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神代の子 ―贄―

二.

 名賀玄仁(ながのくろひと)は腹を痛めていた。食い過ぎたわけでも、悪いものを食ったわけでもない。
 御簾(みす)の向こうの昼御座(ひのおまし)には香治の国の権力者、唯示(ゆいじ)法皇が座しているのだ。諸国の社という社に繋がりを持ち、一声あれば各地の神職達が山をひっくり返して川をせき止め、巫女すらも決起して国を滅ぼすと云われる人物の御前にいる。
 とは言え、玄仁からすれば法皇は父でもある。その関係があれば大概のことは恐れおののくほどでもないというのに、玄仁の膝は震えていた。今年で四十五になるというのに、まだ父親に怯えている。そう考えると情けなくもあるが少なくとも今はそんなことを考えている余裕はない。
「そうか。逝ったか」
 義父である名賀寅之雄の死を告げると、法皇はそう呟いた。
「はい」
「いくつで逝ったか」
「六十四にござりました」
「……そうか」
 六十四か、と法皇が呟き、場は静寂に包まれた。
 二人は今、香治国の御所に中央に構えられた黒鳳殿(こくほうでん)にいる。
 御殿の名の由来は天井に彫られた黒い鳳凰を見れば明らかだ。文字は違えども、同じ黒という意味を持つ字を冠しているのに、玄仁にはまったくと言っていいほど愛着がない。刻まれた鳳凰の目が悪鬼のように鋭く見えるのは、決して玄仁の気のせいだけではないはずだ。もちろん法皇が悪鬼だと言いたい訳ではない。断じてそのはずだが、しかし、もし今の言葉を誰かに聞かれて、どういう意味かと問い詰められたなら、玄仁は下を向いてしまうことだろう。玄仁にとって、唯示法皇という人物の評はそれほどまでに失墜している。
 その唯示法皇には二桁を数えるほどの側室に二十を超える親王と彼らに付随する身内が多くがいるわけだが、法皇が身内の死を悲しんだことは一度としてなかった。したがって、御簾に浮かぶ法皇の影が震えているのが嗚咽によるものではないことぐらい分かっていた。
 もっとも、そうであっても妻の実父の大往生だけに人並みの振る舞いはしてほしい。それが玄仁の願いでもあったのだが、それは馬の目の前につけた灯に近かった。
 くくく、という笑みが漏れて、静寂が無残に崩された。御簾が間に下がっていたおかげで、天井から跳ね返ってきた法皇の薄ら笑いは黒鳳のくちばしから漏れ出たようだった。
「六十四とは、まだ若いのう、玄仁よ。うふふ」
「さようにごじゃりますな」
 そう答えたのは玄仁ではなく、御簾の横に座している義臣(よしおみ)という名の、これもまた親王だった。歳は玄仁よりも一回り以上も上で、いつも御簾の横に座している。自ら口を開くことはほとんどなく、開くときは決まって法皇に相槌を打つ。他の親王たちと身分を同じくしながら最も法皇に近しい存在で、槌持ち親王とか鸚哥(いんこ)親王とかと揶揄されていた。顔もどことなく鸚哥に似て、なよっとした芯の弱い烏帽子が鶏冠のようにも見える。
 さすがに苛立ちを覚えた玄仁は、法皇の飼いならした鳥を一瞥した。鸚哥は何だと言わんばかりに嘴さながらに口をとがらせたが、何も言わなかった。
 それにしても、六十歳まで生きた寅之雄を若いとはおかしな言い様である。五十を超えれば十分に長寿といわれるこの世で、そこからさらに十四年の歳月を重ねれば、もはや仙人のようなものだ。
 しかし、法皇からすれば、寅之雄を若いと言ったのも皮肉とは限らないのかもしれない。寅之雄と同じく、法皇もまた仙人に値する歳のはずだ。実の親子関係にあるとはいえども二十人以上もいる子供の内の一人に過ぎない玄仁には、父と触れ合った記憶など微塵もない。父は常に御簾の向こうの存在で、唯一記憶にある肉声は昔から皺枯れている。仮に玄仁の物心がついたころから皺枯れた声が似あう齢だったとするならば、老齢を四回り近くしているということになる。己より年上の義臣親王が相槌に終始するのも、一言に大仰と切って捨てられるものではないのかもしれない、と思う。
 ただ、法皇の言う“若い”とはやはり皮肉なのだろう。法皇は自らの言葉がよほど気に入ったようで、まだ笑っている。小脇の鳥は言うまでもない。
 御簾の奥に隠された法皇の顔がどんなに歪んでいるのか、こちらから窺えなかった。その逆に、顔を色のさえない己の顔も法皇からは覗かれもしない。そう考えると玄仁の腹痛は少しだけ和らいだが、表情は決して晴れなかった。
「祝ってやらねばならぬのう」
 突として平静に返った法皇がそう言い出した。
「祝うとは、義父がこの世での使命を果たされたことにござりましょうか?」
「あやつは何も成し遂げてはおらぬ。それよりも大事なことがあろう?」
「……いやはや、頭の悪い私めには分かりかねまする」
「阿呆め。そなたが名賀家の神主となった祝いじゃ」
 玄仁は絶句した。
 御簾はその空白までは補ってくれず、法皇は一気にまくしたてた。
「そなたは、朕が何のために、そなたの親王の称を剥がして名賀家に婿入りさせたのかを忘れたわけではあるまい? すべては今日の日のためぞ?」
 忘れるはずがない。玄仁親王の名を捨てて名賀家に入った日のことは今でも鮮明に覚えている、と答えたかったが、そうもいかなかった。正直、あまり記憶にないのが事実である。なぜなら、実父と義父のどちらに情があるかと問われれば、開口一番に義父と答えるのが本音だからだ。そればかりではない。確かに、顧みれば親王の位を捨てた日は無念だった気がする。しかし、その無念も日を重ねるにつれて薄れて、香治国で一番美しいと囁かれていた妻、麻桐(あさぎり)との間に糸蘇を授かり、幸せな日々が十分に傷を癒してくれた。妻に先立たれ、愛娘が手元から離れた今を考えても、やはりそれは幸福の裏返しで、親王の身分など取るに足らないわけだ。そもそもの傷が小さかったともいえた。
 答えかねていると、法皇が敷き畳を下りる音がして、簾の隙間に扇子の先が割って入った。こじ開けらえた御簾の隙間から、細く切れ長の目が覗き込む。玄仁はぎょっとして、その場にすくんだ。
「この、たわけめ! 我ら法家にとって、名賀家とは何ぞや」
「……名賀の御家柄は、この世に秩序をもたらされた大兄上尊(おおのえのみこと)の血をつなぐ大いなる御血筋と、そのように学びましてござりますれば――」
 散々学んだ口上を述べていると御簾の裏から何かが飛んできて、玄仁の額に当たった。鶏の足の骨だった。先ほどから何かを頬張る気配がしていたが、実父はこんなものを食べながら義父の死を笑ったというのだろうか。玄仁は大きな失望を抱えながら頭を垂れた。脱力したと言って良かった。
「くっだらぬ」
 法皇は怒り心頭のままに罵声を浴びせてきた。
「そなたには、一から教えてやらねばならぬか?」
「……申し訳ございませぬ」
「たわけめ。この香治の国が諸国に対してどのような役目を担っておるか、よく考えても見よ」
 法皇の言いたいことなど考えなくとも分かっている。
 諸国に“加護”をもたらしているのがこの香治の国だ。具体的には、諸国の民に神という信仰を与え、士族たちに務めを与える神社を鬼門に築くことで、各国の皇族に平和という名の安泰を与えているのだ。盆地一つしかない小さな領地の香治者が、斐川法家と名乗るだけで諸国に厚遇されるのも、そうした背景が為すものと言える。
 それでは、どうしてこの小さな国に諸国が崇めるような“加護”があるのか。それをを説こうとすれば、名賀大社の歴史を直視しなければならない。玄仁が並べようとした口上にあるように、名賀家にはこの世のすべてに平穏をもたらしたと云われる大兄上尊の血が流れているという言い伝えがあり、民衆はその言い伝えの根幹にある“五巫女(いつみこ)神話”にあやかっているのだ。
 しかし、栄光は時として人の寿命よりも短く、名賀家は時を経るにつれて衰退。今では法家の支えなくして立ち行くことができなった。法家はそんな名賀家を支える代わりに、その格式を“名賀家の代行”という形式を模して諸国で幅を利かせていた。
 つまり法皇は、法家が名賀家を支えている、と言いたいのだ。玄仁自身の前出が法家であることを考えれば、どこにも間違いはない。
「今一度聞くぞ。諸国を後ろよりお支えするこの香治の国の主家はどこと思うておる」
「斐川の御法家にござりまする」
 後ろよりお支えするというより、影を踏んで支配しているの間違いではないのかという考えはおくびにも出さず、玄仁は即答した。
「そうじゃ、法家じゃ。しいては、儂じゃ。
 確かにそなたの言葉通り、名賀には無視できぬ偉大な血の流れがあるとされておった。じゃが、今やその名賀に世を動かすほどの力はない。それどころか、寂れて血が途絶えんばかりのぼろい旧家に成り下がっておる。故に、財にあふれる我ら斐川の一門が手を貸し、その骨蔵を支えてやっておるのじゃ」
 法皇はまくし立てた後で、急に静かになった。そのうちに喉を潤す音が聞こえて、しまいに「げえふ」と汚い音と酒気を吐いた。
「しかしじゃ。支えられる分際でありながら、寅之雄は思い上がってきおった。我らに名賀の名を貸すことを嫌い、諸国への布教に対する協力を拒むようになってきおった。特に晩年は儂の邪魔ばかりしおった。あれぞ、老いて糞を漏らすと言うものじゃ。散々後を濁しおってからに、発つ鳥も呆れおる」
 くふふ、と奇妙な笑みを残しながら、法皇は簾の隙間から出していた扇を引っ込めた。竹が歪んだその場所から少しだけ向こう側の景色が覗け、かすかに見えた法皇の後頭部は一本の毛も残されておらず、拵えのない野太刀のように野蛮な脂をまとって光った。
「分かるな、玄仁。そなたを名賀に婿入りさせたは、大兄上尊の血の流るる名賀の名声を腐らせぬままに残すという大義のためであるとともに、名賀家の価値を政に利用するためのことじゃ。ゆめゆめ忘れるな」
「……は」
「して、馬鹿之雄の神葬祭の日取りはどうする」
「五日のうちにはと、存じます」
「左様か。では、皆に伝えよ。表向き、丁重に葬らねばならぬゆえのう」
 表向きなどに収めるつもりは毛頭ないが、玄仁は、はは、と答えてその場を下がった。寒風が御殿を巡る季節だというのに、玄仁の膝裏は緊張のあまりに漏らしたのではないかと疑うほどに湿っていた。

続く