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門下録

一.

 天才が死んだ。
 倉橋半重(くらはしはんじゅう)という男の死去を知らされて、五村誠四郎(いつむらせいしろう)はそう解釈した。
 もともと半重本人の口から、周囲に人の生き死にがどんよりと広がっていると、聞かされていたせいで、こういう日がいつか来るだろう、と誠四郎はわきまえていた。しかし、いざ訪れると早すぎると思えてならない。
 その侘しさを代弁するように、半重の死を伝えに来た青年と誠四郎の間を、冬の北風が通り抜けた。
 誠四郎と半重は幼い頃の大半を共に過ごして来た仲である。互いに元服を越して十余年、子供の頃のような付き合いはもうなかったが、年始の挨拶は欠かさぬし、町で出会い頭に遭遇しようものなら、そのまま夜明けまで飲み明かすことも、ままあった。その酒も、今年の梅雨に飲んだ一杯で仕舞いになる。
「では御免」
「待て」
 半重の死を告げて去ろうという若者を、誠四郎は手招きして引き留めた。
「どのような最期を?」
 誠四郎の問いには首を横に振って答えた。
「言えんのか」
「聞かされていないのです」
「では、報せは誰から?」
「小山近衛(おやまこのえ)様からの文にございます」
「小山様が?」
「ええ。文は遣いの者でしたが」
 若者はそれだけ言うと頭を下げて、庭の石燈籠の陰に消えて行った。
 独り縁側に取り残された誠四郎は、しばらくうつむいた後で、そうか、と呟いた。
 半重は殺されたのか。
 最後の様相を伝えぬ理由は少ない。殺されたか、病に侵されたかのどちらかだが、半重は病死を隠すほどの家士ではない。それに、今の半重は屋敷を追われて、浪人街の廃屋に潜む身分だ。
 しかし、殺されたとするなら、相手は誰だろうか。
 それは誠四郎にとって不可解な謎だった。半重は、人の生き死にに関与する仕事を生業としていたそうだが、長くの間、御家で一番と言われた剣術遣いなのだ。三十路を過ぎたとは言え、簡単に殺される輩ではない。
 さきの遣いの若者は、誠四郎と半重が通っていた佐久間道場の道場主であった、佐久間万学(ばんがく)の倅である。文を受け取っただけというのはその口端から十分に伝わってきたし、物事を隠すのが下手な性分であることは、付き合いの長い誠四郎自身が良く分かっている。
 となれば、事実を知っているのは、小山近衛に他ならないだろう。
 小山近衛は五十路を過ぎた男で、数年前までは御家の家老職に名を連ねていた大物である。誠四郎との直接のつながりは、全くなかった。一度、半重の同門の友人として城下の大通りで会ったことがあるが、その時だけの繋がりであった。その名の知れた家老が佐久間道場と繋がりを持っていたことなど、聞いたこともない。
 知りたくば伝令の主を訪ねて来いということだろうか。
 誠四郎は、縁側に座したまま、少し考えることにした。
 誠四郎の屋敷は町外れの小高い丘の上にある。
 屋敷と言う名義だが、さほど立派な物ではない。一つ一つの部屋は小さく、庭も猫の額ほどの広さだ。町から外れ、居心地が良いわけではないその屋敷に住むのは、佐久間万学が誠四郎の人となりを信じて預けてきたからだ。
 今、誠四郎の眼下には城下町が広がっている。せりだした急勾配の丘に屋敷があるせいで、縁側に垣根の向こうにある町並みは、誠四郎に差し迫るような勢いがあるが、実は小さな城下である。
 誠四郎は真四角な敷地に抑揚なく平らに建立された実信(みのぶ)城を、目を細めて見ていた。城の北側に位置する誠四郎の屋敷から見えるのは、背中だけである。その背中がやつれて見えるのは、建立の古さが原因ではない。
 徳川が天下を治めて十余年。この地方一帯は京からも府からも遠く、国獲りの戦乱に名を馳せなかったが、藩という支配体制に至る改革の煽りは十分に受けてきた。その仔細は、一介の家士にすぎぬ誠四郎の知るところではないが、誰しもが幸せな結末を手に入れた訳ではないと言うことはよく分かっているつもりだ。実際に誠四郎の旧知の友たちのなかにも、腹を切ったり首を吊ったりした者がいたもののだ。
 誠四郎はそうした時代の流れの中で、城下町を見下ろすこの屋敷に移ってきた。誠四郎の前にこの屋敷に住んでいた者は、もはや御家にいない。誠四郎が知っているのはそれだけで、元の主がどこかで健在なのか、はたまた道端で朽ちたのかは分からない。なにぶん、素性の知れぬ人のことだ。そういうことを考えるのは、越して来たその日限りのことにして以来、もう十年も経つ。
 今、そんなに古い出来事を思い起こしたのは、それが半重の思い出に繋がりを持っていたからであった。
 誠四郎は深く目を閉じた後に薄目を開けて、今度は庭を眺めた。一月前までさんざめいていた秋の虫たちも、昨日今日の木枯らしに散って、庭は一層と静まりかえっている。その庭に息を吹き込む様にして気を吐いた誠四郎は、さっと立ち上がり、そのまま自室へと下がっていった。

続く