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神代の子 ―守―

二.

 初めに妬み、次にあざけった。そのあと再び妬みに変わったが、今や信頼に変わっている。字川(あざかわ)の国の二の若君、入部文継(いりべ ふみつぐ)に対して抱いた感情を中心に過去を振り返ると、そうなる。
 文継という名が錆丸(さびまる)の人生に登場したのは、自身が仕える下津留(しもづる)泉家の姫君、波織(はおり)の許婚としてだった。そのために錆丸は――立場違いの身とはいえど――主が奪われるのではないかと、幼さゆえに妬んだのだった。当時、錆丸は十二歳。波織は九つだった。
 部屋に閉じこもっては絵巻物ばかりを読みふけっていたその頃の波織は、父親の八代目洲汪帝(すおうてい)が勝手に決めた許婚を受け入れることができず、文継を拒んだ。普通ならば考えられないことだ。どこの国でも姫の婿は親が決めることで、波織には拒む権利などない。憤る八代目の陰で、錆丸はほくそ笑んでいた。
 当の錆丸は、波織の従者に過ぎない人間だった。常に付き従い、有事の時に命を護る存在にすぎない。それなのに、二人はこっそり庭に出ては、隅に咲く花を摘んで押したり、池の鯉に餌をやったりして遊んでいたもので、波織と錆丸には主従を超えるつながりが生まれかけていた。当然のように、注意も受けた。名前にある“錆”の一字は思いつきで与えられたものではない。それは、泉家に関わる暗殺や強奪といった闇に潜む汚い事柄ばかりを専らとする“廃れ者”の一人だという証しだった。泉家のために身をやつし、廃れてもよい存在。それが、廃れ者の由来とされている。波織の傍に仕えるのも、“影人”と呼ばれるの役目の一環に過ぎず、錆丸は御所に出入りする者たちの中で最も身分の低い、下々にすら含まれない存在なのだ。
 錆丸の人生における文継の登場は一度きりに終わらなかった。洲汪帝がしつこかったのか、文継が一途だったのか、二人が再び顔を合わせる機会はすぐに設けられ、以後、波織は定例的に文継との会合を持たされた。波織に付き従えど表に立つことは許されない錆丸は、常に屋根の裏や床下あるいは物陰に潜み、蜘蛛に蟻に百足にばかり好かれていた。廃れ者の理を知るにつれ、波織と隠れて遊ぶことは減っていき、錆丸は暗くて湿った世界から、陽の下で赤く染まっていく波織と文継の頬を眺めるのが務めとなった。
 幼いころから聡明だった波織も、すべてが分かっていたのかもしれない。錆丸と想いあっても互いのためにならない、と。だから洲汪帝の決め事を受け入れ、文継のもとに嫁ぐことを決めたにちがいない。錆丸にもそれが分かっていたからこそ悔しくて、それが再びの妬みとなった。そして、その侘しさに向き合って初めて理解した。所詮、己は廃れ者の一人なんだ、と。波織姫が光だとすれば、自分は影でしかないのだ、と。
 波織は十二にして下津留の泉家を出て、字川の入部家に居を移した。
 影人には、一生涯決められた人間を守ると言う決まりがある。齢の近い者が選ばれるのもそのためだ。なぜそこまでして泉家の人間を守るのか。錆丸は不思議に思って頭領に聞いたことがあった。すると頭領は、泉家にはどうあっても守ってゆかねばならない血が流れているからだ、と謎解きのような答えを聞かされたのだった。
 ともかく錆丸も決まりに従って字川へ同行することになった。ただし、相手方に素性を明かすことはなく、表に出ることもない。もし何らかの出来事が起こって、錆丸の存在が知られることになっても、波織は知らないと惚けるのが決まりだ。結果として錆丸自身は賊として捕まり、処罰を受けるのが定めとなる。
 波織はというと、それを嫌っていた。廃れ者でも物心がついた時から傍にいる錆丸のことを、身分とは関係なしに見殺しにすることなどできないと言ったのだ。
 錆丸は喜んだ。しかし、次の一言が余計だった。文継ならば錆丸の正体を明かしても受け入れてくれる、と波織は言ったのだった。
 一瞬にして興ざめした錆丸は、その時初めて主人を叱った。どんなに文継が信用に足る男だったとしても廃れ者の存在を他人に明かすことは禁じられていることだ。そんなことをすれば、文継が口封じのために他の廃れ者に殺される。それでもいいのか。
 しばらくの間、波織をふてらせた出来事だったが、意外にもそれが錆丸の心を文継に開かせる発端となった。それまで錆丸の心に同居していた波織に対する二つの思いが、一つに絞られたおかげで、文継を波織の伴侶と認めさせ、錆丸の立場を明確にしてくれたのだった。波織がいつの間にか文継に傾倒していたことも、不思議と嬉しかった。
 文継を冷静に見られるようになってから、彼が好人物だと分かった。もとより、その時で既に三年以上も観察してきた人物のことだ。悪意のない人物だとはとうに知れていた。わだかまりが邪魔になって正しく見られていなかった部分も、それが無くなってしまえばどうというところはないし、文継とともにいる波織はいつも楽しそうに見えた。波織に帰る場所がないことを深く分かっている文継は、波織が入部の家柄になじめるように毎日工夫も凝らしていた。素朴な顔をした入部家の二男は、家柄におぼれない自力があり、人の痛みを分かち合える出来物なのだ。錆丸は、一方的にでも、文継を信頼していた。
 波織は十六で正式に婚姻を結び、さらにそこから四年の歳月を入部波織として暮らし、今日に至っている。
 たった今、その文継に対して“信頼”に次ぐ新たな心象が生まれた。“憐れ”の一言である。
「おい! 聞いているのか、四ツ影錆丸」
 日没からだいぶ経た真っ黒な草むらの中から叱咤されて、錆丸は短い回想を終えた。
 “四ツ影”というのは錆丸の別の呼び名だ。錆丸の他に四ツ影と呼ばれる者のいない当代では、四ツ影こそが錆丸の本来は呼び名だと言ってよかった。
「どうかと思っていたが、やはり手前に任せるのは不安になってきた」
「御頭。今一度、お話願えませぬか」
 慌てて錆丸が話を請うと、頭領は「やれ、面倒な奴だ」とつぶやいて、話を総括した。
「単刀直入に言えば、波織様を皇家に連れ戻さねばならぬ。ゆえに、文継殿を殺せ」
「なぜそのような事態に?」
「それをたった今、言うた」
「……聞きそびれました」
 闇夜の声が失せた。代わって静かな川べりに両眼が浮かび上がった。目は、まっすぐに錆丸を見ている。
「やはり手前には無理だな」
 “三ツ影”に任せるか、と錆丸に聞こえるよう呟いた。“三ツ影”も錆丸と同じく廃れ者の一人だ。
「拙者がやります。しかし、今一度お教え下さりませ」
「……仕方のない奴だ。今度も想いに走ったら、手前をここに埋めるぞ」
 錆丸は頭を垂れた。
「下津留に忌まわしいことがあって、九代目洲汪帝が御子息とともに亡くなられた。泉家は血筋の者から世継ぎを選ばねばならぬという次第だ」
「しかし、八代目には波織様と九代目を含め、四人の子がおられたはずでは……」
 事実そうだった。四人の子がいたからこそ、一番末子の波織についた錆丸に四人目の影人を意味する“四ツ影”という呼び名があるのだ。
「何を今さら……。
 む、そうか。あれは手前が国を離れてからの事であったか」
 それならばしかたがない、と頭領は向き直った。
「手前の言うとおり、確かに八代目には一男三女がおったが、一の姫様は香名の斐川法家に嫁がれておいでだ。波織様と境遇は近いが、斐川法家は諸国に影響を及ぼす社寺を仕切る大家だ。噂によると、法皇の機嫌を損ねて滅ぼされた国もあると聞く。連れ戻すには恐れ多い」
 錆丸は頷いた。斐川家が大きなことは錆丸も知っている。頭領の言う噂にしても、下津留のみならず、字川でも聞くことだ。
「二の姫様は如何に?」
「湖袖様は出家なされた」
「なにゆえでござりますか?」
「……御正室の海子様が亡くなってより、湖袖様に不思議な力が生まれた。忌むべきものではなかったのだが、よからぬ噂が流れて、人が寄り付かなくなったのだ。随分心を痛めておられた。国元も離れて久しい」
「……連れ戻すには難しい、と?」
 傷心でも独り身なら、波織よりも随分楽なはずだ。はばかる者もない。
「居場所が知れぬ。一緒にいた二ツ影も消息を絶って久しい」
「……それは、我らに対する裏切りでは?」
 廃れ者の立場からすれば、行方を知らせないのは仲間を裏切る行為だ。二の姫がそのように命じたというなら二ツ影としては正しい行為かもしれないが、影人以前に廃れ者という身分があるはずなのだ。
 頭領は「さあ、どうかな」と言葉を濁した。今ここで言及するには及ばないといったようだった。
 波織の上にいる三人の兄弟姉妹をあてにできないことが分かったところで、泉家を絶やさないという点では最良ともいえる、別の手段が思い浮かんだが、錆丸はそれを口にしなかった。かつて津留の国として一つにまとまっていた領地を、喉仏山を境目にして上下に分断させるに至った分家には、再び下津留の土を踏んでほしくないからだ。齢二十を超えてそこそこの錆丸がそう思うのだから、その倍以上生きている者たちで成り立つ泉家の重臣たちは、なおさらだろう。それに、発端は養子の身でありながら主家の財を根こそぎ占領しようとしたことにあり、そこから同じ姓を名乗る分家が生まれたと聞く。つまり、分家には泉家の正統な血が流れていないということだ。
 ただし、その分家を除外してもまだ手はある。
「では、養子縁組は如何でしょう?」
「ほう。気付いたか。さすが、廃れ者の中で最も聡いと言われるだけのことはある。だが、我らが気付くことなど、臣下方がとうに試みておる。しかし、この度の九代目の不始末が大きすぎてな。下津留の国に子供を遣ろうなどと思う者は誰もおらぬ」
「……九代目は何をなされたのです?」
「その件は国に戻り次第話そう。少し長くなるからな。とにもかくにも、九代目亡きあと、下津留の国を継げるのは波織様だけなのだ」
「承知しました」
 錆丸が返した返事は、やや威勢を欠いた。
「されど、文継殿を殺めるとは、行き過ぎではござりませぬか」
「……入部家は字川の国を治める主家。子の離縁など認めるはずがない。そして、その理由がないことは手前にも分かろう」
 錆丸の脳裏には、楽しそうに語らいあう文継と波織の顔が浮かんだ。仲たがいさせるように女を雇っても、文継の心は動かないだろう。入部家が離縁を認めるかどうかに関係なく、二人のどちらかが生きている限り、別離を選ぶのは不可能ということだ。
「我ら下津留の国にとっては、二人に決定的な別離が必要なのだ。無論、波織様が生きていての別離だ。波織様には国を継いでもらわねばならぬ」
 波織が字川からさらわれたかのように見せかけたところで、表に立てないのでは意味がない。暗がりの声は、文継を生かそうという錆丸の考えが及ばないことを暗に示した。
「もしも、しくじれば――」
 迷いはすぐに感じとられたらしく、頭領が先回りをする。
「下津留の国はなくなるぞ」
「……何故にござりましょう」
「光のないところに虫は集らぬからだ。
 国、国と言えど、結局は欲望を抱いた蛾の集まりにすぎん。それでも形を保てるのは長く続く光がそこにあるからなのだ。我らにとって、光とは君主に他ならぬ。君主なき蛾の集まりは、夜を迎えることができぬ。日暮れとともに離散するまでだ」
 波織が光だとすれば、自分は影でしかない。錆丸はついさっき顧みた自分の想いを思い出した。
「今の内情を話せば、臣下たちは大きな二つの派閥に分かれて揺れておる。このままでは国政は乱れ、いずれ両者の間で争いが起き、下津留はただの集落になりさがるやもしれぬ。そうなれば、騒ぎを聞きつけた分家が上津留から攻め降りてくるだろう。
 そればかりではないぞ、錆丸。
 波織様が戻らぬままとなれば、入部家は波織の繋がりをとっかかりに、下津留の内乱を収めて統治しようと働くだろう。山谷ばかりの悪環境で畑を増やせず、困窮した民をかかえる字川にとって、豊かな川が育む肥沃な土壌に恵まれた下津留は格好の領地だからだ。もとより、字川は下津留の領地に目をつけておった。それを八代目が和議により収めたのだ。波織様を入部家に嫁がせたのも和議のためであった。
 北の上津留と東の字川に攻め込まれれば我々はもたぬ。いずれ上津留と字川の戦いになるだろう。そうなれば、下津留の臣下も民も波織様のいる字川に味方し、結果として下津留は字川領となるにちがいない。その先、波織様を娶った文継殿が下津留の名代となるやもしれぬが、お二人が厚遇されることはなかろう。字川の長は入部家の長兄であって文継殿ではないからだ。文継殿と波織様に力を与えれば、下津留の民が増長することぐらい、入部にも分かろう」
 下津留の都、十川京(じっせんきょう)が字川の配下になると、やがては豊かな土地を欲する字川の民に乗っ取られていく。その流れに堪えられず、下津留の民が反乱を起こせば、今度は文継と波織の立場が追いやられる。波織がどんなに器用に動いても、入部家の中では血の繋がっていない存在であることに変りはない。入部家にとって波織様はただの邪魔者だ。波織様を追放し、下津留の民を滅ぼすことさえも考えられる。錆丸の目に浮かぶのは破滅の光景ばかりだ。
「だが、波織様が下津留に戻ればそれも杞憂に終わる」
 救いの手を差し伸べるようにして、頭領が言った。
「波織様ならば、下津留の臣下をまとめることができる。民にとって大きな存在である、泉家の血が流れるお方だからな。それに、幼き頃より聡明な波織様には、女帝として君臨するには十分な資質がある。波織様が国を治めれば、上津留は手が伸ばせぬし、字川とはまた盟を結べばよい」
「いずれ盟を結ぶと申されるのならば、文継殿を生かしたまま、波織様に下津留を治めていただくわけにはまいりませぬか?」
「分かっておらんな、錆丸。
 字川入部家の二男の嫁が下津留を治めるのと、入部家と無縁になった下津留泉家の波織様が下津留を治めるのと。手前には同じに聴こえると申すか?」
 異を唱えるのには駒が足らず、錆丸は黙った。
「迷っている暇はないぞ、四ツ影錆丸」
 入部文継を殺せ――
 それだけ言い残して、闇の声が消えた。

続く