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門下録

十四.

『おい! 半重!』
 日暮に沈む城下町を歩いていると見覚えのある顔が目の前を横切り、誠四郎は声を上げた。二年振りの再会である。
『久しぶりだな。どうしている』
 御役目が決まったといって散り散りになってから、久しぶりの再会だと言うのに、半重はまったく嬉しそうではなかった。
 その頃の誠四郎は、隠密方のことなど一言も聞かされていなかった。そのため、単に気分が優れないだけなのだろうと思っていた。
『ちょうどよかった。少し話しをしたい。付き合えぬか?』
 誠四郎が飲み屋に誘うと、半重は大きな溜息を鼻から吐きながら、応じてくれた。
『御役目はどうだ?』
 誠四郎が酒を注ぎながら言った。
『どうもこうも。やる気にならんことばかりだ』
『何? それはいかぬな。何をしておる?』
『言う気にならぬ』
 半重は一度でぐい飲みを空けた。
『お前は、どうなのだ』
 酒気交じりの息を吐いて、半重が言った。
『うむ。それがな……』
 誠四郎が高橋久右エ門の話を始めると、半重はしきりにうなずき、誠四郎にどんどん酒を注ぎ始めた。
『屋敷に住めるのではよいではないか』
 話し終えると、半重が言った。
『そのまま久右エ門とやらの使用人としての禄を頂戴できるなら、これほど上手い話はない』
『だが、すこし気が引ける。
 あの屋敷はさほど広くはないが、俺一人では持て余して仕方がない』
 誠四郎は二度に渡ってぐい飲みを空けた。
『ところで、半重』
 そのまま半重に注ごうとしたが一滴も垂れず、女中を呼んだ。
『お前、祝言を挙げるらしいな』
 半重は誠四郎に注がれながら、一瞬まずそうな顔をした。
『……先生に聞いたのか』
『ああそうだ。
 水臭いぞ、お前。
 そんなめでたい事は、文でもなんでも、寄越してくれればよいのだ』
 半重はぐい飲みの淵まで注がれた酒の水面を見て、すまんと呟いた。
『急だったのでな。
 おいおい、会って伝えようと思っていた』
『まあ、良い。めでたいことだ。
 気を悪くさせていたら、こちらこそ、すまん』
 誠四郎は半重に注ごうとしたが、また一滴も垂れなかった。
『誠四郎。少し飲みすぎだ』
 半重が空の徳利を取り上げた。
『分かっている。
 ……少し気が立っているのだ』
『何にだ』
『不可解なことが多いのだ。
 久右エ門殿にしろ、先生にしろ、何かを隠しておられる。
 親父が死んだ時もそうだった。俺の身の回りのことであるのに、皆知らぬ顔をする』
 卓が揺れるほどに、強くぐい飲みを叩きつけた誠四郎を見かねて、半重が立ち上がった。
『考えすぎだ、誠四郎。
 もう良い、出るぞ』
 誠四郎は、半重に肩を担がれて店を出た。
 そんな風に居酒屋を出たのは後にも先にもその時だけだ。
『すまぬ、半重』
 半重に送られながら、誠四郎は詫びた。
『もう良い』
『よくない。
 違うのだ。
 俺が言いたかったのは、水臭いとかではなく……』
『お前の変わりに夫婦でその屋敷に住めとでも言うつもりであろう?』
『何故分かった』
『お前の考えそうなことだ』
 しかし、半重は誠四郎の提案を受けなかった。
 久右エ門の屋敷に別の夫婦が住み始めては、久右エ門が死亡したことを認めさせることになり、それは誠四郎の役目が終ったことを連鎖させる。
 誠四郎の役目は久右エ門の屋敷に住むことで成り立ち、誠四郎以外の人間が出入りしてはならないのだ。
 時節柄、役目にありつけない人間は多かった。
 半重はそうした人間の仲間に入る誠四郎がきっかけを自身が作ることを嫌ったのだった。
『十年経って御家が安泰となった時、お前がまだ独り身でいたら、その屋敷を貰う。
 それでどうだ?』
『おう、かまわぬ』
『ではそれまでの間、手入れを頼む』
 それが半重と交わした唯一の約束であったと記憶している。

続く