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神代の子 ―鬼―

六.

 汚い話をすれば、姫守の報酬は贄姫に任せられている。贄姫に思うように決める権利があり、それは櫓の管理するところではなく、贄姫が姫守に多く報いたからと言って、贄姫が損をすることもない。贄姫の身代は法家が預かっているのだから、彼女らは損も得もないのだ。つまり出ていくのは櫓の金で、元をたどれば、外から集落に集まってくる見物客の席料だ。
 ではその姫守の配当がどのようになるかと言うと、指標はない。要するに贄姫が抱いた印象次第なのだ。村雲が湖袖から受け取る配当はいつも決まっていて、必要最低限ということだった。そこには村雲に対する愛も他意もない。湖袖は身を神にささげた巫女なので当たり前のことだ。
 刀を鍛えなおすのに必要なだけの銅銭と、先一月分の米に引き換えられる勘合を懐にして、村雲は内裏を出た。
「新入り相手に見苦しいな、村雲よう」
 礼装から着流しに戻って席に帰ると、いやらしい笑いを浮かべた朽果にそう迎えられた。
「なんとでも言え」
 犬見相手に奔走して誇らしさは微塵もないが、勝つには勝った。それは事実だ。犬見に敢闘賞でも与えられれば少しは気分もよくなるが、その考えは忘れることにした。
「まあ、勝ってくれなくては困る。やすやすと負けるようでは、手前に勝った俺の名も上がらねえ」
 朽果がニタニタと言う。
「古い話を蒸し返してくれるな。あの時は紙一重だった。次はそうはいかん」
「はっ、どうだか。
 ところでどうだ。腹が減らないか。手前の勝ち祝いに飯をおごってやろうか」
 いつも金がないと言ってたかってくる朽果から聞きなれない言葉をもらって、村雲はあまり好い気がしなかった。
「……今日はどういう風の吹き回しだ?」
 率直に聞いた。
「どういう? いつものことじゃないか、兄弟」
 兄弟? 兄弟ときたか。朽果と兄弟の契りを交わした記憶などない。こういう時は、大体妙なことを企んでいる。
 訝っていると無口な錆止が珍しく耳元でつぶやいた。
「兄者は不次殿に良い顔をしたいのでござろう」
 はんっ、と村雲は口を引きつらせて苦笑した。
「じゃあ、世話になろうかな。いくぞ、不次」
 朽果が不次を誘う前に声をかけたのは、村雲のささやかな抵抗だった。
 当の不次は食い入るように戦いのあった祭儀場を見ている。すべての式を目にして置きたいような佇まいだったが、村雲は不次の襟を引っ張って連れ去った。
「次はご覧にならないのでしょうか?」
「見るほどのもんじゃないよ」
 驚く不次にきっぱりと言いつける。
 理由は単純明快だ。村雲は次の芽吹キ式に登場する贄姫が大嫌いなのだ。なにも村雲だけではない。この集落にかかわるものならば殆どが嫌うだろう。
 戦い手の誰もが嫌うその贄姫とは、浦春(うらはる)である。
 法家の一女というそれだけのことなら、ただの飾りで済まされる。嫌われているのは浦春がただの出しゃばりだというだけでなく、結果も欲するところにあった。浦春は法家を後ろ盾に鬼手を脅迫する。そればかりか、能もないのに陰陽師に師事し、真剣勝負の真っただ中でその真似事を始めたりもする。
 彼女の姫守を務めた者は一様にして思うのだ。偽姫らしく静かにしてくれればいいものを、と。
 さらに村雲の場合は嫌悪はそこにとどまらない。浦春は禄が死んだ理由に直結しているのだから。
「何故、見るほどではないと?」
 村雲は不思議がる不次に答えてやらなかった。兄弟子ともいうべき禄を殺したに近しい女のことを、丁寧に教えるつもりはなかったのだった。
 
 祭儀場で芽吹キ式が進む今は、まだ昼前だ。料理屋は閑散としていて、先客は一人しかいなかった。偶然にもその一人とは、ついさっきまで真剣を持って対峙していた犬見その人だった。
 勘よく村雲の視線に気づいたようで、此方を見た犬見と目が合った。見てすぐに首だけで会釈をした。負かされた相手に鉢合わせた時の態度は人それぞれだが、往々にしてよい顔をする者は少ない。会釈をするあたりはよほど人ができているのか、齢がそうさせるのか、ともかく犬見に対する村雲の印象はずいぶん良くなった。
 村雲は暑苦しく不次に絡む朽果から離れて、犬見の前に座った。
 近づいて驚いたのは膳にならぶ飯の量だった。ほとんど平らげた後で、何が乗っていたのかは分からないが、丼に大皿が三枚。油の混じった醤油皿を見る限り刺身だろうか。その横には味噌汁のお椀が二つも並んでいる。
「ずいぶん食べるな」
 犬見は感嘆の声を上げる村雲をちらりと見た後、味噌汁をすすって「初めてであったが故に飯が喉を通らなかったのだ」と言った。
 落ち着いて聞いてみると声が若い。胃も丈夫そうだ。
「初めての割には肝の据わった戦術だった」
「戦術など――」犬見は笑う。「勝たねば意味がない。真っ向勝負を避けた挙句に負ければ、それがしはただの卑怯者」
「そうは思わないが……」
「お心入れ感謝する」
 そう言って犬見は頭を下げた。
 こいつは一体何者なのだろうかと思案する。蘇るのは、戒羅の時にけったいな体術で顔面を足蹴にされた記憶だ。まっとうな武術とは思えなかったが、意外にも振る舞いは至極まっとうだった。
 やり取りの間に村雲の興味は犬見の経歴に及んでいった。
「以前は何を?」
 犬見は黙った。
 戒羅にやってくる者は十人十色の理由を背負っている。答えを得られなくても仕方のないことだが、顔が曇ったところを見るとどうやら単純ではないらしい。
 やがて犬見が大きく息を吸った。ため息を隠したようにも見えた。
「……鬼門破り」
 その一言に、沈黙は犬見から村雲に移った。
 陰陽道においては鬼が出入りすると謂われ、忌み嫌われるのが北東の方角、すなわち鬼門である。そのため、陰陽師がまつりごとに加担する諸国では主居を守る基盤を固める手始めとして、鬼門の方角に社を築いて守護とする。鬼門さえ守られていれば、ひとまず国は安泰だ、と考えるのだ。裏を返せば、鬼門を打ち破られることは国の威信にかかわる失態となる。
 その重要な鬼門の社を破壊することで生計を建てる傭兵がいる、と耳に挟んだことがあった。
 時に正面から数を以て制圧し、時に身を偽って忍び込んで内側から崩す。彼らの実態は謎に包まれているが、存在は確かで、まんまと社を崩されて威厳を失い、隣国に侵略された国も多い。そういう話が村雲の耳にも入っている。
 目の前に座っている男がそうした輩の一人だったと言ったのだ。
「安心するがいい。前職だと言うた。今はこの通り、手は空いておるし、その目的でここへ来たわけでもない」
 犬見が両掌を見せて言う。
 この時はまだ、犬見の言葉の意味を理解し損ねた村雲だった。真意に気が付いたのは後で一人になった時のことだ。この集落もまた、法家が居座る都の北東、つまり鬼門なのだ、と。
 犬見はさらに続ける。
「この先も戻ろうとは思わぬ。もはや戦の種をばらまき続けることに嫌気がさした。ここへ来たのも、贖罪のためよ」
 世の中から戦が無くなるように力を振るうことがせめてもの罪滅ぼしだ、と犬見は言った。
「一言に貴公の信用が得られるとは思わぬが、他意はない」
 犬見は苦笑いごとお茶で流し込んだ。
「何故ごまかさない?」
 過去を訪ねたのは確かに村雲だが、隠し通そうと思えばいくらでもできるはずだ。それを開けっぴろげに語ったことに注意が行った。
「……水面下で広がる噂ほど恐ろしいものはない。正体が見えないが故に、人は疑いの目を向ける。すると望んでもいない謀略が生まれ、波紋のように事が広がっていく。
 しかし、初めから明かしていれば、疑いの目は避けられぬが、水面下で広がることはない。表立って私を追放すればいいだけのこと」
「するとあんたは、事と次第によって追放されることを受け入れるのか?」
「出て行けと言われれば仕方あるまい。それはお主も同じだと思うが?」
 法家や櫓に御役御免だと言われたら、そうするしかない。
「……ごもっとも」
 村雲は眉をひそめた。
「あんたはこの先もその過去に触れて回るのか?」
「……相手次第。さすがに、張り番のような役人に前触れなく打ち明けるわけにはまいらぬ」
 そういうと犬見はピシリと音を立てて箸をおいた。
「ではこのあたりで、それがしは失礼させていただく」
「食事を邪魔してすまなかった」
「なんの。
 湖袖様によろしく。あのように機転の利く女子は初めて見る。外界を知らぬ箱入りと言われる巫女にも油断できぬ者がいたとは、良い教訓になった」
「どうかね。ありゃあ、庵を守ってただけだぞ」
 村雲がそういうと、犬見は笑った。
「……何だ? 何が可笑しい」
「いや。御気になさるな。世の中とは常々可笑しなものだ」
「ふうん。まあいいや。あんたの蹴りも見事だったぜ。もう少し威力があったら、俺も首を挫いたかもしれん」
 すでに背を向けていた犬見だったが、その一言でちらりとこちらを見た。
「……あれは本来、草履の裏に塗った毒で仕留めるもの」
 それだけを言うと犬見は不気味な笑い声を立てながら去っていった。
 威力など無くて当然。それでも実戦なら十二分に殺せる。
 村雲には、犬見の笑い声の中にそういう言葉が潜んでいるように聞こえた。少数で多勢を相手にする鬼門破りの得物は、刀でも小太刀でも槍でも体術でもなく、ひと塗りの毒なのかもしれない。さすがに毒殺は禁じている戒羅でも、加々見が使ったような毒とわからない毒ならば大目に見られる。犬見がそういう毒のさじ加減を身に着けたら、すぐに姫守を務めるようになるだろう。
 末恐ろしい、と空いた席を見ながら思った。思いながらに、その言葉が矛盾をはらんでいることに気付いた。犬見は鬼門破りとして戦い抜いた末に今のようになったのだ。今が既に“末”なのである。

続く