web clap

神代の子 ―鬼―

七.

「納メ式だと?」
 村雲が不次のところへ戻るより先に、朽果の大声が耳に届いた。料理屋がガランとしているせいでもあるが、そうでなくとも朽果ての声は十席を跨ぐ。
「はい。それを見ろ、と」
 答えたのは不次だった。
「そりゃまた何で」
「何故と言われましても……」
「こいつのためになるかと思ってな」
 たじろぐ不次に代わって村雲が答えると、朽果の表情がみるみるうちに曇った。
「ためになる? 壬生(みぶ)の戒羅がか?」
「そうだ。こいつに“鬼”を見せておこうと思ってな」
 戒羅には二つの栄誉がある。一言に、どれほど長い間勝ち続けるかというものだ。
 大概の戦い手はひと月に一度以上の出番を回していて、一年で数えれば十五回は祭儀場に立つことになる。当然のこと、そのすべてに勝つのは難しい。いかに天下一の腕を持とうとも、贄姫という不確実な要因があるせいで、あっさり負けてしまうこともある。その難しさがあって、勝ちを連ねる者は注目され、称賛するのだ。
 戒羅における“鬼の担い手”から、まさしく“鬼”と呼ばれるに至った当の壬生は、負けを知らない。戒羅に出続け、立ちはだかる者をことごとく殺してきた。いわば、姫守の天敵だ。
 戒羅は鬼を対峙することで験を担ぐ荒事なのだから、本来はそのような強者に姫守を任せるべきだ。しかし、壬生は姫守にふさわしくない事情を孕んでいる。姫守という、ある種の正義をつかさどる立場に置くことを許さない、歪んだ事情だった。
 その悪鬼のごとき壬生から姫を守りきることを期待される者は、やはりどれほど負け知らずで居るかということが重く見られる。
 今ここにいる不次を除いた三人の戦歴はというと、村雲の連勝は四、朽果は五だった。錆止は兄貴分を退けて九まで伸ばしており、この記録は戒羅の歴史に尺度を置いても立派なものだ。
「壬生か……」
 朽果が呟いた。朽果の記録を止めたのは他ならぬ壬生だ。呟きの裏にはそうした過去が見え隠れしている。
 話が途切れたところで、不次がすっと立ち上がった。
「ちょっと厠へ」
 そう告げてせかせかと出て行く。入れ替わりに追加で注文した三色団子が出てきた。
 いつも騒がしい朽果も、食べ物を口に運んでいる時は物静かだ。ただし手は別だ。団子の取り合いは手数の勝負を経て、皿は不次が戻ってくるのを待たずに空になった。朽果の左手には指間に一本ずつ、四本の串が挟まっている。
「しかし、手前」
 懸命にひねり出した小声で、朽果が切り出した。
「大丈夫か? あんな野郎の試合なんか見せたら、坊主の士気が削がれるんじゃねえか?」
 いつのまにか、不次は坊主と呼ばれるようになったらしい。
「……実をいうと、むしろそうなって欲しい」
「何でよ?」
「あいつが戒羅をどう捉えているのか、いまいちよく分からない」
 誠意のある振りをしている。出会った時からその印象が抜けない。さすがにそこまでは言わなかったが、歯の奥にある言葉を朽果は拾ったようだった。
「はあん。なるほど。覚悟を試す。それで気概が削がれてしまうようなら誠意は偽物。そういうわけか」
「ご名答。あんたにしちゃ察しが良いな」
「馬鹿野郎。俺は手前より頭がいいんだぜ?」
 村雲が最後の串を串立てに刺して言ったちょうどその時、外で歓声が沸きあがった。どうやら芽吹キ式が終わったらしい。この後は食事を挟んで育ミ式、実リ式と続き、壬生の登場する納メ式が巡ってくる。それまで後ふた刻(約四時間)といったところだ。もちろん、その間中料理屋にいるつもりはない。
 不次の帰りを待ってから料理屋を後にした一行は、不次に内裏を案内したり、掻い摘んで試合を見たりしながら時を使った。
 不次にとってはどれも珍しいもののようで興味深く見ることはあったが、その目が必ずしも輝いているわけではないということに気づくと村雲の不安はまた大きくなり、同時に納メ色までの暇も長く感じられるようになった。
 そうして、ようやく納メ式を迎えた。
 見物席を見回しても観衆は多くなかった。納メ式はいわば本日最後の見せ場だから人の出入り多いはずだが、壬生が出る試合に限っては例外と言えた。壬生の出る戒羅を観にに来る理由の大半は“怖いもの見たさ”だ。座る女が少ないというのは、この試合の過酷さを表している。
「お出でなすったぞ」
 祭儀場に現れた壬生を指して、村雲が卑屈っぱく言ったが、誰も反応しなかった。
 朽果は貧乏ゆすりをし、錆止は腕組みをしたまま瞑想している。この二人と壬生の戒羅を見物するのは初めてのことだ。それぞれが何を考えているのかは分からないが、村雲の目に新鮮に映った。
 彼らとは反対に不次の方はというと、疲れが出てきたのか欠伸をかみ殺してる。村雲は目を細めたが、見逃してやることにした。そんな態度でいられるのも始まるまでだと知っている。
 再び祭儀場に目をやると壬生の後ろには従者が両腕に刀を抱えて中腰になっている。
 普段の戒羅では見られない光景だ。姫守にしろ鬼手にしろ、自分の得物を人に運ばせることなどありはしない。事実、従者に刀を持たせるのは壬生だけだ。
「あれは……?」
 そのことに気付いたのか、不次が声を上げた。
「宮司……ですよね?」
 一目見た恰好から目ざとく言う。
「そのとおり」
「なぜ、宮司が刀を持ってくるのです?」
「妖しの太刀だからさ」
「……」
「禍(わざわい)を招く太刀。俗に“禍差(まがさし)”と呼ばれている。
 人をやたらと傷つける妖しの太刀も、戒羅なら役に立つ。で、壬生が妖しの太刀の使い手というわけだ」
「使い手なんかじゃねえ」
 隣の重箱が突然声を荒げ、村雲は飛びのいた。
「あれは魔太刀に“使われて”いる阿呆だ」
 朽果てが荒々しく口を挟んだところで、すべての者が配置についた。壬生の手には宮司から渡った二尺一寸(約六十三センチ)の禍差が収まっている。
 そして、大太鼓の音色が厳かに轟いた。
 先に動き出したのは、姫守を務める白露だった。この集落で最も名の知られている女の戦い手である彼女は、村雲連勝を止めたことのある猛者で、得物は一間(約百八十センチ)の薙刀だった。村雲と対峙した時とは違う鋼の柄が、斜陽を跳ね返して煌めいている。鉄製の鉈を手にしたのは、壬生の六太刀にへし折られないようにするためだろう。木製よりもはるかに重くても、戦いの途中で丸腰になるよりましだ。手数で劣っても、白露なら重い得物での戦い方を心得ているだろう。
 白露が薙刀を突き出して重心を前に取り、途中から加速をしていくと、壬生が応えて走りだした。庵に座った贄姫の糸蘇は、ぶつぶつと口を動かし始めている。
 二人は互いの足元から広がる間合いの接点を持たないまま、けたたましい金属音を響かせて刃を交えた。嵐のように荒ぶる壬生の剣筋を、かまいたちのような白露の一閃が裂き入っていくが、一つ一つ弾き出されている。
 やはり重いか――。
 薙刀と妖刀の交じわり様を見ているうちに村雲は感じ取った。
 鉄製の薙刀は重たすぎるのだ。どんなに器用に白露が操っても、荷重に引っ張られて刃の筋が遠くなる。
 相手が多少の使い手なら、それでも対処ができるのかもしれない。しかし、今白露の相手が持っているのは禍差だ。
 以前、禍差の特徴について伊丹の老人が語ったことがある。曰く、包丁の様に軽く、斧より切れて、刀の刃渡りがあるそうだ。
 刃渡りは見て分かることだ。切れ味については、過去に並んで観ている朽果が斧より切れることを証明している。軽いかどうかは壬生にしか分かるまいが、伊丹はそれを人心に依存していると説いた。
 この世のあらゆる戦いには緊張が伴う。己の命を守ることは当然として、人を斬ることに心を痛めることもある。
 禍差はその緊張を取り払う妖しの太刀だ。どんなに慈愛を抱いた者も、禍差を持ち込めば人を斬ることは悦びに変わる。もたらされる悦びにより緊張を忘れ、刀が軽くなるのだ。
 壬生は光悦とした薄ら笑いを浮かべ、兇刃を振り回している。腕の疲れる早さを比べれたなら、白露の方が断然早い。逆に壬生の太刀筋はどんどん早くなっている。
 もはや白露は、贄姫よりもよっぽど生贄のようなものだ。戒羅のありようも、化け物に八つ裂きにされる人間の見世物に近くなってくる。
 時として、それは事実でもある。
 壬生に殺されるために、公に裁けない罪人が戒羅に送り込まれることもあるのだ。それこそが、法家が戒羅を通じて壬生のような禍差使いを飼っているという理由でもある。
 しかし、白露は罪人ではない。戒羅で勝ち続け、名を馳せてきた歴戦の戦い手なのだ。だから白露を応援する者がいる。それが、残りの半分の、“怖いもの見たさ”ではなしにこの場に足を運ぶ人間だ。彼らは英雄が鬼を倒す瞬間を心の底から期待している。
 彼らの声援が“怖いもの見たさ”でやってきた者たちを呑み込み、白露への大声援へと変わっていく。
 ただ、ここに一つ悲しい事実があった。いままでのところ、祭儀場をとりまく大声援が最後まで続いたことは無いということだ。
 白露は初めての例外となりうるのか。
 その答えは次の瞬間にはじき出された。
「まずい!」
 禍差を受けた白露の薙刀が切断されるのを見て、朽果が腰を浮かした。熱くなっているのは何も観衆ばかりではない。同席した中で腰を据えてみているのは錆止だけだ。
  薙刀を捨てろ――
  逃げんか――
 観衆が口々に叫ぶ中、白露は真っ向から壬生に臨んだ。その様は暴走した牛車に飛び込む子供のように哀れだった。
 彼女の覚悟の招く結末を、数々の悲鳴が物語った。見る者の手に湿ったものを握らせたその光景は、まさしく修羅場だった。
 壬生が握った妖しの太刀は人の血と脂に塗れていて見るに耐えない。不次にとって生まれて初めてだろう、人の斬られる瞬間だった。
 白露は全く動かない。それは客席で見る叢雲たちも同じだ。白露の首元から広がる鮮かな血だまりが全てのものを凍りつかせている。
 壬生はすぐに縄で捕らわれ、落とした禍差は宮司の手で納刀された。宮司はその後でゆっくりと庵に歩み、糸蘇を横目に蝋燭の火を噴き消して、後を見ずに立ち去った。
 気分が悪くなったのか、不次が顔を伏せている。
「目をそらすな」
 叢雲がそういうと、不次は弱弱しく言った。
「私には人の死骸を見るような趣味はありません」
「いいから見ていろ」
 村雲は不次の髪を引っ張って祭儀場を見せた。
「糸蘇には、人を死から救う秘術がある。納ノ式が始まった時から唱えていたのが、まさにそれだった」
 法家も櫓も、禍差による殺戮劇を好んでいるわけではない。そのために壬生が鬼手に出るときは、必ず糸蘇が贄姫を務めることで姫守の命を救っているのだ。
「いや、ですが。信じられません……そんな」
 人が生き返るなんて。不次が呟いた。
「だがなあ、坊主」
 口を挟んだのは朽果だった。
「現に俺は生きている」
 朽果が無造作に着物をまくると、露出した腹部に四本の生々しい刀傷が残っていた。切り傷を縫い合わせたような単純なものではない。木偶を継ぎ足したような、肉を裂き、あるいは骨まで断ったかのような深い痕だ。
「あの野郎に殺されて、その後蘇らされた」
 姫守としてはこの上ない屈辱だ、と朽果は続ける。
「贄姫を守るはずの姫守が、贄姫の施しを受けて命を取り留める。
 戦いに敗れただけならばまだいい。けれどこれじゃ、巫女の手を煩わせて生にしがみ付いたように捉えられても仕方がねえ。もののふの恥だ」
 朽果の言葉通り、そんな屈辱を味わった結果、その戦いを最後に戒羅から遠ざかる人間も多い。
「あんたはよく残っているな」
 村雲の入れた茶々を朽果が鼻であしらう。
「たった一つ負けただけだ。そんなんで退けるもんか、馬鹿野郎。
 行くぞ、錆止」
 朽果は捲り上げていた着物を下して苛立たしそうに立ち上がり、先に出で行った。錆止は終始無言だった。
 二人を見送った後で、村雲は貧乏ゆすりを始めた不次の肩に手を当てた。
「……これが戒羅の無視できない一面だ」
 この光景が新入りの眼にどう映るか。
 村雲の心中には、やはり期待と不安が入り乱れていた。

続く