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神代の子 ―守―

六.

 下津留が凋落に至った過程を列記すると、波織の父にあたる八代目洲汪帝(すおうてい)の死が最初に書かれるらしい。病に倒れた八代目に代わって波織の兄が九代目となった折、香治の斐川法家から贈られてきた一本の刀が始まりとなった。
 何とも美しい一品だった。柄に施されたヒスイの勾玉は、翼を広げた金の鷹と銀の鷺に支えられ、鞘は赤と黒の漆を互い違いに塗りこんだ下地に、黄金色の菱を連ねた模様になっている。さらに、隆々と流れる無数の雲を思わせる刃紋は、水墨画さながらの濃淡の中に日と月を表現し、眺めていると太刀に閉じ込められた空が、流転していくような錯覚を覚えるのだ。
 正式には“勾玉飾黄金菱連一差(まがたまかざり こがねびしつらねのひとさし)”と呼ばれるその刀は、香治国の宝剣とも言われる代物とのことだった。すでに斐川法家には泉家の長女、一江(ひとえ)が嫁いだことで密接な繋がりがあったが、両家の繋がりをより強固にしたいという香治国の思いが、宝剣の寄与という形になったと言えた。
 経緯はどうであれ、宝剣の称号に恥ず、二つと拵えることのできないだろう豪華絢爛たる代物に九代目は心を躍らせた。
 しかし、その香治の宝剣を手に入れた九代目の喜びは、不気味な悦びへと転じ始めた。<美しいと考える物、感じる物を手放すまいとするのは人間なら誰しもが抱く感情である。九代目がそうした感情を勾玉飾黄金菱連一差に抱いたのも、人間ならばこそだろう。別に他人様のものを欲しているわけではないないのだし、献上された刀を愛でているだけのことだ。臣下の者たちは、いささか気に病みはしたものの、そのように考えて目をつむっていた。ちょうど、正室との不仲が囁かれ始めていた時期でもあった。刀を振り回されるよりも、刀を愛でていてくれたほうが害はないわけだ。しかし、昨日まで寝所に潜らせていた妾を忘れて刀を愛でるようになってくると、さすがに臣下たちも訝るようになった。九代目に近しい者たちは、「帝は活力に病気を抱えて女人をはべらせることができなくなったのだ」と擁護するような抗弁を垂れはしたものの、かえって国内に可笑しな噂が流れもした。
 帝に隠れて、臣下たちは顔を並べた。この時に、毅然とした態度で帝から宝剣を没収するという決を取るべきだったのかもしれない。九代目はまだ重臣たちよりも一回り以上も若かったのだから、無理な話ではなかっただろう。それでも刀を取り上げなかったのは、やはり帝の行動が誰かを傷つけるものではなかったからに他ならない。政事は八代目から引き継いだ重臣たちが十分に果たしていたし、皇后よりも妾よりも世継よりも刀を愛でるという、もはや奇行と呼んで十分な九代目の振る舞いも、放っておけば良いわけだ。
 ただし、他国に対するふるまいだけは、唯一気を配っておかねばならない。九代目の気が触れていることが知れ渡れば、下津留は下に見られる。上津留に知られれば、どのような行動に出られるか知れたものではない。泉家の求心力が低下していることを見抜き、あらぬ噂を立てて内部から壊そうとすることも十分に考えられることだ。実際、八代目に傾倒していた古参の者たちは九代目の愚行にあきれて忠義の心を失い、離散しかけていた時分でもあった。
 ようやく事態を重く見るようになった重臣たちは、一つの案を打ち出した。一日中刀を眺めている奇行帝には座を退いてもらい、三つになる将来の十代目に世を継がせるというものだった。気の狂った大人が帝の座についているよりも、分別のない幼子の方が臣下の同情を誘うことができる。なにしろ、八代目がそうだった。下津留の国が一丸となって、幼い帝を守るのじゃ、と五十年前を思い出した老分たちの奮起が期待できる。
 九代目の興味はいつまでたっても宝剣にしかない。それを好機ととらえた重臣たちは徐々にまだ冠のない十代目を中心にした国政に乗り換え始め、あとは九代目に決断していただくまでというところまで至った。
 九代目はあっけなく了承をした。代を譲って静かに暮らす。勾玉の一差と共にということは言うまでもない。それを餌にして釣ったわけである。
 かくして、たかが一太刀に惚れた可笑しな帝は、冠を譲り、院に引きこもったのである。めでたし、めでたし――。
 話は、そう終わるはずだった。幼い十代目は皆で守りぬくとして、あとは時の流れとともに珍妙な帝がいたことを人々が忘れてくれれば、宝剣と一緒に院に移った物好きな男の話が世に出ることはないのだ。結末を見れば、その考えは過ちだった。細かに言うなら、事の詳細を知らない若輩者を院帝に仕えさせたことが過ちだった。
 奇行帝に仕えた若い仕官には野心があった。宝剣の一差を欲していたわけではない。出世の一言だった。
 国の中心から弾かれたとはいえ、帝の父親が目の前にいるのだ。上手く取り入ることができれば、御自ら帝に口を利いていただき、冠位を飛び越して政事に据え置いていただくことも夢ではない。
 若い仕官は精いっぱいに働こうとした。九代目の喉が渇く前に茶を立て、詩が浮かぶ前に紙を用意するつもりだった。
 残念ながら、どちらも必要のないことだった。九代目の興味は宝刀にしかない。その若い仕官がどんなに身を粉にしたくとも、宝剣を愛でる奇行帝を見守るほかにやることはないのだ。
 しだいに若者は焦れてきた。出世を夢見て務めに参ったというのに、これではまるで子守だ。それどころか、十代目の近くで地道に業を積む同輩たちの方が先に出世していく始末だ。ついには我慢のできなくなった若者は、仕官にあるまじき行為に出た。奇行帝に説教をかましたのだ。
 どんなに刀を愛でても、その刀は何もしてくれはしない。貴方が亡くなれば引き継がれていくだけだ。貴方はそのように何も恩を返さない物に囚われ、身の回りの大事なものを失ってきている。このまま往生することになっても、それで満足なのか。私に、いや愛する者たちへ残していくものは何もないのか――。
 若者の説教は概ねそんな内容だったそうだ。
 奇行帝は反論しなかった。それどころか、宝剣に目を落としてから仕官を見上げると小さく何度も頷いて、ゆっくりと立ち上がり、宝剣を蔵に収めたのだった。
 喜んだのは若い仕官だけだった。彼が何かの報酬を受けることが決まったわけではないが、刀からひと時も離れることがなかった奇行帝の心を入れ替えさせることができたと自慢していた。
 周囲の人間はその若者を冷やかに思い、同時に恐れを抱いた。九代目に説教をする重臣はいなかったが、話し合いは何度もおこなわれてきたことだ。それでも帝位すら捨てた九代目が、若輩者の一言で心を改めるはずがない。何か裏があるに違いない。
 皮肉にもそれを証明したのは、後日に見つかった若い仕官の死体だった。
 死体はズタズタだった。腕に覚えがある者が一刀のもとに斬り捨てたのではなく、大海原に浮かべた舟の上で鯉を裁いたかのごとく、無残な始末だった。その時から姿を晦ました奇行帝のことを考えれば、下手人は明らかであった。
 惨劇はそこから始まった。奇行帝は実子であった十代目も手にかけ、さらには妾との間に授かった子息をも殺めた。
 何の恨みかと臣下たちは騒いだ。奇行帝は下津留を滅ぼすつもりなのではないかと、噂する者も多くいた。奇行帝の起こした惨事の意味に気付いたのは、奇行帝を説得したという若い士官の自慢話を耳にしていた者たちだった。
 どんなに刀を愛でても、その刀は何もしてくれはしない。貴方が亡くなれば引き継がれていくだけだ――。
 奇行帝は、勾玉飾黄金菱連一差が後継者に奪われることを恐れたのだ。恐らく最初に斬られた若者は試し斬りだったのだろう。親族たちの死体はどれも惨かったが、最初の若者よりは随分ましだった。
 臣下たちは総出で奇行帝を探した。そして二か月ほど経った後、山中で宝剣を抱えて果てた九代目を見つけたのである。
「九代目を殺めたのは俺だ」
 そう、破丸(やぶれまる)は錆丸に語った。
 ここまで、ずっと破丸の口調は重々しく、悲しげであったから、その結末が待っていることは予想していた。
 それでも錆丸は破丸の心中を察しかねた。
 九代目の影人を務めあげてきたのは他の誰でもない、“三ツ影破丸”だ。殺せという命令に素直に従えるものか。波織の夫すら殺せなかった錆丸には分からなかった。
「あの魔太刀が来た時から、九代目は妙だった」
 破丸が言った。
「女であれ何であれ、愛でる姿というのは何度も目にしてきたもんだ。なにも、九代目に限った話じゃねえぜ? けど、ありゃ、愛でるってのとは違ってた。恋い焦がれる目だった。試し斬りする日を待ち望んでたんだ」
「……そのことは、頭領に?」
「伝えたさ。当たり前だろ。それで、様子を見ろ、早まったことはするなって言われた。ただ――」
「ただ?」
「小頭には、くぎを刺された。もしもの時には殺せってな」
 結果は分かっている。九代目が凶行に及んだ時、破丸には主を殺すことができなかった。それどころか行方を見失い、泉家の血族が次々と殺されるという状況を生み出してしまった。
「責を問われたよ。ほかの影人からすれば、俺が原因だ。みんな、俺を処刑すべきだって、そう言った」
 白刃が渡されれば、腹を切る覚悟はあったと破丸は言う。しかし、頭領が許さなかった。

「御頭は俺に言ったんだ。九代目を探して、楽にしてやれって。俺はその通りに動いた。どんなに九代目の頭がおかしくても、九代目には九代目の生活圏ってのがある。必ず、俺もよく知る場所にいるはずだと踏んで探した。で、見つけた」
 山中で見つけた九代目は、宝剣を抱え、丸くなって眠っていた。母親の乳房に吸い付く乳児のような朗らかな顔だった。赤子のような大人の背を、破丸は一突きにした。
「しばらくの間、九代目はひくひくしてた」
 口周りが乾くのか、破丸が唇をなめる。
「九代目の息の根が止まるのを見届けてから、刀を抜こうとしたけど、手の汗で滑って抜けなかった。それで、仕方なく死体をゆすって刀を抜いた。そん時に、九代目の、九代目の見開かれた目が、俺の目に飛び込んできた。俺は――。俺は、自分の仕出かしたことに気づいて、何度も吐いた。吐いて――」
「わかりました。もう、その辺りで……」
 仔細を伝えようという破丸の気持ちを察しながら錆丸は話を遮った。普段から口の悪い破丸の声が上ずっているのが我慢ならなかった。
「四ツ」
 暗闇の広がる護分寺に、破丸の声がこだまする。
「笑ってくれてもいいんだぜ。俺は、泉家が滅ぶきっかけを作り、挙句に最後の皇族を殺したんだ」
 この廃れ者の恥を、笑ってくれてもいいんだぜ――。
 錆丸は護分寺を包む静寂に身をゆだねるしかなかった。そのうちに破丸は舌打ちをして寝転がり、無言になった。
 十代目が死んだことによって、臣下たちは後継者を探さねばならなくなった。破丸の言葉とは違って、下津留には九代目の叔母に当たる人物が最後の皇族として存命であったが、高齢故に惚けていて中心には置けない。彼女の養子をとることを考え付くも、奇行帝が世間に知れ渡ってしまった下津留には、頼れる家筋が見当たらない。そうして、臣下たちは他国に嫁いだ九代目の姉と妹に目を付けた。その先の話は頭領に聞かされたとおりで、斐川の法家に嫁いだ一の姫、一江は連れ戻すのが難しく、二の姫の湖袖は行方が知れない。そして、波織に目がつけられたのだ。
「明日で三日だ」
 寝ころんだ破丸がぽつりと言った。
 何を数えているのかは錆丸にも分かっている。錆丸が護分寺にたどり着いてからの日数だ。そしてそれは、そのまま頭領の到着を待っている日数にもなる。
 連れ去られた波織を追って字川の屋敷を出た錆丸だったが、追いつくことはできなかった。分家の仕向けた忍びは実に巧妙で、錆丸は偽の足跡を追わされたあげく、山深くに踏み込んで行き詰ってしまった。
 夜明けを待って山を下り、護分寺にたどり着いたものの、そこに頭領の姿はなかった。廃れ者が集まっているはずの護分寺にいたのは、破丸と綻丸(ほころびまる)の二人だけで、しかも綻丸は手傷を負っていて高熱を出し、意識がない。破丸の話によれば、森林で彼を見つけた時から、その状態だったそうだ。やったのは分家方の忍びだろう。手足に負った複数の金創は、医者に診せても助かるまい。
「もしも……もしも、綻びの兄者が死んじまったら。その時はここを離れるぜ」
 破丸が眼つきを鋭くして言った。
「しかし、まだ御頭が……」
「馬鹿が。もう三日だぜ? 稲刈りだって終わる。きっともう、御頭は死んじまったんだ」
 錆丸はぎくりとした。
 実を言うと、破丸に伝えていないことがある。波織を追って山奥に迷い込んで朝を迎えた時、錆丸は衣服の肩辺りが変色していることに気が付いた。よく見れば、それは血が渇いた跡だった。
 血には匂いがある。魚の身が生臭いように、動物の血は獣臭い。火事場では木と土の焼ける匂いに負けて気付かなかったが、錆丸の肩についている血は獣臭くなかった。これは人の血なのだ。分家の忍びに追いつけ仕舞いだった錆丸自身に怪我はない。そして、前日の日没から夜明けまでの間に接触したのは、頭領ただ一人だ。つまり、錆丸の肩についた血は、頭領のものに他ならない。
 確かにあの火事場で、錆丸は頭領と気づかずに小刀を抜いて揉みあったが、傷を負わせたような手ごたえはなかった。頭領は、その前から怪我をしていた。思い当たるのは、やはり分家の忍びだ。きっと、錆丸を藪に連れ込む前に一戦交えていたに違いない。だから火事場の近くに潜んでいることを知っていた。
 今考えると、あの時頭領は無理やりにでも錆丸を逃がそうとしていたように思える。一人や二人が相手なら、錆丸と二人で始末してから波織を追うという選択もできたのに、そうではなく頭領が一人残ることを選んだのだ。己のために犠牲になった。そう考えてしかるべきだった。分かっていながら、しかし、錆丸には言い出せなかった。
「廃れ者は、もう俺たちしかいねえんだよ」
 破丸が綻丸をチラリと見た。
「兄者を看取ったら、俺が囮になって厄介な忍びどもを相手にする。その間に手前は波織様を御救いしろ」
「……」
「返事がねえぞ、四ツ」
「……はい」
「四ツ。分かるだろ? これは俺と手前の勤めだぜ。始まりを作った俺と、波織様を守れなかった手前の勤めだぜ」
「……」
「しっかりしろい。波織様が生きている限り、手前はまだ“四ツ影”だ。その役目は、しっかり果たさなきゃなんねえ。もう、三ツ影ですらねえ俺からすりゃあ、うらやましいぐれえだ。だから数がついている内は、うつむくんじゃねえぞ」

続く