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門下録

二十八.

「よくぞ山口と二人でここまで生還なされた」
 新沼のように背丈がある男を、西町からこの寺まで運ぶのはどちらにとっても負担になったことだろう。誠四郎がそう推察すると、新沼は微(かす)かに笑った。
「隠密方の生き残りはわれらだけではない。荷車を出して運ぶ事ぐらい、容易いことだ」
 横で住職がうなづいている。誠四郎は彼の立場が気になったが、ひとまず言及を避けた。そんなことよりも、誠四郎は、今の話を聞いて新沼に伝えねばならないことがある。
「新沼殿。
 実をいうと、私は……」
(私は山口を斬ってしまった)
 部屋が静まり返って、その静寂を集めるようにして誠四郎の額に汗が浮かぶ。間が長く感じられた。
「……話は聞いていた。
 気にかけるな、五村」
 新沼が静かに言った。
「確かに、山口も隠密方の一員。私や倉橋にとって大事な仲間であったことは確かだ。
 されど、危険な面を持ち合わせていたのも確かだ」
 山口は心が弱すぎたと新沼は言った。
 人を殺すことの罪悪感を、人を殺すという生業によって慰めていた。人を斬っては自我を失い、己の意義を求めるためにまた人を斬る。ついには人を斬らずには暮らせなくなってしまったのだと。
「いずれは、我らの中の誰かが終止符を打たねばならぬと思っていた」
 だができなかった。
 隠密方の中で一番若い山口は、誰にとっても弟分であったし、腕もただ者ではない。半重が何度か機を狙ったが、いずれも果たせなかった。
 誠四郎がとどめを刺したのは救いだったと新沼は言ったが、山口の死に際の視線を思い出すと、誠四郎はやりきれない気持ちになった。きっと山口は、誠四郎を裏切り者と思ったに違いない。
(報いねば……)
 誠四郎は唇を噛んだ。
「五村」
 新沼が呼んだ。
「北見敏朗の行方はつかめたか?」
「いえ、それが……」
「そうであろうな」
「え?」
「何を隠そう、お前に吹き込んだことは、ほとんどが出任せだった。行き当たっていたとしたら大したことだ」
 誠四郎は拍子抜けした。
「もしや、新沼殿はご存知なので?」
「いや、心当たりはない」
 見ない顔だったと新沼は明かした。
「しかし。私がお前に文楽を探させた以上、奴は必ずお前を監視している」
「……」
 誠四郎は黙った。
 ここ数日を振り返り、身の回りに起こった事を吟味すると、監視されていると言われて思い出すのは、元が門下録を持ってきた時に見かけた影のことである。だが、それについては源佑だったという結論に至っているし、加藤も認めていた。
(しかし、目付け方を信用してよいのか)
 疑い始めたらきりがない。
「新沼殿。目付けに届けるなと言われたのは、何故でござる?」
 誠四郎が問うと、新沼はちらりと視線を送ってきた。
「……届けたのか?」
「いえ。ただなり行き上……」
「そうか……」
 新沼は悟ったように呟いた。
「目付け方には北見派の息がかかった人間が紛れていると、噂程度だが聞いたことがあってな、そこから我らの秘匿が漏れる可能性があった。だから知らせたくはなかったのだ。しかし、お前に接触してきたとなると、やはり噂は本当だったのか」
 誠四郎は気まずくなった。門下録は目付け方の手中にある。新沼の懸念をそのまま具現させたも同然だ。
「新沼殿……」
「うぅっ」
 誠四郎が呼びかけると新沼は急に呻いた。
「新沼殿」
 息苦しくなった誠四郎が自白しようと声をかけたが、返事がしない。誠四郎は腰を浮かせて新沼の顔を覗き込んだ。新沼の眼は横一線に結ばれている。苦悶の表情であった。
「新沼殿……」
 二度の呼び掛けに、新沼は薄目を開けて応じた。
「五村。私はもう、あまり長くない。次に目覚める時が、分からぬのだ」
 静かな吐息をはいて続ける。
「お前は巻き込みたくなかった。それが、佐久間先生の願いでもあった。しかし、倉橋が殺され、頼れるのはお前だけなのだ」
 許せ。
 そういうと新沼は枕に首を沈めた。
「新沼殿!」
 誠四郎が叫ぶよりはやく、住職が布団をまくり新沼の脈を見た。
「……まだ、生きとる」
 住職は誠四郎の視線を受けながら、にこりとした。しかしすぐに真顔になって、長くはないことは確かだと念を押した。
 その後、住職は立ち上がり、誠四郎を別の部屋へと案内した。
「失礼ながら、ご住職は一体?」
「わしも新沼殿と同じ隠密方じゃった。
 もっとも、専らとしていたのは医術の方じゃがの」
「……今は違うと?」
「年ゆえに退いた。
 今や耄碌(もうろく)して針も持てぬ」
「では、新沼殿の手当ては誰が?」
「元じゃよ、佐久間の。
 あの子は幼い頃からわしの側にいたせいで、剣術よりも医術に優れてなぁ……」
 惜しい子を亡くした。
 住職の呟きを、誠四郎は驚嘆なくして聞けなかった。
(そんなことが……)
 道場主の子に生まれながら、剣術がまるで様になっていなかったのには訳があったのだ。
 しかし、元までも隠密方に従事していたと知って、誠四郎はつまらなくなった。
(結局、私は置いてきぼりか……)
 こうなると、佐久間万学があえて自分を外した理由がなおさら解らない。
 隠密方に加わりたかった訳ではない。だがその逆でもなく、ただ除け者にされたようで、腑に落ちなかった。

続く