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神代の子 ―鬼―

十一.

 考えてみれば皮肉なことだ。
 事を運ぶのに最も良いとされる大安の日に戒羅を行うと定めたせいで、戦い手のほとんどが吉日に命を懸けることになってしまった。ことに、その日を断罪の日――と言っても村雲は納得していないが――に指定された不次の心中たるは、当の本人にしか分からないことだ。
 絶えず寝返りをし、眠っているようには見えなかった不次を横目に、村雲は家を出た。
 まだ夜明け前のことだ。多少の雨が降る座禅日和ではあるが、そのためではない。生き死にと直に触れている戦いを目の前にして、禄の墓参りに出かけたのだった。
 集落に点在する社寺を無視して、禄の墓に向かったのは信心の居場所によるものだ。神や仏に祈っても恩恵を受けるのは巫女だけだというのが村雲の考えだった。武具を手に戦う者は己の心で踏ん張らねばならず、どうしても運が欲しいと思ったら、故人の魂にすがる。その習慣があって、不次のために禄の守護を求めたのだった。
 禄の墓石は柄杓で水をかける必要もなく、雨に打たれて濡れていた。着物の裾を折ってしゃがみ込むと、足元の砂利が村雲の重みの分だけ沈み込み、隙間から雨水がにじみ出る。それがじんわりと草履の裏を湿らせたところで、村雲は合掌を済ませてまぶたを開けた。
 その時、ふと、墓石の前に並べられた枯れかけの花が目に飛び込んできた。薄茶けた花弁は白い花を想像させ、一つ一つが小さい。ずいぶん前に摘まれて、ここに置かれたようだ。
 集落で売られている花をまじまじと眺めたことのない村雲には知識がなかった。唯一分かるのは、このあたりで見る野花には無い類のものだということぐらいだ。
 禄の墓を小まめに参りそうな人間は、村雲のほかに伊丹ぐらいのものだ。伊丹が法家に連れ去られたのは昨日のことだから、花を供えたのが彼ならば一昨日のことだろう。しかし、伊丹が張り番だったころは、祭儀場に結界を張る陰陽師を務めていたと聞いたことがある。そのような人間が供える花を買わずに野花で済ませるとも思えない。飯代を村雲に払わせるような悪戯はしても、礼節ぐらいはわきまえているはずだ。村雲の勘は、そう囁いている。
 禄は集落に来てから死ぬまでが短かった。近しい人間はあまりいないが、知らない者がいないわけではない。むしろ、その死に様からすれば、有名でさえある。
 禄の死は自らの弱さにより招かれたものではなかった。浦春が原因で死んだのだ。
 最初からおかしいと思っていた。何度振り返っても、その感覚を感じたことを放置したことが悔やまれる。
 この集落にやってきた戦い手が鬼手として経験を積んだ後に姫守を務めるようになるのは、贄姫が戦い手たちに戒羅の経験を求めているからに他ならない。それなのに、集落に来てひと月しか経っていなかった禄が、姫守に抜擢されたのだ。
 そして、奇妙な事柄はもう一つ重なっていた。ちょうどその頃、浦春について一つの噂が流れていた。それは、特別な力のない偽姫の立場を神代の巫女と並べるために配置されていた浦春が、偽姫と呼ばれることに我慢がならなくなったらしいというものだった。
 しかし、浦春がどんなに駄々をこねようと、神代の力は授かるものである。法家の力で名だたる社寺に取り入って浦春を巫女に祭り上げることはできても、それで神威の力を授かるわけではない。
 そんな一人の女のわがままに耳を傾けたのは、法家ではなく櫓だった。彼女を哀れんだというよりも、不満をまき散らす女に毎日付き合うのが面倒になったからだろう。
 とにもかくにも、結果として浦春は陰陽道を学ぶに至ったそうだ。事実、戒羅の祭儀場を守る陰陽師の一人について歩く浦春の姿を目した者が何人もいた。
 見栄っ張りのわがまま姫なんぞ放っておけばよかったのだと、今にして村雲は思う。ただその時は村雲も呑気なもので、禄が抜擢された件に関しては伊丹の進言でもあったのかと思っていたし、浦春の件に関しては興味がなく、奇妙に思いながらも深く考えはしなかった。そして、事態は悪い方に転がった。
 初舞台の日、初めての戦いに臨む禄は緊張を興奮を交えた表情で蒔キ式に向かった。その時のことを昨日今日のことよりも鮮明に覚えている。
 村雲はほとんど言葉を掛けなかった。初めての弟子が迎える初戦を弟子と同じかそれ以上に緊張して迎えたせいで、気の利いた言葉が浮かばなかったのだ。
 見物席に上った時、祭儀場では禄と浦春が何かを話していたのが見えた。それを見て、あまりいい気がしなかった。まず、その時から禄の様子が妙だった。禄は不次と違って愛想の良い男だったが、浦春と歩を合わせることはなく、逃げるようにして持ち場へ向かっていったのが気にかかった。
 太鼓の音が響き、戦いが始めると浦春が怪しげな玉を取り出し、何かを始めた。
 黙って立っていてくれればいいものを――、と見物席の村雲はひどく苛立った。大事な弟子の初舞台が偽姫の小芝居でお遊戯に見える。
 禄はあんなにも必死で、自分より格上の鬼手を三人も相手にしているのに――。
 まさしく、新入りがいきなり姫守を任された結果の有様だった。それでも、禄の剣術は押されていたが負けてはいない。上手く耐えてくれれば必ず反撃の機会はあるように思え、村雲は禄の忍耐を信じた。
 事が起こったのは、その直後だった。何の前触れもなく禄が喀血し、そのまま地面に倒れたのだ。
 鬼手たちは面を見合わせて不思議がった。その中の一人が慎重に禄に近づいて肩を揺さぶったが、反応がない。やがて張り番に向かい首を振った。
 それが禄の死の瞬間だった。村雲は腰を浮かしたまま、茫然となった。
 浦春がおらぬ、とその時横に座っていた伊丹が言った。
 もぬけの殻となった庵を見た時、村雲は察した。
 浦春が禄を殺したのだ――、と。
 陰陽術は即席で扱える物ではない。浦春が師事していたのはせいぜい二三か月のことだ。そのような短い間に本格的な術を体得できるはずがなく、おそらく身に着けたのは触りぐらいのはずだ。
 後々に聞いた話によれば、その推測は外れておらず、浦春が学んだのは陰陽術の初歩、薬術(やくじゅつ)というものだったそうだ。薬術は医術に近いが治療のために用いる物ではない。力を引き出すために使うものだ。ただし、薬術には気を付けるべき危険を孕んでいる。人に力を与える薬も分量を誤れば劇薬となってしまうからだ。
 浦春がその危険性をどれほど熟知していたのかは知らない。しかし、偽姫という俗称を逃れようとしていた浦春は、さっそくにも身に着けた力を試せる人間を探したにちがいない。
 そこに一つの障害がある。姫守は本来名のある戦い手が務めるものだということだ。そうした者は必ず他の贄姫から大事にされていて、万が一、浦春の薬術が失敗して姫守を殺めれば、浦春は非難の的になる。
 だから禄のような新入りが姫守に選ばれたのだ。新入りならば、誤って殺してしまっても始末が付けやすい。新入りは目を掛けられる者が少ないから、元々臓器に異常があったのだとしてしまえば疑う者はいないだろう。幸いにも医者は皆、櫓の監督下にある。後から何とでも説明がつけられることだ。
 そうして、興味本位で師事した陰陽道の基礎すら扱えぬざまで戒羅に挑んだ浦春は、禄の体に人体増強の薬術を施し、五臓六腑を破壊したのだ。
 流れていた浦春の噂と戒羅で起こったことを照らし合わせて、事実に気づいた者ならば誰しもがこう思うだろう。禄こそが鬼、畜生の生贄だった、と。
 そういう背景があって、誰が禄の供養をしてもおかしくはないのである。
 この花もそうした者が手向けたにちがいない。これが法家や張り番の手向けたものだったとするならば、踏みにじってやるところだ。
 村雲は手に取った花をそっと戻し、禄に見守ってくれるように託して立ち上がった。
 長くなった墓参りを終えて屋敷に戻ると、不次は素振りをしていた。修羅場を目前に控えても太刀筋に乱れがないのは褒めるべきところだろう。
 二人は顔を合わせると示し合わせたかのように無言で料理屋へ向かった。朝餉の席でも会話は無く、ようやく言葉を交わしたのは蒔キ式に向かう不次を見送る時だった。
「気を付けてな」
「はい」
 ようやく絞り出した言葉は、冷徹なまでに短いものだった。
 不次の背中が内裏の奥に消えようというところで、村雲に少しの後悔が湧き上がってきた。昨夜のうちに話せることは話していたせいもあって、いまさらかける言葉はなかったのだが、もう少し気の利いたことを考えておくべきだったのかもしれない。こんな見送り方では禄の時からまるで進歩がない。
 今日、もしもまた弟子が死ぬようなことになったら、今の言葉が胸に刻まれる。そんなことにはならないと信じているが、万に一つ――現実的には十中八九かもしれない――そうなってしまった時には、結局また何も気の利いたことを言えなかったことが後悔になるのだ。
 内裏の張り出した屋根が落とす暗がりに不次の体が呑み込まれようとしている。たまりかねて村雲は走った。
「おい! 不次! 死ぬなよ!」
 張り番が固める門の入り口まで行き、大声を送った。
 不次は驚いてこちらを見た後、「はい」と答えた。そこにあったのは笑顔などではない、闘志をむき出しにした戦い手の精悍な顔だった。

続く