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神代の子 ―鬼―

十.

 結局日が傾くまで朽果と顔を合わせていたが、大した案は浮かばずに家路についた。
 このまま見殺しにするしかないのか。そもそも法家はなぜ不次を殺そうとしているのか。村雲は今、そのようなことを自問しながら不次の素振りを見ている。
 目の前で汗を流して必死に動き回る少年は、このままだと近い将来土の中だ。罪人として処理されれば、遺体は焼かれ墓も立つまい。
 当の不次には、まだ相手のことを伝えていない。一言に「相手は壬生だ」などと言えるはずもなく、朝早くに戸口に差し込まれていた書状は村雲の懐に収まったままだ。
 不次が祭儀場に立つまで、あと九日しかない。今日明日は隠し通すことができても、三日も立てば、不次も不審に思うだろう。どこかで見計らって伝えなければならないことを、村雲は重く感じた。
「なあ、不次」
「はい」
 素振りの手を止めないまま、不次が答える。
「お前、法家に恨まれるような事をした覚えはあるか?」
 突拍子もなく聞いた。
 村雲自身の直感は不次が罪人ではないとささやいているし、伊丹が朽果を巻き込むぐらいなのだから、不次に罪があるとは思ってもいない。それに村雲は、常に法家を疑っている。浦春のせいで死んだ禄の件があるせいで、法家には好印象を抱ける要素がないのだ。それに、禍差という妖し刀の使い手を飼い慣らしているのも、他ならぬ法家である。
 しかし、そうしたことを差し置いて、法家の不次に対する処罰が本当は正しいのかもしれない。万が一そうならば、潔く送り出してやるのが師事する者の務めだ。……心が耐えられるかどうかは別として。
 村雲の率直すぎる質問に不次は答えなかった。ただ、手を止めて村雲の顔をじっと見つめた。村雲が投げかけた質問の意図を探ろうとしているように見えた。
 その視線に村雲は耐えられなくなった。
「……贄姫には浦春が、姫守には壬生が務めることになった」
 叱られた童のように不次の顔と地面を交互に見て、村雲は真実を告げた。
「そうですか」
 不気味なぐらい素っ気のない返事をして、不次は再び素振りを始めた。
 村雲は、不次が再び手を動かすまでの一拍の間に、不次の目つきが鋭くなったことを見逃さなかった。それをどう見極めるべきかはわからない。これ以上ない難敵を押し付けられ、闘志がわきあがったととらえるのも正しいかもしれないし、その眼の陰に嫌なものを感じたのも気のせいではないかもしれない。
「私は、誰と組むのです?」
 不次が素振りを乱して聞いてきた。
「独りだ」
「……」
 それ以上素振りを乱すことはなかった。
 この青年はどこで心を制する術を身に着けたのだろうかと思うより、感情を表現することが不得手というように思える。そうでなければ、驚きのあまり思考が止まってしまったのか。不次の握る隠岐尚正は、水車小屋に取り付けられた杵柄のように人間味がなく上下に動き続ける。
 ……馬鹿か、俺は。
 弟子を疑っている場合ではなかった。
 どうにかしてこの状況を変え、不次のような未熟な腕でも壬生に太刀打ちできるようにするのが、今の務めだろう。試合が組まれた背景を詮索することを、今やる必要はない。
 村雲は立ち上がった。
「少し出てくる。払い、薙ぎ、突きを混ぜて続けていろ」
 勢いに任せて飛び出した村雲だったが、屋敷を出て十歩も歩いたところで道に詰まった。
 こういう時に頼れるのは誰だろうかと考える。
 悩みがあれば相談していた伊丹の所在は知れない。朽果とは話したばかりだし、その朽果の口から錆止の名前が挙がらなかったということは、今は巻き込める状態ではないのだろう。二人は常日頃一緒にいるが、時々錆止だけ姿を晦ます。そういう時に居場所を問うと朽果は決まって「ちと野暮用を頼んだんだよ」と言ってはぐらかすのだ。
 湖袖も相談役としては申し分ないが、今回については巻き込めない。糸蘇同様に彼女は法家が公に認める巫女なのだ。法家と近しい立場にいる湖袖に、反逆の色が濃い今回の件を持ちかけるのは気が引けた。
 行き詰りかけた村雲を助けたのは、集落の中を徘徊する薬売りだった。
 不死になる薬といったものが売られているわけはない。集落に出入りする薬売りが扱うのは、たかだか軟膏と風邪薬だ。そんなもので戒羅に勝てるぐらいなら、集落のあらゆる辻に薬売りが立つ。
 村雲は薬売りから考えを得た。薬から毒を思いついたのだ。
 毒殺は禁じられていても、戦いの助けにはなる。主義に合わないが四の五の言ってもいられまい。
 そこからすぐに浮かんだのは、ついこの前に料理屋でみた男の顔だった。
『あれは本来、草履の裏に塗った毒で仕留めるもの』
 犬見の言葉を頭の中で繰り返しながら、村雲は櫓へと足を向けた。犬見がどこに住んでいるのかを知るのは、張り番に聞くのが一番手っ取り早い。
 村雲の足取りは冬眠前の栗鼠のように目的を果たしながら無駄なく最も短い道のりを行き来した。
 犬見の屋敷――というには色々足りていない住処は、枯れた蔓草に包まれた暗い家屋だった。顔を見知りでも訪いを拒むような、そんな雰囲気がうかがいしれる。
「失礼!」
 声を掛けながら屋敷の玄関を一歩踏み入れた時、足の裏に嫌な感触が残った。慎重に踏み出した足を除いて見ると、草履の下に長い弦が落ちている。
 罠だ――。
 とっさに飛び退いた村雲は、身を伏せて門まで下がった。
 家屋は静まり返っている。壁や天井から槍が飛び出すような気配はない。何かの仕掛けを作動させる糸ではなさそうだ。
「安心せよ、村雲殿」
 頭上からの声に驚きつつも見上げる。屋根の上には、村雲を見下ろす犬見の立ち姿が見えた。
「それは留守中に忍び込んだ者がいないかを見定めるためのもの。仕掛けではない」
 口調に険はないが、まったくもって穏やかな内容ではない。
 戦の種をばらまき続けることに嫌気がさしたために鬼門破りを降り、この集落に来たと犬見は言っていたが、この様子では身の回りを警戒するようなことになっているらしい。家屋を蔓草で囲んでいるのも、屋根の上にいるのも、きっと趣味では片づけられないことにちがいない。
「わざわざ訪ねて来るとは、何かお困りかな?」
「……ちと、あんたと話がしたい」
 屋根の上の人間と大声で話すには、はばかる話だ。村雲が話を濁すと、素早く犬見が察してくれた。
「では中へ」
「すまん」
 村雲は先ほど踏んだ弦を跨いで、中に入った。
「さて、何用かな?」
 招かれて先に入ったはずだったが、履物を脱ぐ前に屋根にいたはずの犬見が中から現れて、村雲はびくりとした。よく見ると、犬見が出てきた部屋には上から縄がぶら下がっている。その部屋は物見櫓のような役割を果てしているようだ。
「表沙汰にできぬ話と見受けたが……」
 村雲の視線が気になったのか、犬見はその部屋に通じる障子戸を後ろ手で閉めながら言った。
「単刀直入に、毒薬を工面してもらえないか」
 予想していなかった注文なのだろう。犬見は顎をさすって考えた。
「無報酬か?」
 思いつきでここまで来たせいで報酬のことは全く考えていなかった。それでも自由に動かせる金なら、少ないがいくらかはある。
「金がいいか? それとも……?」
 犬見は応える代わりに何度も目玉を動かして村雲を見た。品定めをされているような気がした。
 長い沈黙を犬見自らが破って言った。
「いや、やはり報酬は要らぬ」
「……なぜだ?」
「毒と一緒に恩も買ってもらおうか」
 ただより高い物はない、とは何も古人が残した教訓ではない。この集落で貸し借りを残しておくことは、好ましいことではなかった。戒羅で対峙する可能性のある戦い手同士の間では、なおさらのことだ。
「何が狙いだ? 勝ち星のやり取りか?」
 一部の人間たちの間で、戒羅は賭博でもある。下馬評の高い人間が負けることで、一生分の金を稼ぐことも夢ではない。高い支払いが出れば櫓が損をするだけに、八百長は張り番が目を光らせて監視し、関わった戦い手がいれば罰せられる。
 不次の命を救うかもしれない毒の代償が八百長への加担だというのなら、大いに頭を抱えるところだったが、犬見は静かに首を振った。
「深い意味はない。ただ、それがしに恩を感じている人間が身近にいた方がここで過ごしやすいというだけのこと」
「どういう意味だ?」
「見ての通り、それがしには落ち着いた暮らしというものができない。鬼門破りを抜けて来たせいで、いつ何時、恨みを持った輩に襲われるか知れたものではないからだ。昔から連れ立っている加々見を除いては、この集落にいる皆が敵に思えてならぬ」
「要するに安心できる者が欲しいと、そういうことか?」
「左様。この集落に詳しい者が味方にいれば、少しはくつろげる」
「なるほど……」
 言葉で返すほど、村雲は納得していなかった。毒薬をやる代わりに味方になれとは、脅しに近い。弱みを握ったぞと言っているようなものだ。
 しかし、脅しだとしても断れる状況ではないこともよく分かっている。それに自分の家を持ちながら屋根の上で日中を過ごす犬見の姿はなかなかに哀れだ。
 信用するわけではないが……、と村雲は自分に言い聞かせながら、「いいだろう」と言った。
「あんたの味方とやらになってやろう。それで、いつ貰える? 次の次の戒羅までには欲しいんだ」
「常備してあるゆえ、中に入れ」
 そう答えた犬見の口元が、一瞬だけ笑ったように見えた。それは、過去を影のように引きずる男が安堵した瞬間だったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、村雲は犬見の住居を奥に進んだ。

続く