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神代の子 ―贄―

四.

 二十歳で名賀神社の神主を継いでから、寅之雄は早々と香治の国の君主である唯示(ゆいじ)法皇に呼び出された。花盛りを大分過ぎて花弁を落した御所の庭桜が青々と葉を生やし、そこからの木漏れ日が暖かな日の出来事であったことは、老齢を越してもなお覚えている。
 生まれて初めて黒鳳殿に足を踏み入れた寅之雄は、まず天井の黒い鳳凰に目を奪われたものだった。その時の率直な感想は“勇猛”の一言に尽きた。黒の中に描かれた紅い瞳が永久の炎を想像させ、また黒い翼は何処までも広がる果てしない力を表すようで、いたく感激したものだった。
 寅之雄が部屋の中央に掛かる御簾(みす)に向かい、神主に就く者としての口上を述べると、法皇は優しい声色で返事をした。その時初めて聞いた法皇の声は想像を超えて若々しかく、うぐいすが人の言葉をしゃべっているかのように麗らかに響いた。緊張のあまりに上手く話せなかった寅之雄とは対照的だった。
「寅之雄や」
「は」
「朕のことは、そちの耳に届いておるかえ?」
 寅之雄は何のことかと頭が白くなりかけたが、すぐに境遇のことを言っているのだと、気が付いた。
「当然のこと、聞き及んでござりまする」
「さようか。朕が前皇よりこの座を譲り受けてから、はや一年が経とうとしておる」
「は」
「この一年の間に、朕は多くの者を見て、多くを学んでまいった」
「は」
 後で振り返るとおかしなぐらいに、寅之雄は相槌を振りまわしていた。若年であったがために深い考えはなかったが、法皇に気に入られるためにそうしていたのかもしれない。恥ずかしい行いだったと、今にして思う。
「多くの物事を学んだ中で、気付いたことがある。そちには、それが何か分かるかえ?」
「いえ。私のごとき未熟者には、皆目見当も――」
「時が足らぬという事や」
「……時、にござりますか」
「さよう。一年では何一つ得られぬ。五年でもたかが知れておろう。十年ではどうや。手の平の杯ぐらいは満たせるか?」
「……いえ、申し訳ござりませぬが私目には――」
「分かるまい。今はそれでも構わぬ。やが、いずれ分かってくれねばならぬ」
 ふいに黒鳳が――あるのか知らないが――牙をむいたかのように野太い声を上げ、寅之雄は大いにたじろいだ。この時感じたある種の恐怖が、その後もずっと続いていたのなら、寅之雄と法皇の関係も変わっていたに違いない。残念だったのは、当時の寅之雄には危険を察知する野性的な勘と言うものが備わっていなかったことと、その一時の恐怖は一時のまま終わってしまったことだ。
「寅之雄や。朕も、そちも。これから生きる時の方が長い。老齢となったのちに冠をいただいた先代たちとは違うのや。その長くゆだねられた時を、朕もそちも、生かさねばならぬ。
 朕は、時をかけてこの世の理を説きたいと思う。そのためには、そちの助力が必要になろう。時には、辛い思いをさせるかもしれぬ。
 そちは、……それでも朕のために尽くしてくれるかえ?」
 無論、仰せのままにいたしまする――。
 覚えはないが、そう答えたのだろう。そう出なければ、記憶の中にある会話が繋がらない。
「さようか」
 御簾の奥から聞こえる声は、ふたたび麗鳥の柔らかさを備えていた。
「それならば、まずは朕から気持ちを示さねばの」
 ぱちんと扇子を閉じる音が殿に鳴り響くと、御簾の横に控えていた一人の公家が立ち上がり、衝重(ついがさね)の上に丸まった書状を載せて運んできた。
「これは一体……」
「広げて見るとよい」
 一捲りしただけで、寅之雄は高揚感に包まれた。
 そこに書かれていたのは名賀神社の大規模な修繕計画の文献だった。
 龍臥峰の麓にある名賀神社は冬は大雪に見舞われやすく、春と秋は山にぶつかった雨雲の被害を被りやすい。それらが影響しあうと、湿気に腐った柱が雪の重みで折れて、家屋ごと崩れてしまうことにつながるわけである。そうして崩れた個所に対して、名賀家は普請を行い、修繕を試みてきたわけであるが、修繕の元になるお布施は名賀神社の衰退とともに減少し、本殿と社務所以外の修繕に回す金が尽きてしまったのが、寅之雄の祖父の代だった。以来、社は修繕をせずにつっかえ棒で凌いできた。それでも崩れずに済んだのは、ご神体である勾玉飾黄金菱連一差(まがたまかざり こがねびしつらねのひとさし)の力によるものだと噂されたほどだ。
 そんな状態にあった名賀神社を寅之雄の父が諦めていたはずはなく、機を伺っては幾度となく、那由(なゆ)前法皇に力添えを願い続けてきた。それが叶わなかったのは、当節の那由法皇の関心が御所と都の整備にしかなかったという時の運のなさに尽きる。
 そうして、名賀家の望みを叶えられないままに逝った父の無念を知っているからこそ、悲願をすぐに叶えてくれようというその書状には心が震えた。最後に押されていた法皇の印を見た時には、寅之雄は興奮して書状を衝重の上に落としたほどだ。
「よ、よろしいのですか?」
「うむ。朕はこれより、名賀神社を大社としたい」
「大社、にござりますか」
「そうじゃ。名賀の社を諸国に広める信仰の拠点とし、民に人生の意義を与え、民の心を豊かにしてやりたいのじゃ」
 名賀神社が大社と呼ばれるようになったのはこの後からである。
「そのためには、そちに精一杯働いてもらわねばならぬ」
「も、もちろんにござりまする」
 寅之雄は額にたんこぶを作るほどの勢いで頭を垂れた。
「ふさわしい働きをいたせよ」
 寅之雄の脳天に響いた法皇の声は、神の声に近かった。
「はっ」
「下がってよいぞ」
 再びぱちりという音がすると、先の公家がすっと歩み出て書状が載ったままの衝重を下げようとした。寅之雄はあわてて書状を取り、懐深くに仕舞い込むと、御簾の奥に一礼をして足を震わせながら黒鳳殿を後にした。
 法皇様が自分を可愛がってくれる――。
 そう思うと、父の急死によって思いやられていた先々が、急に明るく開けたような気さえする。仰ぎ見れば力強く葉を生やそうという葉桜も、公家たちの中では栄華を極めたと誉れ高かった前法皇による華の時代が去って、唯示法皇のもとで逞しい葉の時代が始まることを暗示しているようだった。
 何を思っても、何を考えても不安の文字はどこにもない。不安があるとすれば、己の脚がきちんと地面に着いているかぐらいのものだった。ともかく、地に着いているかどうか怪しい足取りのまま、寅之雄は永村に蜻蛉帰りをした。
 寅之雄が持ち帰った修繕話の威力は相当で、祖父の代から名賀家に仕えている権禰宜の曲がった背が一気に伸びた。話は瞬く間に村中に広がり、夜にはお祭り騒ぎとなった。普請が始まれば村人も仕事に恵まれ、豊かになるのだから当然の騒ぎである。
 その中で、ただ一人だけ皆と違った態度をとっていた者がいた。寅之雄の妻、千代だった。
 千代は腕に抱いていた麻桐が泣き止まないのが不安でならないと言い、社務所に裏にある住居の奥に下がって一晩中乳飲み子をなだめていた。
 周りがあまりに騒ぐものだから、驚いたのだろうと寅之雄は麻桐に頭を寄せて語りかけたのだったが、その何気ない一幕が、実は大きな秘密に覆われていたことを、寅之雄は晩年になってから知ることとなった。

「麻桐ではなかったんじゃ」
 夕餉の粥とともに老人の口から独り言がこぼれると、華は首を伸ばしてこちらを見、そつなく白ひげを拭いた。
「何がでしょう?」
「麻桐ではなかったんじゃよ」
「それは大変でございましたねえ」
 華は寅之雄の言葉の意味を分かっていない。いくつかしかない決まりきった相槌の中で、もっともらしいものを引き出しただけだ。
 あの時泣いていたのは乳飲み子ではなく、千代の方だった。麻桐は母の涙を見て泣き始めたにすぎない。その母の涙の正体は、不安が募った末の涙だった。
 その話をするにあたって、斐川法家の歴史を無視することはできない。
 香治国を治める斐川法家は、表向きこそ世襲制ではなく、親王たちの中で最も英知に秀でた者を世継ぎに迎える家柄ではあったが、事実上は一つの血筋に偏った世襲制であった。その一つの血筋から成る大きな家系によって、法家は大昔から支えてきていたのだ。その血筋に生まれた者だけが名に数に関わる文字を含めることが許され、その特性がために刻家(こくけ)と呼ばれていた。
 千代はその名から知れる通り、刻家の出である。それどころか、現の唯示法皇との争いに敗れた百時親王の歳の離れた妹にあたる。
 とはいえども、千代が唯示法皇に対して、恨みにも似た感情を抱いていたかと言えばそうは思わない。千代は下手をすると一部の貴族たちよりも雄々しい気性の持ち主だった。身内が冠を戴くことができなかった悔しさはあろうが、それを妬むようなことはしなかったはずだ。
 では、いったい何が千代を不安にさせていたのかと言えば、それは唯示法皇に関する悪しき評判が御所中に広まっていたことだった。刻家に縁のある者だけにとどまらなかったことが大きかった。
 残念なことに、寅之雄自身はその話を聞いたことがなかった。法皇が封じていたのか、あるいは聞く耳を持たなかったのか。後者の方かもしれない。寅之雄は若くしてすでに、唯示法皇に傾倒していたのだから。
 千代が懸命だったのは、その事を死ぬ間際まで寅之雄に話さなかったことだ。寅之雄のことを心情を隠すのが下手な人間だと分かっていた千代は、その正直者に法皇たる人物の悪しき情報を与えてしまえば、どんな方向に物事が流れ始めるかを悟っていたわけだ。だから口を閉ざし、黙って成り行きを見届けようと務めたわけである。
 そうしたわけで、社の修繕が決まったあの日は千代にとって違うだけ意味を持っていた。
 名賀家という凧の糸が唯示法皇に手繰られ、法皇はその凧の顔として名賀寅之雄を飾ることを決めた日であり、その凧と糸のが大社修繕と言う形で固く結ばれてしまった日なのである。千代にはその日を悲しむことしかできなかったのだ。
 その法皇に関わる事実を寅之雄が知ったのは、その日から実に二十年の後の、千代の往生際だった。死の気配が差し迫っているときに至極か細い声でささやいたのだ。
『駒になってはなりませぬ。最後には、あなた様が盤を動かしなさいませ』
 千代の遺言がそれであった。
「もっと、早う言ってほしかったのう」
 髭を触られながら、寅之雄は目に涙を浮かべた。
「さようにございますねえ」
 一拍遅れて打たれた華の相槌は、空しいほどに合っていた。

続く