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門下録

五.

「御免」
 誠四郎の眼が鼻先に凝っていたその時、門戸で声がした。佐久間元(はじめ)の声である。誠四郎は、こんな時に何用かと少し苛立ちながら、そのまま庭伝いに門へ向かった。
「おぉ……」
 情けのない声を漏らしたのは元の方だった。誠四郎の姿に面を食らって元が漏らした声は、すぐに白い吐息に変わり、その白い吐息が元の被る笠に吸い込まれていく。その様を見て、誠四郎は雪が本格的に降り始めてきたことに気付いた。既に、誠四郎の肩には元を驚かせるほどの雪が積もっている。誠四郎の肩の雪は元の笠よりも厚みがあるほどだ。
 何をしておいでかと問われて、誠四郎は言葉に詰まった。
「お前には関係のないことだ」
 そう言った後で、元は誠四郎の弟弟子であることを思い出し、そうも言い切れないかもしれんと気づいた。佐久間道場の門弟は皆、一様に容疑を被る立場にある。
(いや、こいつの腕で半重や新沼殿を手にかけることなど)
 あるはずがない、と誠四郎が密かにかぶりを振った事を、元は知るよしもない。
「で、何の用だ」
 切り替えて誠四郎が訊くと、
「これを、お届けに」
 元は右手に持った手提げを示して言った。
 それは、何かを丁寧に風呂敷に包んだものだった。
「父の――」
 その先の説明を誠四郎は聞きそびれた。
 その瞬間に、動いたのである。元の背後に生えている楓(かえで)の枝が。
 ほんの一瞬だが、さっと塀の外へ消える影も見た。
 屋敷より古い、石化したような楓の老木だ。今日のような軟な風で動くものではない。なにかが力を及ぼしたにしても、それが猫や獣の類なら厭(いと)わないのだが、誠四郎が一瞬見た影は人の形(なり)をしていた。
(半重?)
 死んだ旧友の出で立ちにも見えた。
「五村殿?」
 誠四郎は視線の先に元の顔が割り込んでも、木から目を離さずに凝視した。もはや元の存在も、持ってきた品物も、二の次になっていた。しかし、老木はしっかりと堅く、また、獣が顔を出すこともない。
「もし?」
 元が誠四郎の鼻頭に触れそうな距離で手を振ったので、誠四郎は思わず首を引っ込めた。
「どうかされましたか」
「いや……」
 誠四郎はたじろぎつつも応じた。
(いるはずがない。あいつは死んだのだ。だが、だとすれば誰だ)
「ならば良いのですが、その格好では風邪を引きます」
 気がつけば、両肩にはさらに雪が積もっている。
「む」
 誠四郎は、口をとがらせて鼻息で返事をするのが精一杯になるほど、狼狽していた。
 元は挙動不審な誠四郎の脇に、父、佐久間万学の何かを挟み込むと誠四郎を土間に押し込め、鉢に火を入れてそそくさと帰っていった。
 誠四郎は暖まってくる足元と融けた雪でずぶ濡れになっていく衿元に挟まれたまま、冷静に考えた。
(錯覚か? いや、確かに見た。あれは人だった)
 このところ誰かに監視されているような感覚がある。意識などした事はなかったが、今のではっきりとした。何というか、誰かと一緒に暮らしているような気がしていたのは、人の気配を感じ続けていたからだ。
 誠四郎は独り身である。父も母も早くに病死しているし、親戚筋は便りが絶えて久しい。様子を見に来る様な親切心を持った人はいない。となると、いつからかは分からないが、誠四郎の知らない監視者がいるという現実に変ってくる。
 そこまで考えたところで、誠四郎は足元に熱を覚えて我に返った。
 今更のように手元を見れば、見慣れぬものを持っている。
(これは、何と言っていたかな)
 元に渡された物をしげしげと眺める内に、大きなくしゃみが二度三度吹き出して、百足(むかで)が背中を這いずる様な悪寒を感じた。鼻水が上唇で乾いている。
 誠四郎は二三日の間を、療養に充てざるを得なくなった。

続く