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門下録

十八.

(誰だ?)
 音を出さないように枝の上で体を捻って門を見ると、ゆっくりと人影が入ってくるのが見えた。手に提げる提灯の位置が低く、顔までは見えない。
 門下録を狙って部屋を荒らした者が再び戻ってきたのかと思ったが、盗人ならば提灯など持つはずもないし、そもそも門から入らないだろう。今まさしく誠四郎が登っている楓に、塀の上から飛び移って来そうなものだ。
 その男の影は特に辺りを気にするような素振りもなく、静かに歩いて入って来た。
 ただの来客者だと考えるのが妥当だった。
 しかし、妙な緊張ばかり強いられてきた誠四郎には安心できる要素とは言えず、男の顔を確かめるまでは、糸を張らざるを得ない状況だった。
 誠四郎はその男が玄関まで入っていくのを見届けると、静かに木をおり、息を潜めながら屋敷に戻った。屋敷はどこにも火を入れていないせいで隅々を暗がりが支配して、自分の住居ながらお化け屋敷のように思えた。
 宵闇の訪問者はそれを恐れたのか、あがりかまちから入ってこない。
 誠四郎はあがりかまちから距離にして十間ほどの居間の前で、息を殺して動きを待った。
(……)
 もし、敵意を持った人間であったとしたら、一気に迎え撃つか、静かに待ち受けるかを思案していると、訪問者の立てる足音が玄関から聞こえてきた。提灯から漏れる光が、鬼火のようにして玄関を漂っている。その様を見る限りでは、どうやら無粋に乗り込んでくるつもりはないらしい。夜の始まりの時刻にしては、あまりに静かなこの屋敷を不穏に感じているのかもしれなかった。
「五村はおるか?」
 静けさの均衡を破って、宵闇の客はあがりかまちで叫んだ。
 加藤の声だった。
 つい昨日も同じような状況を経験したから間違いはない。
 無駄な気苦労だと知った誠四郎は安堵の息を落とし、迎えに出た。
「どうした。何の用だ」
 誠四郎の姿を見た加藤も、同じように安堵の息を漏らした。やはり、屋敷が暗すぎたようだ。
 加藤は何故か羽織をたすきにかけていた。
「いや、すまん。特に用はないのだ。
 近くを通ったが。戸締りもされてなければ明かりも見えない。
 不審に思って覗いてみただけだが、何もなければ、それでよい。
 戸締りぐらいはしっかり致せ」
 早口にそう言うと、加藤は背を向けた。
 一瞬あっけに取られた誠四郎だが、帰ろうという加藤に屋敷を荒らされたことを伝えようとして口をつぐんだ。
(言えば、門下録は取り沙汰される)
 ついさきほど、このあがりかまちで熟考していたことだ。
 だが、頭の中では、ここまで来て伝えぬわけにはいくまいと判っていた。
「そうだ、お主……」
 誠四郎が尻込みしていると、先に加藤が言った。
「お主……、まさかとは思うが、人をかくまってはおるまいな」
 突拍子もない尋問だった。
 背を向けたままの加藤の表情が窺えない。
 心当たりのないことであったが、誠四郎の額に嫌な汗が滲んだ。
「いや、おらん」
「そうか」
 加藤は振り返り、誠四郎の唖然とした表情を見ると鼻で笑った。
「その顔は本当だな。
 夜分に失礼した」
「いや、待て加藤……」
 再び歩き出そうとした加藤を呼び止めたその時、東の方から高い笛の音が鳴り、夜の空に響いた。それが呼び笛であることは誠四郎にも分かった。
「すまん、また来る」
 加藤は射られる矢の速さで屋敷を飛び出し、暗闇へ消えていった。
 火急の勤めなのだろう。でなければ夜分にこんな城下外れの屋敷に訪れることなど、そうはない。誠四郎には関わりのないことなのだが、加藤の発言が引っかかってしょうがなかった。
 誰かを追っているのだとすると、その人間は誠四郎がかくまうような関係にある人間なのろうか。
 思い当たる節は全くないが、目付け方がそう考えていたのだとすれば、世間的には誠四郎と関係のある筋の人間なのだろう。
 それは道場筋を除いて他にない。
 徐々に高まっていく誠四郎の鼓動を打ち伏せるようにして、二度目の笛が空に響いた。
(確かめねば)
 誠四郎もすぐに雪駄をはき、加藤が去った方角に走った。
 気ばかりが急いてために提灯も持たずに出た結果、もうほとんど視界が効かなかった。頼りない六日月の光とそれを返す雪だけが頼りだ。誠四郎は、加藤が踏んで解けた雪路に浮かぶ黒い斑点を追うようにして道を選ぶしかなかった。
 乾いた冬の夜空を三度目の笛の音が走る。
 今度は先ほどよりずっと近くだ。
 誠四郎が山勘で道を左に折れると、提灯の明かりが見えた。
 それに、抜き身の白刃が照らされている。
(誰かと斬り合っている)
 だがそこに向かう真っ直ぐな道はない。せせらぎの水面にうつる月影が誠四郎の避けるべき道を語っていた。
 誠四郎はすぐさま土地勘を頼りに迂回してせせらぎを越え、提灯の集まる場所へと急いだ。途中、人の悲鳴が聞こえ、誰かの名を叫ぶ声が聞こえた。犠牲になった仲間を気遣う声だった。
 その様相を耳で聞く限り、よほどの遣い手らしい。
 深山道場の加藤はまだ到着していないのだろうか。
「あっ!」
 また一人、誰かが斬られた。
 しかし誰もその男の名を呼ばない。
 最後か――
 誠四郎は道を急いだ。
 灯りの集う辻が近いようで遠い。
「待てっ!」
 今度は加藤の声だ。
 塀の向こうの角から聞こえてくる。
 間に合ったようだが、安心はできまい。
 誠四郎は一層足を動かし、とにかく急いだ。
 刀の交わる音がすぐそこで聞こえはじめ、ついに衝突する二人の剣影が見えた。辺りは地に落とされた提灯の火で明るくなっていて、それと同じ数の人も倒れている。
 二人は辻の中央で対峙し、加藤は八双に構えていた。
 対峙する男は、背を丸め、顔を曲げた膝近くまで落とし、刀を真一文字に寝かせるという異様な構えだった。
 それは、半重が苦手とし、誠四郎が真似て失敗した、無類の構えである。

続く