web clap

神代の子 ―諸―

十三.

 夜の祭儀にかがり火はつきものだ。錆丸が見てきた世間は広いようで狭いが、一番長くを過ごした字川でも、夜祭に大きな火を焚くのは決まり事で、時としてはそれは人の背丈をはるかに超える。
 平端に来てから、そうしたものを見た記憶はない。
 そもそもこの集落は年中戒羅という祭事を執り行っているのだから、夜祭が口を挟む状況にはなく、かがり火の出番も回ってこないのだろう。とはいえ、錆丸にとっての字川がそうであったように、この見物席を埋めた群衆たちも郷里や旅先でそうした焚火をみたことはあるはずである。
 祭儀場に突如として挙がった火柱があまりに巨大だったせいで、見物席は沈黙した。
 この時期の湿った風ではさすがに延焼まではしないだろうが、火柱が倒れれば内裏の一部は焼け落ちるかもしれない。それとも、燃え盛る火はもっと広がって、ここさえも手中に収めるのだろうか。
 そうした具合に見物席の幾人かは狼狽えている。冷静に考えれば、祭儀場を囲む陰陽師たちが生み出す結界が火をふさぐはずなのだか、それを忘れさせるほどに、火柱は大きい。
 さすがに目の前に座る湖袖はそのことを承知しているようで、少しも動じた様子はなかった。もっとも、水神の力を継ぐ湖袖にとっては火など脅しにはならないのだろう。
 後ろのいる犬見はどうか。
 気になるが、さすがにその考えまでを耳では読めない。周囲を確かめるふりをしてそれとなく見ることはできるが、そこまでして気にかけるものでもない。周囲の音を聞く限り、誰の足も動いていないのは確かで、それ以上のことは気にかける必要もなかった。
 なにしろ、朱往の体が燃えた時点で、戒羅は終幕なのだ。納メ式が終われば、この場を離れて朽丸と合流すれば、今日の任務は遂行できたことになる。その時に、犬見がこちらをつけて来ようとするならば、撒いてしまえばいい。一筋縄ではいくまいが、何せ犬見は若くない。脚の強さならばこちらに分がある。
 さしあたって今のところ気にかかるのは、朽丸が天上楼で何を見聞きしたかということだ。一番欲しいのは、法皇が神代の巫女たちを集める理由だが、ただ試合を見に来ただけなのでは、それを聞き出すのは難しいかもしれない。
 忍びの常とう手段として、身近なものに化けて聞き出すという術もあるが、法皇については護衛の顔すら割れていない。その意味では、今日その護衛の顔が割れれば、次にはつながる。
 朽丸の仕入れてくる情報がいずれであるにせよ、確実に言えることは今日を最後に拠点は御所に移すべきだということだ。
 錆丸は祭儀場に漂う煙の向こうに見え隠れする天上楼を睨み見た。
 火柱が気流を変えたおかげか、御簾がハタハタと揺れている。もっとも、上下を固定されている御簾が捲れ上がるわけもなく、法皇の顔を確かめることはできない。しかし、わずかに浮いた御簾の隙間から、法皇のそばに誰かが座っているのが見えた。
 衛兵にしては背が低く、影も丸い。女と分かって、褥の女を連れてきたということが思い浮かんだが、それならば法皇と寄り添って座っているはずだ。
 目を凝らすも、白い煙が邪魔をして影しか見えず、すぐに錆丸はあきらめた。ここから傍目の女が見えるなら、もっと近くの朽丸はその顔立ちをしかと捕えてくるだろう。
 それにしても随分な煙の量だ。あれほど大きく見えた火柱が今は煙に囲まれて全く見えない。
 これほどの煙を見た記憶といって思い出すのは、下津留での最後の日に破丸が護分寺に火を放った時のものだ。あの時の煙はもっとどす黒かった。
 そこで錆丸は妙に感じた。
 木が燃えれば黒い煙が上がる。人も同じだろう。だが、今祭儀場に立ち込めている煙は色を抜いたように白い。
 何が燃えればこのように白い煙が上がるのか。考えるまでもなかった。
 これは煙などではない。湯気だ。火柱の中で水が熱せられているのだ。どこからか生じた水が火とぶつかっているのだ。
「湖袖様。まさか……」
 無から水を呼び起こせる存在はといえば、目の前にいる二の姫しかいない。
 湖袖はすぐに頭を振った。
「私ではございません」
 口ぶりから、何が起こっているのかを理解しているようだった。
「では――?」
「分かりません。ただ、確かに神代の力を感じます」
「つまり……、湖袖様以外に水を操るお方がいると?」
 湖袖は答えなかった。
 その沈黙が返って、錆丸にあらぬ考えを閃かせた。
 湖袖には姉妹がいる。しかし、皆鬼籍に入ってしまったはずである。一番上の一江(ひとえ)はつい先日朽丸が死を見届けたばかりで、次の九代目は五年以上も前に破丸が命を奪ったと言っていた。一番末の波織に至っては、錆丸自身の背で果てている。確かに波織以外の死は直接見届けたわけではないが、見たのは皆廃れ者たちであり、嘘があるとは思えない。
 ということは、他に水神の血を受け継ぐものがいるということか。
 真っ先に分家筋を想像したが、あちらの血筋はまがい物だということは頭領から聞いている。泉家はその血を強く守ってきた一族であって、他に漏れているとは信じがたくもある。もっとも、少なからず外に漏れた血もあるだろうとは自身でも思うところだ。
 どうであれ、少なくとも今この集落で水を操る者はといえば、湖袖を除いてほかにない。それはつまり、この横やりとも捉えられる事象の疑いをかけられるとしたら、湖袖以外にないということだ。
 戒羅の結果がどうであれ、湖袖は必ず問われるだろう。納メ式の間、どこにいたのかと。もちろん祭儀場には結界という厚い壁があるはずだが、どうであれ嫌疑をかけられる人間は湖袖しかおらず、神代の力を持ってすれば結界も無視できると言い出すにちがいない。
 湖袖の沈黙とは反対に、周囲にざわめきが広がり始め、見物席は戒羅の状況を確かめようと前列に詰め寄る者たちでごった返すようになった。
 あまりに多くの足音が鳴ったために、やむなく後ろを振り返ってみると、犬見は後方の欄干の上に立って熱心に祭儀場を見ていた。錆丸の視線には全く気付いていないようで、こちらを見張るためにいるものだと思い込んでいたが、どうやら違っているらしい。この場を離れるには好機とも思える。
 この際、そのまま行方を晦ましてしまう方がよいかもしれない。
 弁明もせずに逃げるのは、湖袖が神覧試合を邪魔したと宣言するようなものだが、捉えられるよりは安全だ。そのほうが、朽丸と二人で守りやすくもある。
「姫様」
 呼ぶべきではない呼び方で湖袖を呼んだ。意図的ではなかったが効果的ではあったようで、錆丸が「ここを離れましょう」というと、湖袖は素直に頷いた。
 奇しくも、泉家の姫君を逃がすのは二度目のことだった。
 
 緊張。そんな色を少年の顔に見た。
 神覧の納メ式で代役を願った時の灯放の顔に、であった。糸蘇が出られない理由を大社に呼ばれたのだと説くと、顔色はそのまま怪訝へと移ろった。
 糸蘇が大社と絶縁していることを灯放に語ったことは一度もなかったが、どこからか耳にしていたに違いない。流言や噂話を吹き込む輩はどこにでもいる。内裏に住まう者の半分はそうした話をおかずに生きているような偽姫なのだから、なにも不思議なところはない。ただ、灯放のそうした表情があまりに長く続くので、糸蘇はいささか胸が痛くなった。
 しかし、灯放もいずれは察するだろう。その時の糸蘇の行動は法皇を討つための者であり、いずれは彼自身の振舞いに自由を与えたものだと、そうなれば良いというよりも、そうしなければならない。だからこそ、あの時は少し強い口調で灯放に頼んだのだ。
 もちろん、代役に灯放を選んだのは彼に試練を与えるためではない。不死の術を施さずに禍差を退ける策を考えた末のことだった。いかなる鋼も、灯放の炎には耐えられまいという考えがあったからだ。
「浅はか、というものや」
 法皇が隣でほくそ笑んでいる。
「お前はあの刀を分かっておらん。あの巫女の手繰る火がどんなに激しかろうと、所詮は子供の力。親に敵うはずもなかろう。今に神代の力も尽きて、湯気さえも消えてなくなる」
 法皇が玄仁の肉を借りて笑んでいる。
 自身に残された力あれば、精いっぱいにその顔をたたいてやりたいところだった。今の糸蘇は、朦朧とする意識の中から祭儀場に立つ者たちが誰であるかを引っ張り出したことが精いっぱいだった。
 法皇の言葉は本当だろう。灯放の炎は禍差を溶かすに至らず、尽きてしまう。そのときまでに村雲は体勢を整えることができようが、その後はどうだろうか。策があるのだろうか。
 もしなければ、あえなく禍差の餌食となる。その時にその命を救う不死の術はない。糸蘇自身にその気力がない上に、例えあってもここからでは戒羅の結界が邪魔をして村雲にまで届かせることができないのだ。灯放に不死の術を仕込んでおけばと悔いることに、今や意味はない。
 村雲とはともに過ごした時間なの無いに等しい薄弱な知人ではあったが、永村を知る知人と思えば胸が痛い。ただ、それも己の身を考えれば束の間の感情なのかもしれなかった。時々法皇を父と錯覚するほどに、自身の意識は昏迷しつつある。望んだ形では少しもなかったが、最期に父を見られたことは喜ばしいことなのかもしれない、とさえ思う。
 糸蘇の視界は、父の横顔を捉えたまま、間もなく閉ざされていった。
「ふん。結果を見ぬままに果てたか。やはり物足りぬ。名賀の家柄も、所詮は名ばかりということか」
 法皇は目をつむった糸蘇を一瞥した後で、再び祭儀場に目を遣った。
「早う禍差に耐えうる血を探さねばなるまいな。四行を手に収めても、あれが無くては門が開けぬ」
 その時、すうっと風が吹いた。風は法皇の横を通り抜けて、糸蘇の前髪をわずかに揺らした。
「誰や」
 そのまま糸蘇の周りに留まる怪しい風に向かって、法皇が鋭く言った。
 すると、糸蘇の口がゆっくりと開き、やはりか、と喋った。
 目を細めて睨みつける法皇を無視するように、声が続く。
「五行を集めるは、神門(しんもん)を開くためであったか」
「誰や。糸蘇ではないな。誰の悪霊や? いかにして糸蘇の体に潜った?」
「……ふふ」
 一瞬の沈黙の後で、目を閉じたままの糸蘇が笑う。
「人の体とは、よく言ったものだ。貴様こそ人の顔を奪った化け物ではないか」
「その口ぶり、聞き覚えがある」
「ほう」
 糸蘇の瞳がゆっくりと開く。
「それはつまり、貴様が覚えていてくれたということか。それとも、貴様が啜った我が姉の血が私を思い出させているということか」
「姉? ――そうか」
 途端に法皇の表情が苦々しいものへと移ろった。
「その方、圭子(たまこ)か。とうに死んだと思っていたが、しぶといものだ」
「姉上を喰った貴様を残して、私がこの世を去るとでも思ったか」
「姉妹愛とは目障りなものだ。いかにして、糸蘇に入り込んだ」
 圭子の意思が糸蘇の手をゆっくりと動し、懐から何かを取り出させた。鋭く瞬くそれは掌ほどの大きさがある一片の鏡だった。
「生鏡(きかがみ)の術か。鏡を介して己の魂の一部を弟子に移すとは、執念深い醜女め」
「……ことごとく引っかかる物言いをする。執念深いのは貴様も同じであろう。齢いくつになる。人の一生を何度重ねた」
「お前には関係あるまい。お前こそなぜ現世に漂う。それも、糸蘇の体を奪うとは。それが意味するは糸蘇の死ぞ」
「貴様と一緒にするな。糸蘇の体を奪うつもりなど毛頭ない。糸蘇が目覚めれば私は隠れる。糸蘇が眠れば私がこの体を守る。貴様の陰謀を砕くまで、そうして何度でも貴様の前に表れてくれる」
「ならば今、その体ごと破壊してくれる」
 瞬時に法皇の指先が火を噴き、灼熱の空気をまとった火球が圭子をめがけて飛んだ。
 圭子は水では応戦せずに転げるように躱し、火球は天上楼の壁を大いに焼いた。ただそれも結界の力で封じ込められ、楼を全焼させるには至らなかった。
 舌を打つ法皇の横で、圭子がゆらりと立ち上がる。
「この体には傷一つはやさせぬぞ、畜皇め」
 畜皇。その一言は法皇の怒りを招くに充分であった。亜の心が玄仁の顔を突き破って露見すると、その顔はもはや温和で気弱な神主のものではなくなっていた。
「小娘が。焼き殺してくれる」
 法皇が御簾に触れると、横に組まれた一本ずつの葦が這い回る蛇のように動き出し、一気に圭子をめがけて襲い掛かった。
 数が多い。しかし、圭子がそれらに鏡を向けると、木は躊躇うように動きを止めた。
「その鏡、何を練ったものや」
「八萬社の御神体」
「八萬社……。お前の郷里やな。あこの御神体は確か、古き時代から受け継がれた銀であったな。なるほど、五行を祓うに相応しい力がある。しかし、わざわざそれを用意するとは、小賢しい真似をしおる」
「貴様が五行の木で仕留めにくることぐらいは易く読める。金の神代は血筋が絶えていることは知っているからな。それが意味することは、五行の木を食い止める力は誰にもないと言うことだ。私のこの鏡と、そして禍差を除いてな」
 圭子の言葉に法皇の口がゆがむ。
「その顔。やはり、この世に唯一の残された金の神代は、禍差そのものなのだな。つまり、身を守るだけの私の鏡とは異なり、禍差は金の神代となりうる力を秘めているということか。だが、どうやら貴様は禍差に触れられぬようだな。理由は分からぬが、触れれば他のもの同様に、狂い、自我を失うといったところか。そうか。だからその禍差に耐える者を探しているのだな。戒羅を利用して」
 黙る法皇を見下ろしながら、さらに圭子が続ける。
「図星か。そうであろうな。貴様が先ほど漏らした言葉で、貴様のこれまでの行動と平仄が合った。四行を手に入れたが禍差がなくては門が開けぬ。つまりそういうことだろう」
 法皇の口から舌打ち漏れた。小さな音だったが、しかし天上楼に響くには十分な音だった。
 さらに少しの沈黙を経て、ついに法皇が口を開いた。
「朕がなぜ、お前を殺すように命じたか分かるか。お前の血を恐れたわけではない。お前の知がいずれ邪魔立てすると思うたからや。して、やはりその通りになったわ。つくづく癪に障る女め」
 苛立ちとともに圭子を睨みつけたまま、法皇が立ち上がった。

続く