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神代の子 ―贄―

十六.

  涙、流るる――。
 朱沙親王からの文に目を通した時、玄仁はまず小首を傾げたが、その真意を知って思わず立ち上がった。
「百時親王が召されたか!」
 大きすぎた独り言が自室を飛び出して大社に反響したところで、誰一人として部屋を覗き込む者は居おらず、その代わりとばかりに庭に生えた金木犀の一葉が静かに枝を離れた。
 百時親王は法家の大事な一員とはいえ、法皇の横峰にすぎない人である。その人の死が名賀家にもたらす影響は皆無に等しく、それから葬祭願いが届くまでの三日と半日は、落ち着きを失った玄仁に反して、何事もなく過ぎた。
 鳥たちの眠りについた冬の静寂と相まってのその空虚さは、半ば玄仁に天の国を見せつけるようでもあった。それは、今まさにそこに居るだろう百時親王が玄仁に見せつけた幻影かも知れない。気を抜けば、魂が宙に浮いてもおかしくないほどに感じられた。
 葬祭願は一持親王から届いた。年齢からして、つい朱沙親王が彼らの長になったように感じていたが、考えてみれば一持親王の長男はすでに逝去した白京(びゃけい)親王であって、家柄は一持親王に継がれたのだから、こちらが誤っていただけである。
 そこからの日々は慌ただしくなったものの、神葬祭はつつがなく執り行われた。古くを遡れば斐川法家の将来を担うとされていた御仁であっただけに、参列者の数は相応に多く、世のすべての貴族が参じているのではないかと思うほどであった。ただ、唯示法皇は何処にも現れず、玄仁は辟易した。どう振る舞おうと今更咎めるつもりはないが、神主となった実子の身分ぐらい考えてほしいところだ。
「皆、わかっておろう」
 父の無礼を詫びながら歩き通していた玄仁を捕まえて、朱沙親王はそう吐いた。 そうは思えども、建前だと言ってしまうわけにもいかずに黙っていると友は吉報があると、言いだした。
 曰く、一持親王と梅子殿の子が近々生まれたというのだ。身ごもったことはずいぶん前に文で知らされていたが、そう聞かされて素直に嬉しくなった。梅子の郷里字川に対する自責の念は消えずとも、無事に一つの命が生まれたと聞かされれば、玄仁の後ろめたさが一つ報われるような気がしたのだ。
「して。男児か女児か?」
 玄仁の知る限り、五十年以上の間に法家に生まれた女子は浦春ただ一人だ。しかし、その浦春さえも法皇の子種では無いという噂があり、それが事実ならば、法家からは長いこと女子が生まれていないという事になる。その不気味な迷信を崩せるのか、大いに気になるところだった。
「驚くな、友よ」
 朱沙親王は勿体ぶってそう言った。その素振りは十分に答えを物語っていたが、玄仁は少年のようにわくわくした振りをした。
「女子なのだ」
 朱沙親王は怪談を語るかのように目を剥いて、玄仁は、おおと反応した。
 後で、大仰だったかもしれぬと思うほどだった。なにも斐川家に大昔から女がいなかったわけではないのだ。一族としてあるべき形に戻ったといえば、それまでのことだ。ただ、それでも元に戻っただけ良いというものかもしれない。
「それも、ただの女児ではないぞ。右腕に五行を示す星形の痣がある。きっと、天から賜った才を示すものに違いあるまい」
「それは、それは……」
 形容する言葉に詰まった。乳児の肌には何かしらの痣がある。見ようによってはどの子にも五芒星の痣に見えそうなものぐらい携わっていよう。いささか大仰といえば違いない。
 そんな玄仁の反応を見て朱沙親王が言い足した。
「まあ、その、痣はともかく、法家に女児が生まれたということは、この世が新たな流れにあるということだろう」
 その点に異論はない。唯示法皇の治める世が三世代分に相当し、閉塞感のある法家にとっては何より輝く報せである。
 今度こそ新たな世が来る。
 朱沙親王の会心の笑みには、そのような期待にあふれていた。その笑顔から思い出すのは、朱沙親王が子を望みながらも恵まれなかった過去だ。一持親王の出生の折には、兄であり父となった白京親王をうらやむばかりで祝福する気分にはなれないように見えたが、あれから随分と時を経て子を諦める歳を過ぎ、その心境も良い方に移ろったのだろう。
 生まれることのなかった己の子の代わりとして可愛がった一持親王の子であり、加えて、随分前に他界した白京親王の代わりに祖父を務めようとする朱沙親王の振る舞いと、その嬉々とした表情は、傍目に微笑ましかった。
 その分だけ、その後の顛末はあまりに重かった。
 百時親王の葬儀から更にひと月を経て、玄仁は年初に執り行われる親王の会合に顔を出すようにと呼び出された。昨年までは亡父寅之雄の勤めであったが、今年からは玄仁が出張るようになったわけであった。
 よりにもよって、会合の定まっていた正月二日に大雪が降った。玄仁の乗る輿は人脚というよりも雪に担がれ、そりのように道を進んだ。永村が御所よりも高所にあって良かったと思ったのは、長い人生の中でこれが初めてだ。もっとも、道が開けるころには積雪も減って輿は普段通りに御所に担ぎ込まれた。
 御所の門をくぐってすぐのところに、朱沙親王が待っていた。寒さのせいもあるだろうか、右往左往する姿は初めて見る。お産の始まった妻を待つような切羽詰まった情景に見えたが、目を合わせた所でそれは違うと悟った。何日も寝ていないかのように目もとに隈を腫らし、両眼が赤く充血しているのだ。
「いかがなされた」
 ここへ至るまでの道すがら、輿の中まで入り込んで衣にまとわりついた雪を払いながら玄仁が聞くと、その瞬間に鬼黙殿から大声が上がった。誰かが発狂したかのように聞こえたそれは、大勢の笑い声だった。正月だから朝から酒宴でも開いているのだろうか。それにしても下品な、家畜の鳴き声じみた笑い声である。
 視線を戻したところで、玄仁は度肝を抜かれた。朱沙親王が見たことのない形相で鬼黙殿を睨んでいるのである。
「鬼女どもめ」
 ぼそりと言った。その一言に殺意以外のものは含まれていなかった。その様を見て、悟ったことは、朱沙親王は玄仁を待っていたのではなく、鬼黙殿の馬鹿騒ぎに腹を立てて、踏み込もうかと躊躇しているのだという事だった。
「朱沙殿」
 玄仁はとっさに朱沙親王の肩に手をやった。すると親王は玄仁の手を払い、舌打ちをして己の御殿に戻っていった。

「……時に」
 年初会合の最中、唐突に口を開いたのは鹿泰(ろくだい)親王だった。無口で通っている男が急に発言すると、皆の視線が一斉にそちらを向いた。
「三ケ原の鬼門社が崩れましたぞ」
 大小はあるものの、一同にどよめきが伝播した。さきほどまで年初挨拶やら世間話やら今年の易経やらと下らない話が続いていた中で、急に滝に飛び出したようだった。
 鹿泰親王の言う鬼門社(きもんしゃ)とは、諸国の都の北西、つまり鬼門の方位を護るために法家が寄与した社のことだ。そのことは都を離れていた玄仁にもわかるが、三ケ原(みがはら)という国は聞いたことが無い。
「三ケ原と言えば、天知の国の一領地に立ち上がった小国でございましたか。記録では最も古くに鬼門社を贈った、と覚えてございますが……」
 唐突に蓮雁(はなかり)親王が仰々しく言った。
 玄仁だけがどよめきに取り残されているのを目して、というよりも、若さゆえに出しゃばったようにも見えた。
「左様じゃ。もう四十年近くも昔の事になろう」と、名の知らない親王が答える。
「一体何があった?」
「老いて朽ちたのではないのか? 四十年もたてば柱も腐る」
「確かに。三ケ原は湿った土地じゃ。四十年も持てば大したもんじゃろう」
 また玄仁の知らない親王達が口々に呟く。しばらく雑談を泳がせたあと、再び鹿泰親王が口を開いた。
「私の手の者が、一つ足がかりとなることを手にいたした」
 ざわめきが止まった。
「何をじゃ。勿体ぶるな鹿泰」
「これを見ていただきたい」
 鹿泰親王が懐から取り出したのは、燃えかす同然になった一枚の紙だった。
「焼いたのか?」
「崩れた時に出た火で燃えたとのこと」
「ふむ。しかし、これでは読めぬ。なんと書かれておったのだ」
「ほぼ読めませぬ。ただ一つ読み取れるのは“鬼門崩し”という言葉のみ」
「鬼門崩し、とな」
 また、先ほどより大きなざわめきが伝播しはじめた。けったいな、という言葉がそこそこで響き合う。
「しかし、鬼門社は我ら斐川法家が各国の主に献上しているもの。それをあえて狙っての愚行とあらば、それは我らに対する挑発ということになる」
 朱沙親王が言った。
「ふん。挑発などにもならぬわい。鬼門崩しだか何だか知らぬが、所詮は田舎者の集まりじゃろう。放っておいても三ケ原の民が懲らしめてくれるに違いあるまいて」
 憤った一人の親王が唾を吐いて言う。するとすぐに鹿泰親王が語気を強めて制した。
「いや、事は重いかと」
「またか。鹿泰。一体、なんじゃ。何を申したいのじゃ」
「肝心なのは、このような筆遣いをする人間を知る者が、三ケ原の鬼門社にはおらなかったという事と存じます」
「……つまり、なんじゃ?」
「不確かではございますが、三ケ原の外者の仕業かと存じます」
「“一件”ではないと、そう見るわけでございますね」
 示し合わせたように蓮雁親王が言うと、鹿泰親王は深くうなずいた。
「大仰じゃ。捨て置けば良い」
 一番奥に座っていた親王が大声を立てて笑い出す。
「しかし、丑納(うしいり)殿」
 蓮雁親王の口から出た名を聞いて、玄仁はようやく思い出した。
 丑納親王は昔から印象の悪い人間で、親王連中を代表するような、事なかれ論者だ。玄仁がそれを意識し始めてから裕に二十年を数えるはずだが、その意欲はまだ衰え知らずなのだろうか。どちらにせよ、人間が好くに値しない人物であることが健在といえそうだ。
 丑納親王は玄人の軽蔑をよそに、唾を飛ばしながらまくしたてる。
「鬼門社はまだまだあるではないか。阿古(あこ)、師子野(ししの)、曽和(そわ)など、我ら斐川法家の有力筋に立てた千人社が簡単に落とされるとは思えん。慌てるのはそれらが落された後でも十分じゃわい」
「されど、このままというわけには……」
 丑納親王とは対照的に、面倒を見捨てることを知らない蓮雁親王が食い下がる。
「蓮雁よ。貴様いつからこの儂に意見できるほど偉くなった?」
 親王連中の本音は明白だが、建前もまた明白だった。法家というくくりの中にいる限り、誰が正論を述べているかなど関係ない。年齢がすべてなのである。
「承知いたしました」
 蓮雁親王は口を閉ざし、鹿泰親王もまた熱っぽい鼻息を吐いて口を閉ざした。親王たちの会合すらも、そこで閉じた。
 
「玄仁殿」
 底冷えする会合の後に呼び止められて、玄仁はいつぞやを思い出しながら恐る恐る振り返った。声の主は意外にも鹿泰親王だった。
「何にござりましょう」
 どうせろくでもないことだ。
 席を立った後で、妙に玄仁の肝は座っていた。
「平端はどのようになっておる?」
「どのように、とは?」
「周知のとおり、戒羅の集落は法皇の支配下にあって、我ら親王たちの知るところではない。しかし、貴殿とその娘子は平端に出入りしていよう? 娘子から鬼門崩しが平端に潜んでいるような話は聞かされておらぬか?」
 唐突に睨みつけられた玄仁は、たじろぎながらも首を横に振った。実のところ、寅之雄が死んで以来、玄仁自身が平端に赴く暇はなく、当然のこと糸蘇にもほとんど会っていない。会ったところで戒羅の集落のことは少しも話そうとしないだろう。それゆえに平端の様子など、玄仁の知るところではないのだ。
「残念ながら、聞いておりませぬ」
「そうか」
 鹿泰親王は残念がった末に付け足した。
「鬼門崩しは、組織に属している限り、名に見、聞、嗅、味、触の字を持つという。そのような人間がいないか、探らせてくれぬか」
「心得ました」
 玄仁は少しどもりながら返事をした。
「うむ。よろしく頼む。
 ……皆には言わなんだが、裏で手を引いている者は斑大王(まだらのおおきみ)と呼ばれているらしい」
「大君、ですか?」
 それこそ大仰な名前が草むら飛び出してきて、玄仁はだらしなく上がっていた顎を引いた。
「左様。いずれの国にも聞かぬ名だが、大君と呼ばれるからにはそれなりの格がある連中なのだろう」
「お待ち下され、鹿泰殿。なぜそれを皆に伝えぬのです?」
「伝えたとて、私では呆けた年寄共を説き伏せるに至らぬ。しかし、だからと言って他に流布して歩いても民の不安を煽るだけ。故に貴公にのみ伝えておるのだ」
「しかし、私とてどうにもできかねまする」
「むしろお主しかおらぬ。腐った法家でも、それを護るには名賀殿が砦となるしかあるまい。大君の正体は儂が探る故、貴公は平端をお願いしたい。このまま捨て置けば、奴ら必ず……」
 平端に来る――。
 鹿泰親王の言葉は、玄仁の腹を思い切り殴りつけるようだった。
「では、頼むぞ玄仁殿」
 そう言い残して去ろうとする鹿泰親王を玄仁はあくせくしながら捕まえた。
「鹿泰殿、ひとつだけお伺いしたく」
「何ぞ」
「朱沙親王のあの様、何があったのか御存じませぬか?」
 玄仁の脳裏に親友の荒れ狂った目つきが蘇る。先の会合にさえ顔を出さなかったことも気がかりだ。
「ああ、あれか」
 鹿泰親王は途端に苦い顔をした。先の会合の間も、今の鬼門崩しの間も、一度も見せなかった表情だった。おそらくこれが、この男の抜き差しない本物の表情なのだろう。
「一持親王の子が消えたのだ。朱沙のやつは、鬼黙殿の姫君殿の仕業と思うておるようだが、果たしてな……。貴公は関わらぬ方がよい。よいな。関わるな、と言うたぞ」
 鹿泰親王が部屋を出て行ったあと、しばらくのあいだ玄仁は立ち尽くしていた。実のところ、“消えた”という言葉の意味を理解するのに時間がかかりすぎて、思考が止まってしまっていた。

続く