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神代の子 ―贄―

十.

「父上!」
 真冬の夜半に落ちた雷は、玄仁の鼓膜と心臓を同時に突き破った。
「何ごとだ、騒々しい」
「御条様に何をなさりましたか」
 糸蘇の怒りはすさまじかった。長い人生で何人かの怒りに触れたことはあるが、思春期の最中にいる女の怒りが最も真っ直ぐで、けたたましいと知ったほどにだ。
「なにというほどのことはない。木簡を贈っただけだ」
「木簡とは、これにござりまするな」
 娘の怒りを直に受けまいと、体の向きを違えて応じていた玄仁だったが、その言葉に誘われて目をやると、糸蘇の手には例の、隙間なく札の貼られた木簡があった。
「……いかにも。それの何が悪い」
「いいえ。所詮、法皇様の手先どころか、爪先に過ぎぬ父に、罪はござりませぬ」
「なんと。それが親に対しての言葉か!」
「都合のいい時だけ父親面をしないでいただけますか。私と御条様のことを嫌っての仕打ちにございましょう!」
「木簡を渡しただけだというておる。何をそんなに苛立っておるのだ」
「ご自身の目と耳でお確かめくだされ!」
 糸蘇の手から、木簡が勢いよく叩きつけられ、木簡の蓋が外れて玄仁の膝の上に乗った。どかどかと出ていく娘を追いかけようと床に手を衝いたところで、あたりが何らかの粉にまみれていることに気づく。手触りは灰であった。
 本人の意図したところだったのかは知らないが、糸蘇がとった行動は荒々しくも玄仁を焚きつけるには十分すぎるほどで、朝までろくに眠れなかった玄仁は、早朝から輿(こし)に飛び込んで御所に向かった。
 これまでにないほど長く感じる道中をなんとかやり過ごして御所に入ると、玄仁は雅常殿(がじょうでん)を訪ねた。当時まだ鬼黙殿とは呼ばれていなかったそこの一室が御条親王に与えられており、先日、木簡を届けた部屋だった。
 部屋は伽藍(がらん)に明け渡されていた。机も棚も屏風も敷き畳さえもない。数えきれないほどの刀傷だけが、ここで起こった大事の証拠としてあった。どうやって付けたのか、天井にまで伸びていた。
「何があったのだ」
 ひとり、そう呟きながらも、玄仁の足は黒鳳殿へと向かった。事態の説明を求めるなら元凶であろう者に訊くしかない。
 しかし、黒鳳殿に唯示法皇の姿を見つけることはできなかった。御簾の横にいつも通りに座っていた鸚哥は玄仁の問いに対して無言を貫き、その様から相手にしないつもりなのだと知った。
 こんな時に頼れるのは一人しかおらず、玄仁の足は迷わず八角殿に向かった。
「朱沙殿!」
「おお、玄仁殿か。そんなに荒れ狂って、一体どうした」
 昼も近いというのに、酒明けの起き抜けだったようで、甚だ迷惑そうな顔で現れた親王も、玄仁の口から御条親王の言葉が飛び出すとその怠惰な表情を一変させた。
「……戸口ではなんだ。入り」
 別室に通される過程で、朱沙親王は細君に水を頼んだ。前後に漏れたため息は酒気に満ちていたが、それではない不穏な空気が廊下に充満した。
「さて、私のところに来たということは、会えなかったということか」
「その通りだ」
「であろうな。亜の心の持ち主らしい。息子に糾弾されるのを面倒がって隠れたか」
 名を出さずに、朱沙親王は法皇と玄仁のことを示唆した。
「まあよい。単刀直入に申し上げるが、御条親王はもう御条親王ではない」
「……どういうことだ?」
「奇怪な刀に魅入られて母とその取り巻きを斬り、行方をくらませたのだ」
 ここに来るまでに掻いた汗に、じんわりと脂が混ざった。
「三月ほど前の秋ごろ、いや、終わりの頃だったか――」
 細君の運んできた水瓶が空になるまで飲み干した後に、朱沙新王は語り始めた。これから季節外れの怪談を聞かされるようだったが、玄仁はすでに冷や汗をかいていた。御条親王に御神体を預けたのが秋の終わりごろだっだ。
「どうした? 顔色が優れんな?」
「構うな。続けてくれ」
「うむ。……秋の終わりから、雅常殿の一室から妙な音が聞こえてくるという話が沸いてきた」
 何とも説明のつかない音だったらしい。うめき声のように低く響いたという者も居れば、女の叫び声のごとく甲高い音だったという者もいて、だれも他の者の言葉に同意できないような音だった、と朱沙親王は言った。一様にそろっていたのは、何らかの音がしたということだけだった。
「いまだに何の音かは分からん。私が聞いた限りでは……凶暴な猿のようだった」
 そう言っておきながら、朱沙親王は首を横に振って続ける。
「とにかく妙な音が雅常殿から響いたのは確かだ。しかし、妙だったのは――」
 唯一、その音を知らないと言った者がいたことである。武官が槍を持ち出すほど、誰もが気づいた音だったのに、奇妙なことだった。いうまでもなく、その人物こそが御条親王であった。
「最初の内は、御条親王の眠りが深いだけなのだろうと思っていた。彼以外が耳にしていたといっても誰の説明も一致しないのだから、真夜中の幻聴だったという可能性も捨てきれぬし、木枯らしの強い時期でもあった」
 だが、どうもそうではなかった。
 不気味な音の怪談が数日のうちに収束せず、御所中に広まるようになっていくと、変わり者の鸚哥親王までがうろたえる様になり、ついに法皇に進言した。
「その答えは、『捨て置け』だったようだ」
 夜に鳴り響く猿の吼声よりも、鶴の一声である。御所内でその話に触れる者はすぐにいなくなった。
「その分だけ、私は周囲を観察するようになった。何しろ、うるそうて眠れぬ。気づかぬほどに眠れる御条親王がうらやましかった。だが、そう思えば思うほど、本当にかの親王が眠れているのかが気になるようになった。そうして、ある日、廊下で出くわしたときに気が付いたのだ」
 以前より明らかに痩せていた。そればかりか、目の下には墨を塗りたくったような隈をこしらえている。
「よく眠れている男の顔ではなかった。何かに憑かれた。あれはそういう顔であった」
 その“何か”がなんであるかを既に察している玄仁にとって、その先の朱沙親王が“何か”を突き止めるまでのくだりは、脚を痺れさせるものだった。とにかく玄仁は、察していることがばれない様に、丁寧に聞くふりをした。
「……そして、私はついに突き止めたのだ。あれは妙な太刀だった。あれこそが妖し刀というものだろう。御条親王はその妖し刀に取りつかれてしまったのだ。情けない話だが、私はその場を逃げ出したよ」
 その場、とは、朱沙親王が御条親王の部屋をのぞき見た垣間のことだろう。そんなような話をしていたはずだ。
「それからというもの、私は露知らぬふりをして、とにかく関わらないようにした」
 朱沙親王が己を嘲った。
 今の玄人自身と似たようなものだ。恥ずべきことではないと伝えるべきだったのかもしれないが、話をしっかり聴いていなかったために返す言葉が思い当たらず、玄仁はただ黙った。
「それから数日の内だ。雅常堂で惨殺騒ぎが起こって、御条親王が例の太刀とともに消えた」
 もっとも聞きたかったことが省かれてしまい、玄仁は焦れた。
「一体、御条親王に何が起こったというのだ?」
「私には分からん。妖し刀に憑かれた、と、言うしかなかろう。しかし、どうした玄人。そんなに焦って。お主らしからぬ言動だな――」
 玄仁は友の言葉には耳を貸せず、表情すら取り繕わずにその場を離れた。
 御条親王も御神体も行方不明となっては、義父にも娘にも合わせる顔がない。名賀家の人間以外で、この件を納められる者といえば法皇ぐらいのものだが、おそらく当面は隠れたまま出てこないだろう。
 当時の玄人できることと言えば、なにが御条親王を狂わせたのかは調べることぐらいだった。
 玄仁は大急ぎで社に戻り、書庫に眠る膨大な文献を調べに調べた。すると、御神体、勾玉飾黄金菱連一差に関わる曰くはすぐに玄人の知るところとなった。これほど手早く調べが付くのなら、先に目を通しておけば良かったと思うばかりであった。
 御神体が禍差という名で歴史に登場するまでに、おおよそ三百年をさかのぼる必要があった。確かめることができたのは紙でも木皮でもなく石碑に彫られた叙事詩の中で、その石碑は今の字川にあったらしい。石に文字を掘るという行いは、白樺の樹皮に字をしたためた文化ができた後のことであろうから、字川の文字文化よりも最近の出来事なのだろう。
 その石碑の複写文献によれば当時の禍差は拵えの無い粗野な太刀だったようで、勾玉飾云々の派手な名前の付く原因となった、豪華な鞘と柄は斐川法家のひとつ前の持主が誂えたそうだ。残念ながら、その持主が誰であったかを知ることはできなかった。玄仁にできたのは、そのことが書かれていたであろう文献が存在していたことを見つけるまでであった。
 様式を変えた経緯はつかめなかった一方で、勾玉飾になる以前の、禍差に関する文献は大量に残っていた。血眼ですべての文献に目を通した玄仁だったが、聴こえのいい話は一つもなく、途中からは血で書かれた巻物を観ているような気分になった。
 過去を辿ると禍差が流れ着いた領地は八つを数えた。そのうち、明らかに禍差が禍を招いたという印象を抱いたのは、六つである。二つは禍差を巡る骨肉の争いであり、他の四つはそれを狙った外敵の侵入であった。残りの二つは滅亡と禍差のつながりが読み取れなかったが、それらを除いても禍差が禍差と呼ばれるようになった所以は十分に知りえた。
 しかし、腑に落ちないこともある。
 なぜ禍を招く妖しの刀が、名賀大社の御神体になったのかということだ。そして、それから二百年近い時の流れをともにしてきたというのに、なぜ香治の国は安泰なのだろうか。
 答えを得るためにはまず、禍差が何なのかを知る必要があった。しかし、禍差が文献に現れた時期は分かっても、また禍差が勾玉飾となった時期は分かっても、その出生は謎に包まれている。分かり得るのは、それが紙の登場よりも早くにあったという事だけだ。
「紙よりも早く……。神より……? いや、馬鹿な」
 飯も食わずに調べに耽るあまり、朦朧としてきた頭が韻だけで結びつけた子供じみた言葉遊びだとは思ったが、もしも禍差が神につながる物だったというのなら、それが名賀大社の御神体となったことは理にかなっている。
 実を言えば、ある日突然、親王から神職に転じた玄仁は、最初に御神体と聞かされた時には心の奥底で笑っていたものだった。今でもその気持ちは少なからずある。しかし、あれが本当に、文字通りの神より出でた御神体だったというのなら、それは人が持つべきものではないはずだ。
 その危険なものを、玄仁は一介の親王に預けたわけである。
「馬鹿な……」
 先ほどより幾分可能性を込めながら、玄仁はもう一度つぶやいた。つぶやいたところで、書庫の戸が開いた。
「何をしておる?」
 現れたのは寅之雄だった。
 義父の後ろに映る外の景色はだいぶ暗い。どうやら、社務所の戸締りをして住居に籠ろうという頃合いのようだ。
「いや、些細な調べ事にございます」
 御神体を失ったなどとは言うに言えず、お茶を濁した。
 虚栄心からか、御神体の所以を聞くこともできず、玄仁はおとなしく書庫を出て住居に戻った。
 狼狩りで言うならば、住処は突き止められなかったものの、習性は分かったというところだろう。それだけでも十分だった。危険な代物であることは分かったし、それを御条親王に渡したという自身の罪も推し量ることができる。
 ただ、玄仁は言い訳が欲しかった。確かに危険な太刀を若輩者に預けたが、それが原因で御条親王が父母を殺めたわけではないと、糸蘇に弁明したかったのである。
 そして、もう一つ玄仁には重大な仕事が残されている。失せた御神体の捜索を、社の人間に悟られることなく進めなければならないのだ。
 この先何を足掛かりにするかという見当は微塵もつかない。禍差について知り得たのは、その曰くと、一時的に姿を消した末に唐突に木簡に収まって姿を現したということまでで、空白の期間はその年月さえもあいまいなのだ。
 木簡。そういえば糸蘇が叩きつけた木簡からは、大量の灰がこぼれ出た。あの灰はどこの誰が、何のために詰め込んだものなのだろうか。
 その答えを知ったところで、御神体の居場所も糸蘇への弁明も解決するようには思えないが、玄仁の思考を誘っているのは気のせいではない。
 幸い、戻った自室は灰の散乱するがままだった。誰もこの部屋を掃除するはずがないのだから、寂しくも然るべきである。
 話はそれるが、この頃すでに――と言うことすら手遅れだが――玄仁は名賀家の中で孤立していた。社に昔から仕えてきた者たちにとっては玄仁のことが憎たらしいのだ。彼らにとっては、神の次に大事にしていた名賀家の一人娘を斐川法家の人間が奪っていったと思えてならないのだろう。寅之雄が法皇とうまくいっていなかったことも拍車をかけている。だから、寅之雄を除いた老齢の権禰宜は、あからさまに玄仁に冷たく当たる。そればかりか、彼らに従事する若者すら、玄仁を嘗めた目で見たものだ。
 玄仁が神主の位置に立った今となれば、老齢の者たちを名賀大社から追い出すことはできるかもしれない。しかし、彼らは玄仁を嫌う代表者であってその根源ではない。彼らを追い出せば他の誰かが台頭し、「やはり玄仁は法皇の下僕だ」と言い立てることだろう。
 それは言うまでもなく玄仁の望むところではない。玄仁はむしろ、遺産ともいえる前代の権禰宜たちと結託しなくてはならないのだ。そのためには、今からでも法皇に立ち向かう姿を見せ、同じ側に立っていることを示さねばならない。
 ただ、それができるのなら麻桐が生きている内にやったものだという事も、玄仁は自嘲するほどに知っていた。所詮、己はその程度の男なのだ。権威に逆らう事なく大人しく天寿を全うすることにちがいない、と。
 どうであれ、その時は、散らかる部屋をそのままにして、玄仁は床に就いた。灰に込められた謎を調べるべきだとは知っていたが、一日を越して鞭打たれた体は限界を越していた。
 そして迎えた翌朝、玄仁は起き抜けに法皇の使者に迎えられ、再び都に入ることになった。もはや何が何だか訳が分からなくなっていたのは、輿に揺さぶられたせいではなかった。
「失礼仕りまする」
 そう言って昼御座に入っていった玄仁を迎えたのは、煌びやかに装飾が施された太刀でだった。おや、と思ったのも一瞬で、柄に輝く勾玉がそのなりを語っていた。禍差であった。つまりそれが、法皇の呼び出しの意味だろう。
「御条のくだん、ようやった」
 御簾の奥から、聴き慣れても聴き馴れない法皇の声がした。
「邪魔者が消えて、お前も安心しておろう。しかし、壬の年に生まれたあの男でも金物には目がくらんだか。くふふふ」
 玄仁は黙ってそれを聞いた。
 法皇の一言一句に同意したわけではない。ほとほと疲れ果てたのだ。ただぼんやりと、脳の中枢で御条親王がこの世にいないことを察した。
 となれば、糸蘇は一層、自分から離れていくだろう。
 その言い訳はできない。何も考えずに動いた己の咎だ。法皇を責めたところで得るものがない以上、そう猛省するしかないのだ。しかし、そうは言っても一通りの確認はすべきだ。
「御条親王は、いずこへ?」
「逝ってはおらぬ。いや、逝ったようなものか。いずれにせよ、あやつはもう御条ではなくなった。あれはただの――」
 鬼畜だ、と方法は言い放った。
 いまひとつ掴みどころのない言葉だったが、言い換えればつまり人間ではなくなった、ということか。やはり、もはや糸蘇と並んで歩けるような存在とは呼べなくなってしまったようだ。
 玄仁はその後も悦に浸る法皇の言葉を半刻近くも聞き続けた。苦痛すらも次第に薄れ、何かの中毒に至ったかのような、救いの無い平穏の中を座り通すのは、蛇に飲まれて消化される時を待つ雛鳥のようでもあった。
 それも、ようやく終いになって、例の酒気くさく、汚い音の嗚咽が聞こえると、法皇がしばらく御神体を預かると言った。
「安堵せよ。悪いようには扱わぬ。下がってよいぞ」
 食い下がっても無駄だろうと分かっていた玄仁は、畳に額をつけて、そのまま後ずさりをするように黒鳳殿を出た。
 預かるという法皇の言葉が頂戴するという言葉と同じだろうと気づいたのは社へ戻る輿の中でのことだったが、その通りに玄仁が再び禍差を目にするまでには、そこから十年近くの歳月が流れた後のことになった。そして、それこそが、下津留を滅ぼして来いという指示が下された時のことである。
 糸蘇の心がはるかに遠ざかり、自暴自棄になっていた玄仁は、その命に従った。禍差を下都留を治めていた九代目の洲汪帝に送って体制の弱体化を図ると同時に、下津留と敵対していた上都留に、徴兵する金銭を与えて反乱を生んだのであった。すべて、法皇の言葉通りの働きだった。
 
 今に帰って、社に戻る道程の玄仁は自省する。
 麻桐が怒っているのは、御条親王のことばかりでも下都留のことばかりでもない。その両方なのだ。
 愛娘の慕う者を鬼畜に落とし、そこで御神体の恐ろしさを知りながら、それを持って下津留を滅亡に追い込んだ。そして、何食わぬ顔で今をうろついている。
 麻桐はその全てに対して腹を立て、今、玄仁の腹をひどく痛めつけているのである。この先、亡き寅之雄に代わって名賀家の主となる人間の覚悟を、問い正しているのだろう。だからこそ、法皇に義父の死を告げた今、激しく傷んでいるのだ。
「許せ、麻桐。私とて嫌なのだ。こんな立場に生きとうないのだ」
 思わず嗚咽が漏れた。
「名賀殿」
 外に聞こえたのか、輿担ぎが外から呼びかけてくる。
「大事ない。気にせず進めてくれぬか」
「いえ、とうに着いておりますぞ」
 全く気が付いていなかった。己の歩んできた悪道を深く振り返りすぎたせいだ。「――左様か」
 玄仁は咳払いをして簾を捲った。
 輿から望んだ外は温かみを帯びてまばゆく輝いている。その中に浮かぶ名賀大社の赤い鳥居は尊い神の道を示すようだ。しかし、そうはあっても、顔に吹き付ける初春の風は、主を迎えるに冷たくあった。

続く