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神代の子 ―鬼―

十三.

 糸蘇が神代の力で不次の命を救ってくれるらしいことは分かった。そのためには本人の言うように陰陽師が祭儀場に張る結界を、どうにかしてこじ開けなければならない。
 一度、祭儀場が見下ろせる場所まで状況を確かめに出た村雲の目には、五人の陰陽師より先に不次が映り込んだ。
 先ほどの喚声が何に対してのものかは知れないが、不次はまだ生きていた。粒の細かな雨の中、祭儀場を広く使って壬生をうまく翻弄している。犬見に用意してもらった毒を使ったのかはここから分からないが、あの調子ならまだまだ悲惨な結末を迎えることはなさそうだ。あわよくば浦春を殺してくれても、村雲としては構わない。ただ、後のことを考えれば、やはりそれはいけない。
 気を取り直して、村雲は五芒の星を描いて座る五人の陰陽師に目をやった。
 結界を破る方法は二つある。
 一つは、五人の陰陽師のうち一人の邪魔をして、結界を欠けさせることだ。しかし、厄介なことに彼らには一人につき二人ずつの張り番がついている。そして、張り番をどうにかしたとしても、陰陽師の一人が欠ければ、他の四人が気付いてしまう。この方法では、事が大きくなるのは逃れられない。
 もう一つの手段は、結界に裂け目を作ることだ。結界を崩すよりも人出が少なくて済み、上手くやれば陰陽師にも気づかれない。ひそかに不次の命を救うを言う点で、こちらの手法の方が有意義といえる。しかし、結界を裂けるのは陰陽師だけと聞く。結界は神代の力を封じているものなのだから、湖袖に助力を願っても意味がない。必要なのは陰陽師と同じ力量を持つ者だ。
 身近にそうした者がいないかと考えた時、村雲の頭の中を一つの閃光が駆け抜けた。
 伊丹が櫓にいたころ、陰陽師の役目を担ったことがあるということを思い出したのだ。
 それに気づくと同時に、なぜ老人が幽閉されているかを知った。法家は伊丹が不次の処刑を妨害することを煙たがったのだ。
 村雲は鋭く目を光らせて、内裏を量りの間の方へ突き進んだ。朽果の助力を得ることはちらりと考えたが、見物席に戻っている暇はない。今は壬生を翻弄できている不次も、いずれ体力が尽きる事を考えれば、急を要するのは言うまでもない。
 しかし、量りの間を目前にして村雲を待ち構えていたのは予想していなかった事態だった。
 量りの間を守っていたと思われる張り番の男たちが、廊下に寝ているのだ。そばに落ちている抜身の刀は、そこで争いがあったことを示していた。
「やっぱり手前も来やがったか」
 奥の間から声がして村雲は刀に手を宛てたが、手拭いでは隠しきれない四角い顔型を見て、すぐに構えを解いた。男のごつい腕が手拭いをむしり取ると、手拭いの下から出てきた顔は重箱ならぬ朽果のそれだった。
 
「頼んだ覚えはないぞ」
 祭儀場に引き返しながら、村雲は言った。
「ふん、なんだっていいさ。俺は爺さんに恩返ししただけだ」
 朽果に背負われた伊丹が顔をのぞかせる。
「しかし、わしを連れ出してどうするつもりじゃ」
「……」
 朽果はなにも言わなかった。頬被りをするほどの余裕を残しておきながら、そのあとのことは考えていなかったらしい。
「結界を裂いてくれないか?」
 村雲は静かに言った。
「裂いてどうする? 戒羅に割り込むは重罪じゃぞ」
「割り込みはしない。不次の命を救うだけだ」
「それを割り込むというに……。それに、法家の決めた処罰に逆らえば、お主も罰を負うぞ」
「……じいさん、知っていたのか」
 ――不次がこの集落にやってきた理由を。
 村雲は言葉に出さず、そう匂わせた。
「なんの、ことかの?」
 ――ここで聞くな。
 伊丹の口ぶりは、そう言っているように聞こえた。事情を知っていたのだ。
 なぜもっと早くに教えてくれなかったのかと言いかけたが、今は朽果も並走している。村雲は話を変えた。
「まあいいや。どうであれ、俺は弟子を見殺しにできない。罰なら一緒に負う」
 伊丹はそれ以上何も言わなかった。三人は周りに悟られないように厳かに、かつ迅速に祭儀場に向かった。
 どこで結界を裂きにかかるかは、さっき上から祭儀場を眺めた時に決めてあった。蒔キ式の頃合いは陽が東にある。つまり祭儀場の東側に見物席が落とす影ができる。そこならば目立たないし、祭儀場の北に構える宮司たちの本陣から遠い。
 それを分かっていたのだろう。糸蘇はそのあたりに立って村雲を待っていた。
 糸蘇に対して一番反応を示したのは、朽果だった。そこに立っている巫女に協力を望めないことは、つい昨日述べたばかりだ。朽果は見比べるように糸蘇と村雲の顔を交互に眺めた後、ついには何も言わずに背中から伊丹を下した。
「爺さん急げ。ありゃ、往生際だぜ」
 戦況を見て朽果が言う。
 不次は今こちらに背を向けている。ちょうど壬生を正面に捉えられる位置に村雲は立っていた。
 壬生を見て気付いたことがあった。壬生の体に鮮血のにじむ金創があるのだ。
 素人だった不次が一矢報いていることに感動するよりも、毒はどうしたのかと疑問が沸いた。
 不次の隠岐尚正に隙間なく塗りつけた犬見の毒はこの霧雨で流れ落ちるような水気のあるものではない。二尺二寸の切れ味を捨てるほどの粘り気の強いものだ。
 確かに、その毒を作った犬見は頼りないことも言っていた。
 壬生の持つ妖し刀も毒の一つであり、壬生は既に毒に侵されている、と。毒されている人間に毒が効くのかなど、試したことはない。やってみなくては分からないが、あてにできるとは言い切れない。それが犬見の言い分だった。蓋を開けてみれば言葉通りだったわけだ。
 不次と壬生が入れ替わり、不次の顔がこちらに向いた。鬼面の左側が欠けている。いつもの戒羅なら、勝敗が決するものだ。今さら確かめることでもないが、やはり法家は不次を殺すつもりなのだ。
 壬生の荒ぶる刃を不次は巧みに交わしているが、祭儀場の隅に追い詰められてもう後がない。身に着けていた布袴(ほうこ)は殆ど原型がなく、体の表皮に創られた無数の傷から流れる血が不気味な斑模様になっている。あれほどに脚を傷つけられては普段通りの動きも取れないはずだが、不次の動きはそれを感じさせないほどだった。
 神代ではなくても、人が人の力を超えることがある。死にもの狂いという人に残された最後の野生が、人に人ならぬ力を与えるのだ。それを果敢とするか憐れとするかは見る者による。しかし今は、その有様が伊丹という一人の老人を動かした。
「村雲。小太刀を貸せい」
 伊丹は村雲の手から小太刀をひったくると、切っ先で己の喉を掻き切るように構えなにやら唱え始めた。横では糸蘇がいつもの術を唱えにかかっている。
「おい」
 今度は朽果が村雲の肩を叩き、指を差した。
 示した先で、槍や刀を手にした張り番が五人ほど右往左往している。伊丹を連れ去った人間を探しているらしかった。今四人がいる場所は内裏が影を落とす目立たない場所だが、遅かれ早かれ気付かれる。
 張り番の人間たちが手だれと聞いたことはない。戦乱地ではないこの辺りの兵士など、たかが知れているもので、月に一度以上は死線を潜り抜けている村雲や朽果に比べれば、大したことはない。
 とはいえ、このままわらわらと数が増えて、大事になるのは困る。伊丹と糸蘇の身上を考えれば、ここを戦場とするわけにもいかない。
「俺が行ってやる。手前はここにいろ」
 四角い顔を器用に手拭いの中に収めながら、朽果が飛び出して行った。
 村雲は朽果に感謝をして、再び不次を見た。
 戦況はさらに悪くなっている。不次は明らかに腹に深手を負い、命からがら生き延びているようだ。それでもなお姿勢を崩さずに居られるのは、見事としか言いようがない。きっと横になっても辛いはずだ。
「できたぞ」
 村雲が手に汗を握っていると、伊丹が言った。
 伊丹に手渡した小太刀が薄氷を帯びたかのような輝きを抱いている。
「いつでも結界を裂ける。じゃが、この小太刀では長くはもたぬ」
「爺殿。それはどれほどの間か?」
 口早に糸蘇が訊く。
「十を数える間じゃ。それ以上は保てまい」
「承知。
 村雲、合図を頼む」
「どこで知らせればいい?」
「不次殿の命が尽きるその時から、十をさかのぼったところだ。伊丹殿は合図があったら結界を裂いていただけるか?」
「よかろう」
 二人が示し合わせる横で、村雲は分かったという他になかった。糸蘇の指示を理解したわけではない。はっきり言って、十数えたら不次が死ぬその数えはじめをどこで見極めればよいのか、まったく分からない。
 これは運だ。賭けるしかない。腹をくくり、不次を見守る。
 不次は教えもしない体裁きで、見事に壬生の刃を交わしているが、壬生の太刀筋の半分は体を掠めてどんどん傷を増やしていく。晒されやすい右腕は全ての皮が削がれてしまったように真っ赤だ。
 そして、勝敗を決定づける事柄はやはり不次の身に訪れた。ワッという見物席の喚声とともに、不次の左腕が飛んだのだ。
「まだか!」
 絶体絶命のあり様に伊丹が叫ぶ。
「まだだ!」
 村雲も叫んだ。
 不次の脚はまだ地面をとらえているし、まだまだ目が死んでいない。割れた鬼面から覗ける顔は、左の瞼が切れて表情が判別できないほど血に塗れていたが、眼光は鬼火を宿したかのように鋭くある。
 その様を見て、村雲はハッとした。
 不次は死にもの狂いで、人の限界を超えて動いているのだと思っていた。しかし、それは違うと気づいたのだ。不次を支えているのは、人に残された最後の野生でもなんでもない。壬生の背を飛び越えてはるか向こうに座している、浦春に向けられた曇りのない憎悪だ。憎悪から生まれた執念だけが、不次を支えているのだ。
 復讐の鬼。
 浦春の最も恐れている化け物が、そこにいる。
 不次と浦春のどちらがより生きた心地がしないか。同情するつもりはなくとも、それを感じることができる。もし殺気がそのまま刃渡りになるならば、不次の刃はとっくに浦春の腹まで至って背に突き出ているはずだ。
 鬼だ。目の前に鬼がいる――。
 村雲は一瞬自失した。
「村雲!」
 伊丹の叫び声が気付けとなって、すぐに我を取り戻し、再び戦況を見る。
 不次の目はまだ炎をたたえていた。しかし、その目が浦春ではなく壬生を見、再び浦春を見た時、村雲はついに言った。
「今だ!」
 不次が右手に握った隠岐尚正ともに壬生に飛びかかり、祭儀場は再びの喚声に包まれた。目を背けた者も多くいただろうが、村雲も伊丹も糸蘇さえも不次の躰が上げた血しぶきの一つも見逃さなかった。
 村雲の横で伊丹と糸蘇が口を動かしている。糸蘇の念仏はちょうど十を数える間中続き、最後に小太刀が折れる音を残して掻き消えた。
 血煙が晴れると、そこに横たわる不次の体が見えた。

続く