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門下録

二十一.

 よし来たと話し出せるはずは勿論なかったが、もはや隠すこともないだろうと誠四郎は割り切った。
 目付け方に届けなかった直接の理由は、新沼の言葉にあった。秘密裏に済ませたいというその意思に従うつもりで、誠四郎は届けを出さず、城下を駆け回ったのだ。
 しかし、今の誠四郎にとっては、その新沼の言葉は信じるに値しないものになっていた。
その理由の一つには、『山口が死んだ』という新沼の言葉が覆されてしまったことによる、新沼本人への疑心がある。だが、それ以上に、半重の死の真実を暴きたいという思いが強くなってきていた。もはや、加藤の協力なしには、先に進むことは困難を極めているのだ。
 説明していく中で誠四郎は何度か息を深く吸ったが、そのたびに肩が軽くなっていくのが感じられた。誠四郎は次第に、なぜ黙っていたのだろうという考えを持ち始めるぐらいになった。
「修宗寺の文楽……、か……」
 聞き終えて、加藤が微動だにせずに言った。
「知っているのか?」
 それ以上を何も喋らない加藤に焦れて、誠四郎が聞いた。
「……」
 目付け方の役目のうえか、加藤は答えなかったが、誠四郎は加藤のさまよう視線を見て手がかりを握っていると察した。
「……そうか」
 誠四郎は、深追いせず、その場での問いを胸に仕舞い込んだ。
「……寺の事なら、源祐が詳しい」
 急に加藤は意外なことを言った。
「源祐、殿が?」
 誠四郎の頭の中によぎったのは、最初に名を呼ばれて現れたときのギョロギョロとした眼だった。
「あいつは元々は坊主だ。寺のことならば、そこらの人間よりは詳しい」
 加藤は首を伸ばして外を見た。太陽の光がそこから見える西の空に届き始め、見ている間にも藍が薄まっていく。ここから歩いて、城につく頃には登城の刻限になろう。
「今から俺と登城して、話を聞いてみるか」
 二人は互いにうなづきながら立ち上がって、屋敷を出る支度を始めた。
 誠四郎が凶刃に裂かれた着物を脱ごうとして帯を解くと、懐からぽろぽろと山口に斬られた雪駄の欠片が落ちて、案山子(かかし)の腹を割いたように足元が散らかった。よく見ると、刃は下に着込んだ襦袢にまで達している。誠四郎が肥えていたら、へそが無くなっていたかも知れなかった。
(運が良かった……)
 体型はどうであれ、あの時朽ちた雪駄を持ち歩いていなければ、死んでいた。誠四郎は藁を拾い集めながら息をついた。
 屋敷表は朝日がまぶしく、並んで立たねばお互いの顔が見えなかった。昨日の疲れのせいか、二人は城に向かって歩き始めたものの、しばらくは無言だった。
「昨晩は……」
 道のりの四分一を過ぎた辺りで、加藤が話し始めた。
「この辺りで山口を見失った」
 加藤が北のほうを指差して続ける。
「俺たちがあっちから来た時に、山口は西に逃げた。すぐに追ったが、既に暗くなり始めていてな、見失ってしまったわけだ」
「それで、俺の屋敷を?」
「念のためだ」
 その時はまだ、目付け方は誠四郎を容疑のかかる者として見ていた。
 山口を匿っている可能性があると考え、誠四郎の屋敷の様子を見に行ったのだ。
「いや、仕方あるまい。
 それよりも、やはり俺の屋敷の場所は調べてあったのだな。
 まあ、そうでなくては見張りもできぬか」
 誠四郎は、元が門下録を持って訪ねてきた日に見た人影と思い出してそう言った。すると、加藤は目を丸くした。
「お前、見張りに気づいていたのか?」
「ああ。一度人影を見た」
「……」
 加藤は腕組みをして記憶を遡り、源祐だな、と苦い顔で呟いた。あの馬鹿、そういう顔だった。
「源祐殿は、なぜ坊主から目付け方へ?」
 誠四郎が怪訝を口にすると、加藤は一種諦めたように話を始めた。
 もともと源祐は孤児だった。父も母もなく、物心がついた頃にはすでに寺で勤めていたそうだ。むろん、生まれついて孤児だと知っていたわけではなく、知らされたのは十歳を過ぎた歳の暮のことだったらしい。正月を祝う気持ちもなく、暗い一年の始まりだった。住職も、本当はもっと源祐が歳を増してから告げるつもりだったのだろう。
 しかし、その住職は自分の体を蝕む病を悟っていた。住職はその歳の春を待たずに亡くなった。源祐にとってその住職は、いわば里親であり、親身に育ててくれた養父であるが、その住職の温かな思いは次の住職には引き継がれなかった。
 もともと源祐のいた寺は城下を離れた山村にある廃寺寸前の小さなもので、住職と源祐だけが住んでいた。源祐は住職になるには幼すぎる。そこで城下の寺から同宗派の住職を呼ぶことにしたのが、その人間が良くなかったのである。
 新しい住職は最初から山村を見下していた。城下に比べれば、水を飲むにも労が要るし、飯は芋類ばかりで味は山菜が中心。檀家も少なければお布施も少ない。不満が溜まるのも仕方がないといえば仕方がなかった。住職は怒鳴り散らしてばかりいた。挙句に住職は、源祐さえいなければ潰していた寺だったと逆恨みを始め、何かと難癖をつけるようになったそうだ。
「源祐は、生まれつき耳が悪かった。けど、そういう中にあって、なおさら聞くことを止め、喋ることを止めていった」
 ただ、書く事だけは誰よりも達者で、特に毎日の日課である写経は恐ろしいほどの正確さと速さを兼ね備えていた。だが住職は、それさえも心が篭っていないなどと言い捨てて、源祐の写した経を破り捨てると最初からやり直させては飯を抜いた。
 そんな生活に嫌気が差して、寺を抜け出したのが十四の時だった。
「今年こそは良い年だと考えるのも三年が限界だったらしい」
 加藤が口端を上げていった。
 寺を飛び出したまでは良かったが行く先はない。だが、戻ることもできない。
 いろいろ考えた末に思い浮かんだのは、一度だけ、育ての親である住職のつながりで訪れたことのある城下だった。あの賑やかな町ならばなんとかなるかもしれない。それだけを思って源祐は野山を駆けた。
「それで、どうなったのだ?」
「旅籠の前で行き倒れた」
 源祐は最後の力で道行く人の足を掴んだ。
 それが加藤の足だった。
「身上を語ったのは最近のことだ。何せ、喋るのを止めていたからな。というより、言いたくなかったんだろうがな。言えば寺に戻されるのは分かっている」
 当てる先のない源祐は仕方無く目付け方に居候させることになった。だが、聞くのも話すのが苦手な坊主崩れである。となれば書くことぐらいしか頼めそうもない。ところが源祐は周囲の予想を裏切って、書くのだけは異様に達者だった。そして今や、目付け方の欠かさない記録係となっている。
「しかし、人手がなかったとはいえ、やはり見張りは駄目だったか」
 加藤が嘆いた。

続く