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門下録

十五.

 誠四郎が目覚めた時には、明け六つ(午前八時)を過ぎていた。
 寝所には誠四郎しかいない。加藤は予告どおりに出て行ったようだった。
 城内にはいるだろうから、探して声をかけてから下城しても良かったのだが、誠四郎は加藤の邪魔になることをはばかった、大人しく下城することにした。
「おい」
 表まで来た時、誠四郎の足を遮って男が立ちはだかった。
 雪駄と握り飯を手に持った源祐であった。
 誠四郎の雪駄が壊れていることなど一言も告げていないのに、見破られていたようだった。握り飯は朝食にということだろう。
「かたじけない」
 誠四郎が受け取ると、源祐は手を伸ばしながらどこかに消えていった。
 昨晩のうちに雪が降ったようで、外はまた雪に埋もれていた。
 誠四郎は履いて来た雪駄を懐に仕舞いこむと、源祐に渡された雪駄を履いた。
 朝雲が山景を灰色に塗りつぶし、視界を狭くしている。陽は白い満月のようになって雲の向こうの空に浮いていた。道端の雪は、この先しばらく米びつに入った米の様に減ったり増えたりしつつも一定の嵩を保つのだろう。
 誠四郎は城に出入りする商人とすれ違うようにして雪路を歩き始めた。
 半重と紗世は、訳合向(わけあいむかい)近くの長屋に住んでいた。訪れたのは三度ほどだが、場所はよく覚えていた。
 話し相手が欲しいのだろう――
 昨日登城した道を逆に辿って歩きながら、源祐のくれた朝飯を食っていると、ふと、加藤の言葉が頭をよぎった。
 そんな言葉がよぎるのも、実のところ誠四郎が紗世に惚れていたせいである。
 最初に会った時からだった。親友の伴侶とあってすぐに忘れるようにしたのだが、その後、結婚祝いを届けた時にも、同じような思いになってしまった。その思いが、三度目に半重の死で始まってはならないと誠四郎は思い、半重の葬儀を遠くから見守ったのである。
 それなのに、加藤は会って来いと言う。
 勿論、誠四郎の想いは誰にも打ち明けていないことなのだから、加藤が知っているはずはない。
 行って会えなかった振りをして引き返そうとも考えたのだが、加藤はご丁寧に不在の場合の居場所まで教えてくれた。
 これでは後々、紗世の様子を問われかねない。
(腹をくくる他、ないか)
 これも何かの縁だ。誠四郎の一歩が少しずつ大きくなった。
 結局、長屋に紗世の姿はなかった。
 もしやと思い、ちらりと中を覗いたが、家財道具はそのままある。
 いなければ、半重の墓参りをしているはずだ。
 誠四郎は首を振って周囲の様子を確かめると、半重の眠る蓮南寺(はすなでら)へと足を向けた。
 蓮南寺は城下の南の丘を登ったところにある。誰にでも親しまれた寺で、他の宗派や貴族でなければ、だいたいは蓮南に入った。誠四郎の父母もそこに眠っている。誠四郎の記憶によれば、佐久間家も同じ宗派で万学は道場近くの泉命寺(いずみでら)という寺に眠っている。当然、親族である元や多恵もその寺に眠ることになる。
 近くに死んだもので言うならば、小山近衛も泉命寺に埋葬された。佐久間や小山といった家柄は御家の中では古くて名家である由縁か、蓮南には入らないのだろう。
 新沼自身は、先に述べたとおり、誰も宗派を知る者がおらず、小山近衛の墓の傍石に名を刻まれ、遺骨は蓮南寺の共同墓地に眠っている。
 山口は――
 どこに眠っているのかと考えて誠四郎は、はっとなった。
(山口は目付け方の記録に載っていなかった)
 昨晩覗き見た資料に記載されていたのは、倉橋半重、新沼藤次、佐久間元、佐久間多恵の四人だった。山口孝介の名は載っていない。
 山口が死んだと言っていたのは誰であったか。
(新沼殿だ)
 半重の死の知らせを受けて小山屋敷を訪ねた日に、死ぬ前の新沼から聞かされたことは鮮明に覚えている。
 新沼が嘘をついているのか、山口の死体が見つかっていないだけなのか。いや、山口は死んでいるが、世間的には他殺と見られていないだけなのかもしれない。
 考えはいくつか浮かんだが、正誤の判断はつかなかった。
 白い太陽はいまだに南東の空を浮き、周囲を覆う靄(もや)は一向に晴れようとしない。それどころか辺りを粉雪が舞い始め、日照を得られずに冷え込みを蓄えた路面に、誠四郎を肩をすくめながら歩いた。
 蓮南寺の霊園に入ると、紗世の姿はすぐに目に付いた。
 紗世は両手の平を合わせて半重の墓前にいた。
 周囲の墓が雪を被る中で、半重の墓だけが露になっている。
 誠四郎は自分の影が紗世の視界に入る一歩手前まで歩き、そこで止まった。
 喪服から覗く紗世のうなじが、しなやかな線を描いている。その先に結われた黒い艶(つや)のある髪と、眼を瞑り黙祷する白い顔に、気をとられた。
 誠四郎はその場で、紗世が立ち上がるのを待った。
 粉雪が少しずつ半重の墓を濡らしていく。
「誠四郎様にございますね」
 紗世は眼を開き、肩越しに言った。
「うむ。良く分かったな」
「今朝から何となく、そんな気がしておりました」
 紗世が立ち上がり、誠四郎と向かい合った。
「ご無沙汰しております」
「ご無沙汰しておる」
 誠四郎はすぐにのぼせ、紗世とすれ違うようにして半重の墓前に立った。
「葬儀は、出れずにすまなかった」
 背中越しに紗世に言った。
「あいにく、所用がいろいろとあってな」
 誠四郎が持参してもいない線香を探す振りをして懐や袖の下をあさっていると、紗世が横から差し出した。
「あいすまぬ」
 紗世から受け取った線香に火を灯すと、その火は線香皿に置く前に、舞い落ちてきた粉雪に消された。誠四郎は半重が受け取りを拒んでいるように感じ、苦笑した。
 思えば、半重の墓を参るのはこれが初めてであった。
(許せ。お前がどうして死んだのかを調べる内に遅くなった)
 誠四郎は両手を合わせ、目を閉じた。
(お前は誰に殺されたのだ、半重)
 墓石が答えるはすがなかった。
 頭を冷やせと言わんばかりに、雪が形を大きくして誠四郎に降りかかってきた。

続く