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神代の子 ―諸―

十七.

 ひと寝して疲れを癒した村雲は、目覚めと共に腹が減っていることに気づいた。幸いにして我が家に荒らされた跡はなく、銭も米も盗まれずに棚にあった。平端の飯屋では銭か米で食い物を頂戴することができる。たいていは身軽な方で済ませているが、今日は違う気分になった。
 米を背に草履を履いたところで、不意に犬見からの文を思い出す。己への内容というよりも、錆丸という人物に宛てられた方の文である。
 村雲の知る人物に錆の字があるのは錆止だけだった。どういった思惑で村雲に預けたのか、それとも単に重なっていただけなのかは定かでないが、受け取ったことは事実である。
 もちろん人違いかもしれないし、もはや空になっただろう錆止の居宅に行ったところで渡せるわけではないかもしれないが、景色の変わったこの集落で絶対の二字を言うのは浅はかというものだろう。もしかしたらと思い、村雲は這って文を取りに戻った。
 外の空を見上げると、昨晩の火が残っていた梅雨の雲まで焼いたのか、空は抜けて、取り巻きを失った陽が孤独に世を照らしていた。誰もそんなことに気を配りはしないが、正しい梅雨明けは今日であったようだ。
 昨日までは内裏のあった土地に向かうと、今朝の騒めきはどこへやら、人はほとんど見当たらなかった。そこばかりか、集落そのものが静まり返っている。
 今朝、村雲に話しかけてきた男が言ったとおり、戦い手のほとんどは集落を離れ、早くも都に向かったらしい。そもそも彼らがこの集落に来たのは功名心あってのことなのだろう。それに支えられている彼らには、疲労うんぬんよりもどれだけ早く都入りできるかの方が大事なのだ。神覧試合目当てに平端を訪れていた旅客たちも、集落を去ったと見えた。残っているのは怪我人と集落を支えてきた民人だけである。
 飯屋は炊き出しに大わらわだった。
 いま集落に居るすべての人間が集まったのではないかと思うほどの列ができていた。皆が皆、内裏跡に背を向けて、何も言葉を発せずに立っている。
 飯屋の者たちは集落の人間であれば誰にでもと振る舞っていて、銭米はとらないと言ってきたが、村雲が数人分の米を渡すと無言のまま両手で受け取った。
 食材をありったけ放り込んだような粥は、調味料が足らなかったのか、いやに薄味だった。それでも妙に胃の腑に染みて、村雲は感慨深くなった。
「ここも終いかねえ」
 地べたに座り込んで粥を流し込む数人の会話が聞こえてきた。
「だろうなあ。戒羅がなきゃ、此処はただの街道筋だ。土が貧弱で作物もならん。無理にここに畑を広げるぐらいなら、白大羽山(しろおおばやま)のふもとに帰った方がいい。あっちの雪解け水はきれいだ。いまだにいい米がとれるらしい」
「そりゃあ、石積村のことか? そうは言っても、あそこは名主が土地を締めてる。土地を借りても返済に二十年はかかるぞ。そのころには俺も爺様だ」
「そうだったな。だから平端に出て問屋を始めたんだったな、お前さんは」
「ああ、そうとも。盛っている土地なら何かしらやることがあるからな。けど、戒羅が終わったら俺も終わりだ」
「寂しいことを言いなさんな」
「寂しかれ現実だよ」
「それにしても、張り番の方々は偉そうで好きでなかったが、死んだとなると哀れだな。奴さんら、これからどうするつもりだろう。梯子の人たちも、櫓が無きゃ役目無しだ」
「どうだっていい。哀れには思うが、死んでしまえば何もねえ。張り番は、生きてさえいれば行き場もある」
「あんた、情けもねえな……」
「今は人の心配をする立場でもねえ」
 男が気だるそうに立ち上がり、焼け跡を眺め観て舌を打ってから、器を飯屋に戻してどこかへ帰っていった。
 この集落が生まれてから内裏の建立に何年をかけたのか、村雲は知らない。建立よりも再建の方がはるかに早く済むとは思うものの、それが果たしてどれほどの月日と人手を必要とするのかなど、いったい誰に聞けば分かるのだろう。その間の食い扶持など、彼らが溜めこんでいるわけもない。
 かたや、張り番のほとんどは都から派遣されてきた者たちだ。先の男の言ったとおり、傷が癒えたら戻ればよい。しかし、梯子は何をして暮らすのか。
 必然的に伊丹の顔が浮かんだ村雲は、先の男と同じように器を返し、老人の住家へ向かった。伊丹なら錆止の行き先も、ひょっとすると錆“丸”の謎さえも知っているかもしれない。
 再び歩き始めて思ったことは、雨雲が退いたことがちっともありがたくないということだった。湿気が残ったままの日照りとあって、昨日の火事場とはまた違った暑さがある。汁物を食って上がった胃の熱も拍車をかけていた。
「入るぞ、爺さん」
 玄関口で声をかけはしたが、あまり響かなかったようで伊丹は顔を見せなかった。
「おい」
 咳払いをして中を覗き込む。
 見えたのは、野に生えた牛蒡のように貧弱に曲がった脚だった。慌てて駆け込むと、散乱した書物の上に伊丹の体が埋まっていた。
「おい、爺さん」
 体を揺すると、うう、と返事があった。
「爺さん。無事か。何があった」
「何じゃ、村雲か。騒がしいのう。何もないわい。寝とっただけじゃ」
「何だ、紛らわしい。てっきり荒らしにでもあったのかと思ったよ。寝るなら布団で寝てくれないか」
「この暑さの中、布団に挟まるわけがなかろう」
 伊丹が気だるそうに寝返り打つ。
「まあ、そうだが。しかし、この紙の山は何だ? 荒らされたようにしか見えんが」
「ここ半年このままじゃ。片づけようと思ったが、ひざが悪くて面倒になった」
「なんだいそりゃ。まったくしょうがないな」
 胡坐をかいて開き直る伊丹を横目に、村雲が腰を折った。自分のことを綺麗好きとは思わないが、ここまで散らかっているとこっちの気も散ってくる。
「すまんのう」
 老人は手伝いもせずに言うだけ言った。
「じゃが、その前にお主、何か用があって儂を訪ねてきたのではないのかのう。その懐のものか?」
 村雲の思案に焦れた伊丹に指をさされ、見下ろすと懐から文がはみ出していた。
「ああ、そうだ。これなんだが」
 錆丸という人物に宛てられた文を伊丹に見せると、伊丹の顔はすぐに曇った。
「錆丸?」
「そうだ。何かしらないか? やはり錆止のことだろうか」
「むう……。中身は如何した?」
「いや、表書きだけだった。爺さん、そんな目をしてくれるな。俺だってからかっているわけじゃないんだ。見つけたのはそれだけだったんだよ。だいたい、宛てられた人間が誰かも知らないのに、俺が中身を掠め取っても仕方がないだろう」
 老人は眉尻を掻いて文の裏を確かめたり、透かして見たりした。もちろんそのどちらも村雲は試していて、何もないと分かっている。
「ふむ。これをどこで?」
「犬見のところだ」
「ほう、犬見とな。お主にそのような繋がりがあろうとは、意外じゃなあ。まあ、よい。それで、この文を儂に見せて如何しようというのじゃ」
「どうということもないが、その錆丸と言うのは錆止の事かと聞くつもりだった。知らないかい? 爺さんは確か、朽果と錆止を戒羅に招いた梯子のはずだろ?」
 不可解にも伊丹は答えようとしなかった。床板の節をじっと見つめてまま、何度が唇をかみ、やがて言った。
「実のところ、儂も深くは聞いておらんのじゃ」
「事情も聴かずにここへ迎えたのか? 罪人だったらどうするつもりだ」
 現に犬見の例がある。つい、きつい口調になった。
「村雲よ。儂は思うのじゃ。何人にも、明かせることとそうでないことがある。しかし、その隠した事実がその人となりを決めるものではない。確かにあの時、あの二人には何かの企てがあるように見えた。だが、儂には、それが悪事には見えなんだ」
 老人はさらに続けた。
「企てと企みの違いは何じゃと思う? 善悪の差ではないぞ。それらの差とは、ひとえに口元の笑みじゃ。あの二人にはそれがなかった。故に思ったのじゃ。こやつらは命を賭してここに来ておる、と」
 伊丹はそこで口をつぐんだ。それだけわかれば十分ではないかという意を感じさせる沈黙に、村雲は頭を掻いた。
「ううむ。そう言われたら何も言えやしないな。ひとまず、その文は預けるぜ。俺よりも、爺さんのほうが渡す折がありそうだ」
 伊丹は、かろうじて聞こえる声の大きさで、心得たと答えた。
「ところで、お主は永村の育ちだったのう。お父上も同じか?」
 用を済ませて去ろうとしていた村雲だったが、急に膝をつかまれた具合になり、数歩よろけた。
「爺さん。いきなり何の話だ」
「いやのう。お主を身請けしたもの儂じゃ。お主の身の上は聞いたが、親兄弟のことまでは聞いて居らんかったと思ってのう」
「不安になったのかい。俺は何もしないよ」
「しかし、聞いておきたいのじゃ」
 駄々っ子のように追いすがる老人に、村雲は立ったまま答えた。
「親父の話は全部しただろう」
「永村に流れ着いた浪人だとは、の。じゃが、その前のことは聞かされておらん」
「さあ、俺も知らんことだ」
 伊丹の首が傾げた。
「ふむ。そこまで冷えておったとは、知らなんだな」
 本当のところ村雲には父に育てられた記憶があまりない。一緒に住んでいたことはあるが、遊んでもらった覚えも何かを教わった覚えもほとんどない。親子と言うより金を置いていく同居人だった。父の死際も見ていない。ある日唐突に姿を消し、その数十日後に躯となって発見されたのだ。父の日ごろを知る者たちは闇業が祟ったと言っていたから、その通りなのだろう。何をして暮らしていたのかは知りたくもなかったが、ともかく、村雲も幼くはない年頃の出来事で、寂しみはしても悲しみはしなかった。今だに親子関係とはそのようなものだと思っている。
 そんな親の現状すら分からない当時に、過去のことなど聞いたことはなかった。聞いたところで、教えてはくれなかっただろう。ただ、あの人相なら、人を二三人殺していたとしても不思議はない。正直、不安だったものだ。父と同じような顔に育ったらどうしたものかと。既に見知った父の顔に近い年頃になってきているが、幸いその気配はない。
「母君はどうじゃ」
「俺を生んで死んだと思ってる。しつこいぞ、爺さん。俺はこの手の話はしたくないんだ」
 していると悲しくなってくる。父の死でも覚えなかった感情であるのに。
 村雲は立ち上がった。
 そのまま出ていこうと一歩踏み出したところ、そこにあった紙にすべってよろけた。
 舌打ちを一つして再び身をかがめ、紙を拾い始めると、さすがに伊丹も紙を拾うようになった。
「爺さん。俺も一つ聞いていいか?」
 しばらくの沈黙の後で、村雲が言った。
「なんじゃ」
「犬見は、爺さんが平端に連れてきたのか?」
「いや。あれは儂ではない。犬見は、誰じゃったかな……」
「梯子仲間かい?」
「むう、……記憶に薄いということは違う気がするのう。ああ、そうじゃ。あやつは確か、鹿泰(ろくだい)という親王の口添えじゃったはずじゃ。加々見も一緒じゃった」
「鹿泰、親王……。親王か」
「どうかしかのう」
「なんでもない。こちらごとだ」
 老人のいぶかしげな視線を背に受けながら、一通り片づけると村雲は屋敷を後にした。帰りの道で村雲の頭は乱れに乱れた。
 鬼門崩しは、いわば法皇に盾突く者たちが起こしている騒ぎであることぐらい、世の政に疎い村雲でもわかる。しかし、それの手引きを親王がしたということはその理解をひっくり返すものだ。
 敵であるはずの鬼門崩しを、自国の鬼門に送り込むようなことをするような親王がいるものだろうか。そこに村雲が知りえる理由などはない。単純に犬見たちの素性を知らなかったのかもしれないし、あるいは、村雲と同じように鬼門崩しを辞めたという言葉を信じたのかもしれない。鬼門崩しの手の内を知る犬見を平端においておけば、守りを固める点で役に立つこともあると考えたのかもしれない。しかし、そうした理由でないならば、御所の人々を疑わざるを得ない。法皇の策略なのか、あるいは鹿泰とかいう親王だけが謀反を働いているのか。
 できれば、単に鹿泰親王が犬見たちの素性を見誤ってくれていればと願う。今も耳に飛び込んでくる平端の民の嘆きを前にながら、都に裏切られていたとあっては、まるで報われない。都に向かった戦い手たちがそんな事実を知れば、その場で白刃を持つだろう。いや、それでも彼らは褒美欲しさ黙っているのだろうか。
「いやな世の中だ」
 誰に言うでもなく、おのずとつぶやいた時だった。
 一人の男が木陰から村雲の前に躍り出た。見覚えのない顔にある剃られた眉とそのはるか上に描かれた殿上眉が目を引いた。伊丹と同じぐらいの老齢だった。
「村雲と見受けする」
 貴族の身なりをした男が言った。
「そうだが、そちらは?」
「丑納(うしいり)という。親王や。法皇様がお主に褒美を取らせたもうとのこと。同行いたせ」
「法皇様が? 俺に?」
「うむ。昨日の戒羅での戦い、大いに気に入られておじゃる。御所にてお目にかかりたまもうとのことじゃ。よいな?」
 丑納と言う男の発言は思案すべきものにもならなかった。こんな折に報奨を目当てに上京しては、先の戦い手たちと全く同じだ。法皇の意趣に興味もなかった。
 村雲は手の平を見せて、遠慮すると言った。
「法皇様のお言葉に背くおつもりか?」
 丑納が言った。
「背くも何も、報奨の類には興味がない。それに、俺にはここでやることがある」
「何を惚けたことを。内裏が燃え、戒羅ができぬ今、うぬらはただの木偶も同然ぞ」
「おい、あんた。戒羅がすべてみたいな言い方はどうかと思うが。それにここはまだ鬼門崩しに占領されたわけじゃない。何故、守りを固めるべきとは思わないのか。法皇様が何をお考えなのか、聞いてみたいものだ」
「無礼な口を利きおって。御所さえ守られておれば、平端などくれてやるとの御心が分からぬとは、法皇様もちんけな輩をお気に召したものよ」
「なんだと。平端を捨てるというのか。もしや、そのためにわざわざ鬼門崩しを招き込んだというのか?」
「鬼門崩しを招き込む? 何を言うておる? さような馬鹿を働く者はおらぬ!」
「知らないのか? なら教えておく。鹿泰と言う名の親王がいたら、動向を探った方がいいぜ。きっと鬼門崩しに通じている」
 目の前の男の反応を伺う。顔色次第では、この親王も鬼門崩しを利用した立場ということになる。
「貴様。その話、どの筋のものや?」
 親王の顔つきはごく自然のものだった。本当に知らないように見える。鹿泰という親王の名も、御所にいるのだろう。
「噂だよ。まあいい。話は反れたが、どのみち俺はここを離れるつもりはない。だから、お目通りは遠慮する。そう法皇様に伝えてくれ」
 そのまま立ち去ろういう村雲の前にさらに木陰から二人の男が現れ、立ちはだかった。朽果よりも一回り大きい男たちはそれぞれ帯刀し、見るからに御所勤めの武官だった。
「法皇様の御意志は絶対や。主が拒んでも連れていく」
 丑納が言った。
 すぐに舌を打ちたい気分になった。折れては役に立つまいと自身の獲物を置いてきたことをである。今の村雲はまったくの丸腰であった。武官の視線もそこに集まっている。
「連れていけ」
 丑納親王の声の後、鳩尾に鈍痛を覚えると視野は黒く沈んだ。

続く