web clap

門下録

二十四.

 加藤は静かに話しを続けた。
「当節、御家は藩という形こそ出来つつあったものの、権力争いは肩が着いていなかった。誰しもが裏で実権を握ることできる状況だ」
 加藤の詳しい説明によると、大きく分けて二つの派閥があったそうだ。
 どちらも中心にいた家柄の姓をとって、北見派と飯原派という呼ばれ方をしていた。北見家は昔から、この地に根を張り勢力をつけていた豪族の流れを組む一族で、飯原家はその逆に古都鎌倉から流れて来た藤原氏の流れを組んでいた。本管を違える両家のは利権は根本的に異なり、北見家の覇権は土地から上がるもので、つまりは財産。飯原家は都から持ち込んだ文化であり、つまりは宗教であった。
 そうした背景が手伝って、内の抗争は御家などという徳川の拵えた枠組みが与えられる前から、生じていた必然とも言えた。
 渦中にあって、まだ糊代を残した兵法家であった小山近衛はこの混乱に乗じて何とか禄を増やせないかと、名を上げる手立てを探していた。気流ともいうべきか、小山の属していた飯原派の塞翁が、地力のある北見派の勢を削ぐ案を募っている。
 小山の考えに浮かんでいたのは、北見派のつながりの弱さを攻めることだった。北見派は御家の利権を元々よそ者であった飯原一族に渡したくないという理由でしか繋がっていない。現に、飯原派を退けた後の利権について豪族の若衆たちが口論になっていたのを目撃したこともあった。
 北見派の勢力を面で押さえ込む必要はない。点で断ち切ってしまえばそれで十分だ。
「飯原家の塞翁はその案に関心を示し、暗殺衆を手配したというのが一説にある」
 加藤が腕組みをして肩をすぼめた。
「その暗殺衆が、佐久間道場の面々とどう繋がるというのだ」
「小山様は、他を排する目的の為に、佐久間道場の剣士たちを引き抜いて殺しの道具に使っていたということだろう」
「何故そこでうちの道場の名が挙がるのだ。
 小山様とそこまでの繋がりがったとは聞いたことがないぞ」
「佐久間道場の開祖は、八十岡一閃という上方下りの剣客ではないのか?
 道場と飯沼派に何らかのつながりがあったとしても不思議ではない」
 誠四郎は良い気分がしなかった。一概に否定はできない考え方ではあるが、ひとの道場の歴史を決め付けられては面白くない。
「ばかな。何代前の話をしている」
 荒げた声が、誠四郎の喉元でだけ震えた。
「だが事実、小山様が築いた隠密方とやらは、佐久間道場の面々で成り立っているではないか。まあ、認める気にはなれんだろうが……。いずれにしても、それが紛いの無いことだと佐久間先生のこの書が認めているのだ」
「むう……」
 誠四郎はふてくされた顔のまま、目を背けた。
 道場の歴史が御家の歴史とどのように関わっているのかは知れないが、門下録は加藤が説いたように、御家の裏側に吸い込まれていった真実を語っていそうだ。それは、誠四郎の私情ひとつで否定できるものではなかった。
 二人の目線が表書きのない方の門下録に落ちた。
「この書には、隠密方の活動が記録されている。抹殺された人間、その因果関係、収賄の額。家中に広まれば、また混乱が起こるだろう」
 誰にも言うなよ、五村、と加藤は誠四郎を圧(お)した。
 誠四郎が黙って頷くやいなや、加藤は二つの門下録を懐にしまいこんだ。
「見せてはくれないのか?」
「見ないほうが良い。
 言ったとおり、危険な書物だ。お前の身の回りにまで及ぶぞ」
「それでは、門下録は……」
「すまぬが預かる」
「いや、それは困る。その書は先生の……、いや、今となっては元(はじめ)の形見なのだぞ」
「原本は諦めてくれ。お主に読み方を教えてしまった以上、渡すわけにはいかぬ。
 写しであれば、いずれお返しする」
 きっぱりと加藤は言った。
「分かってくれ。お主の通った道場を守るためなのだ」
 誠四郎は返事に困った。
 沈黙で了承するのは嫌だが、縦にも横にも首を振れず、眉を上下に揺するのがやっとだった。
「恩に着る」
 加藤がぽつりと言った礼を、誠四郎は聞き捨てた。
「さて、五村。修宗寺の文楽という人間は、佐久間先生だったと分かった。しかし、先生はもう他界してずいぶん経つ。手がかりは途絶えたな」
 この先、どうするつもりだと問いただされるまでもなく、誠四郎は次を考えなければならなかった。
 修宗寺の文楽を探していた理由は一つで、小山近衛と新沼藤次を殺した北見敏朗という人間の情報を捜し求めていたためである。しかし、その筋から探すことはできなくなった。

 誠四郎は眉間に深いしわをよせたが、すぐにそのしわも浅くなった。
 なぜか開放された気分になったのである。
 手がかりを失くしたのは確かだが、修宗寺の文楽を求め続けた結果のことである。どこかで怠けていたわけではない。誠実に、最善を尽くした結果のことなのだ。つき止めるところまでは来たのだから、悪くは思われないだろう。
 そう考えると、この先は新沼の言動に囚われる必要がなくなる。山口の死に関して暗いところのある新沼の最後の言葉に、これ以上振り回されることはないのだ。
 しかし――
(そもそも新沼殿はなぜ修宗寺の文楽などと言ったのだろうか)
 文楽の正体を知っていたのなら、佐久間先生と訪ねよと言って欲しかった。だが、佐久間万学は一年以上も前に他界している。あの時、新沼が口にすれば明らかにおかしなことになるだろう。
 そして、山口に関してついた嘘。
 結局、少しも真実に近づいていないのではないかと思えてくる。
「五村? どうした?」
 誠四郎は加藤の声で我を取り戻した。
「いや、なんでもない」
 もう振り回されることはないと思って早々に振り回されている。自分が恥ずかしくなった。

続く