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門下録

十七.

 仇を誓ったものの、気持ちは少しも晴れず、誠四郎暗い面持ちのまま屋敷にたどり着いた。
 足並みが雪にも気持ちにも囚われたせいで歩が進まずに日は傾き、門をくぐってあがりかまちに降ろした腰は、思いのほかドスンと音を立てた。誠四郎はそのまま、頭をかきむしってはうつむいて溜息をつく仕草を何度も繰り返した。
 友たちの死を嘆くより、この後のことを考えねばらならないのだが、まったく気が向かない。それどころか、自分の決断に対する迷いが途方の果てに訪れて、誠四郎はすっかり判断に自信が持てなくなり始めていた。
 門下録の謎は謎のままだ。もしかすると、加藤たち、目付け方が解いてくれるのかも知れぬが、どれ程期待して良いのかも分からない。
 そもそも、加藤たちと接点を持ったのは正しかったのだろうか。
 誠四郎はまた、頭をかいてうなだれた。
 元は門下録の価値を知っていた。それを目付け方に届けずに誠四郎に預けてきたのに、誠四郎は自らの手でそれを目付け方に渡してしまった。その行動は元の気持ちを裏切ったことになるまいか。
 門下録を持参したあの日、元は何と言って渡してきたのだったか。それはもう耳のどこにも残っていない。
 その上、期待していた修宗寺と文楽の情報は、結局、何も得られていない。半重と元の最期がどのような状況だったのかというそれだけが、目付け方と接点を持ったことの成果だった。
(三天院小路、中条……)
 不意にその言葉が、誠四郎の目先に見えた。
 半重が最期にいた場所ということになるが、三天院は仏閣であって寺ではない。修宗寺と結びつかないのは明らかだ。
(……修宗寺を見つける必要はあるのだろうか)
 誠四郎は思った。
 冷静になってみれば、見つけるべきは修宗寺の文楽ではなく、北見敏朗なのだ。
 新沼の言葉では、北見を探すには文楽を探すのが近道だという印象があった。その上、新沼が殺されたあと十日は何事もなく、北見はなりを潜め、北見の手がかりとなるものは何もなかった。ゆえに、文楽を探すことが即決なのだと思っていた。
 しかし、佐久間元と多恵はこの二日三日の間に殺されている。
 二人を北見が殺したと考えれば、幽霊のような文楽よりも見つける手がかりがつかめそうなものだ。
(北見敏朗……)
 少なくとも半重と新沼を殺したという北見の情報を目付け方に伝えれば何かを得られるかもしれない。
 そこから出直そうと決め、誠四郎はようやく雪駄を脱いだ。
 腰を上げると、屋敷の奥にぼんやりとした朱い西日が見えた。
 いつの間にか雪がやみ、ようやく出たのが夕陽は山に入る最後の光で、庭に生える太い楓の枝の雪を落とした。
 その様を見ながら、対照的に薄暗い部屋に入った誠四郎は、ちゃぶ台の脚に思い切りつまづいた。手に握っていた腰の外しかけの大小が、その弾みで部屋に散らばるほどだった。
 苦い顔をして立ち上がると、床の間の掛け軸までもが落ちている。
(おかしい)
 誠四郎は立ち上がり、辺りを見た。
 茶箪笥は残らず開け放たれ、火鉢さえも倒れている。
(荒らされている)
 誠四郎は再び大小を腰に差込、慎重な歩みで屋敷内を見て回った。
 誠四郎以外の人は誰もいなかったが、荒らされていない部屋はなかった。戸という戸は全て開け放たれ、壁に掛けたものは残らず落とされ、瓶も壺も倒れていた。
 この屋敷には他に貴重なものなどない。
(誰かが門下録を探しに来た)
 そう考えるしかなかった。
 元を拷問した人間が、門下録を誠四郎が所持していることを知り、盗みに入ったと考えて間違いあるまい。
(だが、ここには門下録はない。となれば、次に狙うのは……)
 俺か――
 火鉢のない部屋の寒さが、誠四郎の首筋を粘っこく舐めた。
 西の陽が山に入(い)り、最後の光が屋根を照らして空に消えていく。庭の楓が宵の余熱に身震いをし、またも枝の雪をぼたぼたと落とした。
 その様を見て、誠四郎は元が訪ねてきた日に楓の木の傍でみた影を思い出した。あの時は、半重の亡霊かと思った人影である。
 生きている人だとするならば、誰であろう。
 元を殺し、この屋敷をあさった人物だろうか。
 その考えはすぐに掻き消えた。なぜならその人物は誠四郎が元から何かの書物を受け取るところを見ている。同一の人物だとするならば最初っから寝込んでいる誠四郎を狙えばよいことで、わざわざ元を殺す必要はない。
 つまり、それとは別の人物が誠四郎の行動を監視している。もしかするとその人物は、最初に妙な視線を感じた小山近衛の屋敷の前から、誠四郎を監視しているのかもしれない。
 身の回りに異変が起きようものならば、今度はその形跡を辿り、お前を追い詰めようという連中の背後に廻りこめ、とは、加藤の言葉だ。
 屋敷が荒らされたのと、誠四郎を監視している人間がいるのは別の話だと思われるが、調べられるものならば、楓の大木も調べておいた方が良さそうだ。
 誠四郎は腰の刀を引きつけて帯を締めなおし、石を打って提灯に火を入れると、庭へ降りた。
 昨晩から先ほどまで雪が降り続けた結果、庭の雪は新しく、嵩もあった。庭の隅にあった小さな池須も、氷の上に雪が積もって見分けがつかなくなっていた。
 誠四郎は迷わずに大楓に歩み寄った。
 上に登った人間を十分に支える太さのある幹だが、表面はひび割れて老いをうかがわせていた。冬の乾燥がそのようにさせていると言えばその通りだ。それでも枝にぶら下がった誠四郎を軋むことなく支えてくれた。
 しかし、あの時はこの楓が大きく揺れているのを眼にしている。
 ぶら下がったまま揺らしてみたが、枝の先の方がしなるだけだった。
(上から飛び降りたら揺れるのかもしれん)
 あの時の影は、木から飛び降りて、塀の向こうへ逃げたように見えた。となると、それなりの高さから飛ぶ必要がある。その高さなら反動で楓を揺らすこともできるかもしれない。
 誠四郎はぶら下がっている枝に足をかけ、その枝に登った。
 上にはまだまだ登れそうな枝が生えているが、あいにく木登りは得意ではない。枝に登るのでさえひどく時間が掛かり、その間に山際の朱は既に消えうせて、冬の星が夜空を彩り始めていた。
 誠四郎は枝に座り、空を眺めた。
 天文観測などではなく、ただ疲れただけであった。思えば今日は歩き詰めだ。
 足元に置いた提灯はとうに消えていたが、辺りに積もった雪が星明りを跳ね返すせいで辺りはまだ視界がきいた。
 カタン。
 そんな時に屋敷表から聞こえた小さな音を、誠四郎は聞き逃さなかった。

続く