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神代の子 ―鬼―

十二.

「どう戦う?」
 村雲が見物席で貧乏ゆすりをしていると、横に腰を下ろした朽果が言った。
 犬見からもらった毒は二つあった。二つとも体の自由を奪う毒だ。ただし、同じようで使い方が異なる。
 一つは相手の傷口に塗りこむ物で、もう一つは口や鼻から吸わせる物だった。どうにかして壬生にかすり傷一つでも負わせることができれば、前者の毒だけで足りるが、壬生も妖し刀だけの男ではない。今の不次では、よほどのツキがないかぎり傷を負わせるのは難しい。その時に、後者の毒が役に立つ。後者の毒は、村雲が加々見に吸わされたものと同じ毒だ。
 二つの毒は用いた作戦は明確だ。まずはとにかく壬生の周りを動いて、痺れ毒をまき散らす。加々見と同じように鬼の面の下には濡らした当て布をかませるから、不次が中毒になる心配はない。そして、毒が効いて壬生の動きが鈍くなったら、もう一つの毒を塗りこんだ二尺二寸の隠岐尚正で傷を与える。
 上手くやれば、それで壬生と直接戦うことは避けられる。あとは庵に駆け込み、蝋燭の火を消すだけだ。
 庵の蝋燭は浦春が守っているとはいえ、しょせんは薬術しか使えない女だ。鬼面の下の当て布が防いでくれるだろう。
 村雲がそのままを答えると、朽果は深く頷いた後で言った。
「うまくいくと思うか?」
「他に手はない。信じるしかないだろう」
 朽果は無言のまま頷いた。料理屋で別れて以来、特に考えの浮かばなかったらしい朽果に、挟める口はなかったようだ。
 祭儀場は静まり返っている。今はそれぞれが待機所で身支度をしている頃合だ。
 待機所での振る舞いは人それぞれだ。無言になって集中する者、作戦を確かめ合う者。さらにはその日の戒羅を諦めて、無駄話をしながら今後の人脈作りに励む者。
 普段の戒羅なら、不次も壬生や浦春と顔を合わせているはずだ。
 しかし、今日は待機所さえも様式が違うのかもしれない。壬生が姫守として出る場合の戒羅では、どのように振る舞いが変るのか。それを知るのはごく一部の人間だけだ。そして、鬼手としてそこに加わった者は一人としてこの世に生きていないのだから、その様を知っているのは浦春と壬生と張り番だけなのだ。
「……一つ、手前の耳に入れておく」
 祭儀場を見下ろしたまま、朽果てが独り言のように口をきいた。
「伊丹の爺さんは量(はか)りの間にいるらしい」
 量りの間というのは、咎人の罪の重さを量る部屋だ。法家と張り番しか入れない、内裏の奥にある。
 罪状は分からないが、伊丹が法家の手の者に連れ去られたというなら、そこに幽閉されるのも理解できる。もちろん納得はできないが――。
「……それは、誰の情報だ?」
「張り番の情報だ」
 一介の戦い手にすぎない朽果が櫓に伝手を持っているとは思えず、顔をしかめていると朽果は「錆止に探らせた」と付け加えた。錆止の名前が村雲の抱いた疑問を解消してくれるわけではなかったが、話はそこで途切れ、村雲もそれ以上は言及はしなかった。
 錆止には錆止のつながりがあるのかもしれない。例えるなら、村雲と糸蘇のように。はたまた忍びのように情報を仕入れてくるのか。影の薄い男だけにそれもありえるだろうが、今は大事なことではない。
 伊丹に会えば今よりも話が見えてくるかもしれない、と村雲は思ったが、既に周囲がざわついている。鬼面を着けた不次が現れるまで、それほど時はかからないだろう。
 これから起こることを見届けるのが師の使命と思い、村雲は座っていた。しかし、伊丹のことを聞かされた今では、それが気になって仕方がない。
 量りの間に行って、話をさせてもらえるものだろうか。いや、無理だろう。忍び込んだところで結果は知れている。それに、話したところでどうなる――。
 村雲の思考は祭儀場を往ったり来たりする張り番さながらに行き来を重ねたが、腰を持ち上げさせるには至らず、そのうちに役者たちが祭事場に現れた。
 浦春に壬生、そして不次。三人が出揃った。この先、村雲は群衆の一人として見守ることしかできない。
「いよいよだぞ」
 腹をくくれと言わんばかりに朽果が言った。
「ああ」
 分かっているさ、と腹積もりの決まらないまま村雲が答える。
 人知れず編まれる蜘蛛の巣のように結界が張られ、祭儀場は誰ひとり立ち入ることのできない聖域となった。村雲は静かに、不次が定位置に向かう姿を見つめた。
「村雲」
「なんだ?」
 名前を呼ばれて振り向いたが、朽果は目を瞑って黙りこくっている。あまりに気が高ぶって、幻聴を耳にしたようだ。そう思って首を振ると、また名前を呼ばれた。
「呼んだか? 朽果」
 今度こそ確かに呼ばれたのに、こちらを向いた朽果はむしろ何か用かと言いたそうだ。間の抜けた朽果の表情を見て気付いた。
 ――誰だ?
 少なくとも村雲はこの感覚を知っている。神代にしか扱えないこの特殊な力は、あたかも耳元で囁かれているかのような錯覚を引き起こさせる秘術だ。実際に湖袖が戒羅の最中に使っていたことがあった。
 しかし、これは湖袖の仕業ではない。湖袖は村雲を呼び捨てにするはずがないからだ。村雲を呼び捨てる神代はこの集落に一人しかいない。
 思い浮かんだ顔を求めて辺りを見回すと、こちらに向いて手をこまねく糸蘇の姿が目に入った。
 糸蘇は村雲と目を合わせると、すぐに背を向けて見物席を出て行った。
「おい! 見ねえのか?」
 急を要する何かを感じ取り、村雲はわめく朽果をさしおいて糸蘇を追った。
 追いついたのは大太鼓が鳴った時だった。妙に大きく響いた太鼓の音が内裏を成すすべての材木を痙攣させるさなか、村雲は糸蘇の肩を掴んだ。
「一体何だ?」
 村雲の問いには答えず、糸蘇はさらにひと気のない方へと足を進める。横目で見た糸蘇の表情からは、正面を見据えて歩いているようでいて周囲に気を配っているのが感じられた。瞳の中の瞳孔だけを動かして人影をとらえているかのようだ。
「知らせておきたいことがある」
 あたりに人がいなくなると糸蘇が無愛想な口調で言った。女とは思えないほど低い声なのに、響きに特有の美しさがあるのが糸蘇の声だ。
「禄殿のことだ」
「禄の?」
 糸蘇の口から禄の名前が出たのは初めてだった。意外だったが、正直なところ今は興味がなかった。生死を掛けた不次の戦いを無視して、禄の話に耳を傾けている暇はない。
「まあ聞け。不次殿にも関わることだ」
 村雲の顔色を見透かしたかのように糸蘇が言った。
「どういうことだ?」
「……禄殿が死んだのは偶然ではない。浦春の故意によるものだ」
 村雲は顔をしかめて絶句した。話の内容にもそうだが、法家の下に位置する贄姫が法家の一女を呼び捨てたことにも驚いた。
「今から話すことは法家に携わる者でさえ知らない、秘密裏にされていたことだ。しかし、私はもう我慢がならぬ。ゆえに、お主に伝える」
 糸蘇はそう前置きをしてから、口を早くして語った。
「浦春は禄殿に懇意だった。初戦で禄殿が姫守を務めたのも浦春自身の横やりによるものが、その以前から浦春は禄殿に押しかけていた」
「……」
「だが、お主も知ってのとおり禄殿にそのつもりはなかった。簡潔に言えば、それが禄殿の死の根幹にあった背景になる」
 あまりにも考えになかったことを告げられて、村雲は驚きながらも違和感を抱いていた。
 思い返してみれば確かに、初の戒羅に臨む禄に贄姫は浦春が務めると告げた時、禄は怪訝な顔をしていた。それは、顔の知らない人の名を告げられた時に誰しもが浮かべる表情のようにみえていたが、禄が浦春を悪い印象で見知っていたとするならば、至極適した表情だ。護国豊穣という戒羅の大義を胸にこの集落にやってきた禄のことだ。よこしまな気持ちで近づいてきた浦春を嫌ったもの納得がいく。
 とはいえ、浦春の方はどうも腑に落ちない。
 禄が男前だったことは村雲も認める。浦春とは齢も近いだろう。法家と庶民という身分の差はあるが、見栄えのする男を近くにおこうとする下種な魂胆は、いかにも建前を重視する法家の人間らしい考えだ。
 しかし、断られたからと言って殺す必要がどこにあるのだろう。
 その疑問の答えは、糸蘇が補った。
「浦春は禄殿を手中に収めるために、『いずれ童(わらわ)の夫となる人間だ』と声を高らかに、周囲の人間に触れて回っていた。法家の富と力はもちろん、通りすがりの人間を振り向かせる美貌さえも持ち合わせている浦春にとって、事実さえ作り上げてしまえば思い通りにできないことは無い。その算段で禄殿の意思を無視して話を進めていたのだ。
 だが、それでも禄殿は断り続けた。断られるにつれ、浦春は次第に怖れるようになった。言いふらしてきたことが現実のものとならなかった時、己の誇りがどこまで汚され、周囲の人間がどれほど奇異の目を向けてくるのかを」
「……ちょっと待て。それは誰から聞いた? 俺はそんなこと耳にもしていないぞ」
「すべて伊丹殿に聞いた」
「なんだと?」
「お主には伏せたのだろう。
 ……こう言っては悪いが、女心の機微に関して、お主が話をつけられるようには見えん」
 そう言われては否定ができない。何かしら言い返したくもあるが、村雲は話の腰を折らないように抑えた。
「それで、それが浦春は戒羅の時に……?」
「その通りだ。そして、迎えた戒羅の折に最後の手段に出た」
 一言で脅しだ、と糸蘇は言った。
 二人のやり取りがどのようなものだったのかは、誰も知らない。すべては結界に閉ざされた空間の中でやりとりされたことだ。だが、結果はあの惨事を見ていた者なら十分に分かる。やはり禄は浦春と関係することを断り、逆上した浦春に殺されたのだ。
 仮に今手元に箸があれば、村雲は折っていた。木刀だったとしてもどうにかしてへし折ったろう。村雲はただ歯をかみしめて、こぶしを握った。浦春と、今さら事実を知る己に対してだった。
「……それがどう不次に関わる?」
「浦春は報復を恐れている」
「報復? 事実に気づかれ、俺に殺されることか?
 ふざけるな。あんなくだらない女のために誰が罪を背負うもんか!」
 戒羅の場で贄姫は殺せない。集落の中でも人を殺せば大罪だ。
「お主ではない。禄殿の身内だよ」
「馬鹿言え。禄は遺児だぞ。身内なんかいやしない」
 生まれ育った山間深くの小さな村は夏の大雨の日に山崩れで喪失し、ごく少数の人間だけが生き残ったと聞いていた。
「……そうだな。言葉を誤った。身内ではない。だが、同郷で、同じくらいの齢の人間が一人いた」
 誰かと訊きかけたが、糸蘇の目を見続けるにつれ、村雲は背中に汗をかき始めた。
「……不次か? 不次なのか?」
 こくりと糸蘇が頷く。
「つまり、あの女は不次に報復されるのを恐れている。だから、亡き者にしまおう。そう考えているわけだな」
 糸蘇は目をつむり、眉間にしわを寄せて、また頷いた。
「それはちと酷いな。それに、不次に報復するつもりがあるとも限らない」
「いや、そうとは言えん」
「なぜだ?」
「実は何度か、不次殿が浦春の周囲を探索しているのを目撃されている」
「しかし、それだけでは、殺意があったかどうかは分からんだろう」
「……法家の置いた衛兵と一戦交え、一人に大怪我を負わせた」
 村雲は不次が香の匂いを連れて帰ってきた日のことを思い出した。あれは女の香りではなく、貴族のそれだったということだ。
 同時に、村雲は伊丹が法家に連れ去られた理由を知った。
 伊丹は梯子として不次を櫓に推薦した時、不次の身代を保証したはずなのだ。いわば、伊丹が不次の身元請負人なのだ。不次が法家に仇をなしたのなら、それは伊丹の責任だ。量りの間に押し込められたのはその罰ということになる。
「話は分かった。
 それで、どうにかして不次の処刑を止める方法はないか?」
 糸蘇は黙った。考えているというより、考えるのをためらっているようだ。
「なあ、糸蘇。お前の立場はよく分かっている。だが、口止めされているようなことをわざわざ俺に伝えに来たのは、この莫迦げた茶番を止めるべきだと思ったからではないのか!
 それともお前は、不次は殺されるが我慢しろなんてことを伝えに来たっていうのか!」
 村雲は糸蘇の両肩を掴み、強く揺さぶった。品のある糸蘇の顔が張り子の牛のごとく揺れた。
 その時、村雲の背後で強い歓声が沸きあがった。
 普段の戒羅なら壬生の妖刀の犠牲になった者に歓声が上がることは無いが、今日のように処刑と扱われている場合は違う。誰しもが不次を死んで償うべき罪人だと思っているのだ。
 けりがついてしまったのかもしれないと思った村雲は慌てて、何かを思案している糸蘇をおいて、見物席へと走り出した。
『村雲』
 着物を乱して走る村雲の後ろから、糸蘇の声が追いかけて来る。
『なんとかして結界を解け。私もやれるだけのことはやろう』
 振り返ると、糸蘇の姿はとうに消えていた。

続く