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神代の子 ―贄―

十四.

 寅之雄が正気を取り戻したのは、兵が退いた後だった。
 もはや、後悔すら取り返せない。己にできるのは、ひたすらにこの光景を受け止めて、祓ってやることぐらいである。それが何年掛かるか分からないが、己が彼らに招いた死の穢れが払われて、全員が等しくこの山の神にたどり着くまで、独り続けねばならないだろう。
 落陽はすでに地の裏へ去り、空に残る微々たる明るさもすぐに山の陰に飲まれようとする刻限だった。寅之雄は頭を深く下げた後で、近くの里へ下る道を歩もうとした。
「待たれい」
 不意を衝いて、闇から沸いた声が寅之雄の背を捉えた。
「待たぬか。大兄上(おおのえ)の子よ」
 耳を疑る声だった。焼き殺されたはずの月出の民の長が喋っているのだ。
「不思議なものだ。いつかは滅ぶと思うておったが、まさか同じ血を汲む者に滅ぼされようとは」
 声は続く。寅之雄は周囲を執拗に見回したが、人影はおろか気配も皆無だ。
「どこだ。どこにおる」
 張り上げた寅之雄の声は、虚しく木霊した。それを聞いて己の声がおかしいほどに震えているのが分かった。
「怖いか。なれば姿を見せてやろう」 
 木々の反響に次いで訪れた静けさが過ぎると、突如として白い粉が寅之雄の周囲を漂い始めた。よく見れば、そこここに転げる焼死体が粉を噴いている。灰であった。寅之雄は咄嗟に口元を袖で覆った。
 巻き上がる灰が徐々に長の顔を象っていく。やがて目の前には、雑木林の背丈もあろう巨大な顔が出来上がった。悪夢としか思えなかった。
「案ずるな、大兄上の子」
 長の言葉に合わせて、灰色の造形が口を動かす。
「もはや、儂に貴様の命をどうこうする力などない。だが、覚えておくがよい。我らは、五行邂逅の末に生まれた陽と陰の番(つがい)。個々に存在することは適わぬ。我らの血の途絶えは、そちらの血の途絶えでもあるのだ。すなわち、月出の血を根絶やしにすれば、そちらに流れる血も根絶やしになろう」
 巨大な双眸が寅之雄を睨み付ける。
「……かような脅し、私は恐れぬぞ」と、せいぜい粋がったところで、長の顔が寅之雄を嘲った。
「脅しではないわ。そちがどうなろうと、もはや構わぬ。我が恐れるは、この末よ。我ら亡き世は、人の世にあらぬ」
 忘れるな、寅之雄とやら――。
 そう言って、灰色の造形は形を崩し、寅之雄は破裂した灰の嵐に飲み込まれた。色味に反して異様な熱を帯びた灰の奔流は、同時に、吐き気を催すほどの強烈な匂いを帯びていた。人の肉と血と毛が焼ける、煉獄の釜の匂いだった。
 寅之雄の体は宙に投げ出され、意識を失った。

「気が付くと、儂は山里に至る道の途中で横たわっておった」
 ちらりと織里の反応を見ると、険しい顔を浮かべて聞き入っている。
「だいぶ時を経たようで、空の明るさは東際に移っておった」
「夢でも見ておったのではないのか?」
「いやいや。体は灰に塗れておった。それに……」
 寅之雄の懐に灰にまみれた書物が突っ込まれていた。見覚えのないその冊子に書かれていたのは、当時既に使われていなかった文字だった。
「……不可解じゃな。まるで妖術の類いに思える」
「誠に」
 その後、寅之雄はどうにか山里までたどり着き、そして短い休息の後、家路についた。
 話がひと段落したところで、すかさず織里が問いかける。
「では、お主の思い残したこととは、惨殺の記憶か?」
 少しの間、寅之雄は呆気にとられた。長い間対等の身になって話していたつもりだったが、今の己は霊体であって、悪霊にならずに済む方法を探してここに来た身だということを思い出した。
「残念じゃが、過去の罪は消えぬぞい」と織里が突き放す。
「また、妙なことを言う」
 寅之雄は噴出した。
「何がじゃ?」
「儂の思い残し指してを残念じゃ、と言うた。そんなことは分かっておる。だから<残念>なのじゃ。食べ残しが残飯であるというのと同じぐらい誰もが承知しておることを、さも偉そうに語りおった」
 寅之雄が己の身も顧みずに笑うと、織里は至極苦い顔をした。
「……薄々感づいておったが、貴様はすでに悪霊じゃ。やはり懲らしめて然るべきじゃな」
 かいていた胡坐を崩し、膝を立てた旧友に慌て、寅之雄は指を広げた。
「待て待て、冗談じゃ。気の短い奴め。寿命も縮まるぞ」
 貴様に言われたくない、と織里は舌打ちをかます。
「ともかくじゃ。過去の罪を消そうなどと、今更どうでもよい。その罪はこれから償うことになりそうじゃしのう」
 急に寅之雄の魂が真面目な面を見せたのが応えたのか、織里が腰を下ろした。
「なんじゃ、大社の神主ともあった者が、仏道を信じて地獄に参るか?」
「そうではない。じゃが、このまま何もなかったかのようには済まされまい、そう思うだけじゃ」
「うむ。確かに神道の通りに人が神の分霊だったとして、お主のような輩が神の一部に戻るとするならば、世は荒むばかりじゃ」
「むうぅ……認めざるを得まい」
 ここぞとばかりに織里は笑ったが、寅之雄には笑えなかった。
「さて、織里。やり残したこと、と、そう言うたのう」
 寅之雄が切り出す。
「実は一つだけある」
「誠か」

 香治国から多くの者が出兵しただけに、月出の民の件(くだん)を知る者は多かれど、その事実を正確にとらえている者は、法皇と寅之雄しかいなかった。なぜならば、兵たちは皆、山賊狩りという名目で出されたにすぎず、その準備に携わった親王たちも、皆一様にそう言い含められていたからだ。
 そんな次第で、御所でほとぼりがさめるのは月日を要さなかった。山賊たちを退治したところで、どこが平和になったのか、誰も知ることはなかったにせよ、いくらかの戦利品が兵や民にばらまかれて、戦いの報せと伴にもたらされた福は、鍛冶場の雪よりも早く庶民の間に溶けて行った。
 一方で、寅之雄は菜旬園を燃やした時と同じように、月出の長の残影にうなされることとなった。そして、妻の千代は、当たり前のように夫の異変に気づいていた。
「不安があるなら確かめに行かれては如何でしょうか?」
 ある日の朝餉の折、寅之雄は千代に不意を突かれる形となった。
「不安とな? ……そう見えるか?」
「はい。麻桐が風邪を引いた時よりも眉が寄ってございますよ。まるで万策尽きた碁盤を眺めるよう」
 そこからしばしの間、寅之雄は自問することになった。自身は何に怯えているのか、である。
 答えは目の前にあった。山中の大惨事から帰宅した夜に、あわてて書棚に放り込んだ、灰塗れの書物である。
 翌日、寅之雄はそれを懐に永村を発った。ひとえに、元の場所に戻すためだった。
 三月ぶりに訪れたそこに、もはや生活の痕跡はなくなっていた。草木も茸も雄々しく生えて、もともと自然と共存していた彼らの住居は完全に自然と同化してしまったようだった。
 もっとも、寅之雄はその当たりのことも予想していた。何しろ焼き討ちにしたのだ。原形を留めていることを期待するほうが誤っている。心づもりとしては、月出の民の亡きがらを伴うとともに、長が遺した書物も埋めてしまうことだった。
 しかし、その計画は現地に至ってすぐに霧消した。
 あれほど凄惨に斬られ、焼かれた月出の民の躯が一つとして落ちていないのだ。それはつまり、誰かが弔ったということに他ならない。
 はっとした時に、寅之雄は誰かの視線を背中で受けた。振り返ると、そこには数人の男が立っていた。一端に武装はしていたが、どういうわけか敵意の感じられない、案山子のような連中だった。
「何用か」
 双方の声が同じ音でぶつかった。
「陽の一族だな」
 こちらがたじろぐ間を相手に利用されて、寅之雄は閉口した。
「隠すな。血の匂いで分かる」
 筆頭格の男が一歩、また一歩と歩み寄る。寅年生まれの雄は、耳を倒した猫のようにじりじりと後ずさった。
「何をしにここへ戻った。もうここには何もないぞ」
 一間ほどの距離にまで近づいて、男はそう言った。よく見れば右耳の半分が金創でえぐれていて、寅之雄を十分に脅していた。
「その口ぶりからして、お主らは、月出の一族か?」
 務めて慎重に、寅之雄は口を利いた。
「いかにも」
 男は短く答えた。いたく冷たい目をしていた。
「そうか……」
 男の威圧感に怯えながら、寅之雄はどこか安心した。
 ここにいる面々だけかもしれないが、彼らは確かに月出の民だと答えた。滅ぼしたわけではなかったのだ。
 思わず笑みが出かけて、寅之雄は咳ばらいをした。
「今一度問うぞ。何をしに戻った。墓を荒らすつもりか」
「そうではない。これを返しに参ったまでだ」
 既に葬られたというのなら用は一つだ。寅之雄は抵抗を示さずに、懐から例の書物を出した。
 敵意を見せないように振る舞ったせいか、寅之雄の行動を怪訝に見つめるその男の目は少しも変わらなかったが、彼の従者らしき面々が刀を抜かなかっただけ、ましと言えた。身構えているのは奥に立つ見るからに若輩の青年一人だけだ。
「受け取れぬ」
 一言、男が言った。
「何故だ。もとはお主らの物だろう」
「今はそなたの物だ。我らが所有する権利はない。それに、その書がお主の元にあるということはそれは我らが主(あるじ)の意思であったということ。背くことはできぬ」
 不意に男が背を向けた。
「もうここへは来るな。じきに我々も発つ」
 行くぞ、と従者たちに声をかけて、男は歩き始めた。
「待て。何か私にできることはないのか?」
 寅之雄は声を張った。今にして、馬鹿げた発言だったと思う。おそらく彼らには、いまさら何の罪滅ぼしだと映ったことだろう。それでも、そう言わずにはいられなかった。月出の長の幻が、今も目の前にある。
 しかし、その愚かしい一言にも、男は足を止め、こちらを見た。
「追うな。言うな。それだけだ」
 寅之雄は山林が男たちの背を飲み込むまで、その姿を見つめた。やがて、誰の影も見えなくなり、寅之雄はまたも香治国へ帰らざるを得なくなった。
 何ひとつ成すことのできなかった寅之雄ではあったが、不思議なことに、その日を境に月出の長の幻影にうなされることがなくなった。あしらわれて戻ってきたのも同然で、許しを得たわけではないというのに、である。
 それにしても、もし、あの男の言うとおり、月出の長が例の書物を寅之雄に委ねたと言うのなら、是が非でもあれを解読せねばならないだろう。安眠をするのは、それからでなければなるまい。
 心に決めながら、ふと、ひとつの疑問が寅之雄の胸に引っかかった。
 短い会話の中で月出の男は、書物が寅之雄の元に渡ったことを“主の意思だ”と説いた。主従関係はがないはずの長と民の間柄で、集落の長を指して主と呼ぶのは異様である。彼らは、ある種世捨て人の集団のようなものだと寅之雄は思っている。その集団中に主従関係があるというのは、今一つ腑に落ちない。遊牧の民だろうとなんだろうと、誰かが特定の役割を担うことは十分にあるだろうが、従属関係があるというのは命を下す必要性を暗示するものであるからだ。
 何のために――。
 それもあるいは、書物の中に書かれているのかもしれない。となれば、どうにかして土産に頂戴した謎を解く方法はないものか。
 その日から、寅之雄の内職が始まった。他の権禰宜はおろか、千代にすら隠してその本をのぞき見ては内容を書き取り、何かと用を見つけては御所に出て、書院の蔵に収容されている古い書物と参考にしながら解読を進めた。実に、七か月と十日を要する根を詰める作業になった。

「で、何が書かれておったのじゃ」
「本殿にある故に、お主の眼で確かめるがよかろう」
「……祀ったのか」
「うむ。御神体の後ろ棚に隠した。あれはそこらに放っておけるものでは、のう」
 言い切らずに寅之雄は首を振った。
「――すると、儂に盗みに入れと申すか」
「他に術がない。じゃが価値はある」
「うむむ。しかし、この老体に鞭を打てと?」
「お主、自分が何であったのかを忘れたのか」
「過去の話じゃ。むしろそのせいで今は足を悪うして体が重い」
「ははは。安心せい。死ぬと軽くなる」
「……阿保なこと。仮に忍び込んだとして、本殿の鍵はどこじゃ」
「壊れておる」と、寅之雄は笑う。
「なんと。御神体までもが野ざらしというわけか」
「織里。お主、分かって言うておるのか。御神体は何年も昔から行方不明じゃよ。……あるいは、此処にあるのかもしれんがのう」
「やめい」
 返答に困るわ、と言ったあとで、織里は首を掻いて続けた。
「それで、もう終いか?」
「何がじゃ?」
「何がじゃ? ではない。お主のやり残したことを聞いておるといったというのに……。もしや、解読できなかったことがそれだとは言わんだろうな。だから儂に読めと言うのではなかろうな?」
「……ううむ。悔しいのう」
「図星か。じれったい奴め。素直に言うたら良いものを」
 はんっ、と寅之雄は鼻で笑った。この、年寄りの醜態の塊のような互いを前にして、“素直に”とはこそばゆい。それに気づいたようで、織里も苦笑した。
「しかし、お主の未練となると、儂は是が非でも読みかねばならんわけじゃ」
「冗談じゃ、馬鹿め。あれを読み解けなかった程度のことが儂の未練になるかい。儂は諦めが早いのじゃ。書物のことなど、さっきまで忘れておったわい」
 寅之雄は自慢にもならないことを鼻にかけて言った。
「じゃあ、何じゃ。他に何があるのじゃ、寅之雄」
「まあ、急ぐな若者よ」
 意地悪な笑みを浮かべて寅之雄が言う。
「直に本題じゃ。とはいえ、それから実に十五年余りを一足にまたぐことになるがの」
「十五年もか。となると、千代殿が亡くなったころじゃな」
「……何故分かる。そうか、華じゃな?」
「そう怖い顔をするな」
 寅之雄は唸った。
 千代の死は叔父に言うな、とは華に命じてこなかったが、言って良いとも伝えていない。悪気はなかっただろうが、こうまで話が知られているのは見透かされているようで癪だ。華にも、いたずらを仕掛けておけばよかったか、と寅之雄は今更ながら悔やんでみたところで、すぐに許そうと思った。それが丸々した華の、得な一面でもある。
「それで、千代殿の死がどう関わるのじゃ?」
 焦れているのか、織里は先を急ぐように言った。
 今になって気づいたが、老いた陰陽師の左手がずっと札を掴んだまま、五指が何かの印を結わいている。どうやら、織里と体を失った寅之雄の対面は、このまま永遠に続けられるものではないらしい。寄り道一つで御来光に間に合わなくなってしまうかもしれない、ということなのだろう。
 寅之雄は真面目になった語った。
「遺言じゃ。千代は去り際、儂にこう云うたのじゃ。駒にはなるな。最後には盤を動かせ、と」
 千代との別れはあまりに唐突だった、と寅之雄は回想する。
「病と聞いたが」
「……正しくは事故じゃ。龍臥峰の参道で足を滑らせてのう。およそ十間(約二十メートル)を落ちた。何とか一命を取り留めたが、その後長くは持たなんだ」
 首を強く打ちつけて喉を腫らし、飯を食えなくなった。全身を駆け巡る激痛に喘ぎながらも、痛みを和らげる薬湯を飲むのが精いっぱいで、千代は衰えて、最後には力尽きてしまった。
 千代が床に伏した日々は三日を数え、社の誰もが異変に気づいたが、事が起こった時に千代のそばにいたのは寅之雄だけだったために、寅之雄はその事実を伏した。神主の妻が霊峰から落ちたとあっては名賀家の沽券に関わるからだ。そのために、華にさえ、下山の途中で具合を悪くしたと言って、隠し通したのである。

続く