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神代の子 ―贄―

五.

 寅之雄の死を法皇に告げ、黒鳳殿を出たところで、名賀玄仁は立ち尽くした。目の前には枝だけの桜がやるせなく突っ立っている。
 葬祭の件を皆に伝えよと言うのは一言でも、実際にそれをするには結構な手間となる。なにせ、二十を超える数の側室とそれに等しい数の親王だ。内裏にある御殿が切り良く十二殿と定められているせいで、同居している者さえいる。玄仁が親王の位にいた頃には、令ひとつで一堂に集めることもできただろうが、神職の一人にすぎない今の身分では適わないことだ。全員に伝えるには一人一人に訪いを入れるしかない。それでも、社に戻って文を一通ずつしたためることを考えれば随分と良いほうである。
 内裏にある十二の御殿は全てが廊下で繋がっているが、黒鳳殿から廊下続きになっている御殿は三方の殿だけである。四方の御殿を繋げば四殿となって便が良いのだが、死澱(死のよどみ)につながるとは縁起でもなく、正面には廊下を掛けずに桜を植えてある。
 右を見て、すぐに目に入る雅常殿(がじょうでん)を玄仁は嫌った。そこは、内裏に通う者なら誰もが知っている、側室が八人も同居している御殿だ。雅常殿という呼び名よりも、静寂殿とか無口殿とか、あるいは鬼黙殿といった呼び名で知られていることが、その魔境をよく表している。
 少し考えて、玄仁はとある親王を頼ることにした。永村を夜明け前に発ったおかげで、陽はまだそこまで高くないが、全員に知らせていては帰りが遅くなる。権禰宜たちには神葬祭の準備を進めるように言い残してきたものの、玄仁に従順でない彼らが滞りなく進めているか不安なのだ。万が一にも手間取るようなことがあって五日後に催すことができなければ、玄仁は期待を裏切ることになる。それだけは避けなければならない。
 できる限り早く務めを終えるには、一にも二にも頼れる者を見つけることだ。
 そうなると考え付くのは親王だった頃の友人となる。それが誰かと言えば、唯一心を通わせることができる朱沙(あかさ)親王しかいない。
 決めるや否や、玄仁の足は雅常殿の反対側にある八角殿へと向かった。
 
「おお!」
 顔を合わせるなり、朱沙親王は声を張り上げた。
「玄仁殿ではないか。久しいな」
 顔を合わせるのは実に三年ぶりになる。
 普段から名賀大社に詰める神職の一人に過ぎない玄仁が都を訪れることはない。大社を離れることを禁じられているわけではないが、都に来て法皇に目通りせずに帰ることはありえないからだ。都に来れば必ず法皇に一睨みされ、とぼとぼと帰るのが平常となっていて、それが玄仁を都から遠ざけていた訳である。
 逆に、親王たちが大社と訪れることはある。年始行事の初詣が名賀大社と決まっているのだから、一年に一度はその機会があることになるのだ。しかし、近年は立て続けに親王が亡くなって、今年も静かな正月だった。立て続けに亡くなるというのは凶兆のようにも聞こえるが、誰しも突飛な死ではなかったし、親王と妾の数からすれば、十分にありえることだ。
 今日はその逆である。
「寅之雄殿がみまかられたか。 いつのことだ?」
「今朝未明のことだった」
 仮にも相手は親王なのだが、幼馴染のというところがあって、玄仁の口調は、つい砕けたものになってしまう。朱沙親王が嫌な顔をしないというのも、それに拍車をかけていた。
「左様か……」
 朱沙親王は目を伏せた。いかにも残念そうな表情だった。
 それこそが、玄仁が法皇に求めていた反応だ。古い付き合いの友ならば、立場の違いを超えて悲しみを共有できる。玄仁は不謹慎にも嬉しくなった。
「法皇様には?」
「先刻に」
「そして、胸を悪くして、ここへ参られたのか」
「……その通りだ」
「察しはつく。我れらが法皇ながら、情けないものよ。して、他の者たちへはこれからというわけだな?」
「そうなのだが、ついては、朱沙殿にお願いの義が――」
 他の親王たちへの言伝を手伝ってほしいと率直に言うと、親王は小刻みにうなづいた。
「ちょうどこれより、親王の会が開かれる。そなたも加わってはどうだ?」
 正直を言って、少し気が引けた。香治の国は一切が法皇にゆだねられているとはいえ、政の細部を取り決めているのは親王たちだ。その重要な会合に一人の神職がふらりと立ち寄っていいものかと言えば、答えは知れている。しかし、寅之雄が往生した今、玄仁はただの神職ではない。名賀大社の神主となる者なのだ。後日世襲することを告げるには、これ以上ない最適の場と言える。
 恥ずかしいほどに弱い頷きになったが、親王は話を進めた。
「決まりだ。最初は私から話そう。
 しかし、鬼黙殿より先にここに来たのは正解だった」
「……というと?」
「昨晩のことだ。蓮雁(はなかり)親王に子が生まれてな。御正室殿の懐妊が知れてから、鬼黙殿は畜黙殿に昇華しておる。秋ごろなんぞは、鈴虫すら鳴かなかったそうだ」
 それほどに殺気立っていたということらしい。
 鬼ばかりか家畜すらも黙る殿にいる女たちは皆、春をとっくに過ぎて残暑に腐った果実だ。法皇の褥に呼ばれる日が未来永劫に訪れない悲しい女たちなのだ。それぞれが腹を痛めて生んだ子たちが日の目を見るまでもなく年を取り、政の中心から遠ざかっていくのを見ているしかない。そんな彼女らにとって、法皇の血をつなぐ子は――たとえ法皇の直系の子ではない、ただの斐川家の子だとしても――妬みの種となる。
 御所には全く顔を出していなかった玄仁でも、中秋のころの畜黙殿の様子がありありと思い描けた。
「……生まれたのは、男子か?」
「男子だ」
 朱沙親王はつまらなそうに言った。
 世継ぎという意味で男児は喜ばれるべきものなのだが、斐川法家は少々事情が違う。玄仁の知る限り、五十年以上の間に生まれた女子は浦春という名の法皇の直系に生まれた子供一人であり、その浦春にも法皇の子種では無いという噂がある。それが事実ならば、法家からは長いこと女子が生まれていないという事になってしまう。朱沙にかぎらず法家の者ならばその呪いともいうべき流れが蓮雁親王の子によって断ち切られることを望んでいたにちがいない。口角をよじった顔を見れば十分に伝わってきた。
「しかし、まあ、新たな時代を担うであろう男子が生まれたことには変わりない。この世は常に、新たな時へ移ろっておるということだ」
 鬼女さながらに子供の誕生を喜んでいないように見えたことに、ばつが悪いと感じたのか、親王がそそくさとそう言い足した。
 新たな時へ移ろう――。
 それは、寅之雄が死に、玄仁が神主となることを示唆しているようで、またそれ以上に唯示法王の退去を望んでいるようにも聞こえた。後者は斐川法家の大半の者が望んでいることだ。唯示法皇が“あの心の持ち主”(亜の心。すなわち悪の意)と揶揄されているのは、何もこの二人の間に限ったことではなかった。
「もう一つ、そなたの耳に入れておきたい知らせがある」
 玄仁が黙っていると、朱沙親王が言った。
「吉事か?」
 大きくうなづく朱沙親王を見て、玄仁は笑顔になった。
「そうだ。甥の一持(いちもち)新王が、ついに梅子殿を迎えたのだ。いやはや、梅子殿が香治の国へ参って、五年になるか。梅子殿をこの香治の国に呼んだのは、そなたの功だと聞き及んでいた故、感謝しておる。うまく運べば、来年初めの挨拶の折には初孫を知らせることができるやもしれぬぞ」
 玄仁はその言葉を、終始笑顔で受け止めた。梅子の名を聞いた瞬間から笑顔のまま硬直し、言葉をはさむこともできなかったのだが、朱沙はそのことに気づかなかったようだ。
 玄仁と梅子との直接の面識はない。おそらく、梅子にとっても、名賀大社の神職として玄仁の名を聞いたことはあっても、顔は知らないだろう。この後の会合で玄仁の名が一持親王から伝わって、初めて名を知らされるのがせいぜいだ。
 しかし、玄仁は梅子の名前を、彼女が一持親王に嫁ぐ前から知っている。彼女が生まれてからここへ来るまでに過ごしてきた字川の国を知っている、と言った方が適しているかもしれない。
「どうかされたか?」
 険しい顔になった朱沙親王に、玄仁は背中に汗をかいた。
「いや、何でもござらぬ」
「何か、具合が悪いように見受けらえるが……」
 気が付けば玄仁は横腹を抑えていた。字川のことを思い出せば腹が痛むのは今に始まったことではない。どんなに心情を隠しても、腹の疼きは隠せなかった。
「気になさるな。気が緩んだのだ」
「気が緩めば腹も緩むのか? それではまるで病だな」
 あながち間違っていない、と玄仁は思う。下の話になるが、ことに法皇と会う時などは腹が痛むに留まらず、便は形を保っていないのだ。それでも玄仁は、気にするなと言い逃げるしかなかった。
 親王の会合まで時はある。そのまま朱沙親王と話し込んでもよかったが、避け続けていた実父に会った直後で、おまけにようやく忘れられつつあった字川の名前まで出て、疲れがどっと押し寄せてきた。
 玄仁は八角殿の一室を借りて、横になることにした。
 独りでいると、義父と実父の顔が交互に浮かんで、どちらにしても悲しい気持ちが沸き起こる。妻の麻桐がまだ生きていたら、その中に一筋の光を刺してくれただろうに、と思うものの、それを考えるとさらに悲しい気持ちが押し寄せてくる。今、玄仁を支えている光は、強いて見出すなら一つしかない。愛娘の糸蘇が放つ光だ。しかしそれも、糸蘇が巫女として戒羅の集落に入ってからは、文の行き来があるだけで、あまり近い存在とは言えなくなっている。これから先、玄仁は法皇が支配する暗い海の上で、その遠い光だけを頼りに名賀大社という船を手繰らねばならない。いくつもの波を避けてくれた寅之雄は、もはや船を降りて別の岸に渡ってしまったのだ。
 鬱屈とした気持ちのまま意味のない時間を過ごし、玄仁は親王の会合に顔を出した。
 先んじて述べると香治の国における親王とは、元来、法皇の直系および兄弟にのみ与えられる称号である。つまり、当代では唯示法皇の身内は差支えなく親王を名乗ることができるということになるが、ここには例外的に刻家の人間も親王と呼ばれるのを無条件に許されている。それは長くに渡って都を護り続けてきた歴史を表敬するもので、彼らは法家筋の親王のように直系および兄弟に限られないため、法皇筋の親王よりも多くなる傾向にあった。したがって親王達の会合においても幅を利かせることになり、見ようによっては特定の一族による議場の占有とも取られる。それが許されているのは、法皇の血族とは無関係に会合を進められるという点が、民の生活に安定をもたらしているからなのだ。
 しかし、近年はそのように運んでいないのが実情だった。
 明らかにその制度を嫌っていた唯示法皇が、側めを何人も寝所に連れ込んで子を設けさせ、さらには身内の近親婚をも繰り返し、この十年で自身の血族を何十人も増やしたのである。そればかりか、刻家の人間を他国に出すという横暴にも出て、今では刻家の人間よりも法皇の血族が大きく上回って民の生活は無視されるようになっていった。皮肉なことに、それが名賀大社に救いを求める人間の増加につながり、そこで捧げられた銭や作物も、結局法皇の元に流れ込んでいる。
 ところで玄仁はというと、法皇の血族に当たるものの、名賀家に出されてからの方が長いために、異母兄弟というべき親族たちをほとんど知らない。むしろ、朱沙親王との繋がりから刻家の親王の方が分かるくらいだ。
 そんな背景があって、会合にはいくつもの見知った顔と、はるかに多いそうでない顔があった。見知った顔の者は玄仁の参上に驚いた後で、口元を綻ばせて会釈をしてくれた。その中で唯一、朱沙の父親で一持親王の祖父にあたる百時(ももとき)親王だけが何の反応も見せなかった。ただ、その理由は十分に分かっている。
 百時親王は寅之雄や法皇と同じ世代の人物なのだ。彼の人生を回顧すれば、二人よりも凄惨たるものだった。
 先代の那由法皇が病に伏した折、世継ぎとして第一に上がった名前が百時親王だった。刻家という出はもちろん、才覚と人格を兼ね備えた百時親王を推す声が内裏で一番大きかったことが背景にあったそうだ。
 しかし、見ての通りそれが現実となることはなかった。百時親王が毒を盛られたからである。九死に一生を得たものの希代の世継ぎは声を失い、表情も失った。その後に二番手だった唯示法皇が誕生したことを考えれば、誰が百時親王の命を狙ったのかは隠すのも難しいぐらいだったが、今やその悲惨な出来事の顛末がどれほど正しく遡及されたものかを知る者はいない。玄仁も朱沙も生まれていない昔の出来事で、分かっているのは百時親王が泣き寝入りをすることになったという虚しい結末だけである。
 その凄惨な過去にも美徳を見出すとするならば、それは百時親王が唯示法皇を恨むことが無かったことだろう。その気になれば、百時親王は法皇をよく思わなかった者たちを引き連れて内乱を起こすこともできた。それをしなかったのは、ひとえに百時親王の都に対する思いやりに尽きる。長く続いた飢饉で疲弊していた民を戦火に巻き込むまいと、身を引いたのである。それがあって、御所外では百時親王のことを“法家に残された良心”と呼ぶ声が大きい。“あの心”とは比にならない形容のしようである。
 玄仁は親しい友の父親とあって、こちらから視界に入り込んで頭を下げた。百時親王は頭の代わりに瞼をゆっくりと下し、ゆっくりと上げた。百時親王の目は潤んでいた。感極まった瞳というよりも病に侵されたような瞳で、どのような理由があるのかは知らないが、玄仁の記憶にある時から百時親王の目は潤んでいる。はた目には淀んだ井戸の底に沈む銅鏡を見るような目で、百時親王自身が『流れじの涙』と詠んだこともある。
 百時親王と朱沙親王の間には、一持親王が座っている。一同を眺める過程で、玄仁は一持親王をかすめ取るように見た。向こうからすれば、蠅でも追っているのかと思われたかもしれない。虫が湧くにはまだ早すぎる季節ではある。
 朱沙親王の左からしばらくは見知らぬ顔が続き、その中に一人だけ鸚哥(いんこ)親王が紛れていたが、玄仁の目は素通りをした。部屋の中央あたりに鹿泰(ろくだい)という名の親王が座っている。年のころは玄仁と近いうえに刻家ではない法皇の血筋、つまり玄仁の血縁にあたるのだが、接点はまったくなかった。妾の子という出生のためか、無口で目つきが鋭いという心象は子供のころから変わっていない。朱沙親王から聞いたところによると、御所にいることはほとんどなく、自らが各地の夜を歩き回り探索を行っているという話だ。
 偶然にも玄仁の左隣には、子が生まれたばかりという蓮雁親王が座っている。一刻も早く会合を切り上げて息子の顔を見たいのか、隣に座った時から体を揺すっていた。
 会合そのものは朱沙親王に任せれておけば、何ら問題はなかった。ありがたくも朱沙親王は、玄仁のことを持ち上げ、困ることがあったら相談になってくれるように諸親王に願ってくれ、親王たちは温かく向かいいれてくれた。もともと玄仁も親王だったのだから、いまさら窮屈な思いに駆られることもなかった。なにより、玄仁が親王の位をはく奪されたことに同情していた親王たちが、意外にも多かったことに驚かされた具合だった。
 そうして会合は静かに、しかし温かく終わり、真っ先に蓮雁親王が出て行った。最後まで微動だにしなったのは百時親王で、やはり瞳を濡らしたまま、朱沙親王に導かれてゆっくりと立った。

続く