさるな」というように軽く頷いた。弟分というより後見人に近い律儀な男の無言の言葉を眼で受けて、村雲は下に急いだ。
 姫守は“布袴(ほうこ)”と呼ばれる礼装で臨まなければならない。細かく言うと、髪を“冠下”に結った上で“巻えいの冠”を被り、小袖の上に“単(ひとえ)”、“衵(あこめ)”をつけて“表袴(うえのはかま)”を履き、さらに“下襲(したがさね)”、“半ぴ”を重ね着てから“忘れ緒”を掛け、“闕腋袍(けってきのほう)”を着て太刀を提げる。それだけ複雑で手間がかかるから、忘れ緒などと呼ばれる帯があるのだった。
 今、内裏に鳴り響いている太鼓は布袴に着替え終わって待っている者たちを待機所に呼び出すものだ。村雲はまだ着流しのままで、髪もぼさぼさだった。冠下に結って油で固め、冠を固定する余裕があるのか、だいぶ怪しいが、戦いのさなかに冠が落ちれば、首が落ちたも同然だ。
「もっと早うなさりませ!」
 大急ぎで布袴に着替え、大いに遅れて待機所に入ると、先に待っていた湖袖に叱られた。
「いろいろあってだな」
「この集落に戒羅よりも大事なご用事が?」
「すまん」
「刻限も守れずに姫守が務まりましょうか?」
「すまん」
「それに忘れ緒を付けておられませぬが、それは布袴と呼べるものでしょうか?」
 村雲の首は直角に折れた。
「……すまん」
 湖袖が刻限にうるさいことは分かっていた。なにぶん、これが初めてではないからだ。一度目は本当に寝坊をした。腹が痛くて遅れたこともあった。他のは覚えていないが、今日が三度目ではないことは確かだ。『刻限を守れぬ姫守』とは、己の代名詞かもしれない。
 そこまでお怒りなら指名してくれなければ良いのにと思うが、神代の姫に指名されることは多いに名誉だ。彼女らと戒羅に出るのと偽姫と出るのでは、褒賞に雲泥の差がある。もちろん、守り通すことが前提の褒賞だ。
 すたすたと舞台に降りていく湖袖の背中を追いながら村雲は、叱られる内が華かな、と思った。
 贄姫に姫守、そして二人の鬼手。合わせて四名が揃ったところで、内裏の奥から宮司が現れた。
 退屈なやり取りが済むと宮司が内裏の奥へ消え、蒔キ式が始まる。村雲と小袖、それに加々見と犬見を祭儀場に残して張り番の面々が去り、四人はそれぞれの待機場所へと向かった。五人の陰陽師は、随分前から所定の位置に就いている。
 祭儀場には玉砂利が敷き詰められ、歩くと音がする。乾燥しがちな真冬になると風にあおられて砂が舞って目と鼻を刺激してくれる厄介な地面も、雨の多いこの季節は大人しいものだ。
 贄姫が入る庵の周りだけは、砂利ではなく石畳で囲まれている。
 その石畳を踏んで、まず湖袖が庵に入った。庵の前には姫守が立ち、そこから五十間(約九十五メートル)先に鬼手が立つ。
 勝敗は二つの物によって決する。庵の中に建てられた一本の蝋燭と、鬼手が身に着ける鬼の仮面だ。それぞれが贄姫の命と鬼の命を表している。蝋燭の火が消えれば贄姫は生贄として捧げられたことになり、贄姫と姫守の負けになる。反対に鬼面が落とされるか壊されれば、鬼が死んだことになり、鬼手が負けとなる。
 それぞれの命がどうなろうと、戒羅には作用されない。贄姫が本当に死んでしまっても蝋燭の火が消えない内は戒羅は続くし、鬼手が命を落としても鬼面がくっついている内は決着にならない。
 つまり命が約束されている者は一人もいないわけだが、贄姫は約束されているに等しい。故意にしろ偶然にしろ、法家が引き立てている巫女が死んだとなれば、それに関係した者は姫守も鬼手も関係なく処刑されるからだ。
 いうなれば戒羅は姫守と鬼手の命を懸けた勝負だ。その意味で贄姫は結果を左右するだけの傍観者にすぎない。それだけに、贄姫に戒羅に臨む態度も二つに分かれる。神代かどうかとは別に、傍観者として庵に納まっているだけなのか、否かだ。
 湖袖はというと、積極的に“否”の方だった。知りうる限りの手を尽くして、姫守の戦いを優位に運ぼうとする、充てになる贄姫だ。
「若くないな」
「はい。貴方より、一回り以上は上でしょうか」
 二人は互いに鬼手の第一印象を話した。
 試合開始を伝える大太鼓はまだだが、戦いは配置に就くところからすでに始まっている。たった今顔を合わせた相手の身なりから、どれほどの使い手なのかを予想して策を練る。腕に覚えがあっても広い祭儀場をうまく使わなくては不利になるのが戒羅だ。今のこの間に罠をしかけるのも反則ではない。
「老兵は油断ならない」
 村雲は呟いて、ちらりと鬼手を見た。二人は何やら話しながら持ち場に向かっていく。村雲は二人の行動の意図を探りながら石段を上った。
 庵の中はちょうど四畳半の広さで、中央の半畳には杉の台が置かれてい、その真ん中に贄姫の命を表す蝋燭が立っている。燭台に掘られているのは『戒羅』の二文字だ。
 戒羅の“戒”には『守らねばならない』という意味が、“羅”には『永遠に連なる』という意味がある。要約すると『絶えず守る』ということだ。姫守は皆、その二文字を見つめて腹をくくる。
 村雲も、今、他の姫守と同じように腹をくくった。
 既に位置についたそれぞれは、太鼓の音を待っている。
 鳴るまでのこの短い間が一番ぞくりとすると、戒羅を知るものなら誰もが言う。
 一拍の間をおいて、太鼓打ちが力を込めた渾身の一打が牛皮の膜を震わし、大気がはじける音が天地に届いた。

続く