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門下録

十一.

「名は、昔のままか?」
「はい。五村誠四郎にございます」
 誠四郎が真面目に答えると、加藤は声を出して笑い始めた。
「態度は改めなくて良いぞ。昔のように話してくれぬか」
「では……」
 誠四郎は胡坐をかいて座った。
 加藤が続ける。
「今は家士で、高橋……」
「久右エ門だ。
 だが、そのようなことをわざわざ記さぬでも、御家のことを記録している役人が他におるのではないか?」
 どこまでの詳しさかは知らないが、そういうことを専らにしている役人がいるとは聞いたことがあった。
「……あるにはあるが」
と、加藤は静かに言った。
(あまり信用できぬのだな)
 誠四郎は加藤の言葉の裏に気づき、言及は避けた。
「その高橋久右エ門殿とはどのような縁で?」
 誠四郎はありのままを述べた。
 十年以上前のことだ。
 二十歳を過ぎた誠四郎は、加藤ほどではないにせよ、職を探しながら道場に通っていた。その頃はもう半重は姿を見せなかったし、新沼や山口といったいわゆる腕の立つ者達も道場をやめていて、誠四郎は、佐久間元や年下の子供達に稽古をつける側になっていた。
 そんなある日、佐久間万学が誠四郎に持ち掛けた話が、家士となって高橋久右エ門の屋敷に出入りし、久右エ門の務めを手伝うことであった。
 先生の推薦ならばとその場で承諾した誠四郎だったが、数日後に面会した時に見た久右エ門は、万学よりも若いはずであるのに頭は禿げ上がって覇気もなく、誠四郎より上背だが猫背でやせ気味と、なおさら病気がちに見えた。誠四郎は、介護を託されるのではなかろうかと焦ったほどだった。
 しかし、誠四郎には他に役目をもらう当てはなかったし、家士という公僕は多かれ少なかれ収入を約束してくれる。久右エ門自体も悪い人には見えない。そうした打算の果て、誠四郎は久右エ門の従者となり、高橋家の屋敷に出入りすることになった。
 妙だと思ったのは、それから数ヶ月後のことだった。正確には、妙だと思い始めたというのが正しい。
 久右エ門はめったなことでは出掛けぬし、屋敷の中でも勤めを果たしているようにはみえず、誠四郎に用を頼むことは全くしない。挙句に出かけるときには誠四郎に留守を頼むばかりだった。よほど人に明かせぬ生業なのかと最初は思ったが、それでは家士を通わせるような面倒をする理由にならない。
 そのことを万学に相談すると、万学は、
『久右エ門殿には考えがあるのだろう』
と言って、話しをはぐらかした。
 そんな日が続いて一年がたったころ、久右エ門が突然、『京に旅に出る』と言い出した。久右エ門を抑制する力を持たない誠四郎は反対もできず、言われるままに屋敷を預かって久右エ門を見送った。
 その後二年半の間は万学を通じて文が来たが、それも止み、久右エ門は行方知れずになった。残ったのは、出入り先不明なまま家士としての誠四郎に給付される禄と、城下を見下ろせる町外れのあの屋敷だけである。
「で、今はそこに住んでおるのか」
「うむ。断ったのだ、最初は。独り身が住むには大げさすぎる」
 しかし一方で、御家にはまだまだ職にも家にもありつけぬ者達がひしめいている。住める家があるなら、これまで手入れしてきた者が住むのが道理だと諭されて、誠四郎は下人の街にあった自分の荷物をまとめ、高橋の屋敷に移り住んだ。
「その後の、久右エ門殿は?」
「知らぬ。文もなければ、訃報も届かぬ。
 佐久間先生が逝去されてから、つながりが断たれたままだ」
 住み始めた直後は、やはり罪悪感と言うものがあった。しかし、無為に屋敷を処分するわけにもいかない。そんな考えも数ヶ月を経て薄れていくと、それが日常になった。
「左様か」
 加藤はそこまでを聞くと、筆を置いた。
「実はな、五村。
 高橋久右エ門という人物……」
 御家の記録にはない、と加藤は言う。
「どこかで聞いたような気はしたのだがな」
「……そうか」
 誠四郎は、加藤の話が久右エ門に及んだ時から、そんな気がしていた。
 久右エ門の記録がないということは屋敷に出入りしていた誠四郎の勤めの記録もないのだろう。
「いや、お前自身は、佐久間先生に出入りする家士としてされておる」
 それにはさすがに驚かされた。
 万学には、久右エ門の生死がはっきりするか、新たな出入り先が決まるまではそのまま出入りを続けるように言われたのだが、誠四郎の知らぬ間に佐久間家の使用人に変えられていたのだ。
(どういうことだ。俺は先生に謀られていたのか?)
 一瞬自失した誠四郎に気づいたのだろう。加藤が代わりに場を取り繕った。
「まあ、気にするな。
 お前の身の回りのことは大体分かった。
 どれ、多恵殿の話ししよう」

続く