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門下録

六.

『参った、参った』
『なんだ。だらしのない』
『お前が強すぎるのだ、半重』
 上から注がれる半重の視線を跳ね返すようにして、誠四郎が答えた。
 十代の終わり方の、初夏の道場での事だ。
 熱に浮かされてみている夢ではない。誠四郎の思い出の中にある天才との交流を回想していた。
『いや、今のはお前が自滅したのだ。
 山口の真似など、するのがいけない』
 山口は誠四郎や半重よりも若く、腕は未熟だ。だがそれでも、半重に対する負けが少ないという噂を耳にして、誠四郎が山口の所作を真似て立ち回ってみた結果、あっさり負けた。
 この頃から、二人は別々の道を歩み始めていた。道場で顔を合わせる機会も減って、いつが最後の対戦になるのか知れない時期だったから、誠四郎は半重に勝っておきたかったのだが、やはり敵わなかった。既に半重は家中で敵なしと言われるほどの腕だった。
『……なぁ半重。お前はどうして、そう何でも出来る?』
 床に寝転んだまま、誠四郎が言った。
『何でも?』
『ああ。人の技を一目で盗んでものにできると、評判だぞ』
 人には人の得意とする剣裁きや体裁きがあり、それを人が真似できぬほどに昇華させて、個人の得意技となる。しかし半重は、人とまみえる事でそれらを体得してしまう。試合を重ねるほどに高まった半重の技量を誰もが恐れ、天才半重の名は妬みと共に広まっていた。
『盗むだと? お前もそんな風に見ていたのか』
 誠四郎の表現がよくなかったらしく、半重は腹を立てて誠四郎を睨んだ。
『そういうわけでは……。
 いや、すまない。少し、思っていた』
 否定しかけて、誠四郎は詫びた。
 半重は視線を木目の床に落とすと、溜息を吐いた。
『皆、羨ましいのだ、才能に溢れるお前が』
『戯言を。どんな技も、基本は同じだ。そこに気付けば、体得するのは易い。
 俺はそこに気づいた。それを、盗むと言われるのは心外だ』
 半重は顔をしかめてそう語った。
 語気が熱を帯びていたのは、それが半重の信念に繋がるところだからだろう。
『……すまん』
 誠四郎は己の愚かさを思い知り、もう一度詫びた。
『そう言えば、誠四郎。
 お前、佐久間先生に技を教わったらしいな』
 半重は急に話題を変えた。
 力むあまりに重たくなってしまった問答に嫌気が差したのだろう。
『ああ、ちょっとな』
『よし、見せてみろ』
『馬鹿言え。盗まれては敵わん』
『何を! まだ言うか』
 師走の雪は降りに降った。その雪を口切りに入り込んだ寒気は氷に触れるようで、これから迎える真冬の厳しさを予感させた。
 誠四郎の風邪が全快した時には、冷えて固まった雪が庭から見下ろす城下の姿を一変させていた。北に向かって山を一つ越えたような変り様である。
 床上にいた間にも、誠四郎は相変わらず半重との記憶を模索していた。ふと、旧友の顔が思い浮かぶ度に、その死の謎を暴くべく、足跡を辿ってしまうのだ。しかし、記憶の中にはこれという手がかりもない。何か他に忘れていることはないかと捜索を深めることに限界を感じつつある。
 二日ぶりに布団をめくりあげたその日、思い切り背を伸ばした誠四郎の目に飛び込んで来たのは、佐久間元が持ってきた風呂敷だった。
 そのことも考えてはいたが、事前に誠四郎が元に頼んでいたものは何もない。
 誠四郎と元は付き合いが長く、悪い関係でもないのだが、元が受け継いだ佐久間万学の遺産を誠四郎が受け取るような話しは身に覚えがないし、またそういった間柄でもない。つまり、思い当たることが何もないのだ。
(いや、一つだけある)
 誠四郎は口に手を当てて考え込んだ。
 誠四郎が佐久間万学と交わした、他言無用の約束事が一つだけあるにはあるが、それは暗室のことであったし、万学自身が秘密裏にと念を押したことを、元が知っているとは思えない。しかし、何も知らずに元が持ってきたのかもしれないという考えも捨てきれないものがある。
 意を決して誠四郎は風呂敷を解いた。
 中から出てきたのは、たたんだ扇子ほどの厚みがある冊子である。
 表には、故人を偲ばせる堅実な書体で『門下録』とあった。

続く