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神代の子 ―守―

巫女に仕える者、世を照らす主を守らんと鬼に挑む――

一.

 領地の大半が盆地に載っている香治(かな)の国は、都を盆の中央に置いている。何の捻りもなく香治盆地と名付けらえたこの土地は、世の中に高山と呼ばれる山々の中腹程度の標高があり、当然のこと盆を縁取る山も高い。東の一帯に長々と山根を下ろす龍臥峰(りゅうがみね)と、北の空を大きく占める白大羽山(しろおおばやま)は、ともに前人未踏で、白大羽山から西を迂回して南まで連なる霞辺(かすみべ)山脈は、南の海から上がる湿気が山を越えて降るせいで一年中霞が立って視野が狭く、どこもその日の気分で踏み入れられる土地ではない。
 香治盆地に向かう道は山を迂回する二本に代表される。一つは盆地の南東にある道で、盆地を盆に見立てた時にちょうど縁が欠けた様に見えていることから、縁欠道と呼ばれている。縁欠道は海に面した小さな漁村を始点にし、都に魚介を運ぶという点で民の生活を大いに支えていた。もう一つは龍臥峰と白大羽山に挟まれた北東の峠道だ。南東のそれに比べて広く、他国にも通じるその道は香治路と称するのにふさわしいものだ。
 都からは、香治路とともに北東へ平原が伸びている。その端にある平端(ひらばた)村は香治にとって益を生み出す重要な拠点だった。その事実は今も変わらないものの、悲しいことに平凡すぎた村の名をきちんと呼ぶ者はいなくなった。今や大概の者が、そこを“戒羅の集落”と呼ぶ。村の賑わいとは裏腹に、かつての名が忘れられていくというのは、先祖代々住み続ける者にとって寂しいことでもあった。集落に住む者の八割が余所から流れてきた戦い手だということも、その寂しさを一押ししていることだろう。国の万事を仕切る斐川(ひかわ)法家が、都の鬼門にあたる平端村を国の要所と名指して人を集め、社を集めた結果のことだけに、文句を言えないまま押し黙っている者たちも少なくない。しかし、そうした者たちも、同時に集落で動かされる巨大な財の配当は得ていて、一概に不幸と決めつけることはできない。この集落は、先住民を含めて様々な者が様々な思惑で働いているのだ。
 季節は晩秋を過ぎ、龍臥峰と白大羽山は十日ほど前に揃って雪をかぶった。白大羽の名の由来は、この時期に知ることができる。山頂と尾根の形が成す雪の白が、ふもとから眺めると大きな二枚の翼に見えるからだ。対して龍臥峰は雪が降っても何かが浮かび上がることはない。その代り、南に頭を向けて伏せる龍のような形をした――鬼が伏したという者もいるが――龍臥峰には、冬至のころに龍の頭部から日が昇る時期がある。龍臥峰を霊峰とする法家の社は、冬至の前後十日ほどを龍頭季(りゅうとうき)と名付けて祝う決まりがあった。龍頭季の賑わいは結構なもので、十日の間寂れることなく続き、蛇尾に尽きることはない。当然のこと、法家の影響力が大きいこの集落にも龍頭季の賑わいは訪れるが、それは季節的にもう少し先のことである。
 二つの山が雪を被ると、当たり前のように井戸水は冷たく凍みるようになる。そればかりか、二つの山からは冷たい風も吹き降ろして、ちょうどこの集落のあたりで混ざるようになる。そのせいで、急に冷え込みが増すのだ。香治路の通過点にありながら、旅客以上に薪木売りが出入りするのもこの集落の風物詩と言えた。
 その強い寒気のおかげで、集落で執り行われる戒羅にも一つの苦行が加わる。それは正装へ着替えることだ。着替える場所は火の気がないどころか、扉もない。外に立つ張り番がいつでも中の様子を確認できるようにするためにそのようになったらしい。その理由がどこにあるのかと言えば、戒羅での処刑が決まった罪人が逃亡するのを防ぐためだ。迷惑を被っているのが、戦い手であることは言うまでもない。
 大安の今日、四番目の実リ式を終えた戦い手たちが続々と入ってくるのを、錆止は控えの間の片隅で見ていた。手傷の度合いを見ていると鬼手が負けたのだろう。一人は悠然としているが、残りは足を引きづったり腕が上がらなかったりと散々だ。そのうちに怪我だらけの一人が三人分の割れた鬼面を置いたことで、錆止は推察が当たっていたことを知った。
 三人の鬼手と一人の姫守は口々に試合を総括し始めた。毎月数人が新たな戦い手として集落に入ってくるが、それを除けば大部分が顔見知りなのだ。三人を相手取った姫守は鬼手たちと比べて明らかに別格でも、鬼手たちの一人とは付き合いが長いらしい。「同じ手は二度も食わない」とか、「今日は調子が悪かった」とか馴染みを感じさせる言葉が飛び交った。残る二人の鬼手も、彼らに誘われるようにして会話に加わっていった。こういうことのあって、戦い手たちは個々の功を争うようで、実は結託している。昨日の敵は何とやらというわけだ。もっとも、これから錆止が相手にする鬼手は、その例から漏れているが。
 どことなく四人の言葉が震えているのは、やはり寒いからだろう。実リ式を終えたばかりといっても、戦いを終えた後の祭儀があるせいで、温まった体も冷えてしまう。口を動かしたくなるのも納得がいく。しかし、四人のおしゃべりはどうも長かった。早く退いてくれないと錆止が着替える場所が無い。後を急かされているわけではないにしても、人の着替えを長々とみているのも楽しいものではないし、そんな下種な趣味もなかった。たまりかねて、わざとらしい咳払いをすると、一番近くにいた若者が振り向いて会釈をした。男の名前は知らないが、錆止の名前は知られているらしい。姫守の頂点と言われるところまで上り詰めてきたわけなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「うげっ」
 若い男が錆止を気遣っていると、入り口近くにいた別の男が泡を食った声を出した。
 部屋の外には壬生が立っていた。今日最後の戒羅、納メ式の鬼手と姫守が四人を挟んで対峙した形だ。ただし、壬生の生命線ともいうべき禍差は祭儀場で初めて手渡されるために、ここでは手ぶらだ。
 丸腰の壬生は初めて見る。寒さも忘れて半裸のまま棒立ちしている四人も同じなのだろう。壬生は杖を落とした老人のようにオドオドとして伏し目がちだった。戒羅で兇刃を振り回している姿からは予想もつかない有様だ。
 遠慮がちに立っていた壬生は、背中を張り番に押されて部屋に入ってきた。
「さっさと支度しろ。愚図め」
 張り番が壬生に浴びせた罵声は実リ式の四人にも効いたようで、四人はそそくさと衣を変え、帯を締めながらに出て行った。
 控えの間には、錆止と壬生だけが残った。
 錆止はここぞとばかりに壬生を観察した。窪んだ眼窩の下に拵えた目のくまと極端に白く干からびたような肌の色。ひと月の断食不眠を貫いたようにも見えるが、不格好な猫背のせいで、覇者がまとうような気の強さは全く感じられない。ただの食にあぶれた乞食のようだ。少し観察しただけで壬生の人となりを知るには十分だった。なるほど、多くの戦い手が恐れる壬生は、愚図と罵られるだけの要素を持っている。こちらからじっと視線を向けていると、壬生は一切こちらを見ようとせず、視線の置きどころを探してあちこちを見ていて、その視線が錆止の耳辺りを掠めることはしても、決してこちらの目は見ない。そのくせ錆止が見るのをやめると、ちらちらとこちらを窺うような気配がある。まるで親に叱られた子供のようだ。
 怖いのであろうか、と錆止は思った。他人に遭遇すれば「うげっ」と言われ、張り番からは愚図と叱り飛ばされる。集落を歩いている姿は誰も知らず、近しい人がいるとは聞いたこともない。孤独なのだ。禍差に任せて人を斬っているときはそれを忘れもするが、ひとたび丸腰になると孤独を感じ、いつか復讐されるのではないかと恐ろしくなる。いまの壬生を見ているとそう思えてならない。
 正直なところ、錆止は壬生の隠された人物像を予測していた。もともと、祭儀場にいる時の壬生は、禍差を渡される前でさえ毅然と振る舞っている――というより振る舞わされている――ために、あまり参考にはしていなかった。壬生本人が実は弱い人間だと確信したのは、今から半年ほど前のことだ。
 それは、壬生が不次という鬼手と戦ったときのことだ。戒羅としての決着がつき、壬生が禍差を手放した後に、壬生はもんどりうって倒れた。後で聞いた話では、毒によるものだとのことだったが、その時の有様と言ったらなんとも情けのない具合だった。奇天烈な悲鳴を上げて体をよじり、とても“勇ましい”戦い手の態度とは言えなかった。その時は浦春と言う法家の息女の身に起こった出来事の方が大きく扱われ、壬生の振る舞いが取りざたされることはなかったものの、その後の壬生と張り番のやりとりも錆止は目撃している。壬生は何度も謝罪していたのだ。身分に優劣のないはずの張り番に向かって。
 所詮、壬生と言う男は法家が仕立て上げた鬼役にすぎないのだろう。錆止の壬生を評価する目はその時からそのように変わった。それは不次の一件が起こる前から、兄貴分の朽果が見立てていたことでもあった。
 だからといって、これから望む壬生との一戦が錆止にとって何の意味もない無価値なものかと言うと、それは違う。むしろ壬生が禍差の操り人形であることが分かったことで、この戦いにかける錆止の気持ちが一層高まったと言っていい。
 錆止がこの集落に戦い手としてやってきた理由の一つが、壬生の扱う禍差にある。
 禍差と言う呼び名は“禍(わざわい)を招く太刀”という意味に由来している、と集落に来た者たちはよく耳にする。それが事実でないと知っている者はほとんどいない。錆止と親交のある姫守の一人、村雲でも間違ったことを不次に教えていたほどだ。
 由来に従えば、マガサシのマガは“禍”ではない。字面だけならば、“勾差”となり、それは略された呼び名に過ぎなかった。
 勾玉飾黄金菱連一差(まがたまかざり こがねびしつらねのひとさし)――
 今では、装飾のない地味な木の拵えに納まる妖し刀へと化けたが、かつては勾玉と黄金で飾られた絢爛豪華な一太刀だった。そしてその刀こそが、数年前に錆止と朽果の祖国、下津留(しもづる)の国に贈呈され、破滅へと導いた呪いの太刀なのである。
 見物席の賑わいが聞こえ始めた。それは納メ式の開始が近いという合図でもある。
 錆止は壬生の観察を止め、正装への着替えを始めた。錆止の首には巾着がぶら下がっている。肌身離さず貴重品を持ち歩いているわけではない。擦り切れた麻の巾着袋に入っているのは社寺で買った札ではなく、集落の行商人から貰い受けた金色の鱗だ。風水において希少的価値のあるその奇妙な物を、錆止は御守り代わりにしていた。そのことは全幅の信頼を寄せる朽果でさえ知らないことだった。
 戒羅に挑む姫守としての装束を身に着けた後で、錆止は衣の上から御守りを握って瞑想する。頭の中をよぎるのは、懐かしい主君の顔と故郷のことだ。
 納メ式の召集をかける小太鼓が内裏に響き渡った。外の賑わいが一層大きくなる。錆止はゆっくりを目を開け、祭儀場へと足を運んだ。壬生は錆止の後ろから、張り番につつかれて曲がった背を伸ばし、静々と付いてくる。なんだか、張り番と二人で壬生という罪人を連れて歩いているような、奇妙な錯覚に陥った。張り番の後ろを歩く宮司の手に納まっている禍差は、さしずめ介錯刀と言ったところだ。ふざけた思いつきに、錆止はくすりともしなかった。
 祭儀場には既に名賀糸蘇(ながのしそ)がいた。浅い藤色の衣が、いつもよりも赤みががって見えるのは冬の日没が早いせいだろう。ひと月前の今時はただ青かった空が、この時期は既に夕焼けを意識した色づきになっている。
 糸蘇が錆止を視界に認めるなり礼儀良く頭を垂れた。
 贄姫に糸蘇、鬼手に壬生を迎える組み合わせとなった時、姫守にとって糸蘇は命と同じ重みがある。これまでに壬生と刃を交えたすべての姫守が、禍差の犠牲となって致命傷を負い、糸蘇の持つ力に命を救われたきたのだから、何も大げさなことではない。村雲が語るに、糸蘇という女の性格からして考えられないことだそうだが、万が一、糸蘇の機嫌を損ねるような真似をして見捨てられてしまっては、あの世逝きになってしまう。だから、殆どの姫守は礼をされる前に礼をするものだ。
 錆止は糸蘇に合わせて少し頭を垂れる程度にとどめた。万が一の時に殺してくれてかまわない、と言っているわけではないし、万が一の時は来ない、と言いたいわけでもない。全ては糸蘇の行動を観察するためだ。
 糸蘇に積年の恨みがあるわけではなかった。糸蘇の名を知ったのはこの集落に来てからのことで、直接的なつながりはなく、間接的にも『知人の村雲にとって同郷の人間』という遠いものだ。ただ、錆止には一つの所以がある。
 この集落に来て、戦い手として歳月を費やすこと五年余り。その長い年月がこの納メ式で報われるわけではないにしても、今日が大きな一歩となるはずだ。そのためには壬生を、禍差を持った壬生を倒さねばならない。
 錆止は無意識に御守りを握り、心の中で主の名を呼んでいた。波織(はおり)様、と。

続く