web clap

神代の子 ―諸―

六.

「むっ」
 雨粒の増えるにつれて、一人また一人と減り始めた物見席で、村雲は短く声を上げた。
 錆止が今、立て続けに二度も鉄球を食らった。藪蚊にすら二度は刺されないような男がだ。確かに、傍目に見ていてもいつ犬見が鉄球を足元に仕込んだのかは分からなかった。あの手の仕掛けは間近に見ているほうが、より掴みにくいものだろうから、混乱をするのはよくわかる。だとしても、錆止らしくない。
 犬見が初めて戒羅に表れた時に相手をしたのは、他の誰でもない己である。それにかぎらず、その後の戒羅での戦い様はほとんど見てきた。そうしてできあがった犬見の像とは、壬生のように狂気じみていないが、何をしてくるか読めないという点で最も鬼手に向いた戦い手だということだ。
 その犬見に対して、何であれ勝つのが錆止という男だと、村雲は評価している。
 しかし、今日の錆止は何かが妙だ。
 これまで錆止は、いかにも剣に長け、腕にかけて戦ってきた武士ように立ち回っていたというのに、今日はまるで違って、忍びのような外道の構えを見せている。あんな構えで臨むとは、勝負を捨てたようなものだ。
 知る限り錆止は、左遷ともとられる蒔キ式への配置変更に腹を立てて試合を流すような男ではないし、朽果だってそうだろう。
 そういえば、さっきまで内裏をうろついていた朽果はどこへ消えたのか。さすがに神覧試合ぐらいは長年連れだった相棒の働きを見物するかと思っていたが、こうまで顔を見せないとなると仲たがいでもしたのだろうか。厠にしては長すぎる。
 次第に村雲は苛立ってきた。納メ式を控えた自身の緊張も、先ほどから足を揺さぶっていることだ。加えて、二人の戦い手が再び見せた膠着状態に飛ぶ野次も、腹立たしい。
「なんだよ、早くしろい!」
 二列後ろから飛んだ野次の主を、村雲は思わず睨みつけた。よく見る髭を生やした坊主頭の男だったが、良くも悪くも試合には熱心なようで、村雲の視線には気づくこともなく、代わりにその隣であくびをしていた若い女がびくりとした。
 直後に、周囲から歓声が上がった。
 祭儀場を振り返ると、またも鉄球を食らった錆止がよろめいている。手から刀を落とさなかっただけ立派だが、さぞ効いたことだろう。口の中を切ったらしく、血を垂らしている。
 と、その時、犬見の左手が不自然に動くのを村雲は見落とさなかった。ちょうど錆止から見て死角に当たる位置でのことだった。
 目を凝らして観察すると、左手に何かの綱が繋がっている。
 村雲はすぐに気づいた。
 おそらく、綱の先は右足から生えている鎖の一端に繋がっているに違いない。つまり、左手の上げ下げで鎖の長さに幅を持たせ、鉄球の届く距離を操作しているのだ。
 分かってしまえば他愛のない仕掛けだ。が、それに錆丸は気づくだろうか。
 無双の剣客とは、ただ技に長けているわけではない。身の運びはもちろん、目も良い。物を追う目のみではなく、見極める目も良いのだ。
 村雲自身にも見極められた仕掛けである。錆止の目を持ってすれば、いかに犬見が巧みに隠そうとも、どこかで見破るきっかけができるはずだ。ただそのためには、冷静でいてもらわねばならない。
 どうにもこうにも、今日の錆止には焦燥が見え隠れするのだ。勝ち急いでいるのとは違う、気の焦りというものが動きに表れている。
 腹が減っているわけでもあるまいし、なにか挑発でも受けたのだろうか。その実は後で聞いても答えてくれなかろう。
 それはともかく、さて、何か良い手はないものか。
 玉砂利の上に立たない者が戒羅の結果に左右するような行動を慎むべきでないことは十分に分かっているが、この様は見るに堪えがたく、村雲は錆止が冷静になってくれる手立てはないかと考え始めた。
 普段なら、こうした“ずる賢いこと”には朽果のほうが頭が回る。そう思って見回しては見たが四角い顔はどこを見ても歩いていなかった。
 ちっ、と村雲は舌を打った。
 人の間を歩く笠売りが、客を見つけたという顔でこちらを見たが、「お呼びじゃない」と荒れた言葉を返すと、売り子はそのまま村雲の前から去っていった。
 雨は音を立てるほどに降ってきている。
 後ろでは錆止に賭けていたらしい連中が物見席から立ち去り始めている。彼らの吐いた唾は雨が洗い流してくれるが、払った金は一銭も戻らない。自業自得と言えばそれまでだ。
 陰陽師が祭儀場に敷いている結界は壁を拵えているだけであって、天をふさいでいるわけではない。祭儀場との出入りこそ妨げども、雨粒はそのままだ。
 雨の中の戦いは、手足を滑らせ、物事を狂わせる。それに、水を吸った戒羅の装束は重く、錆止のように身軽さを味とする者には一層不利に働く。幸い、今日の相手は錆止と同じような質を持つ犬見だから良い。しかし、鎖に繋がった鉄球は雨でも変わらずに錆止を脅かす。さらには飛沫をまき散らち、ことさら性質が悪くなっている。さすがにもう一度鉄球を食らうほど錆止は愚鈍ではないだろうが、目に見えて避けるのに手いっぱいになっていた。
 なんだが焦れてきた村雲は一方の足首を他方の膝の上に載せて、体を揺すった。
「行儀が悪うございます」
 後ろで誰かをたしなめる声が聞こえる。ただの見物客にしては妙に突出した気配がそこにあった。
 そろりと視線を動かした先に湖袖が立っていた。
 雨粒を飲むほどに、村雲は口をあんぐりと開けた。
 鼻が隠れるほど深く笠を被った湖袖は厳かに動いて、伝令役の忍足のように村雲の斜め後ろに座った。しかし、いくら待っても、神代の口から言葉は出てこなかった。
「笠、被るんだな」
 ようやく、村雲が言った。
「人目に着かぬように、と――」
「と?」
「思ったまでです」
「……左様で」
 誰かに指示されたような言いぶりだったが、語尾を濁したところを見ると、村雲の知る人物ではないということか。そう考えたところで、邪推を止めにした。もともと、言わんとしたのは、水を操る神代が笠を被るとは滑稽なことだというもので、半ばからかうつもりだったのだ。その答えも、人目に着かぬようにという言葉が十分に説いている。
「しかし、珍しいものだな。贄姫殿が戒羅見物とは。俺はてっきり、見飽きて興味もないものだと思ったいた」
 現に、同じ贄姫の一人である糸蘇はそう語っていたことがある。贄姫たるものは、誰よりも近くで戦い手たちの試合を見届ける存在であるがために、その過酷さを知っている。故にこれ以上見たいとは思わない、と。
「これも一つの機会です」
「神覧試合は別、ということか」
「雨ならば、人も少ないことですし、ここへ私が参ったことを騒ぐ者もおりますまい」
 確かに、人はどんどん疎らになってきている。神覧試合も、法皇が御簾に隠れて姿を現さないのなら、群衆にとってはただの戒羅だ。雨に打たれてまで見る価値はない。
「まさかとは思うが、この雨――」
「私は少し、強めたまで」
「かまどの火のように言うな……。それが勝敗に左右したらどうする」
「戦い手とは天候を気にせぬものでしょう。まさか、かの姫守に賭けておられるので?」
「はっ。賭けてなど!」
 一笑した後で、村雲は答えに悩んだ。
 己はなぜ、錆止に肩入れしているのだろうか。
 錆止は、冷静に見れば朽果を挟んだ知り合いである。対して、犬見はどうだろう。顔見知りどころか、愛弟子の命の恩人でさえある。
 ふと、一年前のあのひと幕を思い出す。壬生との一戦を前にした不次のために、村雲は犬見から毒薬を頂戴した。比喩ではなしに、代わりに売られたのが恩であった。
 あの犬見が村雲さえ味方にいれば少しはくつろげると語ったことは、まだ記憶にあることだ。この集落でそこまで張り詰めた生活を送っている理由は知る由もないが、やや憐れんで村雲は犬見の恩を買うという条件をのんだ。決して信頼したわけではなかったが、犬見の味方とやらになってやろう、と宣誓したのは事実だ。
 今の村雲は、その立場にいない。犬見の優勢を喜ばず、錆止の劣勢を憂いている。いままで、五年近くの間、ずっと壬生を倒す者に声援を送ってきたからというばかりではない。根幹に、人を挟んでの信頼があるからだ。
 信頼。その言葉を思い浮かべると、途端に重くなった。
 先ほど見せた錆止の動きは何だったのだろうか。外道の構えと評したばかりだが、あれが本分だったとするならば、それは村雲の知らない一面だ。その男を、ただ、長い付き合いだというそれだけで信じて良いものか。朽果も同じだ。この集落に彼らが現れるまでと、現れてから経過した年月は、彼らの歳から考えて、五倍ほども違うのだ。知らないことのほうが多いというよりも、ほとんど何も知らないのではないか。
 犬見も自身の過去を赤裸々に語ったわけではない。それでも、鬼門崩しだったという素性は明かしている。
「ご友人を信じるべきかと」
 答えを失った村雲に、湖袖がささやいた。
 果たしてどちらが友人なのか。村雲は黙った。そして、悪い癖だと思いながら、考えることを遺棄した。自身にも、伊丹にさえ語っていない過去がある。この集落にいる誰しもが、戒羅のためにいるだけであって、生涯の友を探しにたどり着いた楽園ではないのだ。
 信頼などなくても構わない。万事が起きた時には、己の力で生き延びるのが、戦い手たる者の性分だ。神代たちも、張り番もそうだろう。唯一、偽姫たちがどう動くか――どう考えても逃げまどうだけだが――は懸念すべきかもしれないが、それも村雲の気にかけるべきことではない。
 忘れかけていた戒羅に目を注ぐと、かの鬼手があの姫守を追い詰めている様がまだそこにあった。しかし、目で追ううちに、少しずつ錆止が反撃に出る回数が多くなっていった。犬見の鉄球が威力を失い、さらにそれが仇となるように、逐次、錆止が立ち位置を動かしているのだ。
 二人が経験した修羅場の数の差は知れないが、戒羅での経験の差が如実に表れている。明らかに、錆止のほうが試合巧者だった。とりわけ、あの外道の体捌きが功を奏していた。
 やがて、逆手に持たれた錆止の刀の切っ先が鎖を捉え、鈍い音が祭儀場に響いた。自由を得た鉄球が、犬見の脚を離れ、三間ほど離れた砂利の上にどんと落ちる。その時錆止は、すでに犬見の懐に潜り込んでいた。
 しかし、犬見もまた非凡だった。いずれ鎖が断たれることは分かっていたのだろう。鼻先に迫っていた錆止の刃を受けつつ躱しつつ、肉はおろか皮すら斬らせずに、今度は犬見が錆止の間合いから離れた。
 あまりの展開の速さに、見る者によっては事態を掴めなかったろう。結果として、先ほどとの違いは鉄球が飛んだだけに見える。見物席はわずかなどよめきを沸かせたが、今や雨音のほうがずっと強かった。何人かの熱心な客は、水を吸って重くなった笠を捨て、両手で目の上に庇(ひさし)を作りながら観戦を続けている。
 湖袖は静かに自身と村雲の周りだけ雨を強めずにいた。そのおかげもあって、村雲は、今の二人の交錯から一つの事実をつかみ取ることができた。
 錆止の刀は、一太刀も犬見の鬼面を割ろうという動きを見せなかったのだ。
 振り返ってみれば、最初に二人が交錯した時に犬見は顔面で錆止の刀を受けたように見えた。たまたまそのように見えただけだと思っていたが、ひょっとすると実際に面で受けたなのかもしれない。これは神覧試合だ。簡単に戒羅を終わらせまいと、張り番たちが仕込んだか、あるいは法皇が命じたことも考えられる。
 その場合、この戦いはどう終わらせるべきなのか。
 戒羅の決め事通りならば、鬼面が割れなくても鬼手が庵の中にある蝋燭に灯った火を消せば、戒羅の決着にはなる。ただ、それは姫守と鬼手の戦いが決した後のことだ。
 雌雄を決するには、どちらかが戦えない状態にするしかない。いつしか錆止が壬生にしたように。
「簡単ではないぞ」
 誰に対してでもなく、村雲はつぶやいた。
 どんな戦い手も、手練れとなれば人の急所を熟知している。言い換えればそれは、仕留めやすくも防がれやすい箇所だということだ。
 錆止に敗れた壬生は、禍差こそ脅威であれ、体のこなしは素人同然だった。だから狙えた。犬見はそうもいかないだろう。
 二人は、祭儀場の中央よりやや庵に寄った場所で、にらみ合いを続けている。村雲はその様に固唾を呑みながらも興奮していた。
 目の前で繰り広げられているのは外道たちの戦いだが、万人に認められるべき最高峰の戦いだ。これをしんがりではなく頭に持ってきた張り番たちは恥を知るべきところだ。
 しかし、童心に帰って見守ったその戦いは、予期せぬ終わりを告げた。
 見物席は、どよめき、すぐに怒号に変わった。すべて、犬見が鬼面を捨てたことに対するものだ。
 確かに戒羅には勝負の降参に関する記述がある。ただし、姫君を鬼から守るために存在している姫守には許されておらず、鬼手にのみ許される行動だ。いわば、鬼が自ら退散したという結末を許容する規則である。
 犬見は退散を選んだ。
 その理由を村雲は察することができる。錆止の眼があまりに殺気立っているのだ。砂利の上に置かれた鬼面を挟んで立っいても、納刀しようとしなかった。
 やがて、戒羅の終わりを告げるべく近づいて来た宮司を片目に捉えると、錆止がようやく肩を下した。
 村雲は、その時錆止が僅かに刀を振ったのを見た。足元の蜂を突き刺すような険のある振る舞いだった。

続く