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神代の子 ―守―

十二.

「神代の力は本物だという言葉が広まる前に、湖袖様は出家しなさった。
 差し出がましいことと分かってはいたが、勧めたのは俺だった。なにぶん、暗い部屋に閉じこもって一歩も出ようとしねんだ。見ちゃいられなかった。周りの目がある御所に居ては心が腐る。寺に入っちまえば、周りは何も言わねえだろうとそう思ったわけだ。
 が、そこにもしつこい奴はいた。どうするべきか悩んでいた時に、御頭が二つの指示をくれた。
 一つ目に、湖袖とともに行方を眩ませ。御頭にさえ連絡をするなと、そう言われた。そしてもう一つ、二つ目に、裏切り者を探れ、と」
 頭領は、廃れ者の中に朽丸と頭領の会話を盗み聞きしている輩がいることを疑っていたのだろう。錆丸はそう推察した。だから朽丸は廃れ者との連絡を一切断って、たった一人二ツ影朽丸として湖袖を守り、下津留で密かに内偵をはじめたのだ。
「よろしいのですか?」
「何がだ?」
「拙者もその裏切り者かもしれません」
「はっ。笑わせんな。波織様と心中を決め込むような奴が、泉家を裏切るとは思わん」
 言われて錆丸は気恥ずかしくなった。
「それに裏切り者はもう殺した」
「……どなたです?」
「崩丸(くずれまる)だ。やつが香治の国の名賀玄仁(ながのくろひと)という男と通じていた」
 錆丸は一気に混乱した。
 崩丸は廃れ者の中でも頭領に近い存在の古参だ。下津留にいた頃には話をしたこともある。頭領のように目を光らせて叱ることはなく、優しく口調で人を説く物静かな男だった。錆丸が下津留にいた頃という時点で随分古い話にはなるが、その頃を思うと、錆丸は信じがたかった。その崩丸が、香治の名賀玄仁と男と通じていたという。
 香治の国は阿須賀から海を挟んで西に行ったところにある小さな国だ。陸路でも繋がってはいるが、分家の上津留領が邪魔になるために交易はない。ただ、交易はなくとも交流はある。一の姫一江(ひとえ)が嫁いだのが、香治の国の斐川法家だった。その香治が、なぜ泉家に内偵を差し向けるのか、錆丸には理解がなかった。
 それに、名賀玄仁。錆丸がその名を聞くのは、実のところこれで二度を数える。一度目は、破丸の口からだった。九代目の身に起こった出来事を聞かされた時に、名賀玄仁が出た。記憶している限り、勾玉飾黄金菱連一差は香治の国の遣いとしてやってきたその男の手から、下津留に渡ったのだ。
 朽丸の言葉をようやく飲み込んで、錆丸の顔は険しさを取り戻した。
「マガサシのことは聞いてたか」
 この時錆丸は、朽丸が勾玉飾黄金菱連一差の名を縮めてそう呼んだのだ、と思っていた。しかし、本当はそうではなく、もともと禍差と呼ばれていたのだということは後で知ることとなった。勾玉飾りの宝剣は禍を招く不吉な一差として、世を渡り歩いてきたものだったのだ。名賀玄仁は、それを知ったうえで、泉家の九代目洲汪帝に贈呈したということである。
「恐らく、下津留はずっと前から目をつけられていた。泉家の状況が分家に筒抜けだったのも、名賀玄仁が崩丸から得た情報を流していたからだ。泉家が混乱している隙をついて十川京に乗り込んできたのもそのためだ」
「しかし、香治の国には一江様が嫁がれておられます。下津留への御用向きであれば、分家をけしかけずとも一江様より取り次ぎを願えばよいものかと」
 ただでさえ血筋の途絶えかけている泉家なのだ。香治の国が一江の存在をちらつかせて交渉に来たなら、大きな反目もなかったことだろう。うまくすれば香治は下津留を操ることもできる。
 しかし、香治はそれをしなかった。朽丸の言葉通りに分家をけしかけたというのなら、その狙いは下津留が荒廃することでしかないと思える。それとも香治の国は、下津留が分家に飲み込まれ、上下のそろった津留の国が生まれた後で、一江という札を切るつもりなのだろうか。
 そう思案したところに、朽丸が呟いた。
「……一江様はお亡くなりかもしれん」
「なんですと……」
「一ツ影は、香治領で果てていた」
 主が死ぬときは影人が死ぬ時。影人が死ぬときは主が死ぬとき。それほどに主と影はつながりが深いものだ、というのが最初に学ぶ影人の教えである。今、錆丸自身が示しているように、現実はそうならないことが多いといえども、頭に浮かぶのは一江の死でしかない。
 九代目、十代目洲汪帝に続き、波織も一江も鬼籍に入ったとならば、泉家の最後の血は湖袖しかいない。朽丸は湖袖が安全な場所にいると言った。その言葉は疑う余地もないが、事態が事態だけに、錆丸は気になり始めた。
「湖袖様はどちらに?」
「香治だ」
 錆丸はまた混乱した。雀の子を蛇に預けたというようなことを言われたのだ。混乱しない方がおかしい。
「それは、正気の沙汰とは思えませんが」
「怒んなよ、四ツ。まず香治が下津留を狙うのは、なんでだと思う?」
「それは拙者の知るところではございませぬ」
「だから、そう苛立つな。考えてみろ。手前は聡いんだろう?」
 回りくどい朽丸の言葉に、すねた童のような顔を向けつつ、吟味してみる。
 下津留の歴史を顧みれば、これまでにも数多く近隣国に攻め込まれていた。その理由を一言に言えば、下津留の領内が豊かだからだ。川が何本もあるから水には困らないし、農業も営みやすい。南に行けば海もあり、魚介も豊富だ。山岳ばかりの字川からすれば、天国に見えるだろう。事実、波織が字川に嫁いだのも、和議によって助け合う関係をつくるための第一歩という意味が強かったはずだ。家を分けて北に住み着いた分家も、枯れた土地に不満があったに違いない。しかし、そうした侵略国の持つ道理に香治の国の道理は当てはまらない。香治領は豊かな土壌ではないかもしれないが、なにより近隣ではないのだ。土地を求めて戦をするなら、もっと手近なところから始めるだろう。
 下津留の領地に興味がないのなら、別の何かを求めたと考えるしかない。ふつうなら、領地狙いでなければ財が狙いになる。しかし、泉家には納められた作物は多くととも金銀はさほどない。あるとすれば、それは――。
「神代の血」
 はたと行き当って、錆丸は呟いた。
 泉家が所有する財とは、一族に流れる水の神代の血だけなのだ。
 それを考えると、いくつかのことに説明がついた。最初に一江を迎えいれたのもそのためだろう。香治のけしかけた分家が波織に流れる泉家の血を欲したというのも、そのためかもしれない。神代の力は千の兵にも勝ると言われる。五人の巫女がこの世の理を担うと謂われたのは、民がその力を怖れたからに他ならない。例えば、神代の巫女が十川京の川の水を操っても被害を受ける土地はたかが知れているが、海の水を操るようになったら、海に面した国は一溜りもない。
「そうだ。神代の血だ。香治は湖袖様の力を欲していた。だから湖袖様の居場所がなくなるように根回しをし、近づいてきた」
 ただ、それだけでは説明のつかないこともある。呪われた刀を持ち込んで、九代目洲汪帝を死に追いやったことだ。一族の血が欲しいだけなら、湖袖のいなくなった下津留に用はない。
「それは、俺にも分からん」
 説明を求めると朽丸は首を横に振って、「これから調べてみるがな」と付け加えた。
「しかし、兄者。何故そのような国に湖袖様を置いてこられたのですか」
 朽丸は黙った。何と説明しようか、迷っているようだった。
「……戒羅と言うのを知っているか?」
 今までに数多くの書物に目を通してきたが、生まれて初めて耳にする言葉だった。
「いいえ」
「香治の国で、人を集めて行われている祭儀のことだ。湖袖様は神代の巫女としてそこに招かれた」
「……つまり、安全は人の目が保証している、と」
「そういうことだ。とはいえ、あまりここでのんびりもしていられない。俺もそこへ行く」
「まさか、兄者も巫女のふりを?」
「馬鹿を言え。体が隠しきれんことぐらい俺でもわかる。戦い手として行くんだよ」
 今のやり取りで錆丸が戒羅の全容を理解したわけはない。祭儀に巫女が必要なのは分かったが、戦い手として参加するとはどういうことなのか、朽丸の言葉からは分かりようもなかった。
 戸惑う錆丸に、朽丸は言った。
「それで、四ツ。手前は――」
「参ります」
 朽丸に問われる前に、錆丸はそう口にしていた。説明が曖昧でも迷うことなどない。この際、仔細はどうでもよかった。
 最も失ってはならない主を失った今、四ツ影錆丸の振る舞いを定めるものは何もないが、廃れ者錆丸として成すべきことは目の前にある。泉家の守り続けてきた神代の血を守ることだ。それが分かっただけで十分だった。
「そうか。そうか」
 朽丸は嬉しそうに何度も頷いた。
 二人は、そのまま近くの漁村へ赴くと朽丸が乗ってきたという舟に乗って、夜のうちに下津留を出た。月夜には荒れると云われる海だったが、不思議なぐらいに穏やかだった。舳先で波をかぶりながら、錆丸が下津留と波織のことを考えていたのは言うまでもない。
「四ツ。名前を改めねえか」
 舟の上で唐突に朽丸が言った。
「朽丸に錆丸。二ツ影に四ツ影。どちらも組織立っていけねえ。他に“丸”が付く仲間がいるんじゃねえかとか、一や三がいるんじゃねえかとか、勘ぐる奴が出てきそうなもんだ」
「確かに」
「なんか、良い呼び名はねえもんかな。あんまり聞きなれねえ名前も嫌だしな」
 正直なところ、廃れ者の一字は捨てたくもない。それは錆丸の思うところだが、朽丸も同じに違いない。
「“丸”ではない一字を足すのは如何でしょう」
「たとえば?」
「朽果に錆止」
「……手前、俺を馬鹿にしてるだろ」
「いや。拙者はただ、意味が反対なら三人目の仲間がいるとは考えられにくいと思ったまでです」
「まあ。違えねえが――」
 しばらくの間朽丸は、朽果か、朽果ねえ、とつぶやいていた。
 錆丸もそれは同じだった。
 その時初めて、主の名にあった“波”と自分の名にある“錆”の一字のことを思った。錆丸の方が出生は先だった。細かな出生は自分でも分かっていない。何しろ波織が生まれる二年も前に、護分寺の本堂に捨てられていたのだ。だから、頭領に拾われた時にに“錆”の一字を賜ったことと、泉家の三女に“波”の字がついたのは、ただの偶然でしかない。金物が波の塩気で錆びることを暗示していたわけではない。ただ、そのつながりの深さを思い、錆丸はかすんでいく下津留の陸地を眺めていた。

続く