web clap

神代の子 ―諸―

十.

 様子がおかしいということが、いつ祭儀場からはみ出して見物席にまで伝播したのかはともかく、納メ式は異様な雰囲気のまま戦いの始まりを告げた。
 村雲の後ろにたたずむ庵には、灯放が怯えながら立っている。いかに名の知れた火の神代といえども、所詮は女児ということなのか。急に任された大舞台の、糸蘇の代役とあっては立つ瀬もない気分だろう。
 庵に向かう間に、灯放が火の力でお守りするように指示を受けたと村雲に伝えてきたが、あの様では頼るに足らない。言葉通りならば、糸蘇がしてくれるような不死の術は期待できないということであって、つまり村雲は自分の力だけで打破しなければならないということだ。
「俺が寝そべるまで出だしはするな」
「寝そべるまで……とは、つまり、お亡くなりに――?」
「そうじゃない。その……転ぶまで、と言うことだ」
 ますます拍子抜けしながら、村雲はそれだけを灯放に求めた。
 対して鬼手を務める朱往は、禍差を手にしたまま仁王立ちして、一歩たりとも足を動かそうとしない。祭儀場に現れた時からそうだった。もっとも置物のようにそこにあったというわけではない。
 朱往は目隠しをして祭儀場に連れて来られた。もちろん丸腰であった。
 試合前の簡単な儀式を済ませると、禍差を包んだ宮司に手を引かれて所定の位置まで運ばれた。そこで宮司は朱往に禍差を掴ませると一息に鞘を引いて本身だけを握らせ、すぐにその場を離れた。残念なことに、体はまだ朱往の横に転がっている。首だけがそこから三間ほど離れて止まった。
 見物席を埋める者たちのうち、どれほどがその一幕から朱往と壬生との違いを察したことだろう。
 壬生は藪から棒に禍差を振り回し、切れ味だけで多くの戦い手たちを殺してきた狂人であった一方で、朱往の太刀筋は熟達したものだった。先のような惨い仕打ちは壬生も同じようにやりかねないことだったが、壬生ならばその後に均衡を崩して数歩動いた。
 朱往は微動だにしていない。舞切った後のように腕も上げたままだ。
 最も近くにいた村雲には、あまりにその一太刀が刹那に過ぎて、朱往の仕業だと思う前に鎌鼬(かまいたち)かなにかの仕業にも見えた。
 刃の扱いを知る物が禍差を持つとどうなるかなど、壬生の時は考えもしなかったことだ。ただ今は、むしろそれが、村雲の闘争心をかき立てている。先ごろまでの臆病心はどこへやら、村雲は糸蘇が後ろに立っていないことすら忘れて、力強く庵前の石段を踏んだ。
 なおも朱往は動かない。
 贄姫を狙って現れたはずの鬼が、姫守の到着を待つというのは、いささか戒羅の原意に背く行為である。しかし、そんな御託を述べたところで、鬼手を務める者は動かねばならないという規則などないし、あったところでそれを理由に神覧試合を止めるはずもない。張り番や神主たちに個のような表現があるのかは分からないが、それは野暮と言うものだ。
 村雲は岩山を下る鹿のごとく跳ねるように庵の前の石段を下りきって、朱往へ向かって歩き出した。
 すると今度は村雲の踏む一歩ずつに呼応するように、少しずつ首をはねたままの刃をこちらに向けてきた。歯車の合わない水車のような不細工さが、人間味を欠いて薄気味悪い。忍び寄る夕暮れの闇が、朱往の周りに集い始めているようだ。この負の連鎖ともいえるおどろおどしい雰囲気に乗じていないのは昼で姿を消した雨粒だけで、村雲の顔に当たる風は湿気すら帯びておらず、その分だけ禍差から漂う金物とも血とも分け難い匂いが鼻腔を突いた。
 これまでに散々目にしてきたとおり、禍差を相手にした戦い方は一つしかない。喰らわない間合いから隙をついて攻めることだけである。白露が得意とした薙刀のような、長さで優る獲物なら禍差の刃渡りの外から攻めることもできるが、禍差と同じ長さの獲物を持った村雲にはそうもいかない。
 もし鋼を簡単に引き裂く刃と交えれば、確実に獲物を失う。そうなってはもう逃げ惑うしかなく、戒羅の行く末は灯放の力次第となる。見世物としては成立するかもしれないが、姫守としては面白くもない顛末となる。姫守の役を頂戴したからには、必勝を負うべきなのだ。
 朱往の血なまぐさい間合いに漸近するにつれ、村雲は速度を落とした。
 誰もが見てきた、そして予期していただろう詰碁のような間の取り合い戦が幕を開けた。
 村雲は誘うような立ち回りを心がけて横に動くが、朱往の両脚は玉砂利から生えたかのように動じず、眼だけが村雲を追ってきた。回り込めば隙だらけの背中が露見するはずでも、そこにすら隙があるのか定かでない。あって当たり前の隙を朱往の背後に見いだせないのは、己の心が臆しているのか、はたまた勘が危機を訴えているのか。いずれにしても敵の背中が遥か遠くにあるように思えて、村雲は踏み込む足を忘れて動きを止めた。
 どうする。
 意図せず考えが口から洩れたことは、稀にある。しかしそれは、暗室で一人思案をしている時に限ったもので、このような戦いの中で洩らしたことは一度もない。
 心で閉じたはずの村雲の迷いを、朱往は微塵も見逃さなかった。
 間合いを外していたはずの村雲の布袴(ほうこ)が、一瞬で裂けた。傷を確かめる暇はないが、肌に触れる外気でわかった。痛みのないことが幸いといえた。
 瞼の裏にを今朝の戒羅が映る。鎖につながれた鉄球の動きに翻弄された錆止の戦いであった。状況は全く違っていることぐらいは分かっている。朱往には、からくりを仕掛けるような冷静さはなく、禍差もついさきほど神主から手渡されたものだ。間合いの足しになるような細工を仕掛けている間などなかったことは、この目で見ていた。
 先の鎌鼬は本物なのか。もしそうだとするならば、首など簡単に落ちる。
 村雲は急いで半身になった。急に距離を開けることは適わないが、横に早く動けるようにすれば、少なくとも刀の筋は外すことができる。
 息をつく暇もなく、二本続いて朱往の手から放たれた。
 一本は屈んだ頭の上を、もう一本は飛びのいた後の鼻先をかすめてきた。
 先よりも強い血銀の匂いが漂う。風は瞼をかすめて額の汗をふきとばした。一つ動きを誤れば、間違いなく今のが死線だった。
 幸いにして、朱往の動きがそこで止まった。
 一帯の不穏さを腹で受けながら、村雲も動きを止めた。朱往の動きを感じ取るためだ。動き出しを合わせた方が、剣は躱しやすい。
 言い表しがたいが、不思議にも半分怖いが、半分楽しくある。
 朱往にその種の感情はないらしい。前方に据えられた目玉は揺動なく村雲の顔を映してはいるものの、その焦点は村雲の後方にある虚空に定められているようだった。
 
「敵(かたき)、とは申せませぬ」
 見物席の後方、湖袖の斜め後ろに陣取った錆丸は、禍差を握って祭儀場に立っている男と一江の命を奪った男の関係を考えてみたが、朽丸さえ姿を見なかった一江の下手人を朱往と決めつけることも適わず、湖袖の詰問を柔らかに交わした。
「一江様を手にかけた者はその場で果てた、と聞いております故」
「……そうですか」
 さも残念そうな吐息が湖袖の笠に籠った。
 錆丸自身も、自刃は嘘にちがいないと思っている。一江を殺めた男の名はアカシと言うそうだが、そのアカの字が“朱”だったなら、同じ一文字を持つ戦い手が、一江の血を吸った禍差を持って戒羅に出ているというのは、できすぎた偶然である。
 とはいえ確証はない。あったところで、今は手を出せるところにいない相手だ。敵(かたき)は時に仇(あだ)となる。討てば気が晴れるものでもない。いきなり湖袖が朱往の命を狙い始めることはなかろうが、あえて火をおこす必要もないのだ。突き詰めれば朽丸が湖袖に姉の死を黙っていてくれればよかったのだが、主に嘘をつくわけにもいかず、やむを得なかったのだろう。
 錆丸は肺にため息を溜めた。
「それにしても朱往とは、妙な名ですね。兄上と同じ名前とは。郷を思い出します」
 同じことは、今日の組み合わせを明かされた時に錆丸も感じていた。奇しくも下津留の帝、洲汪帝と同じ韻である。もっとも、錆丸にとっての洲汪(すおう)帝は湖袖のいう洲汪帝とは異なる。湖袖を含め、下津留の民にとってのそれは湖袖の兄たる九代目になるが、早くに下津留を出た錆丸にとってはその父である八代目が顔の分かる洲汪帝であって、九代目に関してはあの酷い話の人物でしかない。
「そなたには、私の父上の方が縁が深いか」
 気を配ったのか湖袖が付け加えた。
 ありがたいことではあるが、うれしい話ではない。
「――様。これ以上は」
 錆丸は名を伏せて囁き、話しかけないようにと示唆をした。あくまで二人は、縁のない者として見物席に座っているのだ。
 湖袖は頷きもせずに、静かになった。
 懐かしむ時ではないのだが、かつてを思い出す。従えているのが影人であることを忘れて語り掛けてくるのは、波織の癖でもあった。顔は似ていなくても、やはり姉妹。もしくはそれが泉家と廃れ者の習慣なのかもしれない。今となっては、あたたかいようで寂しい思い出だった。
 湖袖の笠はまっすぐに村雲と朱往に向かっている。どのような情がそこに働いているのかは知らないが、きっと冷淡な目をしていることだろう。湖袖と村雲の付き合いは長いはずだが、それは戒羅にかぎってのことで、朽丸とは比べ物にならない。同じ意味ならば数日前に初めて目通った錆丸自身も相応に下位にいることになる。ただ、錆丸自身、そこに執着はなかった。
 錆丸の興味は祭儀場の戦いから大きくそれて、今この時、天上楼に忍び込んでいる朽丸の無事にある。
 本来は逆の役を勤める予定だった。すなわち、朽丸が湖袖のそばに控え、錆丸が忍び込む。その計画をひっくり返すことにした原因は、今、錆丸のさらに後方の見物席の縁に居る、犬見にある。
 今日の蒔キ式の後で、犬見とのやり取りの仔細を朽丸に告げると、錆丸はまず叱責された。犬見に執着するなと言う朽丸の忠告を無視しての結末なのだから、当たり前の反応だった。
 叱責はされたが、すぐに冷静になり、今後どのように振る舞うかと思案した。得た結論は、犬見が自分たちにとって益となるのか損となるのかは分からないが、確実に言えることは、今更でもやはり関わらないことが最良である、というものだった。幸いにして犬見の興味は錆丸にしかない。朽丸は自由に動ける。そこで、役を入れ替え、錆丸が見物席に居座ることによって、犬見もそこに張り付かせるのが上策と決めた。
 そして今、錆丸は湖袖を視野に収めながら、犬見の視線を背中で感じている。見張られているようで、見張ってもいた。この局面がこれからどう転じるかはともかく、曲者を天上楼から遠ざけることには成功している。難しいのは、背後の存在を目視できないことだ。無関心であることを装わねばならない今、目が合ってはまずい。ただただ神経を研ぎ澄ませて、犬見が立ち去るときに出す足音を聞き分けなければならない。鼓膜に全神経をのせる一方で、錆丸の眼と鼻は湖袖の周り広く掴んでいる。
 波織の影として幼少のころから培ってきたこの五感をそれぞれに働かせる能力は、長く使ってこなかったとしても、錆びるものではない。戒羅の動きに合わせて周囲から悲鳴や怒号が上がっったが、錆丸の邪魔にはならなかった。

続く