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門下録

八.

 探し物とは不思議なもので、探している正にそのものが見つかるか、近しい物が見つかってそれきりになるかのどちらかであることが多い、とは半重の言葉だったが、奇しくもその通りで、見つかったのは去年の雪駄ではなく、足裏の皮がすりきれて捨てようとしていた一昨年の雪駄であった。半重は諦めた後に見つかるとも言っていたが、それは適わなかった。
 佐久間元の屋敷までなら何とかなるかと歩き始めたが、半端に融けた雪はぞろぞろと皮の切れ目を抜け出して誠四郎の足袋を濡らしてゆき、その冷たさに慣れるまでは眉をひそめながら口元で笑うと言う奇妙な顔で通りを歩いた。
 元の住む訳合向(わけあいむかい)は半目町の南に位置している。訳合向は昔からの呼び名で、由来を知るものはいない。かつての豪族たちが会合を開く為に集まった土地を央(なか)にできた集落だというのを聞いたことがあるが、他にも謂われはあるらしい。半目町と隣り合っているものの、栄えてはいないその町に佐久間道場がある。
 もともと道場はもっと山間にあった。それをわざわざ訳合向に移してきたのは佐久間万学だった。この先城下を中心に人が集まると見た万学が武家の出入りのしやすい土地に道場を構えることにしたのは、誰もが納得のいく筋であろう。
 当然のことながら、誠四郎の足が向かう佐久間家も道場と共にある。
 その道場の繁栄と共にあった万学の生涯で誤算だったのは、遺した息子が残念な腕前だったことかもしれない。
 誠四郎は、万学の前で正座して叱られていた元を思い出し、フッと笑った。
(真面目にやっていたのだがな)
 代々にして道場の筆頭に立ってきた家柄なのに、元の腕は少しも上達しなかった。誰と戦っても勝てず、泣きながら居残り稽古に励む日も多かった。
 普通なら途中で腐っている。誠四郎はそう思いながら、それでも懸命に木剣を振り回す元に動かされ、日暮れまで鍛錬に付き合った。
 そんなことを思い出しながら道を進むうちに、右手に抱えた門下録が気になり始めた。
 誠四郎にとってのそれは、道場の記録に過ぎないといっては過小すぎるが、元にとってのそれよりも遥かに比重が軽い。元にとっての門下録は、死んだ父親の形見である。誠四郎の思い出とは同じ天秤に乗らないはずのものだ。元が最初に門下録を手に取ったとき、どんな思いで自身に関わる記述を読み取ったのか。それは想像で推し量って分かるものではない。
(普通、そんなものを頼みもしない私に預けるだろうか?)
 誠四郎の胸のつかえが、だんだんはっきりしてきた。
(元は何かを隠している)
 剣の腕だけで元を部外者と考えたのが誤りだった。やはり元も道場の関係者なのだ。それも、所有権を持った一番の関係者だ。
「御免」
 佐久間家の門へ着くと、誠四郎は足を止めずにそのまま入っていった。屋敷に住んでいるのは元と母の多恵だけであることは知っていた。付き合いの長い家であるから、遠慮らしい遠慮は不要だった。
 誠四郎が上がりかまちに腰を掛けて雪駄を脱いでいる間に、多恵が出迎える。
 いつもならそうであった。
「御免」
 結びを解く手を止めて、誠四郎は屋敷の中へもう一度呼びかけた。
 返ってくる言葉がない。
 不穏を察した誠四郎は雪駄を脱ぎ捨てて上がりかまちをのぼり、ひと足に客間を通り過ぎて元の居室へと向かった。隙間なく締め切られた部屋の戸が見える。走った勢いも止まらぬまま、誠四郎は戸を引いた。
「元!」
 中を確かめる前に上げた声はむなしく、響きもせずに壁に吸われていった。
 居室はもぬけのからだった。
 しかし、棚が無残に荒れている。
 几帳面な元の正確からすればありえないことだ。よほど慌てて出かけたのか、後から来た誰かが荒らしたのか。
(多恵殿はどこだ)
 部屋を一望した後、誠四郎はこの状況を説明できるであろう人物を探し始めた。棚が荒れている理由が前者にしろ後者にしろ、知っているとすれば多恵しかいない。
 しかし、屋敷に多恵の姿を見ることはできなかった。
 誠四郎は肩を落とし、中庭を囲う廊下を戻り始めた。
 気がついたのはその時だった。
 廊下に斑点状のしみが付いている。
 先ほどは部屋の中ばかりを気にかけていたせいで気が付かなかったが、良く見ればそれは擦られた血痕である。滴り落ちた血を拭ったような痕が散見されるが、滴ったままの痕もある。踏んで擦れたと考えるのが正しそうだった。
 誠四郎は慌てて自分の足の裏を確かめたが、踏んだような痕はない。廊下の血は完全に乾いているのだ。
 その廊下は居間と庭に挟まれていた。
 居間は、先も見たとおり整然と物が置かれているだけだ。
(庭は……)
 見てはいけないような気がした。
 この探し物は諦めたままの方がいい。
 頭の中でそんな声がする。
 まるで胃袋を握り締めて立っているかのような緊張が、誠四郎を押しつぶそうとしてきた。
 身震いをこらえながら庭を見れば、雪の積もった庭木の間に不自然な起伏がある。
 その起伏からはみ出していたのは、庭の草履に女物の帯、そして二本の足だった。

続く