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神代の子 ―贄―

十三.

 月出(ひたち)の民。
 何も寅之雄が、その言葉を耳にしたのは御簾の奥から聞こえてきたのが初めてだったわけではない。記憶にある限り、祖母も祖父も月出の民について語っていたものだ。もちろんそれは幼少の頃であって、しかも寓話の一部であった。
 社に縁のない者たちがどうであるかは知るところにないが、名賀家の嫡子であればこう教わる。我らは、五巫女の血を継いだ大兄上尊(おおのえのみこと)を祖先とし、その血をつなぐ気高き存在であるのだぞ、と。
 忘れてはならないのは、大兄上尊に同じ血を分けた双子の弟、大弟君尊(おおのとのみこと)も存在したということだ。逸話には、二人の出生は同時であったとあり、何が兄弟を分けたかと言えば、頭から生まれたのが大兄上尊であり、足から生まれたのが大弟君尊だそうだ。
 その大兄弟の兄の血が名賀家に伝わっているように、弟の血もまたこの世に残ったとの言い伝えがあり、それを人知れずに今なお紡ぐ者たちが月出家である、と言われていた。
 話こそあれ、実際の月出家がどこにその根を下ろしたのかということは、まったく聞かされていない。なぜならば、大兄上尊が永村にたどり着いたのとは対照的に、大弟君尊は山へ籠り、その生涯を人目に薄さずに閉じたといわれているからだ。月出家の存在は、ずっと新月のままいるように、陰ったまま行方知れずになっていった。
 名賀家の人間は月出家の話も含めて後世へとその話を伝え続けてきたが、寅之雄自身が糸蘇に語った時も例に漏れず、語りながらにして半疑でいるものだ。
 その語り部の本流たる者達が信じていない一族の名を、法皇があっさりと口に出し、しかもそれを探してくるようにと命じた時には、寅之雄は馬鹿みたいに口を開けたまま、はあ、と返事とした。
 ひと月ほど調べても芽が出ないようなら、そのように報告するに留めよう、と考えはしたが、菜旬園の一幕が寅之雄を駆り立てて、名賀の神主は祭事を他の権禰宜にゆだねて、古い文献を漁る日々を過ごすようになった。とはいえ、大兄上尊の話にしろ、大弟君尊の話にしろ、数字のわからないほど昔の話である。少なくとも、人々が文字を使い始めるよりも昔のことに思え、香治国が所有する文献がそれを教えてくれるとは、到底思えなくなっていった。
 ついに半年がたったころ、精根尽きた寅之雄は黒鳳殿に訪いを入れ、見つけることができなかった、と法皇に直訴した。すると、御簾の間から扇子の頭が飛び出て、法皇の両眼がそこに飛び出た。両眼の目じりから黒目に向かって伸びる赤筋は、まさしく稲妻のなりをしていた。
 探して参れ、と再び法皇は言った。
 他の権禰宜たちの足を引っ張る日々は繰り返すまいと、法皇に食い下がったが、法皇の意を変えることはできなかった。曰く、法皇は既にある兄の血に、まだ見ぬ弟の血を迎えてこそ真の法皇に成り得る、らしい。法皇には似合つかわしくない迷信めいた動機に、寅之雄は呆然とし、とぼとぼと御所を出た。
 そこで、ばったりと織里に出くわした。奇遇を極めんばかりの出来事だった。
 
「覚えておるぞ。お主、寝そびれた九官鳥のような顔をしておった」
 織里が顔を真似た。ひどい顔ではあったが、あながち嘘ではないかもしれない。何せあの時、織里は寅之雄と気づかずに素通りしたのだ。それを思い出して、寅之雄は苦った。
「そういえばじゃ、織里。お主はあの折、御所でお何をしておったのじゃ?」
「儂か? なんじゃったかのう……。ああ、そうじゃ。戒羅じゃよ。法皇が毎月催すなどとほざいたせいで、陰陽師一同、呼び出されたのじゃ」
 その背景はともかくとして、二人の数年ぶりの邂逅は寅之雄に課せられた責務を大きく動かすことになった。
 
「月出家を? 探せと?」
 織里は寅之雄から話の一部始終を聞き出した後で、頭を掻いた。聞かねばよかったという顔にも見えたが、寅之雄はいくらか身が軽くなったような気がして、ありがたく思っていた。
 そもそも不思議なものだった。師の元を発ち、それぞれの道を歩み始めたころは、まったく親しい仲ではなかったはずだった。それがどこで間違えたのか、その時は織里の家に上がりこんで、泥酔するまでに酒を飲んでいた。神主たる者が、である。世の中には、不通であった年数の分だけ親しくなることも稀にあるらしい。
「難題だな、寅之雄よ」
「勅命とあっては仕方あるまい」
「……」
「何か、足がかりとなる物はないかな、織里」
 藁にすがる思いでそう尋ねたものだったが、織里は首を横に振らなかった。そして、少し間をおいてから、試してみるか、と小さな声で答えた。
「試す? いったい何をだ?」
「九字(くじ)だ」
 織里はそう言い残すと、奥の部屋に入っていき、寅之雄はそれに乗じてついていった。
 寅之雄はしばしの間、織里の所作を見ていた。酒が深くはいり過ぎていたせいで、その行いの意味を正しく理解していなかったが、かつて師が見せた陰陽道の動きをそのまま再現していたようで、ただただ感心した。
「西、と出た」
「……それは真か?」
「どうかな。所詮は九字だ。九字だが……。そう言えば、西方の天知の国境(くにざかい)にある山の頂に、月を崇める一族が住んでいる聞いたことがある。それが、月出の民とは考えられぬか?」
 天知国(あまちのくに)境にある山と言われて、寅之雄はその姿を思い出すのに時を要したが、突月ヶ岳(とつきがたけ)という名が浮かび上がると、同時にその天体の姿も容易に浮かんだ。記憶にある限り、龍臥峰より高いはずである。月ばかりか星を愛でるにも最良の場所となろう。
「やもしれぬ」
 あてつけのようにも思える。香治の国を中心にして物事を考えれば、西方の天知の山は月の出る山ではなく沈む山であって、月出の民にはそぐわない。
 しかし、法皇に急かされている以上、傍観しているわけにもいかない寅之雄は、さっそく天知の国へ、突月ヶ岳を探らさせるために法皇から人を拝借して密使を送った。
 結果は半年以上も待たされた挙句、空振りであった。密使は、その辺りに誰かが住んでいた痕跡を見つけはしたものの、誰一人として見つけることができなかったのだ。ただ、幸いにも法皇の猛者たちは手ぶらで帰参したわけではなかった。突月の山道を猟場にしていた山賊たちを締め上げて、一つの情報を得ていた。それは、月の満ちた晩に東方へ去ったというものだった。
 こちらへ向かってきているというのなら、彼らが山の頂から月を愛でる習慣をやめない限り見つけるのは難しいことではなない。障害があるとするならば、まさに登山の術に限られる。当たり前のこと、高山地帯に住む民族は足腰が常人と比べ物にならないほどに強い。いくらこちらの手駒が武芸者の集まりだったとしても、武の習得と登山のそれは次元の異なるものだ。体が大きさが山登りの足に向かくどうかは、勘の良い人間なら誰でも分かる。
 寅之雄は法皇の力添えのもとに人手を増やし、名だたる山々を虱(しらみ)潰しに調べ、ようやく月を崇める一族を見つけることができた。実に、五年近くの歳月を費やしていた。
 とにかく、その時は安堵した。これでようやく、法皇の怒りから免れることができる。そう思っていた。先を言えば、そこが始まりだった。
  都に連れて参れ――。
 法皇の返答は冷ややかだった。苦労を強いてきた寅之雄をほめるような言葉は一切なく、御簾は壁のようになって、揺れもしなかった。
 この時、既に悪寒がしていた。
 最初、法皇は大弟君尊の血を迎えると言っていたはずだ。それが、都にお迎えするではなく、連れてこいと言ったのである。よく考えれば、至極当たり前のことだ。名賀家が法皇に逆らえぬのと同じ状況を、法皇は月出家にも強いるつもりなのであった。
 残念なことに、その頃はまだ、そこまでの疑いを法皇に対して抱いていなかった。勅命であれば従うざるを得まい。そう、勝手に解釈していたのが、当時の未熟な神主であった。寅之雄は愚直にも法皇の指示に従い、月出の一族に接触した。
 月の陰る晩に迎えた一族との接触は、寅之雄にとって不思議な体験となった。
 彼らはまず、寅之雄が誰であるかを分かっていた。名乗りもしないのに己が誰であるかを言い当てられるのは、この上なく不気味なものだったのだが、彼らの帯びる雰囲気というか、纏う不可視の衣のようなものが、彼らを人の存在感をはるかに超えた者に押し上げていた。
 彼らは住処らしい住処を持たず、鳥が木々に巣を拵えるのと同じ要領で、樹木を根城にして生活をしていた。衣類を身にまとっているのはボロであり、裸足で歩く。まるで猿であるという表現はいささか問題があるだろうが、神話の時代がらその姿を変えずに、外界と交わることもなく暮らし続けてきたというのが事実ならば、それが身を偽っていない真の姿なのだろう。
 面会を求めた先に通された民の長は、初老の男で身なりも他の者と寸分違わなかったが、纏っている雰囲気は高潔そのものだった。御簾の奥の陰でしかない法皇に比べるとどちらが月で、どちらが日なのか、疑わしくなるほどだった。
 寅之雄は、呆然としてその様を眺め、長の言葉に耳を傾けた。
 彼らの出で立ちよりも、その存在に感銘を受けたのだ。寓話の中でしか存在を知らなかった者たちが、ほんの数か月前までは幻の存在だったはずの者が、目の前で、己が理解できる言葉を話している。寅之雄の魂だけが寓話の世界に飛び込んだようだった。
 しかし、いつまでも呆けてはいられない。寅之雄の使命とは、彼らを御所に連れて帰ることである。
 長は、彼らが月出の民であることと、大弟君尊の血を継ぐ存在であることを簡単に認め、次にどこの権力にも属さないことを宣言した。それが、神代の子たる彼らの信念なのだと語った。
 
「む。そのくだりは初めて聞くのう」
 織里が顎をさすった。
「云わなんだか?」
「うむ。神代の子、と、彼らが語ったというのは初耳じゃ」
「……それがなんじゃ? 気にかかるか?」
「いや、よい。先を進めい」
 解せぬ、という織里のつぶやきを、寅之雄は聞き逃さなかった。
 
 月出の民たちの抵抗に際して、寅之雄は勅命であることを盾に何とか食い下がろうとしたが、その後に待っていたのは、強烈な謗りの言葉の数々だった。月出の民は、法皇が名賀家の名のもとに支配を強め、諸国に覇権を聞かせていることを知っていたのだ。そして、その一端を担っている名賀家の主、寅之雄を軽蔑していた。
 言うまでもなく、結果は破局であった。寅之雄は、収穫のないまま再び香治の土を踏んだ。
 寅之雄の報告を聞いた法皇の態度は頑なで、聴く耳を全く持たなかった。寅之雄がどんなに方便を垂れても、連れて参れの一点張りで終いには、兵を与えるから必ず連れて帰るように、と言い切った。言い切った後で、「姫君をや」と足した。
 当節の寅之雄は後ろ暗い気持ちになった。なったところで、またもや救世主のように織里が現れた。
「少し、気になっていたことがある」
 たまたま巡り合った橋の上で、近況を告げあうと、若かりし頃の織里はそうつぶやいた。
「なんだ」
「以前にも、お前は『勅命だ』と言いおった。が、本当のところ、お前はそれでいいのか?」
「良いも悪いもあるものか。法皇様の命に背くことなどありえぬ」
「ふん。月出の集落は何人いると見る?」
「彼らは遊牧民だ。月の満ち欠けのように周期的に居を移ろえる。多くても三十は下ろう」
「対して、法皇の用意した兵は?」
「……四百」
 そこに寅之雄が加わって、交渉に赴く。想像しなくとも分かっている。これは交渉ではなく、脅迫である、と。
 それ以上、寅之雄は語りたくなかった。己の危惧していた事に気づかされるようで、怖かった。だから、旧友の返事は聞かずに、背を向けた。
 それでも織里は叫んだ。
「月出の民がこちらの要求に応じると思うのか?」
 寅之雄は唇を噛んだ。深く噛み過ぎて、ぷつりという音の後に鉄の味がした。
「争いになるやも知れぬ」
 次の瞬間、周囲を取り囲む蝉の声よりもはるかに大きな声が、遠ざかった織里の口から放たれた。
「貴様は何をしようというのか分かっているのか。集落を一つ滅ぼそうというのだぞ」
 分かっている。だが、それが勅命なのだ――。
  今にして思う。勅命とは何だったのだろう、と。逆らえば死が待っているとは誰かが言い出したことではない。勅命という言葉ができた時から、存在していた定義である。法皇が治める香治の国において、勅命は絶対であり、それに背くものは生に背くも同じだ。
 四十年近く昔の寅之雄には、ただ勅命であるから、と己に言い聞かせるしかできなかった。そして、それを最後に織里とは会わなくなった。
 寅之雄の記憶に残っている風景は、そこから少し時を駆ける。
 黒煙の立ち込める夜空を背景にして樹木を火種に燃え盛る炎と、火にあぶられて叫ぶ月出の長。斬り殺される無抵抗の民。そして、連れ出される赤子。
 その事実をありありと受け止めるに、寅之雄はまだまだ若すぎた。それが為に、全く別のことを考えていた。今年の冬は寒かろうか、などと。

続く