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神代の子 ―贄―

十五.

 寅之雄は千代を看取った後、その去り際の言葉を何度も思い返しては考えるようになった。千代の死はもちろん悲しかったが、同じくらいに、妻に法皇の駒のようだと思われていたことが寂しかった。妻から着せられた汚名のようなものである。
「どうすれば、その汚名を晴らせるのか。儂は考えるようになった」
「手遅れではあるな」と間髪入れずに織里。
「耳が痛いのう。じゃが、確かにそうじゃった」
 法皇の手ごまとなって集落一つ分を皆殺しにしたことは、どんなに苦言を呈されても責め苦を負わされても、済む話ではないだろう。ましては己は、民に平安をもたらす神職の身分を授かった者だ。増して罪が重いことは顧みなくても分かっていた。
 その罪を晴らすには罪を償うしか道はない。
 寅之雄は月出の民にためになることを探すべく、まずは法皇との距離を遠ざけることをし始めた。しかし、その意思はすぐに先方に伝わったようで、法皇は早速、玄仁と言う名の法皇の息がかかった親王を麻桐の婿養子とし、こちらに寄越すという手を打ってきた。
 結果を言えば、娘にも千代にも申し訳がないと思いながらも、玄人を迎え入れた。盤を動かすには隠れ蓑が必要だと考えたのだ。幸い、玄仁と言う男は麻桐に見とれてばかりで、間者のような怪しさがなく、麻桐が呆れるほどの愚図だった。麻桐からすれば不幸だったのかもしれないが、寅之雄には好都合だった。
 そうして法皇との距離を少しずつ離す傍ら、寅之雄はあの時行方を晦ました月出の民の従者の一族を探すことを始めた。あの時は彼らに拒まれたが、やはり彼らに接触しなくては何も始めることができないと考えてのことだった。
「しかし、それは愚かなことでもあるのう」
 織里が口をはさむ。
「そもそも、彼らが月出の民にかかわりが深いものとは限らぬかもしれん。山賊まがいの用心棒の可能性もあるじゃろう」
「いや、それがのう。山間で別れた時は知らなかったことじゃが……」と前置きして寅之雄は続ける。「彼らはやはり月出の民と所以のある者たちじゃった」
 すべてを解読したわけではなかったが、例の古文書にはいくつか読み取れる部分もあり、それが偶然にも彼らについて記述した箇所だった。
「ほう。何者なのじゃ?」
「その前に、大兄上尊と大弟君尊の話はどう終わった?」
 じらすように寅之雄が問いかける。
「大兄上尊は平野へ下り、大弟君尊は山へ隠れた」
「左様じゃ。そして、大兄上尊の血が名賀に繋がり、大弟君尊の血が月出に繋がっておる。しかし、じゃ。なぜ山に隠れた大弟の血が今に残るのか、不思議ではないか? 確かに平野に下りた大兄の血が今に流れるのは想像に易かろう。人と交わればいいだけじゃ」
「つまり、大弟の血も、山の人間と混ざったということか」
「そうじゃ。もっとも、記されていたのは少し違うがのう。古文書には、大弟が山に入った時、一人ではなかったとあった」
 五巫女が治めた世にも、当然のこと民衆と言える者たちがいた。巫女たちを慕って間近に感じようと集まってきた民である。そしてのその治世が巫女から大兄弟に受け継がれた時、兄はその民たちに混ざって世に溶け込んだが、弟は伝え通りに山に入ったわけである。
「なるほど、山間でひっそりと営み、一族を成したと言うわけか。しかし、何のためじゃ? 五巫女の統治が終わったのち、彼ら兄弟がこの世にそろっている必要はない。山に籠ろうという人間について回るのは何のためじゃ?」
「それは、儂には読めなんだ」
 寅之雄は大きなため息を吐いた。
「しかし、仔細は変わらんが、その答えにつながるかもしれん言葉を見つけた」
「なんじゃ?」と、織里が前のめりになって言う。
「太刀守(たちもり)じゃ」
 太刀守とは言葉の通り、刀を護る者のことである。
「……禍差か」
「そうとしか考えられまい。大弟君尊は人が嫌いで山に入ったのではないのかもしれん。禍差を民から遠ざけるために、山に隠れたのではないのかのう。数人の従者を連れたのは、己の命が潰えても禍差を護り続けるためじゃ」
 しかしその願いは果たせなかった。書物には記録されていないか、読み取れない出来事によって禍差は野に流出し、奇しくも名賀神社に流れ着いた。そして、月出の民は、時を経て本家と分家のごとき主従関係に落ち着き、最後の時を迎え、たまたま場を離れていた従者たちが生き残った。身なりを思い返すに、彼ら分家は本家を護る身分であったはずだ。どうりで月出の民は武力を用いず、無抵抗で、あまりにあっけなく滅んだわけである。
「儂はこの仮説に基づき、彼らが御神体を欲していると踏んだ」
 そして、それを返してやることが、ひとつの罪滅ぼしになるのではないかと思った。寅之雄は早速、名賀家に出入りする小作農家の一人、太々助(ただすけ)と言う男に、天知国の突月ヶ岳を散策するように頼んだ。ただの旅客にしかなりえない男ではあるが、それでもいずれ何かしらの情報を得てくれるだろうと、期待するしかなかった。
「時は、無情にも流れおった。儂の仕出かしたこと考えれば、結果が出るのには時を要すると腹をくくっていたとはいえ、あまりに長すぎた」 
 老人は自らの告白の陰で、愛娘、麻桐の死の床を見ていた。
 妻と娘。二人の死を安易に秤にかけることはできない。どちらも背骨がひしゃげるほどに重すぎるのだ。己の死はこんなにも軽いのに、人の死はどうしてあんなにも重いのか。いまでこそ不思議に思う。
 進展のない不毛の時は寅之雄の心までも凍らせ、日々は色を失ったまま過ぎ去っていった。
「待ちわびた太々助からの連絡は、二十云(うん)年を飛び越えおった。実に、長い年月じゃった。決して待ち惚けていたわけではないが、儂の人生は過ぎ行く時を後妻に迎えたようなものじゃ」
 月出の民の従者たちと再び相見える日を迎えた寅之雄はすでに還暦も迎えていて、あの時寅之雄が遭遇した従者たちの中心核の男も、禿げ上がった頭を光らせるようになっていた。
 寅之雄はその時の様を語る。
「かつて帯刀して目の前に現れた姿はそこにはなかった。右耳の金創こそ変わらなんだが、今の儂よりもはるかに顔色が悪くてのう、かつての月出の長の方が、かくしゃくとしておったわい」
 彼の男は、そこで初めて笑みを見せた。この先に期待する友好の印と言うよりも不吉の兆しに近かった。
「新たな族長は御神体に興味を示さず、その代わりに、頼みがある、と儂に言ってきた」
 彼らの役に立つことを願って再見を望んだ寅之雄だったが、これは何かとてつもなく厄介なことに巻き込まれると察して腰が引けた。己の身は覚悟の上であっても、社に関わる他の者たちに同じ覚悟を強いるつもりはなかったからだ。月出の彼らが、彼らにされたことと同じことを香治の民にし返すと言うのは、十分に考えられた。
 寅之雄の予感は大方当たっていた。
 男は、ぼそりと、耳打ちをするかのようにこういった。
「報復の機をよこせ、とな」
 当時の雰囲気を模して伝えたことで一層おどろおどろしく映えたのか、織里は背筋を伸ばした。が、それもつかの間で、すぐに納得した顔をした。
「なるほど。つまり、それがお主の遣り残しじゃな」
「ほほう。話が早いのう」
「当たり前じゃ。お主が復讐の機を与えたというのなら、どのような結末になったにせよ、とうに騒ぎになっておる。それが無いということは、まだじゃと言うことじゃろ」
「うむ。概ねその通りじゃ」
 寅之雄はうなづいた。
「しかしじゃ。それを儂に委ねられても無理じゃぞ」
 当たり前のこと、織里は首を横に振る。
「じゃろうな。儂とてそれなら断った。彼らにとって助けになることはしようというつもりでおったが、手先になるつもりは毛頭なかった。それゆえに、その男がそう話し出した時は、儂にも首を横に振る準備ができておった」
 もっとも、男は実際のところの報復を要求しなかった。もともと、そうした行動に興味を示さず、顔を見せるなと言って別れた男なのだ。隔てた年月は長かれど、考えを改めるほど若くもなかった。
「奴め、機だけで良いと言いおった。機だけでも十分に血気盛んな若者たちは納得する、とのう」
 寅之雄には、老僕の言葉が若輩者を抑えておく力を失くした己を嘆いているように聞こえた。
 数を訊くと、たった六人だと答えたが、それでも快諾はしなかった。香治国に紛れ込ませるのに、六人はさすがに目立つ。思案の果てに、寅之雄は数を減らすか小分けにすることを条件に了承した。
 顔を合わせた六人の若者は背格好も顔付も身なりさえも違っていて、上は二十、下は十幾つという年齢差があった。顔立ちの既に完成した者たちはある種の覚悟のようなものを目に宿していたが、まだ熟していない者達は、焼き釜から出されたばかりの器のように、もろく壊れそうに見えた。
「既に儂の背を超えていた者たちは早々に香治の国に迎えてやったが、二人を残したところで、儂は、少し時を隔てる必要がある、と思った。すぐに文をやって、こちらから声をかけるまで天知国(あまちのくに)に留まるように伝えたのじゃ」
「が、その後、筆を取っておらぬ。そうじゃな?」
「うむ。歳に負け、寝たきりになってしもた」
「……そのまま死におったお主に代わり、儂に手引きをせいと?」
「なあに、手引きだけじゃ。戒羅の戦い手としてでも招き入れて、その後彼らがどうするかは、彼らに任せるがよかろう」
「簡単に申すなよ、馬鹿者。そもそも何年前の話なのじゃ?」
「三、四年前じゃ」
 もう忘れていそうなものだが、とつぶやいて、織里は腕を懐に突っ込んだ。
「先に入った四人はどうしておる?」
「まず二人は逃げた。自由が欲しかったのじゃろう。どこで何をしとるか知らぬが、ここには来ておらぬ。それから、残りは死んだ。旅路でやら、疫病でやら」
「確かか?」
「確かじゃ。よって、残りの二人が四人と繋がって大事になることもあるまいて」
 織里はうう、と野犬のように唸った。
 あまりに深く悩むので、寅之雄は嫌気がさしてきて、「まあ、よいわ」と言った。
「これでは悪霊のようなものじゃ。お主をからかうのは楽しいが、苦しませるのは面白くはない。もはや、どうなろうと構わぬこと。儂も、一度は墓に持っていこうとした身じゃしのう」
「しかし、それではお主の怨念がこの地の残ろう」
「お主に話したことで晴れたわ。可笑しなものじゃな、話せば悩みが晴れるのは、死んでも同じらしい。ともかく、儂の話はもう終いじゃ」
「……まあ、それでお主が良いというのであれば、儂は構わぬが――」
「が――、何じゃ」
「一つどうも気になる。なぜ月出の民は、自らを“神代の子”と呼んだのじゃ」
「ふむ」
「思い返しても見よ、寅之雄。神代は五巫女の代名詞じゃ。尊の兄弟を指すものではない。五人の巫女が、五行の力によって神の代わりに世を治めた故に、神代の巫女なのじゃ。たしかに、大兄上尊と大弟君尊はその後を継いだ。しかし、尊の兄弟は大いなる力を持った存在であっても、五巫女の血を繋いだわけではないはずじゃ」
 言われて、寅之雄は五巫女神話を思い浮かべる。神話の解釈はいろいろあるが、登場人物は通じていて、秩序を守る五巫女と、秩序を乱した鬼と、その鬼を最後には討伐する尊の兄弟である。
 尊の兄弟は、物語の初めで非力な存在として描かれ、あっさりと鬼に敗れる。鬼は神代の力を狙って巫女に迫り、世は危機を迎える。秩序を保つだけの巫女たちにはそれを退ける勇気を持ちえなかったからだ。そこへ、尊の兄弟が死の恐れを捨て去って再び現れ、巫女たちに力を乞う。平和を祈る巫女たちは鬼を滅ぼすことを決め、尊の兄弟に神代の力を授け、尊の兄弟が鬼を討つというのが大筋であり、戒羅の原形となっているものだ。
「話の中で神代と呼ばれるのは巫女だけじゃ。そしてその力は尊の兄弟に渡ったが、血が永らえたという記述は一つもない。少なくとも五巫女神話の中では、じゃ。それを何故彼らは神代の子と自称したのじゃ」
「確かに、妙じゃな。じゃが、語られていないだけで、実のところ尊の兄弟は五巫女の血を継いでいるのかもしれぬ」
「もっともじゃ、が、その場合、誰の子じゃ。母は誰じゃ。五巫女は腹も五つあるぞ。どの巫女が、誰の子を産み、ほかの力はどこに消えたのじゃ」
 どこに金を隠したとでも言わんばかりに詰め寄る織里に、寅之雄は辟易した。
「儂に詰め寄られても困る。今の儂に言えるのは、やはり、あの書物を読めと言うことじゃ」
 むくれたあとに織里が「その書物とやら、誰かに届けさせてくれぬか?」と懇願するので、華にと言いかけて、寅之雄はすぐに思いとどめた。
 この先、名賀神社は玄仁の時代を迎える。その時に、華の立場がどうなるかは知れたものではない。玄仁と華は決して折り合いが悪かったわけでもないが、よかったとも言えないのだ。玄仁が華を煙たがったとして、その折に華が本殿から何かを盗み出したとなっては、まずかろう。
 いうまでもなく、その思いは織里にも共通している。だから、彼の眼は今、誰かほかの者を探しているのだ。
 ふいに思い立って、寅之雄は織里の額を突こうと手を伸ばした。
「なんじゃ、何をする」
 織里は不気味がって死者の手を払おうとしたが、陰陽師の手は寅之雄の手を通り抜けて空を掻き、寅之雄の手もまた、額に触れることもなく空振りになった。
「おぬしの力で、儂に物をつかめるような力を授けることはできんのか? さすれば、儂が一っ跳びに取って参るが」
「簡単に言ってくれるのう。姿見で精いっぱいじゃというのに」
 そうであった。織里の左手には今も札が力いっぱいに握られているのだ。
「良いわ。お主に聞いた儂が悪かった」
 織里はそう言って左手を隠したが、寅之雄はその細くなって血管の浮き出た手首を目にとめて、苦笑した。
「老けたのう、織里」
「死人がぬかすでないわ」
「いやいや。死ぬとは案外、健康なもんじゃ。体は軽いし、顔も若返るらしい」
「若返る? いやいや、儂の見ているお主の顔は、死ぬ前の爺のままじゃぞ」
「何と? ならばなぜ、お主は、儂がここへたどり着いたときに、儂を見るなり儂と分かったのじゃ」
 この部屋に飛び込んだとき、寅之雄は織里を織里と認識しなかった。老けていたからだ。しかし、織里は瞬時に寅之雄を認識した。それは、己の顔が最後に分かれたころのものに戻っていたからだと思ったが、違うらしい。
 寅之雄が尋ねると、織里は口を曲げた。
「……実をいうと、何度か社に忍んでおった。お主のためではないぞ、華のためじゃ。お主に預けたはよいが、うまくやっておるのか不安でならなくてな」
 嘘くさい。だったら、はなっから名賀神社などに送り込まず、都で働かせればよかったものを。
 寅之雄はそう思うにとどめた。二人の間に華という人物が現れたのはずいぶん昔のことになるが、この関係を残し続けてきたのは華であり、その最初の決断をした織里であり、己なのだ。今更そのことを問うつもりはない。思い出すのはあたたかな気持ちだけだったのだ。連絡が途絶えて、いささか寂しい心と強がりを持て余していたころに、受け取った文のことを思い出す。
 確かあの時、華を迎える理由を周囲には、法家の手の者に麻桐の世話をさせるのが嫌だ、と伝えていた。その一方で、俺を監視するつもりか、とも、都で働かせないのはなぜだ、とも勘ぐった。しかし、その根のところで、純粋にうれしかった。頼ってきてくれたことと、繋がりをとどめられることが。
「ところで、華は元気か?」
 悟ったように、織里が言う。
「すまぬ。最後に泣かせてしもうた」
「そうか、元気ということじゃな。喜怒哀楽がある内は元気じゃ」
「異なことを。なれば儂も元気じゃ」
「……主はただの化け物じゃ」
「云うたな、織里め」
 声をそろえて、二人は笑った。ひとしきり笑った後で、織里が言った。
「安心せい。糸蘇も元気じゃ」
 突拍子もなく、視界がぼやけ、寅之雄は体に熱を覚えた。可笑しなことに悪霊も瞳が濡れるらしい。
 この雰囲気が性に合わないのか、苦笑を浮かべながらも織里は続ける。
「しかし、織里とは懐かしい呼び名だ。今や、儂を名で呼びおる奴はおらなんだ」
「というと、……あれの方じゃな」
「なんじゃ、あれの方とは。お主、儂の姓を忘れおったか」
「いや、いや。この儂を見くびる出ないぞ」
 しかし、どういうわけか姓が出てこない。ここへきて、妙に頭がぼんやりしてきた。眠りに落ちる寸でのところにいるようだ。
「待て、寅之雄。お主、消えてきておるぞ」
「なに?」
 寅之雄は手を見た。が、織里の言う変化は分からなかった。もとより己の体は何も見えていないのだ。しかし、織里が言うのだからそうにちがいない。頭がぼんやりするのも、妙に体が温いのも、魂が消えかかっていることを示しているのだろう。
「別れの時じゃな」
 寅之雄が言うと、織里の白眉が再び目じりにかかり、翁は小さな声で、そうか、と応えた。
 霞みゆく視界の中に両手をついて頭を垂れる織里が映っている。ちょうど、若き日に沢庵をひっくり返した時の格好に似ていた。
 達者でな、織里――。
 別れの訪れがあまりに急だったせいで、寅之雄のその声が織里の耳に届いたのかは分からない。
 そして、消えゆく意識の中で思い出した。
 そうじゃ。伊丹じゃ。伊丹じゃった。さらばじゃ、気の合わん陰陽師やい。後を任せたぞ、伊丹織里――。

続く