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神代の子 ―諸―

十四.

 圭子にとって、まず、気を配らねばならないことがあった。法皇が天上楼に張ったという結界のことだ。
 法皇が結界の存在を口にしたのは、糸蘇がここへ招かれた後のことだ。その時に法皇自ら結界を張ったとは思えなかった。その力はあるだろうが、自ら労する性分ではないことぐらい分かっている。
 他の者ではないということも圭子には分かっていた。糸蘇は気づけなかったかもしれないが、今や霊体となった己には、周囲に結界を張る者がいないことなど容易く分かる。法皇が自らの力で結界を引いているとも思えず、法皇でも第三者でなければ、術札によるものしかない。さらに、糸蘇がここへ上がった後に術札を仕掛ける時はなかったはずであるから、法皇の言う結界というのは神代の力を封じこそすれ、物の出入りを封じることはできないということだ。一言に、それは好都合だ。
 圭子は今、どのようにしてここを脱するかを考えている。
 戦いの行方を悟るまで、それほど長くはかからなかった。
 やはりこの体は糸蘇のものであって、自分のものではないのだ。法皇の放った炎からはうまく逃れたものの、次第に想いと動きのかい離が目立つようになり、糸蘇の着物はだいぶ傷んでいた。
 圭子が現世に居座る理由とは法皇を討つことがすべてであって、それを糸蘇に半ば植え付けたことも事実である。しかし、悲願の成就よりも守るべきものがあるのも確かだ。それこそが糸蘇の体を安全なところに運ぶことだ。姉の仇が今打てなくとも、ここで散っては何も残らぬし、なにより巻き込んだ糸蘇に申し訳がない。
 逃げる腹積もりはあり、退路もある。目の前に立つ邪魔者さえ排すれば、木製の檻から出られる。ただ、その目論見は間際まで悟られないようにしなければならない。
 圭子は精いっぱいに手足を動かし、攻勢を緩めないように神代の力を放った。
 糸蘇としてまみえた時に見せていた薄ら笑いを封じた法皇が、無表情に迫ってくる。天上楼の狭さと際限なく生える樹に圭子は追い詰められていった。
「神門を開いて何をするつもりだ」
 切れた息を繋ぐべく、圭子が問う。答えなど期待していなかった。
「黙れ」
 法皇は短く言うと手を伸ばしてその横の壁に触れ、壁板を飛ばしてきた。
 圭子がすぐに先ほどの鏡を向けると、十を超える刃のような木片はいずれも圭子の体を素通りした。
 ここを好機ととらえて動こうとした圭子は、直後に強い張力を四肢に感じて、次には壁に叩きつけられていた。見れば着衣に体の輪郭をなぞるようにして木片が刺さり、張り付けられているような具合だった。逃れる間もなく背後の壁から伸びる枝葉が、圭子の五首を締め上げてきた。
 その締め付けはきつく、鏡は右手から離れて床に転げた。
「五首断(ごしゅだん)」
 法皇が喋る。
「聞いたことはあろう」
 今では知る者も少ないだろうが、古い処刑法の一つに五首断の刑というものがあった。左右の手足、及び頭をつなぐ計五つの首を落とすというその刑罰は、生を象徴する胴体から、天を象徴する頭、地を象徴する足、人を象徴する手をもぎ取ることによって、罪人が天国、地獄、現世すなわち輪廻から外れるようにするためのものであり、すなわち五首断とは大罪人やこの世に戻られては困る者が処せられる極刑であった。
 圭子の表情を見て、法皇が語る。
「五首断の刑に処された肉塊は、葬ることも許されぬ。土葬も、火葬も、水葬もや。葬らば、亡骸に五行の力を与えかねん。金物さえ首を裂くのに使わせぬ。生じた死肉は都より離れて鳥辺野に放置し、烏に食わせる。それが慣行や」
「……それがいかがした」
 壁を背にしたままの圭子が言うと、法皇は圭子の四肢を眺めた後に答えた。
「それが、母の死に様やった」
 生前に一度だけ、圭子は法皇の出生を調べたことがあった。
 法皇の父の名は刻家の出生録に見つけることができたが、母についてはどこにも記されていなかった記憶がある。母の身分が低かったためだろうと踏んでいたが、今の法皇の言葉を信じるならば、それはどうやら違うようだ。系図から名が消されるほどのことを、法皇の母たる人物は犯したということか。
「つまり、神門を開いた後、母を死に還らせると。そういうことか」
「ふん。母など生まれた時よりどうでもよい存在になり下がっておる。そもそも、あらゆる生き物にとって、親とはこの世に生まれるための道具に過ぎぬ。民どもは親が子を産むと思うておるが、それは違う。子の存在が親という概念を生むだけや。親を隠しても子は子と認められるが、子を隠して親とは名乗れぬ。子が親を生むということや。子にとっての親など、周りに知らされなければ無いも同じということや」
「……」
「話が過ぎた。さて、もうお前に話すこともない。朕が言わんとするのは、ただ一つや。二度と戻ってこれぬよう、その五首をちぎってくれる」
 糸蘇の体に巻き付いた枝が首周りの肉に喰いこんで血流が遮られ、痺れる感覚が手足から背中へと流れ込んでくる。圭子の意識は、やはり肉体に干渉していないせいか、まだはっきりとしているものの、それだけにどこまで糸蘇の体が耐えられるのかが分からない。急場しのぎで枷を燃せば、それが糸蘇を殺してしまうこともありうる。
 なにか術(すべ)はないものか。
 法皇の顔を睨みながら策を巡らす圭子の耳に、木の軋む音が漏れてきた。天上楼のさらに上から聞こえてくる音に、法皇も気づいたようだった。
 音は徐々に大きくなっている。何かが上を這っている音ではない。木をひっかく音だ。
 その音は最後にものすごい大音を立てて天井板とともに上から落ちてきた。
 大量の木くずと周囲に舞う最中、圭子はそれらにまぎれて光る何かを見た。その一瞬では見分けられなかった。光る何かよりも、それを人間が持っていることが驚きであった。辺り一帯には人の気配などなかったはずだ。
 法皇と圭子の間に立ったのは四角い顔つきの男だった。
「ようやく現れたか、虫め」
 法皇が声を上げた時、圭子は糸蘇の手足が軽くなっていることに気づいた。先ほどの光は刃だったのだろう。見ればまだ手足に枷のように枝葉が絡んでいるが、その元は鋭利に断たれている。
 法皇の意識が間者に向かっている隙をついて、圭子は先ほど落した鏡を拾った。
「何がためにここへ忍んだか知らぬが、二人まとめて往ぬが良い」
 法皇が壁に触れた。
 生み出された木の槍が炎をまとって男に飛び、深々と突き刺さった。焼き印を押されたかのような低く轟くうめき声が煙の中から聞こえ、追うようにして法皇の高らかな笑い声が楼を埋める。しかし、その笑い声も続きはしなかった。
 立ち込めた煙が退くと、乱入した男の立っていた辺りには焼け焦げた装束だけが落ちていた。どこにも死骸はなく、圭子さえも姿がない。
 床には大槌でたたき割ったかのような穴が開いている。天上の穴と同じくらいの大きさで、天井から垂直に通したような穴だった。
「落下の勢いをそのままに、床を打ち抜いたか。子虫と見ておったが……」
 忌々しそうに床に空いた口を見つめた後、法皇は御座へと踵を返した。
「どうあれ、朕は止められなどせぬ」
 
 人が焼ける匂いなど嗅いだことはないが、目の前の炎が朱往を燃やしているわけではないことぐらい、村雲にもすぐに分かった。まるで風呂釜の前にいるような、そんな汗ばむ熱気を感じたからだ。それに、朱往自身の悲鳴も聞こえない。
 身を起こしながら、ちらりと灯放を見遣る。こちらに掲げた火の巫女の細い両腕から朱往へと繋がる十数間には、陽炎が立っていた。
 ただし、その力もどうやら限度があるらしく、灯放は肩で息をしている。朱往がどのような力で火の神の力を退けているのかは知らないが、このあたりが限界だろう。窮地を逃れられただけでも十分といえばその通りだ。
「もういいぞ」
 灯放に届くよう、村雲は大声で叫んだ。すぐに火柱は消えて白い煙の中から朱往の輪郭が現れ、次第に色を持ち始めた。
 朱往は仁王立ちのままだった。浅い火傷をあちこちに負い、召し物も鬼面も焦げが目立ったが、眼孔は鋭いまま二つ揃っている。
 再び構えながら朱往の様子を確認した村雲は、一つ不思議なことに気が付いた。禍差を持った右手だけが、綺麗に炎症から逃れている。それに袖周りは明らかに濡れていた。誰かの横やりが朱往を灯放の火から守ったのだと思っていたが、それはどうやら読み違いらしい。朱往の右腕は禍差が守ったと語っていた。
 人道を奪い、修羅道を与える破滅の刀とばかり禍差を捉えてきた村雲にとって、禍差が持ち主を守るとは考えもしないことだった。今ゆっくりと構え直されている一振りは、妖し刀である以上のものらしい。
 ただ、それが分かったところで為すべきことは変わらない。今この時からは、誰に頼ることもなく、奇襲を図ることもなく、正々堂々と勝負し、朱往の鬼面を割ることだ。
 言葉通りの真剣勝負。久しく忘れていた感覚に、村雲は自身の肌が針を持ったかのように騒めき立つのを感じた。
 構えは、ともに正眼。刃の丈は村雲の握る霧生丹波錬鉄(きりうたんば・れんてつ)の方が二寸(約六センチ)ほど長いと見ている。
 剣士が見切る間合いの誤差はもちろん熟練者ほど小さくなるとはいえ、測りも置かずに二寸を見極めるのは至難の業で、いざ斬り合ってしまえばあまり有利には働かない。二寸の間など腕を少し伸ばすだけで届いてしまうものだ。
 その有利をもっとも活かすことのできるのは、文句なく突きである。禍差の反撃を避けようと思えば、首を突く他にない。
 村雲は狙いを首に絞って、構えを変えた。読む読まれるよりも早さが必要だった。
 切っ先を寝かせつつゆっくりと構えを八双に移し、朱往の咽喉を狙う。朱往の咽喉元は先の炎で衣が焼け、狙えと言わんばかりに露わになっている。
 朱往も応じて左足を引き、半身になった。突きを呼び込んで反撃を打つ体勢である。
 辺りは静まり返っていた。
 待つべききっかけなど何もなかった。腹はもう括っている。
 村雲は一気に朱往に詰めた。
 一本目の突きは外されることを見越して浅く打つ。すぐに襲ってきた禍差の反撃を寸でで避けると、禍差の切っ先が頬をかすめて皮を喰った。
 そのまま二本目の突きを、朱往の喉元をめがけて鋭く放つ。朱往の空振りが大きかった分だけ二本目の突きを刃で受けることができず、朱往は峰で突きの軌道を変えるのが精いっぱいになった。二本目の突きは朱往の左耳を掻いた。
 引き攣った朱往の顔に、村雲は勝機を見た。
 三本目の突きを放つ用意はある。朱往の喉元も開いている。
 しかし、最後の突きを打つべく刀を引き寄せた時、村雲の目は錬鉄に走る無数のひびを捉えた。たった一度当たった禍差の峰に、錬鉄が負けた跡だった。
 もはや後戻りはできないと思い、強引に突きを放つ。
 錬鉄は村雲の右手と朱往の喉仏を繋いだ後、崩落する橋のように真ん中から崩れた。切っ先は朱往の喉をひっかいただけであった。
 仕留めるつもりで踏み込んでいた村雲は支えを失って大きく前傾した。そのまま転倒して背中を晒さなかっただけましではあったが、朱往が禍差を振るうには十分な隙となった。
 振り下ろされた禍差を、刃渡り三寸の砕けた刃で受けるしかなかった。
 聞いたことのない音が錬鉄から鳴り、すぐに手中の刀身に手ごたえがなくなるのを感じた。見れば柄は見事に粉砕されて、二つに割れた鍔の一片が村雲の指に乗っていた。それが指を守ったのか、五指はまだあった。
 朱往の目は黒く焦げた鬼面の奥でまだ鋭く光っていた。肩に担がれた禍差が村雲の首を狙って待っている。
 取るしかない。
 首切りの刃が動き出すその瞬間に、村雲はそう決めた。
 見物席はいくらかの悲鳴が上がったことだろう。姫守の人気によるのではなく、人の死ぬ瞬間に立ち会うことは誰にとっても衝撃だからだ。
 村雲は禍差の太刀筋を見た。
 夕日の照り返しを受けるその刃は眩しくもあったが、背後に迫る夜の藍が輪郭を浮き立たせていた。
 その後は必死だった。だからどうして取れたのかを覚えていない。
 村雲の両手は禍差を挟んでいた。凶刃は首の皮を少し喰ったところで止まった。
 明らかに朱往は戸惑っていた。
 一挙に刀の奪い合いに持ち込むと、朱往の力は意外に弱く、禍差はすぐに村雲の元に来た。
 獲物を奪われてたじろぐ朱往をしり目に禍差を握ってみると、不思議と力がみなぎるのを感じた。丸腰から逃れ、刀を手にしたことへの猛りとも思えた。
 村雲は無言で朱往の顔面を斬りつけた。
 ついさっき錬鉄が砕けた時に聞いたような音が鳴り、鬼面が二つに割れた。そして、その両片が玉砂利に着地する前に、禍差の柄で朱往の鳩尾をついた。
 終了を告げる大太鼓が鳴り響く。
 いつもより多く、また大きく打ち鳴らされる太鼓の音に、ようやく神覧試合であったことを思い出す。
 庵を見れば、灯放が張り番に支えられながら庵の石段を下っていた。
 あの齢でよくぞあれほどの火を起こしたものだと感心しながら、それが一度目の危機を救ってくれたことに感謝せねばと思う。、役を放り出した糸蘇の動向も気になるところだが、それ以前に手元に目が向かった。
 禍差は禍(わざわい)をもたらすと聞かされていたが、持ってみればただの刀だった。確かに軽くて切れ味は鋭い。ただ、それ以上は何も思わなかった。もしかすると、盗まれることを恐れた者が撒いた流言だったではなかろうかと疑いたくなる。
 そのまま頂戴するつもりもない村雲は、青い顔で走り寄ってきた宮司に禍差を返し、ざわめきがごった返す見物席を背に引き上げていった。
 ふと天上楼を見上げると御簾の隙間から法皇の顔がのぞけた。夕日の照らすその口元は満足げに笑んでいた。

続く