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神代の子 ―諸―

二.

 その日、集落は大いに荒れていた。降り続く梅雨の雨にではない。戒羅の儀を法皇自らがご覧になるという神覧を、数十年ぶりに執り行うという報せに対してだ。
 しかし、その報せは戒羅を取り仕切る張り番から一方的に投げ出されたものの、仔細はおろか、日取りも定かではなく、ただ突拍子もなく時期遅れの春風のように集落を駆け抜けて、旋風を巻き起こしてくれた。
 そのような不確かな報せであっても、戒羅の核を担う戦い手たちは盛(さか)っていた。法皇の目の前で腕を披露する機会が得られるなら、それはまさに千載一遇の好機である。たとえ法皇自身が戒羅の戦い手に興味がなかろうとも、法皇が来るということは諸国の頭も顔を見せることになり、そうした貴族らが身を護るために連れて来る武家の連中は、必ず戦い手に興味を抱く。
 世間的には平和な世の中であっても、国頭たちは常に腹の探り合いで、兵を欲している人間たちだ。武家の目に留まれば仕官話も夢ではない。
 もっとも、この世には常に日と月があるように、そうした話に興味を抱かない戦い手も少なからずいる。武家の引き立てを望む者を日をするならば、どちらかというまでもなく月を好む村雲(むらくも)は、朝から料亭の二階で、雨音をお共に座禅をしていた。
「はっきり言う。嫌な予感しかしない」
 ふいに座禅の最中に発された大声は、人のいない四十畳を障子や襖に跳ね返りながら駆け巡り、暖簾を揺らして止まった。
「何故分かる」
 ひょいと、切れ込みの隙間から伊丹(いたみ)が顔をのぞかせる。それを見て村雲は先の声と同じぐらい大きな舌打ちをした。
「やっぱりか。今度は誰の世話をしろって言うんだい、爺さん」
「いや、そうではない。何故分かると言ったのは、何故儂が立っていたことに気づいたのかと、そっちの驚きじゃ」
「そりゃあ、こんな湿気た日の、飯には早い頃合いに、ここに来るのは爺さんしかいないからだ」
「なるほど。しかし、嫌な予感とは酷いのう。まるで儂が疫病神のようじゃ」
「……梅雨だぜ」
 村雲の小さなつぶやきに、伊丹は「そうか」と応じた。
 村雲が最初に世話をした青年、禄(ろく)が死んだのが二年前の梅雨、そして二人目の青年、不次(ふじ)が失踪したのが去年の梅雨頃なのだった。そのどちらの出来事も、今のようにして座禅の最中の村雲を伊丹が訪ね、始まったものだ。
 雨の日には料亭の二階で禅を組むというのは村雲の慣わしだったが、この時期のそれは、いつまた伊丹老人が訪れてくるかという考えが頭をよぎるばかりで、精神は乱れる一方だった。
 伊丹にしたって、同じはずだった。禄の一件では、互いにただ悲しんだだけで済んだが、不次の時はそうもいかなかった。何せ不次は法家の一女、浦春(うらはる)を殺したのだ。村雲は不次に深く関わった者として、張り番から調べを受けたし、伊丹は軟禁までされている。
 このご老人には、できればここへ来る前にそのことを気に留めておいてほしかったが、伊丹は小刻みに頷くばかりで、詫びるようなそぶりは見せなかった。
 もちろん、伊丹があの一件を忘れ去ってしまったとまでは思わない。こちらが時節を言っただけで、顔つきを変えたということは、あの記憶が深く突き刺さっているということだろう。それで十分と言うべきだった。年寄りとは、物を忘れることで生きる者だと、本人が言っているぐらいなのだから。
「じゃあ、誰かを指南する話じゃないんだな」
「もう懲りたわい。儂はどうも人を見る目がない」
 遠景を望むかのように、伊丹が目を細めて言う。
「今日はただの、世間の話じゃ」
「人の座禅を邪魔してまでか?」
「……前々から思っておったが、禅は寺でやるものじゃ。料亭の二階ですべきは“膳”のほうじゃろう。お前さんのは、気を静めるというより、飯を待っているだけにしか見えん」
 むっとした村雲に代わって、腹がぐうと答えた。
「おお、ぐうの音が出おった」
 老人が不揃いの歯をむき出しにする。
 村雲は首を回して、姿勢を崩した。
「飯にしよう」
 
 村雲がこの集落に来たのはずいぶんと昔のことになる。永村で育ち思春期までを過ごしたが、父の死とともに村を出て、ここへたどり着いた。本当のところを言えば、永村から対して離れていないこの集落は通過点になるはずだった。香治国を出て諸国を回ろうと街道を進めば、いやでもこの村を通ることになる。海路を選べば話も違ってくるが、そのために必要な財も伝手もなかった。
 ともかく少年村雲はこの村へ来た。そして、戒羅に魅入られ、伊丹中年に捕まった。
 この集落に来た時、村雲はあまりに“成って”いなかった。やれ、口の利き方がなっていない、姿勢が悪い、態度が悪い。考えられる苦言は伊丹からすべて受け取った気がするほどだ。
 時を経て、半人前の青年は一人前に、一人前の中年は仙人前の老人になった。
 己の所作が改まったのかはさておき、村雲は今、苦い思いでそれを振り返っていた。嫌な思い出という意味ではない。あれだけ食事中の姿勢をうるさく言っていた伊丹が、その姿勢を保てなくなったこと対してである。おそらく、背中の筋力だけでは姿勢を保てないのだろう。左腕をまっすぐに畳についたまま、飯を食んでいる。
 何も言うな。
 村雲の視線に気づいた伊丹がこちらによこした視線は、無口にもそう語っていた。
「で、世間話っていうのは?」
 言いながらも妙なことを言ったと村雲は思った。自然に出る取り止めのないものが世間話だ。聞き出すものではない。
 伊丹の眉間が緩み、阿呆かと問うような視線に変わった。
「よい天気じゃのう」
 雨音を背にして言う。
「そうじゃのう」
 村雲が惚けたような口ぶりを真似ると、伊丹はむっとした顔になった。それを無作法にも箸で制して、村雲が続ける。
「よせやい爺さん。そんなことを話しに来たんじゃないだろう。だいたい、爺さんはどうにも浮世離れしてんだ。その口から出る世間話は、半ば怪談だぜ」
「むう……怪談か。やもしれぬ」
「なんだい。まだ梅雨だぜ。怪談にはちと早くないか? まさか、この前に処刑されたって言ってた壬生が、蘇って神覧試合に出るっていうんじゃないだろうな」
「いや、そうではない。浦春のほうじゃ」
 突拍子もなく、死人の名が老人の空いた歯の間から飛び出して、村雲は箸を止めた。
「……死人じゃないか。で、冗談なんだろ?」
 伊丹は首を横にも縦にも振らず、ただまっすぐにこちらを見た。
「どこの誰がそんなことを?」
 たまらずに村雲が問う。
「張り番の中の、内裏の世話をしておる連中じゃ」
 連中ということは一人が幻を見たのではないということになる。
「彼らが見たというておったのを耳にした」
 櫓を降りて、梯子と呼ばれる身となった今でも、伊丹老人にはそうした付き合いがあることは知られている。その浅く広い交友関係の中から得られた情報は、もちろんただの流言も混じっているが、その辺りは吟味してのことだろう。
「一度だけか? 何度もか? 足はあったのか?」
「一度じゃと聞いた。夜のことで、足があったのかは見えなかったそうじゃが、燭台を持って廊下を歩いておったそうじゃ。それが人魂のように見えて、さぞ気味が悪かったが、あの長い髪と漂った御香は浦春をおいてほかにおらんとそう申しておった」
 漂った御香。この言葉を聞くとにわかに不次の顔が、真っ赤な返り血を浴びた姿で蘇る。あの時、不次がどのような面持ちだったのかは記憶にない。しかし、村雲の頭の中にあるそれは、眼差しこそ悲しげであれ、口角は吊り上がっていた。まるで、犬のように尖った歯が覗けるほどに。
 動揺は見て取れたのだろう。老人は村雲を呼び戻すように、わざと大きな音を立てて汁をすすった。
「……髪と御香だけか。それならいくらでも偽れるだろう」
「ふむ。じゃが何のためにじゃ」
 村雲の箸が主の答えを待つ間、伊丹は膳を進めた。
「何のために、ねえ」
 村雲がつぶやく間に、箸は主人の意識から離れて川魚の骨をつまむ。いくつかの小骨は端に除けられたが、背骨はしぶとくそこに残った。
「止めた。飯がまずくなる。なあ、爺さん。もっと、“世間話”はないものかい」
 村雲が文句を言うと、伊丹は少しだけ眉を吊って、また汁を口に含めてから喋った。
「神覧試合の件(くだん)は耳にしたかの」
「した」
 村雲はぶっきらぼうに答えた。
「出ようとは?」
「いいや。第一、戦い手の意思で出れるものでもないだろう。俺の場合は、湖袖がどうするかどうかで、結局は張り番が決めることだ」
 むすっとして口を閉ざしたが、そのあとを繋いだ沈黙に耐えかねて、村雲は堰を切った。
「そもそもだ。俺はどうもその、神覧という名が気に入らん。どんなに法皇が偉かろうと結局は人だ。それを神なったつもりで見るとは尊大にもほどがある」
「歴史を踏まえてのことじゃろ。ここは香治(かな)の国。もとは神が治めると書いて、神治(かんな)と呼ばれておったのが、縮まって今の名になったものじゃ。この国で最も位の高い法皇が神と名乗ることは、この地の理(ことわり)にかなっておる」
「どうだか。結局、驕っていることには変わらん」
「うむ。そこに異はない。で、お主が出ぬのなら、その周りはどうじゃ」
 朽果(くちはて)や錆止(さびどめ)。すぐに浮かんだその二つの顔の持ち主は、ともに名のある戦い手だ。朽果を戒羅の中心人物と言うことはできないが、錆止は壬生(みぶ)を破った猛者である。後者は当然のことながら、神覧の日に執り行われる試合の一つを担うだろう。筋書きがあるならば、最後に行われる納メ式だろうか。ただ二人とも、呼ばれれば出るだろうが、躍起になっているとは思わない。
「意欲がありそうな奴はいないが、錆止は濃厚だろう」
「そうじゃな。今や一番の戦い手となれば、張り番は意地でも出すじゃろう。その場合、相手は誰じゃ」
「さあて、朽果なら見てみたい」
「兄弟分の戦いか。それは面白そうじゃ」
 老人は揚々と笑った。
「しかし、それでは釣り合うまい。お主が朽果と組んで、ようやく見ものになるぐらいじゃ」
「勘弁してくれ」
 村雲はかぶりを振った。共闘どころか、足を引っ張り合うのが目に見えている。歓声より笑い声が勝るだろう。
 それよりも朽果と錆止の二人には気にかかることがある。二人の姿を最近一緒に見かけないのだ。おやと思ったのは一年前の浦春の折だったが、あの時はまだ稀有な事態の一つだった。しかし、このところは二人の間に何かがあったのかと勘繰らなければならないほど、個々に行動している姿を目にする。そればかりか、不可解にも朽果は先の戒羅を急に降板して、張り番を困らせたのだ。
 そのことは伊丹の耳にも入っているはずで、老人は不意に不安そうな顔をしたが、それを口にはせず、ごくりと茶を飲んで流した。
「さて」
 飯を残したまま、老人は腰を浮かした。
「いつもすまんのう」
 伊丹は、そう一言だけ添えると悪くなった足を引きづって、静かに料亭を出て行った。
 村雲は向いの膳に箸を伸ばして残飯を漁りながら、心で舌を打った。禄や不次の話が出た時に、訊こうと思ったことを聞きそびれたことに対してのものだ。
 ことは不次が浦春を殺した時に遡る。村雲は伊丹が不次と禄の関係について知っていたかと訪ねたことがあったが、伊丹はそれを肯定したものの、仔細を語らずに場を後にするという行動に出たことがあった。
 当節のあまりの不快さから、村雲は不次の存在すらも忘れようと試みたのだが、いかんせん印象が深すぎてそうできなかった。そのために、ある時から老人の隠そうとした真相を聞き出そうとしていたのだ。しかし、あまりに機がなかった。
 今日は、時節柄、禄や不次の過去に触れるには好機だった。が、結果はこのざまである。
 村雲はずばり、禄と不次の故郷である小渕辺の里についてを知ろうとしていた。何しろ、このあたりの地理にはなく、誰からも聞きえなかった地名なのだ。その遠路の集落と伊丹がどのように関わっていたのかは、二人の生い立ちを知る意味で重要だった。
 それともう一つ。行方を晦ました不次の居所のことだ。村雲は、伊丹が今も不次とつながっていると睨んでいる。だから、不次の話をしたがらないのではないか、とさえ考えていた。
 身内を疑うほどにまで村雲が不次に執着するのは、何も不次が持って行った二尺の刃を気にかけているわけではない。ただただ、一部始終を目の当たりにした身として、知りえてよいはずだと思っていた。
 今日の具合ではそれらを問い詰めるのは、まだ先のことになるようだ。
 村雲は老人の残した飯を平らげてから、雨の上がった梅雨曇りの中を帰途に就いた。妙に空虚に感じたのは、己の懐が二人分だけ空いたせいではなさそうだった。

続く