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門下録

二十二.

 加藤は耳が悪い。だからしゃべるのも苦手だ。話す時には口を少し大袈裟に開いて、聴くときはゆっくり聴け。
 城の一室で源祐を前にして、誠四郎は加藤の忠告を思い出していた。といっても、加藤自身も隣に座っている。誠四郎は、いざ源祐を前にすると、加藤の忠告よりも源祐の年齢が気になりはじめ、注意が逸れた。
(加藤の話からすれば、十四で城下にやってきたとして、それが十年前だったとしても二十四……。まったく見えん)
 確実に年下なのだが、眼に迫力があるせいか、とても見えなかった。
「聞きたいことがある」
 呆ける誠四郎に代わり、加藤が言った。
 誠四郎はすぐに正気に戻って二人の間に割り込んだ。
「源祐殿。修宗寺という名を聞いたことはないか?」
 源祐は例の眼を左右に動かして考え込んだが、やがて首を左右に振った。
「ない」
 そうはっきり言った後に、
「いや、ある」
と言い出した。
 なんだ、どっちだ。
 誠四郎は腰を浮かせて詰め寄った。
「寺はない。地名はある」
 源祐が掌を見せて語るに、修宗寺という名の寺はないが、地名ならば聞いたことがあるとのことだった。
「地名? それはどこだ?」
「西町の南だ」
 小山近衛の屋敷があった西町の南に接しているのは、佐久間道場のある訳合向(わけあいむかい)である。しかし、その辺りでは修宗寺などという地名を聞いたことはなかった。それは、出入りの多かった誠四郎に限らず、目付け方としても長い加藤も同じようだった。
「聞いた事はないぞ?」
「今はあまり呼ばれない。
 けど、昔はあの辺りを修宗寺と呼んでいた」
 源祐が言った。
 つまり、訳合向と呼ばれているあの一帯は、かつては修宗寺と呼ばれていたというのだ。確かに、訳合向は最近ようやく呼び方が定着したといっても過言ではない。そういう話しがあったとしても、不思議ではなかった。言われて見ると確かに訳合向には寺院が多い。かつてはそれらを全て一つの大きな修宗寺があっただろうか。
 歴々の話しはさておき、源祐の言葉通りならば、修宗寺の文楽は訳合向の文楽ということになる。
 だがそれは、誠四郎にとって期待はずれの展開に他ならなかった。
 探しているのは修宗寺という寺ではなく、文楽という人である。誠四郎は文楽という人間についても聞きまわったことがあったが、結果が得られずじまいだった。その為に修宗寺が一つの場所を示すことを期待し、場所から人を割り出せることを望んでいたのだ。だが、訳合向とあっては範囲が広すぎる。修宗寺が特定できたところで、話は進まない。
 しかし、源祐のその情報で誠四郎は最後に新沼が言った言葉の不自然さに気づいた。佐久間道場の人間の間では訳合向という名で通じていた地域を、なぜわざわざ誠四郎の知らない修宗寺などという言葉で表現したのだろうか。残念ながらその謎を解く鍵は、今は持っていない。結局、疑問が増えただけであった。
 誠四郎が浮かせた腰をどかりと下ろすと、梃子(てこ)の弾みのように源祐が立った。
「どこへいく?」
「役目がある」
「いや待て」
 源祐が背中を向けた時に誠四郎が言った。
「文楽という名は知らんか?」
 気が急いてしまった誠四郎の発音は加藤の忠告を忘れていて、口の開き方が半端だったらしい。
「ウンカク?」
 源祐が首を傾げた。
「いや違う。ブンラクだ」
 大げさに口を開いてみたが、源祐はまたも小首を傾げて加藤を見た。
 すると加藤は大きくうなずいて、源祐に返事を促した。
「バンガクか? それならば知っている」
 源祐が言った。
 今度は誠四郎が首をかしげることになった。
「いや、万学先生なら私も知っている。
 私が知りたいのは文楽だ」
 頭では分かっている誠四郎だが、実際に口にするとどうしても加藤の忠告が頭から飛んでしまい、自分自身でじれったくなってきた。
「ウンカクは知らん。
 ブンラクはバンガクだ」
 またも源祐が言った。
「いや、万学ではない。探しているのは文楽だ」
「五村」
 黙って座っていた加藤が、誠四郎を制した。
「落ち着いて聴け」
「ブンラクはバンガクだ」
 源祐は眼球を左右に動かして、加藤と誠四郎を交互に見ながらその言葉を繰り返した。

続く