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迷い脚

六.

 再び基之進に会ったのは、それから二日後の夜である。春日町の夜回りではなかった。
 飛脚殺しの晩から春日町の夜回りは町方に任せることになり、目付け方は稲荷参道をはじめとした城下と近隣の村々を結ぶ横道を見回っているらしかった。この前の夜の一騒動に、運よく基之進が駆けつけたのも、あながち偶然ではないということである。
「為三さんの傷はどうですか?」
「さて、知らんが。きっと大丈夫だろう。何も言って来ない」
 あの朝、というより昼に維人が起きると、為三は既に居なかった。農夫らしく夜明け前に帰って行ったのは軽から聞いているが、傷のことは聞いていない。参道に落とした鋤は拾って帰ると言っていたが、念のために善右衛門がついて行ったらしい。道中で何かあったかということも特には聞いていなかった。維人の頭の中ではその一見は解決したような感じがしていたし、それよりも頭の中は燕で一杯だったので、基之進ほど気に留めていなかった。
「もしかすると、鋤を担いだ姿が飛脚に見えたのかもしれません」
 基之進が、いきなり妙なことを口走るので、役目に取り付かれたのかと維人は思った。事実、このところの基之進の言動は何かおかしかった。特にあの晩の基之進は、道場仲間の維人が良く知る基之進では無かったように思えてならない。事態を飲み込むのに維人が戸惑っていて上手い対応ができなかったとはいえ、行列の先頭を行くような度胸は今までの基之進には見られなかったことだ。振り返ってみると、商いの上手い両替商の帳簿のように違和感を感じた。
「それは考えすぎじゃないか?」
 維人は、馬鹿馬鹿しいという気持ちが出ないように、柔らかく否定した。
「そうでしょうか」
 その返事を聞いて、違和感が確かなものに代わった。今までの基之進ならどう思っているにしても、やはりそうですよね、と答えているところである。
「鋤を担ぐと書簡を持った飛脚に見えるんです。実際、あの時の為三さんはそう見えました」
 維人は少し考えて、あながち否定できないかもしれないと思ったが、ふと、引っ掛かった。基之進は鋤を担いだ為三の姿をみていないはずである。
(ますます、怪しい)
 疑念が広がった。黙っていようかとも考えたが、少し歩く内に気持ちが悪くなってきたため、思い切って聞くことにした。
「どのあたりで、騒ぎに気付いたんだ?」
 遠慮が入って、探るような言い草になった。
「実は、三人の後ろに人影がつく前からつけていたのです」
 基之進はあっさり認めたが、維人にはすぐに別の疑いか込み上げてきた。お役目であの辺りを見張っていたにしては、飛脚の佐吉の死体が見つかった場所と距離がある。それに、春日町の夜回りでさえ維人を誘っているのに、あの晩は都合がつかなかったと言え、基之進一人で暗い稲荷参道の夜回りができるだろうか。
(できるわけがない)
 その考えはすぐに捨てられた。やはり、基之進は居合わせたというよりも、待ち伏せていたと考えた方が自然なのである。
 そうまで推測して、今度は自分の考えが嫌になった。
 あの時基之進が駆けつけなければ、為三は死んでいたかもしれない。為三だけでなく、結や志麻にもその危険があったのをかき消したのは、他の誰でもない基之進の手柄である。他の目付け方を頼りもせずに飛び出していったのは、一瞬の勇気だったのかもしれないし、だとするならば、これまでの基之進にはない飛躍である。
 大目付の吉田利尚を親類に持つ基之進が目付け方として生活していくには、その役目の中で勇気というものが非常に求められる。維人が居なかったがために、今まで無かった意気地が基之真に生まれたというのだ。大いに喜ぶべきことだろう。
(そうか)
 気がつけば黙々と肩を並べて歩いていた。普段は維人の半歩後ろを歩く基之進が。二歳という近くて遠い歳の差を、役目の有無が埋めている。
(妬いているのだな、俺は)
 基之進が持つ役目という言葉を羨んでいる自分に気づいた時、苛立ちが空しさに変わった。雨雲が風で飛ばされて雲ひとつ無い青空になったが、太陽が見当たらないような感触だった。維人は声に出さず、基之進にすまないと詫びた。
「迷い脚は、結局どうなっているんだい」
 口調がやさしくなったことに安心したのか、基之進の口元が綻んだ。
「何の情報もありません。最近はただの夜回りになってきました」
 この通りですよと、両手を広げた。
「吉田様も空回り気味で、僕らは個人の判断で動いているのです」
「そうか。しかし、あれから二十日も経っているのに、諦めんのか?」
「江戸の飛脚問屋がしつこいそうです。余程、大切な書簡なのでしょうか」
「大切なら<通しの並>なんて使わないだろう。いや、飛脚に任せず直接届けに行くべきだ」
「そう思います。なので、直接届けられない理由が何かあると思って、考えているところです」
 真っ当な言葉だった。
「理由ねぇ」
 続いて出てくる言葉はなかった。色々浮かんでは来るが風呂桶の泡のように大した音も立てずに消えていくのが分かっていた。何も証拠をつかんでいないのだから、はじけない泡が浮かんでくるはずが無い。
「そういえば、黒屋はどうなった?」
「さあ」
「さあ、はないだろう。大目付に報告したのではないのか」
「いえ。佐吉殺しの件とは結びつきませんから」
「しかし、人が襲われているのだぞ」
「調書は町方にお願いしていますから」
 本当のところはどうだか分からないが、基之進がこの話題を避けているように見えるので、基之進はそれ以上続けるのを止めた。
 維人が歩くにつれて上下に動く提灯が暗闇を割いている。その日の稲荷参道周辺の夜回りは二人の色々な思惑を抱えたまま一刻半続いたが、何事も無く終わり、日が変わる前に城下へ戻る道を辿り始めた。
「本当に飛脚が消えたのは春日町なのか?」
 今更だが、その情報源が正しいのかが気になって聞いてみたが、基之進は黙って首を縦に振った。通しの並となると飛脚は多くの寄り道をすることになる。安上がりであるために、差込が入ることが多いのだ。消息を絶った飛脚は春日町の前に寄った町の呉服問屋に確かに手紙を届けている。つまりは、春日町かそれ以降で不明になったというのが、一番自然な話しだった。春日町の次に寄る宿場町は隣藩になるが、隣藩はそのような飛脚は来ていないと言っているらしい。
 だが、その隣藩も政変があって荒れているようであるから、疑いの余地はあった。
「我が藩は我が藩で、白である事を訴えねばならぬのですから、結局は調べを捨てるわけには行かぬのです」
「だが、夜回りでは解決せんぞ」
「分かっています。ですが、飛脚が狙われているのは確かですから、どこでつながるかもしれません」
 基之進が熱心に述べるので、維人は否応なしに頷いた。確かに言えそうなことが一つだけあった。
この件は江戸の飛脚問屋が諦めるか、飛脚殺しの下手人を捕らえぬ限り終わらないということだった。暗闇の眼という手がかりしかない下手人探しより、問屋の諦めの方が早い気がした。あと十日で一月になるから、問屋の要求も、丁度の今の日中の蝉の鳴き声のように日増しに減っていくだろう。
 その後三日の間、維人の提灯は稲荷参道周辺をさまよい続けた。春日町の夜回りとは違って、参道を回る二人の口数は少なかった。ひとけが無い上、秋の虫たちが元気付いてきていて自然の二人の口を塞いでいたのもそうであるが、夜の役目への慣れが疲労に変わりつつあるのも確かだった。そのうちに二人の中では、一月という区切りが目標地点に変わっていた。
(後二日。あわせれば四刻もないぞ)
 良くないと思いながらも、そんな考えが素麺のようにするりと流れていた。
 そして、最後の日を迎えた。
「今日で、終わりでいいのか?」
 基之進に意を尋ねると、短く『はい』と応じた。
「これ以上は気を病むだけだと思います」
「……そうだな」
 夜回りが終ることはここ最近の願いであったが、今日で終るのを寂しく思う気持ちもあった。夜回りのために過ごしてきた子の一月あまりは一体なんだったのだろうと、心の半分が嘆いている。部分的な城下の安全を確かめたという意味で無駄骨ではなかったのだが、骨が折れたのは確かだろう。
(結局、父上の言うような輩は現れなかったな)
 道場を閉ざされたという雨月流お抱えの剣士達は藩領の外までは出なかったようだ。独活(うど)は所詮、土蔵を突き破りはしなかったに違いない。隣藩はやはり隣藩であって、例え大きなお家騒動があったとしても如実に世相が変わるようなことはないということだ。隣といっても城下町間の距離は十里を越える。
 最後の夜回りは折り返し地点に入った。後は城下へ登る道をだどって歩き、参道の入り口で解散となるのみだ。維人の頭の中は昼の生活に戻ったら何をしようと考え始めていた。
 まず浮かんだのは黒屋の様子をうかがう事だった。為三の件から十日以上経つが、昼は寝て過ごしているために様子を見に行っていない。基之進が調べると言ってしまったため、現実と異なっているから一言は詫びておかねばならないだろう。会いに行くことを考えると、吾平が落ち込んでいないことを祈るような気持ちになった。吾平の顔の隣に、結と志麻の二人の女中の顔が浮かんだ。結は気の強いいつもの表情をしていたが、志麻は暗く沈んでいるような顔に見えた。
 ふと、突拍子も無く横から吹き付けた風が二人の頬をはたき、提灯を揺らした。日は消えなかったがその光は落ち着きを失って、蛍火のようにさまよった。その光が足元から遠のいた時、一瞬だけ照らしたものがあった。
(誰だ?)
 暗闇に誰かが立っている。一瞬しか見えなかったが、並んで立った一人分の脚だったのはたしかだ。そちらを照らしたいが、提灯はまだゆれていて上手く制御できない。基之進は風が応えているのか、視線を畑のほうにそらしたまま前方を見れずにいる。
 維人は鍔口を引き寄せた。
(来るならば……)
 一双のこと来てみろ、と気が猛る。
 風が止んだ。それを待っていたかのように、向こうに立った脚の主が動き始めた。草履の音が一定の間隔を保ったまま此方に近づいてくる。そして、提灯が男の顔を照らした。
 眼の細い、ありふれた顔の男だった。口を真一文字に結んで喜怒哀楽の無い顔つきだった。視線を此方に送ったような気がしたが、気のせいかもしれないと思えるほど、一瞬に満たない長さだった。男は何もせず、また何も言わずに二人とすれ違っていった。基之進が恐怖を覚えた時には既に暗がりに溶け込んで見えなくなっていた。維人の鼓動は風呂にのぼせた時のように、激しく刻んでいる。
「見たか?」
「はい」
 参道の入り口に着くまで、その先は喋らなかった。
 
 深夜の中の深夜である。当然、稲荷参道の入り口を守る茶屋は閉まっていたが、二人は長椅子にもたれかかって、休息を得た。
「見覚えのない顔でした」
「ああ。俺もだ」
「しかし……」
「腕は達そうだ」
「ええ」
 維人は刀を腰から外して、椅子に立てかけた。
「為三を襲ったやつか?」
「……。背格好は似ていますが、何か違う気がします」
 基之進も刀を外そうとしたが、手を止めて腕組みをした。
「視線の差、でしょうか」
「……どう違った?」
 基之進は少しの間、地面を見つめて考え込み、こう言った。
「さっきの侍は、こちらを観察するような感じがしました」
 敵意が無いと感じた、と言う意味に要約して聞いた。確かに、言われてみれば殺気と言うものがあの男からの視線に含まれていなかったように思えた。たが、間違いなくこちら側に対する何らかの興味を帯びていた。基之進は、敏感にもそれを感じ取ったようだった。実際の事実関係は確かめてみる必要があったがその手段が見当たらず、維人はひとまずの言及を止めた。
「これからどうする?」
「明日は、吉田様から召集が掛かっています」
「召集が? 何かあるのか?」
「ここ一月の報告の集まりだそうです」
 つまり、迷い脚に関する目付け方の調査内容をまとめて、老中の目に掛けるらしかった。大した結果が得られていないことは、基之進と行動を共にした時間の長さが物語っているから、吉田老は背中に嫌な汗をかく事になるだろう。つい、佐吉の死骸を検分した時の吉田老に対する腹立たしい記憶が浮かび上がり、維人は大目付の鼻を明かしたような気持ちになった。しかし、その気持ちはすぐに潰えて、今度はこの一月を棒に振ったようなつまらなさが込み上げてきた。
(明日は黒屋に言ってみよう)
 基之進との別れ際にそう決めた維人であったが、二蔵の屋敷に帰って床につく頃には、その明日は明後日に変わっていた。
(少しはちゃんと寝ないとな)
 周囲に垂らすような口実を、自分に言って聞かせた自身の開き直りに苦笑しつつ、目を瞑った。すぐには眠ることができず、記憶が消えたのは空が白み始める少し前のことだった。全身に残った疲労が夢を侵食したようで、燕が舞う夢は見ずに済んだ。

続く