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神代の子 ―諸―

十六.

「来たぞ」
「やはり遅れたな」
「ふん。結局、お主が最後まで納メ式を見ようと見まいと、影響の出ないことだったか」
「まあ、そう不貞るな。半刻のずれが大局を動かすわけではない。それより内裏の図面、しかと届けたのか、加々見」
「三日も前のこと」
「櫓の梯子を先に落とすことは?」
「もれなく臥穴(ふしあな)に伝えてある。しかし、良いのか犬見。そこまですれば死者が増えるぞ」
「やむを得ん。内裏には法皇の血族も幾名か居おる。力が弱いとはいえ、いずれも神代の力を継承する者たちだ。邪魔をされては困る」
「だが仮に他にも木を操る者がいたとしても、臥穴には敵わぬだろう」
「芽を摘むことは兵法の基本。たとえそれが非情に聞こえようともだ。それに、犠牲はこちらも同じこと。香治の民はそのことを知るはずもなかろうが――」
「ふん。しかし、民とは、哀れなものだ。民に罪があろうとなかろうと、国主の過ちを補うのはいつだって民になる。好んでその国に生まれた者など独りもいないというにな。もっとも、国なぞなくとも人は生きるがな、我らのように」
「さりとてだ、加々見。それも長くは続かぬ。いずれ国が興り、同じことを繰り返す。人とはそういうものだ。分かっていながら、繰り返すものなのだよ」
 
 集落に一本の煙が上がったのは、暦が翌日に割り込んだ頃だった。月はまだ東の空を占める龍臥峰の頂から鎌の先を覗かせたような具合で、明かりもなく、黙々と上がる黒煙は誰の目にも触れるものではなかった。
 ほんの半刻ほど前までは、集落もまだ明かりが灯されていた。普段ならとっくに皆が床に入るような刻限であっても、神覧試合を終えた日とあって、飲み更かしているものは多かった。実際に、酒屋には労から解放された張り番や、出番のなかった戦い手が祝杯や自棄酒を求めて、夕過ぎまで押し寄せていたほどだった。
 この寝苦しい夜に火鉢を置く者がいるはずもなく、また火の手が上がったのはすべての行灯が消えてしばらくたったころの事であって、火元となりえる場所はごく限られていた。火の巫女へ向かう足がもう少し早ければ、あるいは防げた出火だったかもしれない。しかし、不幸にも、その時内裏には人に指示をできる者がいなかった。
 先のとおり、ほとんどの張り番は深酒を被って眠りこけて、使える者は一人もいなかったし、普段は贄姫たちが頼りにしている糸蘇も部屋を空けていた。挙句に、いち早く異変に気付いた一人の張り番が慌てて湖袖を呼びに行ったが、湖袖さえもいなかったのである。
 煙は一気に内裏を走り、就寝していた贄姫や泥酔していた張り番たちをそのままあの世に引きづり込んでいった。
 酒が浅く、すぐに正気を取り戻した幾人かの張り番たちは、身近な者たち起こし、抱えながらに走った。また別の数人は警鐘を鳴らすべく櫓に上ろうと試みたが、不思議なことに梯子は見事なまでに解体されていて、鐘にたどり着くことも適わなかった。
 その間にも炎は真冬の勢いを思い出したかのように燃え広がった。まるで、火そのものに意思があり、次々と内裏を延焼させているかのように動いていた。
 内裏全体が赤く膨れるころになると、さすがに酩酊していた戦い手たちも目を醒まして、一人でも多くを救おうと水を被って火の中へ飛び込んだ。飯屋も薬売りも総出になった火傷人の手当てを始めた。
 盛大な音を立てて火に包まれた櫓が倒壊した時、村雲は顔はすでに煤で真っ黒になっていた。
「もうやめておけ」
 もう一度内裏に飛び込もうと水桶を手に持ったところで、伊丹に話しかけられた。
「俺ならまだいける」
「お主じゃない。屋根じゃ、屋根が持たん。櫓と内裏は同じ梁を使っておる。櫓が倒壊すれば、直にすべて潰れるじゃろう」
「しかし――」
「馬鹿者め。死ぬ気か」
「気にならないのか?」
「何がじゃ?」
「糸蘇を見ていない。湖袖もだ。あいつらが簡単に死ぬとは思えん。中で何かが起こっているにきまってる」
「元より居らんのじゃろう」
 村雲は眉をひそめた。
「どういうことだ」
「湖袖が居るなら火事など起こらんし、糸蘇に至っては納メ式の時から見ておらん。お主の戒羅を思い出しても見よ」
 確かにそうだ、と村雲も納得する。しかし、それを言われてさらに思い出す。
「爺さん、灯放は見たか?」
「そこにおる」
 老人のまっすぐにならない指の先に、呆然と座り込む灯放の姿があった。これほどの火事場だというのに顔が綺麗なままなのは、火の神の守護とでもいうべきものだろうか。他の面々が煤まみれな分だけ、蒼白にも見えた。この騒ぎの原因が灯放とは思いたくないが、あの様を見る限りではそうなのかもしれない。
「安心せい。灯放の仕業ではないじゃろう」
 何かを知っているのか、伊丹が宣言する。
「火はいずれも妙な動きをしておる。龍のようにくねっているように見えぬか?」
 村雲が目を凝らすと、確かに見たこととない動きをして見えた。しかし、灯放は先のとおりに座り込んでいて、力を放出しているようには見えない。
「あれは火の動きではない。木じゃよ。燃え木が意思を持った松明のようにあちこちに放火しているようじゃ」
 聞いた限り、贄姫の中に木の巫女はいる。だれぞの親王の娘だと聞いていたが、その力はずいぶん弱く枝を揺らす程度の事しかできないはずだった。
 もっとも、今は誰の仕業かを探っている場合ではない。そう思った時に内裏の屋根が崩れはじめた。引き起こされた轟音は地鳴りを伴って多くの人々の悲鳴を飲み込みながら夜空を裂き、束の間の静寂を置いて行った。
 おい。雨だ。
 数人の男たちが口々に言った。
 すぐに村雲の額にもその訪れがきた。
 匂いも味もしない一滴の雨粒を受け、湖袖の仕業だと確信する。それに応えるように雨脚は強まっていった。
 恵みの雨と呼ぶには酷い光景の中、内裏を焼いた火が少しずつ収まり始めると、立ち尽くしていた誰しもがそこに座り込むようになった。行きかっていた怒号は嗚咽へと変わり、やがて九死に一生を得た者たちが名前を呼び合う声に代わった。
 夜半はとっくに過ぎていたが、そこから夜明けまでは秋の夜よりも長く感じられ、その場で陽の光を待った村雲も、ついには焦れて朝を前に焼け跡へと乗り込んだ。
 中は惨状だった。張り番と偽姫たちの多くは酒におぼれたまま逃げ遅れたようで、苦しんだ形跡もなく焦げていた。一緒に入り込んだ伊丹とは首を振り合う情景が続き、ついには声を出すこともないまま、引き上げることになった。仏の数は数十を超えていた。
「村雲」
 炭へと化した内裏を離れると呼び止める声があった。顔を上げると、納メ式の直前に村雲を羨んでいた戦い手が手招いている。
 妙に残念な気持ちに駆られたのは、その男に失望したわけではなく、呼び止めたのが朽果でも錆止でもなかったことに対してだろう。あの二人は言葉通りにこの集落を離れたらしい。気になるその動向も今や無関係なことになりつつある。
 村雲はひとまずその男の近くに寄った。男の後ろでは何人かの戦い手たちが話し合っているようだった。
「何用だ?」
「いや、これからどうするのか、皆で話し合っていてな」
「どうもなにも、生きた者を保護することだろう」
「もちろんそうだ。が、俺たちは皆、戦い手であって薬師でねえ。治癒の助けにはなりやしねえさ」
「力仕事なら、山ほどあるぞ」
 消し炭の山を指さしながら言う。
「あんたは、悔しくはないのか? 集落が壊されたんだぜ?」
「壊された、とは、誰かの仕業だと分かっているのか?」
「ここは香治国の鬼門だ。鬼門崩ししかありめえよ。だいたい、ここで戒羅を執り行うは鬼門崩しに備えて戦い手を集めるためって聞いてた。それがこんな事態になったってことは、俺らが何の役にも立たなかったってことだ。ここで決起しなけりゃ、立つ瀬がなくなっちまう」
 男は鼻息荒く語った。
「決起してどうする?」
「まず都に上がる」
「その後は?」
「法皇様に会う。会って、来たるべき戦に加勢する」
 村雲が応えずにいると、男は一歩迫ってきた。
「あんたも来い。納メ式での活躍は誰の目にも留まるものだった。きっと法皇様も重用してくるぜ」
 村雲は男の目を見た。ならず者の口ぶりにして、真摯な眼差しだった。
 男の言い分は理解できる。間違っているとも思わないし、悔しい気持ちはこちらにもあることだ。しかし、何か違和感があった。探って見れば、それは誘い文句に何度も出てきた『法皇様』という言葉に対するものだった。結局この男は、腹の底で報酬を目当てにしているのだ。
「遠慮する」
 村雲の言葉は男の蔑視を引き出すに十分だった。
「そうかい。薄情な野郎だ」
 足元に唾を落して、男は戦い手たちの輪に戻っていった。
「賢明じゃな」
 慰めるように伊丹が言う。
「法皇などに取り次いだところで、仇が討てるわけではない。もっとも、奴さん方には口実に過ぎなかろうが――」
「分かっている。そんなことより今は、再びの襲撃に備えるべきだろう。ここは都に至る唯一の街道筋だ。鬼門崩しの狙いは知らないが、都を狙うなら必ずここを通るはずだ」
 村雲の論に伊丹が小首をかしげた。
「そうとも限らんがのう」
「永村の南の漁村から上がってくるか? 夜襲を仕掛ける連中が、船で乗り付けるとは思えん」
「そうであっても、道は一つとは限らぬということじゃ」
 不意に伊丹が背を向けた。
「おい、爺さん。どこへ行く?」
「家じゃよ。こういう騒ぎの時は盗みに入られやすい。お主も気を付けい」
 気をつけようにも高価なものは置いていない。着物はどうとでもなるし、刀はどうせ折れたままだ。金は確かに貴重だが、この有様では当分出番もないだろう。
 村雲はその後も何人かのけが人を運び、疲労を覚えたところで一度引き上げることにした。ただ、足はまっすぐには家へ向かわなかった。
 村を見回すと、あれほどの惨状に会っても、焼け落ちた内裏に背を向ければ待っている光景は普段と変わらなかった。違いは鼻を衝く焼けた匂いぐらいのものだ。
 半ば意図せずに、村雲の足は犬見の家に向かっていた。途中、村雲は神覧試合目当てで来ていた宿泊客が出立しようというところを見かけた。誰しもが、この先に待つ労をねぎらい、詫びるように集落を出ていく。中にはこのまま滞在して協力を申し出る性根の良い者たちもいたが、それは同時に彼らの生活を提供することにもなって、却って食料が必要になるため、医師と薬師以外の申し出は断っているようだった。伊丹の言葉を借りるなら、賢明だろうと村雲は思った。
 犬見の家は以前と変わらない形のままそこにあった。かつては罠に見えた張糸は切られている。先に屋根を見上げたが、犬見の姿はそこになかった。
 村雲は断りもしないまま、足を踏み入れた。
 中は閑散としていた。家具そのほかは以前と同じようにそこらに置かれているが、食器や衣類など生活を感じさせるものはなにひとつなかった。もとより、それほどなかったのかもしれない。いま目に入るのは新居同然の屋内であり、ことに書斎は主を待つかのように整然とあった。ここまで片付けられているということは、戻るつもりがないのだろう。
「抜けたとは、嘘だったのか」
 村雲は独りごちた。
 曲がりなりにも不次という縁があり、鬼門崩しの所業が他所の土地で続いていたこともあって信じていた犬見の言葉だったが、この様を見る限りは嘘であったということだ。見抜けなかった己が恥ずかしく、またそれが今朝見た犠牲を招いたかと思うと腹が立つ。
 どうしようもない気持ちを、村雲は書机にぶつけた。蹴りあげられた机は二度転げ、最後に障子の根元を挫いて倒した。
 一連の物音が治まると、後から一編の書状が落ちてきた。とっさに蹴ったので見ていなかったが、どうやら書机に載っていたものらしい。よく見ると自分に宛てられた手紙であった。
 
 村雲殿
 赦され得ぬことであろうとは存じている故、赦せとは申さぬ。
 されど、主を敵に回す意趣も、またない。
 憎念はお受け奉らうも、再び相見える機が訪れぬことを望む。
 いくつかの事におき世話になり申したこと、感謝いたし候。
                             犬見
 
 読んですぐに破り捨ててやろうと指を掛ける。しかし、爪の先ほど裂いたところで、指がもう一枚の紙を捉えた。隙間なく張り付いていた二枚の紙を静かにはがすと、二枚目が現れた。
 そこには、「錆丸殿」とだけ、あった。

続く