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神代の子 ―鬼―

十五.

「しかし、爺さん。それでいいのか? あの女は仮にも法皇の……」
「厄介者だそうじゃ」
 息女だろうと言おうとしたところにかぶせて、伊丹が言った。
「それはどういうことだ?」
「言葉のままじゃよ」と言った後で伊丹は続ける。「いくら戒羅を取り仕切る法家の息女とはいえ、度が過ぎたのじゃろう。浦春がいくら正室の子だったとしても、ただ一人の子というわけではない。のさばらせておけば、遅かれ早かれ法家の内々に亀裂が生じる。法家の中にも派閥があるからの。一人の子だけ好き勝手にさせておくわけにはいくまい。そこで、いつかケリをつけることを考えておったそうじゃ」
 それを聞かされると色々なことが頭を駆けて、村雲はついに座禅を崩した。
 浦春が邪魔になっていたというのなら、いつかケリをつけるなどと悠長に構えていないでとっとと始末してくれればよかったのだ。それだったなら、禄は無理でも不次は復讐など考えずに済んだはずだ。そればかりか、浦春の始末を戒羅の場に持ち込んで護国豊穣という大義とは全く関係のないことをやっている法家も、結局は浦春と同じではないか。
 村雲は胡坐のまま畳の上に体を倒し、ダルマのように転げた後で足を解いた。
 梅雨の戻りは朝の空気だけを濡らして再び去ろうとしている。雨はかすかに降り続いているものの、屋根から垂れる雫の方がはるかに地面を湿らせる役を買っている。その雫が一滴、二滴と落ちるのを見ながら、村雲は事が始まった時のことを思い浮かべた。雨と座禅と老人が一つの組になっている自身の習慣を思えば当たり前のことだが、不次の話を聞かされたのもこんな日だった。
 天井に目を向けたまま、村雲が言う。
「……なあ、爺さん」
「なんじゃな」
「爺さんは知っていたのか?」
「……禄と不次のつながりのことかのう?」
 村雲は伊丹の言葉を待った。
「知っておった」
 老人はそれ以上の言葉を持たず、すっくと立ち上がった。詰問を受けるつもりはないと言わんばかりの勢いだった。
 老人の丸まった背中がひょこひょこと上下に動きながら遠ざかっていくのを見送った後、村雲はまた天井を見上げて思案した。
 不次と禄の関係を知っていたというのなら、不次がここへやってきた目的も当然知っていたのだろう。直接問いただしたかどうかは定かではないが、何も知らずに村雲の所へ送り込むほど、伊丹も呆けていないはずだ。そして不次の目的を明かしてくれなかったという事実は、伊丹が不次の復讐を止めなかったということを如実に表している。それでも伊丹は、あのような事態になることまでは想像していなかったに違いない。分かっていたなら、さすがに止めさせていたはずだ。
 結末を見れば、伊丹には不次の処刑を止めることができなかった。では、村雲が事態を収拾できたとすれば、それはいつだったろうか。もしも不次が浦春を偵察する前に、村雲が言い留めていたら結果は変わっただろうか。考えては見たがそうは思えなかった。遅かれ早かれ、法家は不次の正体を見抜いていただろう。そうなると壬生との試合が組まれるのが早いか遅いかで、やはり同じ道を辿っていたに違いない。
 考えれば考えるほど、不次を“逃がすことができた”のは己の採った行動が首尾よく働いたからだと、自分で自分をほめるしかない。
 本当のところ村雲は、不次が逃げるのに一役買っていた。もちろん、振り向いた時には不次の姿が見えなかったのは事実だ。だが、それは比喩ではない。不次は実際に姿を消したのだ。種を明かせば、それは村雲が犬見と戦った時に先方が踏みつけて姿を消した、例の置き札である。運よく生きて戒羅を終えることができたら張り番の手から逃れるために、犬見から頂戴したものだった。
 不次が姿を消した後、赤黒い血で草履の藁の目がくっきりと浮かび上がった置き札が残されていた。村雲は張り番が近寄る前に札を拾い、一思いに呑み込んでやった。紙よりも砂利よりも濃厚に鉄の味がした異物は、村雲の胃袋で“食中り”のもとになってくれたわけだ。
 今、村雲の胸中にあるのははっきりとした悔いだ。不次を逃がすことができたが、世間の色々から救ってやれたわけではない。救ってやれなかった悔いが残っている。
 天井に不次の顔が浮かび上がって消えた。記憶の中の不次は、やはり鬼だった。血に染まった顔の中で鋭く光る眼差し。寓話や伝説の中でしか聞いたことのない化け物の顔が天井にある。一人の青年だったころの顔を浮かべようとしてみても、浮かぶのは禄の顔ばかりだ。
 忘れようとして村雲は頭を振った。すると不思議なことに、次いで天井に浮かんだのは浦春の顔だった。何故かかつて思っていたほどの腹立たしさが沸いてこない。長い人生の中で一瞬にも満たなかったあの短い触れ合いが、浦春の印象を変えているのかもしれない。
 時が経ってから気づくこともある。あの時の浦春の様子は、初舞台に駆り出された乙女のようにオドオドとしていた。薬術で人を殺すような人間なら、あのような態度はまず取らない。人を殺めたことがある者とそうでない者のれっきとした差だ。それに、死ぬ間際に見せた黒い瞳も忘れられない。戦い手が死ぬことも稀ではない戒羅の場において、人を看取ることは少なからずある。それでも、あのような目をした死人を、村雲は知らなかった。それだけに印象が深い。
 何か大きな思い違いをしているのかもしれない。それが村雲の胸を騒がせているぼんやりとした勘だった。
 その勘が当たっていると言いいたのか、はたまた間違っていると言いたいのか、下っ腹がキュルリと言った。胃袋が食べ物を欲しても、腸はまだ出し足りないらしい。
 厄介な痛みを思い出す前に厠に行こうと起き上がった時、村雲の横に座り込んだ者がいた。昼間っから酒臭い息の持ち主は、顔を見なくても誰だか分かった。今日はお供を連れていないらしい。
「三日も面を見せねえから、何かあったのかと思ったぜ」
「なんだ。心配してくれてたわけか」
 朽果は「けっ」と言った。
「誰が手前なんぞの。俺としちゃあ、厄介な敵は減ってくれた方が助かる」
 言ってやったとばかりにふんぞり返る朽果を見て、村雲はおかしがった。普段は村雲のことを歯牙にもかけないように扱っている朽果が、たった今、人の耳にも聞こえるほどの大声で村雲を厄介な敵と認めたわけだ。
「何がおかしい」
「いや、何も」
 顔をそむけたが、どうにも笑いがこみあげてくる。顔を歪めて堪えるとそれが腹に響いて、腹に残った墨の顔まで歪む。
「ふん。そんなことより、こないだの件だ。ありゃ一体、何がどうなって、どうなったんだ。不次をどこに隠した?」
 朽果が酒気を吐きながら押し迫ってきた。
「まあ、落ち着け」
 知らない方が良いと答えて<はぐらかす>つもりでいるとはいえ、朽果も大いに巻き込まれた人間の一人なのだから、真実を教えないのは少し酷いことだ。村雲は人に落ち着けと言いながら、いくらか浮足立つ嘘を言う決心をした。
「俺もよく分からないんだ」
「……ふうん」
 朽果は不満そうに言い、村雲の顔をにらんだ。しばらく続くかと思ったが、すぐに止めてくれた。
「それなら仕方がねえ」
 諦めた後で、朽果がぽつりと言った。
「しかし、腑に落ちねえ」
「なにがだ」
「今回のは過去の怨恨だと爺さんに聞いたが、どうもなあ」
「どうも何だ」
「……手前は糸蘇と同郷だと言ったな。もしその糸蘇が禄と同じような目にあって、手前は仇を取るか?」
 同じ立場だったらどうするか、しかめっ面の朽果を見ながら考える。不次のように復讐しようと考えただろうか。しないかもしれない。同郷とは言っても、しっかりしたつながりが糸蘇との間にできたのは最近のことだ。
「例えにならん」
 村雲が顔をそむけると朽果は「堅え野郎だ」と言って立ち上がった。
「俺は錆止と同じ国で育った。けど、錆止が殺されても、俺は報復しねえ。薄情なんじゃねえぞ。死ぬ死なねえは独りの結末だ。受け止めてやるのが相棒の務めってもんだと思ってる。こいつは、錆止も同じだ」
 それだけ言うと朽果はどかどかと足音を立てて出て行った。村雲も少し転がったあとで、料理屋を出た。
 朽果が叩きつけた疑問はしばらくの間、心を占めた。仮に自分と糸蘇が唯一の生き残りだったとして、どうするかを考えてみる。しかし、どんなに想像力を逞しくしても、それは想像にすぎない。村雲の故郷は今もあるし、些細でも災害にあった話は聞かない。朽果と錆止が同郷だとは初耳だが、それでも背景は異なるはずで、不次の行動を一言に糾弾できるものではない。やはり当事者になってみなければ、本当のことは分からないのだ。
 壊滅した集落のたった二人の生き残り。その絆は親兄弟よりも深いのかもしれない。親を亡くしたのが幼ければ幼いほど、深くもなろう。朽果が否定した復讐を、村雲には肯定できる気がしている。ただ、今回のやりかたは謎が残るのも事実だ。
 不次は禄と血が繋がっていないことは伊丹から聞いた事実である。どう間違っても、赤の他人であることに違いはない。限りなく遺族に近い存在かもしれないが、遺族ではないのだ。部外者には物事を冷静に見る力がある。実際、禄が殺されてから一年もの歳月を空けてこの集落にやってきたというのは、そうした冷静さがあったことの証しと言えるはずだ。しかし、この集落に来てからの行動はどうだろう。浦春を偵察した揚句に衛兵とのいざこざを招いて、全てが露見する騒ぎになった。あまりに軽率ではないか。
 賢く復讐を謀るなら、禄殺しの事実を噂としてばらまくだけでも良かった。世間体を意識する法家なら、いかに身内の不始末といえども、戒羅の出入りを禁ずる等の処置を構えたはずだ。どうしても手に掛けなければ気が済まなかったというならば、偵察などせずに大人しく戦い手として勤め続けて姫守に上がり、番が回ってくるのを待てばいい。贄姫の人数は少ないのだから、一年を待たずに機会が訪れよう。贄姫を殺めればどのみち死罪となるが、壬生とやり合うよりは随分ましだ。それとも、禄が死んでからの一年は待てても、さらに一年延びることは待てないというのだろうか。
 小渕辺の山里。禄は生まれ故郷のことをそう語っていた。村雲の郷里は少なく見ても百世帯はあった。山間の里というのだから、それより多いとは思えない。少ないからこそ、結びつきも強かった。そう考えると朽果の腑にも落ちてくれるかもしれない。しかし、それほど結びつきの強い里とはどんなものなのだろう。
 考えている間に、屋敷についた。着くなり、敷きっぱなしの布団の上にあおむけに寝転ぶと部屋の天地がひっくり返って見えた。このまま考え直せば不次の意図も分かるのかもしれない。ただその前に分かったのは、布団がとてつもなく湿っていることだった。暑さと腹痛でかいた三日分の汗をしこたま吸った布団だ。布団から汗が絞れるなど訊いたこともないが、今ならできそうだ。
 雨は既に上がっている。影の多い東向きの庭に干すのは心もとないが、このまま夜を迎えるよりはいいだろう。
 村雲は布団を抱えた。そこでようやく気が付いた。
 不次が持ち込んだ荷物がない。
 昼前まであったのは自分の目が知っている。何のことはない一抱え程度の荷物だったが、確かにそこにあったはずだ。
 一度抱えた布団を放り出して、村雲は注意深く不次に貸していた部屋に入った。当たり前のことだが、ひと気はない。いくら病み上がりだといっても誰かが居ればさすがに気が付いている。それでも、ここが他人の屋敷であるかのように村雲は用心深くなった。頭の中に浦春を殺した時の不次の姿をちらつかせながら、村雲は部屋を見回した。目に留まったのは、きれいに片づけられた部屋の片隅にある小箪笥だった。その上に、書置きと二尺二寸の太刀が取り残されるように置かれていた。
 手早く広げると墨のはっきりとした文だった。字面が崩れかけておどろおどろしく見えるのは、片腕を亡くしたせいだろう。利き腕が残っても、腕一本では紙が抑えられないのだ。
 師匠へ、と記された表書きをめくると、内容は極めて短いものだった。読むというほどの内容もなく、見ただけで十分に分かる。世話になった、ここを出ていく、とそれだけの内容だ。村雲は紙の裏と四隅をまんべんなく改めて、一息吐いた。
 あのような結末の後に、ここへ戻ってくることは期待していない。この集落を出てどこへ行くとまでは書かれていなかったが、察しはついた。故郷に帰るのだ。不次の故郷は同時に禄の故郷でもある。きっとそこで、今回のことを報告するはずだ。禄の墓はこの集落にあるが、魂が帰るのはそこではないことぐらい分かっている。
「なんだったのかな」
 村雲は書置きを握ったまま座り込んで呟いた。
 不出来な弟子を一人送り出したというような感傷には浸れない。体いっぱいに感じているのは、役目を果たした脱力感というより、ただの疲弊感だ。
 浦春が不次にとっての仇だったからと言って、無下に殺していい連中ではない。この集落があって、人々が戒羅に没頭していられるのも法家が国を支えているからなのだ。しかし、復讐心に駆られた不次にとって、そんなことはどうでも良かったのだろう。この集落に来た目的が報復だったのなら、説いて伏せるだけ無駄だったのかもしれない。
 結局のところ、不次を悪く思いはしないが、良いとも思えず、振り回されたというそれだけが村雲の感じる後味だった。鬱屈とした気持ちを誰かに当たるとしたら、全てを知りながらに不次を戦い手として招き入れた伊丹ぐらいのものだ。ただ、村雲には年寄りをいびる趣味はない。
 文にある「ここを出ていく」という言葉が持つ意味は、帰るということの他にこの集落にはもう用がないということも示唆している。
 遠路はるばる戒羅にやってきた不次という若者が、法家の息女を殺めるという目的を果たして出て行った。その過程で若者は鬼になった。あるいは、不次という若者が志半ばで命を落としたが、鬼となって志を遂げた。その方が事実に合っているだろうか。
 いや、違う――。
 不次は鬼だったのだ。ここに来るずっと前から。それは、そう、禄が殺されたと知った時から。
 つまりは、鬼を養い、戒羅に連れ出す役を村雲が果たしたわけだ。戦い手ではなく鬼手でもなく、本物の鬼を導いていたのかと考えたところで、思考を閉じた。己がどう関わったを考えれば、考えるほどに気が滅入っていく。そうしたところで何も得ることは無い。そう思ったのだった。
 気を吐いて勢いよく立ち上がると、不次に授けた二尺ニ寸の刀が目についた。
 朱鞘の中には血で曇りきった刃が隠されていることだろうと、おもむろにつかんだ鞘からは柄がゴソリと落ちた。刃が根元のニ寸を残して折れている。鞘の中を覗き込んでも、刀身は入っていなかった。
 あの時を思い起こす限り、刃は最後まで繋がっていたはずだ。もっとも、実は大事なく見える刃に無数のヒビが入っていて、納刀の拍子に折れてしまうこともある。もしかしたら、浦春殺しの証拠を隠すために不次があえて折ったのかもしれない。残された二寸の刃に血曇りはなかった。
 今や、それもどちらでもいいことだ。いくつかの疑問は残るが、追いかけても仕方あるまい。不次は目的通りに禄の仇を取り、故郷に帰ったのだ。
 村雲は、朱塗りの鞘が返り血を浴びた不次の姿を思い出させるその前に、欠けた刃を鞘に収め、押入れに押し込んだ。

―鬼― 完