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神代の子 ―鬼―

九.

 あくる日の村雲は伊丹を探して内裏を歩き潰すことから始まった。足音には苛立ちが乗っている。今すぐに問いただしたいことがあるというのに、伊丹の家にも内裏にも姿が見えないせいだ。
 伊丹に問いただしたいこととは、不次の住居のことではない。朝一番に村雲が受け取った通達を見て、住居のことはどこかに吹き飛んでいた。
 通達は不次が初戦で戦う相手を知らせるものだった。
 はっきり言って、封を切る前から嫌な予感がしていた。
 戒羅に関わる書簡は普段なら張り番から手渡しされるものだ。しかし、今朝は戸口に挟まっていた。
 そのようなことをする理由は一つしかない。突っ返されたり、口論になることを嫌ったせいだ。挟まった書簡が意味することは、それが凶報だということに他ならないのだ。
 しかめた顔で封を切った村雲だったが、内容は想像以上に悪く、開く前に決めた覚悟はまるっきり不十分だった。
 不次の初戦を務める贄姫には浦春、姫守には壬生がそれぞれ指名されていた。言い換えれば、能無しと化け物だ。
 鬼手しか努めることのない壬生が姫守を務める戒羅は、前例のないことではない。村雲自身、何度も目にしている。はっきり言ってしまえば、それは戒羅で罪人を裁くときの配置だ。即ち、死罪である。
 壬生は新入りとしてきたはずだぞ。きっとこれは、誰か、他の罪人と取り違えらえているのだ。不次が罪人のはずがない。と思ったが確信はない。だから、村雲は朝餉も食わずに屋敷を飛び出して、事実を確かめるために不次を戒羅に招いた伊丹を探し回っている。
 梅雨晴れとはいかないまでも雨の切れ間だけに行きかう人が多く、村雲の視界を大いに遮ってくれる。やけに汗が流れるのは、にわか日照りのせいばかりではないだろう。焦りと不安に追われ、村雲の足はどんどん速くなっていった。
 立ち入ることが許されている領域を一通り廻ったところで、村雲はようやく足を止めた。
 櫓を降りて久しい老人には、彼にしか出入りできない場所などない。厠すら叩いて回ったところだ。すれ違ったと思う他になく、村雲は老人の家に戻ることにした。
 そして、その時を測っていたかのように村雲は声をかけられた。振り返ると朽果だった。
「なんだ、あんたか」
 伊丹ではないことに落胆して漏らした声に、朽果は憤慨して立ちふさがった。
「おい。この朽果様に向かって“なんだ”とはひでえ言いぐさじゃねえか」
 周囲を見たが今日は錆止がいない。錆止がいないと、朽果を相手にするのは大いな面倒だ。
「いや、悪い。が、あんたにかまってやる暇はないんだよ」
 苛立った村雲が、朽果の無駄にでかい図体を押しのけようと試みる。
「……不次が大変らしいな」
 押し合っていた村雲両手はその一言に止まった。
「なぜ知っている?」
「伊丹のじじいに聞いた」
「爺さんはどこに?」
「今は知らんが、穏やかじゃあ、ねえ」
 今朝早くに張り番に付き添われて歩いているのを見かけた、と朽果は付け足した。
「いつ? どこで?」
「今朝、散歩の途中で出くわしたんだ。それも連れ去られるその場に、だ。
 じじいは手前と不次のことを気にかけてた。で、去り際にこう言われた。『助けになってやってくれ』ってな。だからこうして、手前の前に現れてやったわけだ」
 村雲は朽果の顔をしばらく眺めた。
 今ここで朽果が嘘をつく意図は感じられない。戒羅で不次が処刑された場合に得をする人間ではないはずだし、発言に裏があるような男でもない。むしろ朽果にとってはこちらに助力をする方が面倒事のはずだ。
 ただ、朽果の話が疑いのないものだとして、手を貸してくれるのはありがたいことだが、朽果に期待できることはあまりない気もする。伊丹老人の情報を持ってきてくれたことだけで十分だ。これ以上はかえって面倒なことになる予感もする。
 村雲は頭に手を当てた。
「なんだ、その態度は?」
「……あんたに知恵があるのかと思ってな」
「……手前よりある。
 どう考えているのか分からんが、引き下がらんぞ。手前に恩義はないが、爺さんに恩義がある。ここで手前らを見捨てるのは不義理だ。付き合うからには最後まで見届ける」
 それを“面倒な人”というのだ。
 一瞬そう思ったものの、伊丹が張り番に連れて行かれ、これほど探しても姿は見当たらないということは、軟禁されているとも考えられる。そうなると、とりわけ張り番とのつながりも薄い村雲は八方塞がりで、この先の行動としては、不次と壬生の対戦を受け入れて、戒羅における策を練ることしかない。
 悔しいが、戒羅に関しては村雲よりも朽果の方が経験豊富だ。それに、朽果のおつむが充てにならなくても、相槌を打ってくれるだけの存在が時には大きな事に気付かせてくれることもある。<br / >
「分かった。礼を言う」
「水くせえ。俺ちは同類だ。ここにいる目的の半分以上は、壬生という化け物を倒すことだ。手を貸せるものなら、……なあ」
 朽果の語彙では最後まで言い通せなかったようだが、言わんとすることはなんとなく伝わってきた。
「早い話、棄権できるならそれに越したことはねえ」
 あるのか分からない知恵を絞るために料理屋に入ると、席に着くなり朽果がそう切り出した。もちろん、戒羅に棄権がないことは十分に分かったうえでの言葉だ。
 戒羅では、何かしら不都合が生じて試合に臨めなくなったとしても、日程が延びるだけだ。それでも試合を回避するというのなら、この集落を出ていくしかない。
 しかし、それらは何の失態もない者の場合だ。不次のように、壬生が姫守となる戒羅の組まれ方をした者の場合、集落から逃げることはできても、一生涯、法家に追われることになる。
「その選択肢はないな」
「そうだろうよ。死罪を恐れて逃げた奴らは嫌というほど知ってるが、平和に暮らしているとは聞いたことがねえ。荒れ野で果てるか、ここで果てるかの違いしかねえってことだ」
 棄権に意味がないなら、出るしかない。必要なのは、出て、死なずに終える方法なのだ。
 姫守として出るならば、ちょっと庵に忍んで火を消すことで、儀式としての戒羅は終わることになる。しかし、鬼手として出る不次に、それはできない。
「要は、壬生にやられても死ななければいい」
 端的に村雲がつぶやいた。
「馬鹿を言え。白露を見たろう?」
「分かってる。言ってみただけだ」
 手練れの白露でさえ、壬生から受けた最初の一撃が致命傷だった。仮に彼女の動きを不次が再現できたとしても、妖しの刀は不次を追い詰めて確実に息の根を止めることだろう。糸蘇が祭儀場にいない中で生存する可能性が皆無であることは、村雲が知る限り確かだ。
「壬生と浦春が組んでいる時点で、不次の運命は決まっている」
 村雲はもう一度力なくつぶやいた。
「いや。まて、村雲。できるかもしれん」
 急に朽果が明るい声を上げた。
「何がだ?」
「やられても生きて終えることだよ」
「今お前が否定したばかり……」
「後ろを見ろ」
 促されて振り返ると、村雲に背を向けて座ろうとしている女の姿が目に入った。品のいい浅藤色の衣をまとっているのはこの集落に一人しかいない。糸蘇だった。
 戒羅の最中に不次の命を救うことができなくても、終わった後で救えばいい。
 朽果はそう言いたいのだろう。それは村雲も一度は考えたことだ。
「あれはダメだ」
 村雲は首を横に振った。
「なんで?」
「あいつの術は蘇らせるものじゃない。死なないようにしているだけだ」
「詳しいな。というか、今あいつって言ったか?」
「……言った」
 しまった、と村雲は思った。
「……どういう間柄だ?」
 怪訝な顔をされるのは、当たり前のことだ。伊丹にさえ、自身と糸蘇との繋がりを話したことがない。
 この状況で誤魔化す気にはなれず、村雲は隠さずに答えた。
「同郷の幼馴染だ」
 糸蘇のことは集落に来る前から顔を見知っていた。
 もっとも、郷里にいたころは互いに知り合うこともなかった。かたや野武士の子、かたや貴族の子である。口をきいたことなど一度もなく、村雲には無関心にすら至らなかった。
 郷里を離れてこの集落に来て間もなく、互いを知る機会が訪れた。顔を合わせたのは、戒羅の控えの間でのことだった。
 当時新入りだった村雲が、神代の糸蘇の相手を務めたわけではない。実リ式に出た村雲は、新入りだったがために長引いて時を使い果たし、引き分けとなった。そして、帰り際に納メ式に出る糸蘇とすれ違った。
 村雲は糸蘇の顔を知らなかった。しかし、糸蘇がまとっていた浅藤色の着物には覚えがあった。
 村雲の郷里は、法家のいる都を過ぎてさらに東に向かったところにある寂れた村だ。その村を治めていたのは村長のような気軽に話せる者ではなく、法家と関連の深い名賀大社の神主だった。
 いくら神仏に傾倒しない村雲のような男でも、周囲に乗せられて正月ぐらいは詣でるものだ。そして、その正月とは神社にとっても働きどころなのだ。だから必然的に村雲は知っていた。糸蘇が身にまとっていた浅藤色が、名賀神社の巫女だけが身に着けることを許される、いわば、郷里の色であることを。
 控えの間を出ていく糸蘇とすれ違った時、村雲の口から思わず、「名賀の……」と言う言葉が漏れた。その言葉を耳ざとく拾った糸蘇と目があったことが、最初の遭遇となった。
 それから十年近くが経つ間に、郷里では二人を隔ていた壁が崩れて同郷という世の中においては数少ない縁だけが残った。今では、時に愛想のない会話を交わし、遠慮のない関係に落ち着いている。
「まあ、このことはここだけの話にしてくれ」
 命の理を覆しかねない糸蘇の力は世の中に対して大きな影響力を持ち、欲する者も多い。糸蘇が命を狙われることもざらにある。たった今そうしているように糸蘇が一人で飯を食うのは、他人をいざこざに巻き込みたくないからだ。
 それが分かっているからこそ、村雲自身も糸蘇と出合い頭に会話することはない。糸蘇との関係を触れて歩くことはしないし、普段なら問われてもしらばっくれる。今日に限っては正直に喋ったが、その態度が軽いと思われるのは心外で、先に釘を刺さずにはいられなかった。
 朽果は大人しく頷いた。
「他言はしねえ。が、少し聞いておきてえもんだ。死なねえようにってのは、どういうことだ?」
「……あいつの術は、“蘇生の術”じゃなくて“不死の術”らしい」
「それで、失った命を与えるんじゃなくて、死なないようにする、ってのか?」
「そうだ。だから、不次が壬生に殺された後で糸蘇が出張っても意味がない」
「不死はどれぐらい続くんだ? 戒羅が始まる前に施せばどうなる?」
「糸蘇が唱えている間だけらしい。戒羅が行われている間中、影から唱えていればいいのかもしれないが、はたしてどうかな」
「陰陽師か……」
「その通りだ」
 戒羅の舞台は五人の陰陽師に守れていることを忘れてはならない。
 神代ではない二人は、結界がどのようなものか知ることはできないが、もし外から糸蘇が不次を救おうとしているのが彼らに気付かれてしまえば水の泡だ。
「……うまくやれねえものか?」
 あるのかもしれない、と村雲は思った。何を隠そう、そういった話を糸蘇としたことがある。しかし、糸蘇は最後まで首を縦に振ることはなく、代わりにこう言ったのだ。
『……我が名賀家と法家とは血族に当たる。下手に動けぬ』
 不次の試合は法家が決めたことだ。それは法家が不次の死を望んでいることに他ならない。
 もし何らかの方法で糸蘇が不次を助けるようなことになり、それが法家に知れたら、その時はどうなるか。きっと名賀家は法家の怒りを正面から食らい、糸蘇はおろか親族一同が壬生の手にかかりかねない。
 その話を糸蘇とした時は、法家とのつながりが分かっただけで十分で、それ以上詮索することはしなかった。糸蘇には糸蘇の理由があってこの集落に住み、戒羅の場に立っていることに違いはないのだ。
「糸蘇はあてにできん」
 巻き込みたくないという本音を隠して、村雲は切り捨てるように言った。

続く