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門下録

二十五.

「加藤」
 気を取り直して、誠四郎は一から出直すつもりで聞いた。
「おぬしは、北見敏朗という名に聞き覚えはないか?」
「……」
 加藤はすぐには答えなかった。目をそらしもせず、誠四郎の顔を観察するように見た。
「少なくとも、そういう名の知り合いはいない」
「御家には?」
「どうかな。御家の記録はどれも手をつけているところで、不完全なものばかりだ。ましてや、先の話のようには飯原家に敗れて影を薄くしている北見家だ。北見敏朗という人間は記録に残っていない可能性が高い」
 それに……。
 加藤はそう言い掛けて、何かまずそうな顔をした。
「それに、なんだ?」
「……お前は北見敏朗という男をどう思っているのだ?」
「どう、とは?」
「……」
 加藤は一度目を伏せて、また誠四郎を見た。
「正直を言って、俺は新沼殿を信じていない」
 誠四郎は眉をひそめた。
「何を根拠にそのようなことを。
 新沼殿は死んだのだぞ。嘘をつくような状況ではなかったはずだ」
「本当に死んだのであれば、な」
 声を大きくする二人に挟まれて、源祐はじっと加藤を見ている。その眼差しを受け、加藤は続けた。
「俺には新沼殿が死んだとは思えんのだ。
 焼死体は屋敷の中にあった。お前の話では裏口まで逃げたはずなのにも関わらず。まるで焼けて死にましたとでも言いたいみたいだ。
 最初は隠密方として証拠を隠蔽するためと思ったが、窮屈な考え方だ。不自然すぎる」
「新沼でなければ誰の死体なのだ」
 落ち着かない気分を紛らわせるように、誠四郎は腕組みをして、加藤を見据えた。
「……高橋久右衛門はどうだ?」
 たしかに、久右エ門ならば身の丈は大体に等しい。しかし、久右エ門は佐久間万学の知人というだけで、新沼藤次と関わりがあるとは耳にした事もない。新沼とは何のつながりもない人物の遺体がなぜ身代わりになる。
「それこそ、無理があるのではないか?」
 誠四郎は不快を露わにして述べた。
「仮に久右エ門殿の亡骸であったとして、新沼殿には何の得があるというのだ」
「身を隠すためにはもってこいではないか。死んだことにしておけば、誰も探すものはいなくなるからな」
「身を隠す? 何の為に?」
「お前に修宗寺の文楽、つまり隠密方の記録を探させるためだ」
 新沼は隠密方の記録がどこにあるかを知らなかった。だから、聴いていた名を挙げ、誠四郎に探させた。誠四郎は佐久間道場の門弟である。新沼の知らないところで隠密方に関わっている可能性が少なからずあった。
「だからお前に託した」
「何の為に、そのような回りくどいことを。
 もし私なら、自分で探しにいくと思うが」
「小山様が死んだ後で新沼本人が御家を嗅ぎ回っては怪しまれるだろう。隠密方とはいえ、小山様の側近として顔知られた男だ。
 だが、死んだことにしてしまえば、まさか死人が御家の裏をかぎ回っているとは誰も思わない。新沼にとっては好都合なはずだ。死んだことにして、後はお前の行動を見張っていればいい」
「いや、しかしな、加藤。新沼殿は誰も知り合いがいないわけではない。ましてや葬式を済ませた後のことだ。街中で誰かが出くわせば、すぐに騒動になるぞ」
「無論、街中などには出ていないだろう。恐らく新沼は身を隠したところから出てはいない。
 別の誰かを遣ってお前を監視していたはずだ」
 強引さを疑えない加藤の推測を聞きながら、誠四郎は白々しい気分になってきた。いや、それ以上に苛立ちをも覚えている。どこから湧き上がる苛立ちかは知らないが、おそらくはかつての道場仲間を疑われていることが気に触るのだろう。
「……それが、北見敏朗だとでも言うのか?」
「いや、北見は虚言のはずだ。恐らく他の誰か……」
 加藤は二人の視線を集めて黙考した。
「そうか。山口孝介だ。
 山口は新沼と繋がっていた。半重を殺したのも山口の仕業だろう。誠四郎には山口は死んだと伝えておき、その裏で山口に誠四郎を見張らせる。山口ならば出回っていたとしてもおかしくはない。
 それに、お前が山口も死んだと思っていれば、疑いの目が向くこともないし、半重と山口の二人を殺した人間として、お前に北見の印象を強めることもできる……」
「バカを言えっ!」
 誠四郎は加藤の弁を遮って卓を叩いた。
 根拠のない言いがかりで、山口まで共犯者に仕立て上げられて、堪らなくなったのである。
「では、お前はどう考えているのだ」
 加藤は静かな眼差しで誠四郎をみた。
 そこには悪びれたような素振りはなく、目付け方として人を品定めするような冷たさが目元口元にたむろしていた。
「俺が納得できるような説明が、お前にできるのか?」
 誠四郎はその言葉を最後まで聞かなかった。
 凍りついた源祐の横をする抜けて部屋を出ると、どかどかと足音を踏み鳴らしながら、日の差し込む回廊を一目散に歩いた。
「おいっ! 五村!」
 加藤の呼び止めには答えなかった。
(頼った俺がバカだった。この先は自分で調べてやる)
 小春日和が成す濃い影をかかとに引きずり、誠四郎は実信(みのぶ)城をあとにした。

続く