web clap

神代の子 ―諸―

九.

 どうすれば無事に今日の戒羅を終えることができるのか。
 昼飯を済ませてからずっとそのようなことを考えてきた。昼の大行列に続き、この集落に住むようになってより初めてのことであった。
 情けないことだが、朽果が朱往(すお)のことを禍差遣いだと明言した時から、村雲は臆していた。心の拠り所があったとするならば、死なずに済むということだけだ。その時になって初めて、一年前の不次の心中を理解したような気もしたが、あの男は復讐のためにここへ来たのであって、心境は同じはずもない。
 浮かない気持ちのまま午後の陽の元を過ごした村雲にとって、救いになったのは、いつになく長びいた実リ式だった。
 そこでは、戦い手として長くを過ごしてきた唯一の女、白露が姫守を務め、十幾人も鬼手たちを相手取っていた。鬼面を身に着けた輩はそろいもそろって山賊まがいのことをしながらに平端へとやってきた、いわば札付きの悪どもだ。
 それほどの数を鬼手に採用するのは、戒羅としては極めて珍しい。これも、神覧試合ならではの演出と言えるのかもしれない。観衆は大いに盛り上がっていたが、村雲は少しも良い気がしなかった。
 舞台の出来はともかく、村雲は実リ式のその内容に心を震わせた。とはいえ、何人もの大男を打ちのめす女の姿に奮起したわけではない。話の肝は白露が女だったからではなく、かつては禍差の犠牲になった一人であったことにあった。
 白露の、舞のような戦いを見るうちに、村雲は彼女が壬生と見えた時のあの闘いっぷりを思い出した。
 過去に、禍差遣いと向きあって臆した者は少なくない。誰しも己の命が大事なのだから当たり前のことである。しかし、その一方で、人ならざる者と立ち会い打破する機会をいただくことは一つの名誉ともいえた。彼の者ならば一方的に殺されはしまい、と戦い手たちは選出されたわけである。
 これは処刑の見世物として試合を組まれた不次とは違う。今日のこの納メ式は、戦い手としての集大成になりうるものだ。
 確かに、あの時の白露は壬生に敗れた。
 禍差の凶刃は相手が男であれ女であれ、あるいは子供でさえも、容赦なくその骨肉を裂く。短くもひと時の間この世から消えた白露の顔面には、女とは思えない様相を強いている深い傷跡が今も刻まれている。
 しかし、それを醜いと思うものは一人としていない。朽果の傷口も同じだ。痛々しく見えても苦々しく思えても、誰一人としてそれを笑い飛ばしはしない。それが名誉の傷というべきものなのだ。
 そう考えた時、胴震いは武者震いに変わった。
 この戦いが終わった時に、村雲の黒目は何を映すのだろう。足元に広がる宝玉のような玉砂利が映えるのか、それとも寝かされた戸板のささくれがただ映るのか。
 問われるまでもなしに玉砂利に立って終えるつもりではあるが、世の中そう甘いものではないことぐらい承知している。しかし、戦いの結果がどうなろうとも、成し遂げ損ねた者と逃げた者の隔たりは大きい。すべての戦い手はこの日のためにこの辺境の集落にいるのだから。
 戦い果てに、自身が何を思うのかは分からない。朽果や錆止のように、ここにいる意味を見失うこともありえるだろう。しかし、そんなことは今考えることではない。今はやれることをやる時だ。
 実リ式が終わるまでに、村雲の心は決まった。すると、それまでは嫌に長く感じられた時の流れが、そこからは押されているかのように早く感じられるようになった。
 長引いた戦いを白露が無事に治めると、間もなく納メ式を招集する太鼓が集落に鳴動した。
「おい。あんたの番じゃないのか?」
 名の知らぬ見知った顔が、太鼓の音を腹で聞いていた村雲に声をかけてきた。
「ああ。分かってる」
「ちっ。気取りやがって。何であんたがトリなんだか」
 その男も戦い手の一人である。実力のほどは記憶にないが、そこまで言うからには、納メ式を務める自信があったのだろう。あるいはそこまでではなくとも、神覧試合にかけてこの数か月を過ごしてきたに違いない。
「悪く思うな。が、これは俺が貰った役だ。恨むなよ」
 村雲が男に目を遣ると、男はすぐに視線をそらし、聞こえるように舌を打った。太鼓にも匹敵する、大きな音だった。
「気に食わねえが仕方ねえ。きっちり勤めろや」
「任せろ」
 伊丹を見送ってからずっと座り続けていた一番後方の見物席を立つ。すると己の周りに滞っていた空気が一度に動き出し、時化っていた雨の匂いが、花道を開けるようにすっと退いた。
 村雲はその中をゆっくりと歩きだした。

 男が一人、その背中を見つめていた。誰でもない、犬見であった。
 そして加々見はそのさらに後方から相棒の様子を伺っていたが、日の傾き加減を見て、ゆっくりと近づいた。
「どうした犬見。もう頃合だぞ?」
 犬見は目だけで加々見を見、続いて日の位置を確かめた。
「うむ。この戒羅を見届けて参ろうと思ってな」
 やれやれ、と加々見は息を吐いた。
 犬見と鬼門崩しの任に当たるようになってから随分と時が経ったが、こうした老人のわがままともいえる振る舞いは、しばしば目の当たりにするところだ。その度に何とか諭して、元の道に戻そうとするのだが、たいてい上手くいかない。それでこそ、老人のわがままなのである。
「ふうん。これから死ぬ男に情なぞ移しても良いことはないと思うが」
 加々見は突き放すように言ったが、犬見は黙ったままだった。聞く耳を持とうとしない姿勢に、思わず首が垂れる。
「犬見。分かっているのだろう? 贄姫の糸蘇とやらは既に……」
「行方を晦ましたのだろう。聞くまでもない」
「なら、話は分かるはずだ。糸蘇の代わりに灯放が出るようだが、いかに火の神代といえども禍差には敵わん。それゆえ、この戒羅は見るまでも――」
「まだ、分からんがな」
 子供のような初老の男の反論に、加々見はむっとして眉を跳ね上げた。
「そもそも、お主が俺に言うたのだぞ? 禍差に五行相克は通じぬと」
 識者の間では基本の理(ことわり)となるが、五行には相生相克という相性がある。すなわち、火が土を生み、土が金を練り、金が水を帯びて、水が木を育て、木が火を強めるという相生と、火が金を溶かし、金が木を伐り、木が土を弱らせ、土が水を吸い、水が火を止めるという相克のことである。
 理の通りならば、糸蘇の代役として納メ式を務めることになる灯放が操る火神の力は、所詮鋼の塊に過ぎない禍差に勝るはずである。それが灯放を代役に立てた狙いでもあるはずだ。しかし、犬見はその通りにはならないと語った。その理由も大王(おおきみ)の御言葉だと言うだけで、加々見はまったく納得していない。
「それともやはり、禍差も神代の力には屈すると思うのか?」
「いや、そうは思わん。我らを含め、世の民たちは禍差が何であるかを知らぬらしい。もう少しばかり大王から聞いてみたいというのが、正直なところではあるが……」
 濁した犬見の言葉の先にある文字を、加々見は知っている。自身、大王と謁見したのは一度もない。大王は近づく人を選ぶし、もし会ったとしても何も語らぬそうだ。それでも大王は、畏怖ではなく、斐川法家に牙を剥く者の代表として人心を集めている。
「ならばだ、犬見。今から始まるのは見るに値しない戒羅になる。残念ながら、あの姫守は禍差の餌食になり、贄姫に蘇生もされず、玉砂利の上で往生する定めの男ということだ」
 犬見は応えず、すでに戦いが始まったかのごとく、視線を祭儀場に打ち下ろして動かなかった。
「もしや、情が沸いたのか? 村雲とかいう男に」
「加々見。侮るな」
 叱責に近い小声が加々見の耳を貫いた。
 温情は、火の国・天知(あまち)の宝と言われていた。それだけに、祖国を失った折に真っ先に捨てたのが情であったはずだ。それは、役に徹するという覚悟の裏返しでもあった。
「なら何を躊躇う?」
「……この戒羅、何かが起こる気がしてならん。ただそれを見届けたいまでのこと」
「しかし、刻限は刻限だ。我らがここを落すために潜り込んでいることを忘れたとは言わせん。ここでへまをすれば、法皇を狙う絶好の機会をも逸することになる」
 そう力説したところで、加々見はしくじったと思った。
「法皇を狙えという指示はないぞ、加々見」
 その通りで、今のはただ機を逸することの愚かさを説こうとして大げさに表現したに過ぎない。しかし、失言も本心である以上、押してみたい気持ちもあった。
「もっともだが、勅命でなくとも好機だ。ここを――」
「加々見。機が熟すを待たぬは兵法に逆らう。それに、我ら二人で仕留められるほどの法皇ならば、これほど遠回りに鬼門崩しなど働く必要はなかったはず。お主の功名心こそ、これまでの歳月をふいにするものだぞ」
 加々見が沈黙するのを見計らうようにして、太鼓の音が平端に響き渡った。納メ式で役を持つ者たちを祭儀場に招くための音だ。既に見物席は満員となって、大いに賑わっている。
 太鼓の後に続いた歓声に、犬見が息をついて話をつづけた。
「熱心なのは悪いことではないがな。
 話を戻すが、お主のいう刻限とは日の入りであろう。夏至を過ぎて間もない今、納メ式が終わってからでも十分に間がある。これを見てからでも遅くはない。無論、日の入りの刻限は守る故、安心いたせ」
 加々見は頭を掻きながら、聞こえるようにため息を吐いた。
「そうまで言うようなら止めはせんが、俺は先に行く。臥穴(ふしあな)が定刻通りにこちらに向かっているのか、少し不安なのだ」
 返事を待たずに、加々見は踵を返した。もしも、定刻に犬見の方が現れないようなことがあれば、死んだものとして事を進めるぞと警告しかけたが、分かってのことだろうと思い、口内に留めた。
 後ろ耳に、歓声がどよめきに転じるのが聞こえる。
 糸蘇よりも小柄な灯放が祭儀場に表れたことで、贄姫の中の贄姫が場を放棄したと露見したのだろう。最後の神覧試合となる戒羅は、波乱の幕開けとなったわけだ。
 大王の言葉通りなら、火の神代に禍差は封ぜず、姫守は命を落とすに違いない。あるいは、犬見の勘が正しく、半年以上も前に一人の男が正攻法で壬生を破った時のように、姫守が禍差を打ち破るのかもしれない。もっとも、加々見の目から見ても、今回の姫守にあれほどの実力があるようには思えなかった。
 どうであれ、加々見にとって彼らが迎える結末は興味の示すところにない。
 滅びも終わりも、すべての者に平等だ。天か地か人が見放した時に、それは狂いなく訪れる。誰に学んだ理でもないが、それは五行の理よりもよっぽど身に染みている、この世の在り様なのだ。
 加々見は一人祭儀場を離れ、櫓が落す長い影に沿うように歩いて行った。

続く