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門下録

十.

 かつて佐久間道場と親交が深かった流派に深山道場があった。
 深山道場の開祖や親交の歴史を聞かされたことはあったのだが、他派のことであったからほとんど覚えていない。印象が強いのは、二刀流を遣う爺さんがいるような自由奔放な流派だったということだ。
 その深山道場の中で最も勢いづいていた剣士の名は里岩平太といい、歳は誠四郎や半重とほとんど変らなかった。特に半重と平太は顔を合わせるたびに争い、犬猿の仲と疑われるほどだったが、実はそうではない。平太は剣を持たぬ時は、性根の優しい男だった。出稽古の折には三人で食事をともにしたものだ。
 里岩は十年ほど前に突然道場を止め、親交は途絶えた。
 それ以来、長く疎遠になっていた男が、姓も名も変って目付け方にいようとは、全く考えもしないことだった。
 里岩平太改め加藤治兵衛は、誠四郎に参考人としての登城を求めた。
 誠四郎は素直に応じた。逃れるのは不自然であったし、上手くすれば修宗寺や文楽の情報を仕入れることができるかも知れない。
「お袋が死んでな、生活が急に変った」
 加藤は歩きがてらに深山道場をやめた後の暮らしぶりを語ってくれた。
 深山の道場に通っていた頃から、里岩の周りには子供が沢山いた。皆、里岩の弟妹であることは、近しいものなら知っていたことだ。里岩家は平太をふくめて七人兄弟で、気の小さい父親よりも、健気な母親で持っていた家庭だった。
 その母親が、八人目の子を流し、自身の血も止まらずに他界すると、父はますます弱気になり、酒におぼれるようになっていた。
「親父はともかく、弟と妹を食わせなきゃならん」
 平太は刀を売り、遣いこんだ木剣も道場に買い取ってもらった。
「二束三文だ。それでも大根ぐらいは買える」
 しかし、それもその場しのぎには変らず、平太に課されたことは役を貰うことだった。
 平太はあちこちを当たった。始めは道場の伝(つて)を頼りにしていたが、それだけでは成果が上がらず、最終的には御家のあちこちに顔を出すまでに至った。
 朝はどじょう掬い、昼間は城下巡り、夜は子供の面倒。さすがに次男坊の元服がすぎた後は多少楽になったが、生活は相変わらず苦しく、気の折れそうな日々が続いた。
 二年もそんな生活が続いた頃、平太の噂を聞いて近づいて来た男がいた。
「加藤治兵衛っていう、還暦前の爺さんだった」
 当時、治兵衛は目付け頭を務めていたが、五十を過ぎていたために、いつ禄を落とされるか分かったものではなかった。そのため、頭で居られる内に跡継ぎに役目を引き渡して隠居したかったのが、治兵衛には娘しかいない。その娘というのも、三十五を過ぎた大年増で、化粧をして歩くこともせず、家で寝てばかりの女だった。
「煮過ぎた芋のような女だった」
 とがった所がないが誰にでも優しく接してくれる、と加藤は言った。
 折り悪く、目付け頭は世襲ではなくなってしまい、治兵衛の思惑とは外れたが、隠居したいと言う治兵衛の思惑と家族を養いたいと言う平太の希望は合致していたため、縁談はそのまま進み、平太は里岩の姓を捨て、目付け方の見習いになった。
「治兵衛の名を継いだのは一昨年のことだ」
 加藤はそう言って話しを閉じた。
「五村は、今は何をしておる」
「佐久間先生の縁で、家士を」
「ほう。家士か。誰に仕えておる」
「高橋久右エ門様に」
「高橋……?」
 両手をぶら下げて歩いていた加藤が、不意に腕組みをして考え出した。
「……何か?」
 御家中を歩き回って職探しをした加藤が、初めて聞く様な顔をしたことに一抹の不安を覚えて問いかけたが、加藤は返事をしない。
 そのまま一町を歩いたところで、加藤は顔を上げた。
「いや。仔細は部屋で聞こう」
 それから二人は話さず、黙々と歩を稼いだ。
 誠四郎はあまり気にしていなかったが、加藤の反応をみていると、この十年の間にいろいろなことがあったのは、どうやら加藤だけではなかったらしい。
 気がつけば目の先に、城門が構えていた。
 二人が歩いている間に南から西の空を横向きに移動してきた陽が、急に角度を鋭くして山際に落ち始めている。
 街路に立つ冬の枯れ木から散って入る夕暮れの光に目をしばたたかせながら、二人は城に入っていった。

続く